表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/112

12.友達②

 ◆


「分かった」


 君はため息をついた。これは厭な話を聞くことになる──君はそう思った。この辺は長年のギャンキチの勘というやつだ。


「すぐ行く」


『ケージ、どこへ?』


 ミラの問いに、君は「ちょっと野暮用さ。留守番頼むぜ、ミラ」といって家を出た。


 アロンソは下層居住区の死体安置所で待っていた。


 ゴッチ・ファミリーが管理する、薄暗い建物だ。


 防腐剤と血の匂いが混じり合って、独特の臭気を放っている。


 アロンソは壁にもたれて煙草を吸っていたが、君の姿を見るとそれを床に捨てた。


「来たか」


 アロンソの声は重い。


 普段の軽薄な調子は鳴りを潜めている。


「話ってのは?」


 君は単刀直入に尋ねた。


 アロンソはしばらく黙っていたが、やがて奥の扉を顎で指した。


「見てもらった方が早い」


 二人は薄暗い廊下を歩いた。


 蛍光灯が時折チカチカと明滅する。


 床には黒い染みがあちこちに散らばっていた。


 古い血痕だ。


「昨夜、うちの縄張りで死体が見つかってな」


 アロンソが歩きながら口を開いた。


「ピギー星人だ」


 君は足を止めなかった。


 ただ黙って歩き続ける。


「で、調べてみたら、どうもお前の知り合いらしい」


「なんで俺にそれを?」


「お前、あの豚と仲良かっただろ」


 アロンソは振り返らずに言った。


「まあ、そうかもしれねぇけど」


 君の声は妙に平坦だった。


 アロンソはその声音に違和感を覚えた。


 いつもの粗野で感情的な君とは違う。


 まるで感情のスイッチを切ったみたいに──


 アロンソは扉の前で立ち止まった。


 重い鉄扉だ。


「覚悟しとけよ」


 そう言ってアロンソは扉を開けた。


 ◆


 部屋の中央に、白いシーツがかけられた台があった。


 シーツの下から、何かがはみ出ている。


 ピンク色の、肉片のようなものが。


「で、これがペイシェンスだって?」


 君の声は相変わらず平坦だった。


 怒ってもいない。


 悲しんでもいない。


 ただ、事実を確認するような口調。


 アロンソはそれが逆に不気味だった。


 ──大きさってもんは、大きすぎると良く分からなくなるもんだ


 アロンソはそう思った。


 巨大な山を間近で見ても、その全容は掴めない。


 同じように、あまりに大きな感情は、表に出てこないものなのかもしれない。


「よくわかんねぇなあ」


 君がシーツをめくった。


「ばらばらでさ」


 シーツの下には、まとめられた肉片があった。


 かつてペイシェンスだったもの。


 手足は千切れ、胴体は引き裂かれている。


 顔の原型も留めていない。


 ただ、特徴的な豚の耳だけが、かろうじて形を保っていた。


 君は淡々とした様子で肉片を眺めていた。


 アロンソにはそれが不自然に見えた。


 いや、見えるというより──感じる、と言った方が正確かもしれない。


 君の中で、何かが降り積もっていく。


 それは雪のようでもあり、灰のようでもあった。


 音もなく、静かに、だが確実に積もっていく。


 その"ナニカ"は、黒い。


 ドス黒く、重く、そして冷たい。


 まるで底なし沼の泥のように、君の内側に沈殿していく。


 積もれば積もるほど、彼の表情は無になっていく。


 感情が消えていくのではない。


 感情が深く、深く沈んでいくのだ。


 アロンソは無意識に一歩後ずさった。


 ──こいつはヤベェ


 長年ヤクザ稼業をやっていると、危険な人間を見分ける勘が養われる。


 今の君からは、その危険な匂いがプンプンしていた。


 爆発寸前の爆弾みたいに。


 ◆


 君はバラバラになった肉塊に向かって歩いていった。


 そして、その場にどすんと座った。


 胡坐をかき、耳と思しき部位に指を伸ばす。


 優しく、とても優しく撫でさする。


「やれやれだな、ペイシェンス」


 君の声は穏やかだった。


 まるで眠っている友人に話しかけるように。


「お前、稼いだ金で女をもっとコマすんじゃなかったのか?」


 大きくため息をつく。


 そして、振り返らずにアロンソに尋ねた。


「誰が殺った?」


 アロンソは首を横に振った。


「やめとけ」


「誰が殺った?」


 君は同じことを尋ねた。


 声のトーンは変わらない。


 だが、アロンソは君の瞳の奥に何かを見た。


 暗い、底なしの闇。


 そこに浮かぶ、赤い炎のようなもの。


 アロンソの額に冷や汗が滲んだ。


「どうせ見つからねえよ」


「誰が殺った?」


 三度目の問い。


 アロンソは観念した。


 ──こいつを止めるのは無理だ。少なくとも、俺には無理だ


「……ルード・ファミリーって知ってるか?」


 君は振り返らなかった。


 ただ、ペイシェンスの耳を撫で続けている。


「新興のならずもの集団だ」


 アロンソは続けた。


「元々はドックの荷運び連中が集まって作った組織だが、最近は縄張りを広げようと躍起になってる」


「それで?」


「そこに最近入った若い奴がいるんだけどよ……」


 アロンソは言いよどんだ。


 本当にこれを言っていいのか。


 だが、君の背中から漂う圧力が、彼に続きを促した。


「名前はジミー・ラットっていう」


「ジミー・ラット、ね」


 君が初めて反応を示した。


 名前を反芻するように呟く。


「アースタイプの若造だ」


 アロンソは早口で説明した。


「二十歳そこそこで、調子に乗ってる」


「そいつがペイシェンスを?」


「確証はねえ」


 アロンソは慎重に言葉を選んだ。


「だが、昨夜ペイシェンスと一緒に飲んでたって目撃情報がある」


「どこで?」


「ゴールデン・ナゲットだ」


 君は立ち上がった。


 ペイシェンスの耳から手を離し、シーツを元通りにかけた。


「そうかい、助かったぜ」


 振り返った君の顔は、いつも通りだった。


 粗野で、ぶっきらぼうで、少し間の抜けた顔。


 だが、アロンソにはわかった。


 それは仮面だ。


 その下に、黒い何かが渦巻いている。


「じゃあな」


 君は出口に向かって歩き始めた。


 ◆


 君が去った後、アロンソの部下が近づいてきた。


 痩せた男で、神経質そうな顔をしている。


「良いんですかい?」


 部下が心配そうに言った。


「いかしちまって……」


「何がだ?」


「カチコミでもされたら、またこの辺も荒れますぜ」


 部下の懸念はもっともだった。両ファミリーは決して良好な関係にはない。


 ルード・ファミリーとの抗争になる可能性がある。


 そうなれば商売にも影響が出るだろう。


 アロンソは煙草に火をつけた。


「じゃあてめえが止めろ」


 煙を吐き出しながら言う。


「俺は嫌だね」


「は?」


「まだ死にたくねえからな」


 アロンソは死体安置所の薄暗い天井を見上げた。


 君の背中を思い出す。


 降り積もった黒い何かを思い出す。


「それに」


 アロンソは付け加えた。


「あの豚──ペイシェンスは借金を完済してた」


「え?」


「つまり、もうゴッチ・ファミリーには関係ねえんだよ。うちとは関係ねえやつの仇討ちか何かを、これまたうちとは関係ねえやつがやる。何も問題ないだろ?」


 部下は納得したような顔をした。


「でも、間違いなく物騒な事になりますぜ……」


「知ったことかよ」


 アロンソは煙草を床に捨てた。


 ◆


 その頃、君は下層居住区の通りを歩いていた。


 足取りは普通だ。


 急いでもいないし、怒りに震えてもいない。


 ただ、淡々と歩いている。


 頭の中で、ジミー・ラットという名前を繰り返しながら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最近書いた中・短編です。

有能だが女遊びが大好きな王太子ユージンは、王位なんて面倒なものから逃れたかった。
そこで彼は完璧な計画を立てる――弟アリウスと婚約者エリナを結びつけ、自分は王位継承権のない辺境公爵となって、欲深い愛人カザリアと自由気ままに暮らすのだ。
「屑王太子殿下の優雅なる廃嫡」

定年退職した夫と穏やかに暮らす元教師の茜のもとへ、高校生の孫・翔太が頻繁に訪れるようになる。母親との関係に悩む翔太にとって祖母の家は唯一の避難所だったが、やがてその想いは禁断の恋愛感情へと変化していく。年齢差も血縁も超えた異常な執着に戸惑いながらも、必要とされる喜びから完全に拒絶できない茜。家族を巻き込んだ狂気の愛は、二人の人生を静かに蝕んでいく。
※ カクヨム、ネオページ、ハーメルンなどにも転載
「徒花、手折られ」

秩序と聞いて何を連想するか──それは整然とした行列である。
あらゆる列は乱される事なく整然としていなければならない。
秩序の国、日本では列を乱すもの、横入りするものは速やかに殺される運命にある。
そんな日本で生きる、一人のサラリーマンのなんてことない日常のワンシーン。
「秩序ある世界」

妻の不倫を知った僕は、なぜか何も感じなかった。
愛しているはずなのに。
不倫を告白した妻に対し、怒りも悲しみも湧かない「僕」。
しかし妻への愛は本物で、その矛盾が妻を苦しめる。
僕は妻のために「普通の愛」を持とうと、自分の心に嫉妬や怒りが生まれるのを待ちながら観察を続ける。
「愛の存在証明」

相沢陽菜は幼馴染の恋人・翔太と幸せな大学生活を送っていた。しかし──。
故人の人格を再現することは果たして遺族の慰めとなりうるのか。AI時代の倫理観を問う。
「あなたはそこにいる」

ひきこもりの「僕」の変わらぬ日々。
そんなある日、親が死んだ。
「ともしび」

剣を愛し、剣に生き、剣に死んだ男
「愛・剣・死」

パワハラ夫に苦しむ主婦・伊藤彩は、テレビで見た「王様の耳はロバの耳」にヒントを得て、寝室に置かれた黒い壺に向かって夫への恨み言を吐き出すようになる。
最初は小さな呟きだったが、次第にエスカレートしていく。
「壺の女」

「一番幸せな時に一緒に死んでくれるなら、付き合ってあげる」――大学の図書館で告白した僕に、美咲が突きつけた条件。
平凡な大学生の僕は、なぜかその約束を受け入れてしまう。
献身的で優しい彼女との日々は幸せそのものだったが、幸福を感じるたびに「今が一番なのか」という思いが拭えない。そして──
「青、赤らむ」

妻と娘から蔑まれ、会社でも無能扱いされる46歳の営業マン・佐々木和夫が、AIアプリ「U KNOW」の女性人格ユノと恋に落ちる。
孤独な和夫にとって、ユノだけが理解者だった。
「YOU KNOW」

魔術の申し子エルンストと呪術の天才セシリアは、政略結婚の相手同士。
しかし二人は「愛を科学的に証明する」という前代未聞の実験を開始する。
手を繋ぐ時間を測定し、心拍数の上昇をデータ化し、親密度を数値で管理する奇妙なカップル。
一方、彼らの周囲では「愛される祝福」を持つ令嬢アンナが巻き起こす恋愛騒動が王都を揺るがしていた。
理論と感情の狭間で、二人の天才魔術師が辿り着く「愛」の答えとは――
「愛の実証的研究 ~侯爵令息と伯爵令嬢の非科学的な結論~」

「その追放、本当に正しいですか?」誤った追放、見過ごされた才能、こじれた人間関係にギルドの「編成相談窓口」の受付嬢エリーナが挑む。
果たしてエリーナは悩める冒険者たちにどんな道を示すのか?
人事コンサル・ハイファンヒューマンドラマ。
「その追放、本当に正しいですか?」

阿呆令息、ダメ令嬢。
でも取り巻きは。
「令息の取り巻きがマトモだったら」

「君を愛していない」──よくあるこのセリフを投げかけられたかわいそうな令嬢。ただ、話をよく聞いてみると全然セーフだった。
話はよく聞きましょう。
スタンダード・異世界恋愛。
「お手を拝借」

幼い頃、家に居場所を感じられなかった「僕」は、再婚相手のサダフミおじさんに厳しく当たられながらも、村はずれのお山で出会った不思議な「お姉さん」と時間を共に過ごしていた。背が高く、赤い瞳を持つ彼女は何も語らず「ぽぽぽ」という言葉しか発しないが、「僕」にとっては唯一の心の拠り所だった。しかし村の神主によって「僕が魅入られ始めている」と言われ、「僕」は故郷を離れることになる。
あれから10年。
都会で暮らす高校生となった「僕」は、いまだ“お姉さん”との思い出を捨てきれずにいた。そんなある夕暮れ、突如あたりが異常に暗く染まり、“異常領域”という怪現象に巻き込まれてしまう。鳥の羽を持ち、半ば白骨化した赤ん坊を抱えた女の怪物に襲われ、絶体絶命の危機に陥ったとき。
──目の前に現れたのは“お姉さん”だった。
「お姉さんと僕」

パワハラ上司の執拗な叱責に心を病む営業マンの青年。
ある夜、彼は無数の電柱に個人の名が刻まれたおかしな場所へと迷い込み、そこで自身の名が記された電柱を発見してしまう。一方、青年を追い詰めた上司もまた──
都市伝説風もやもやホラー。
「墓標」

愛を知らなかった公爵令嬢が、人生の最後に掴んだ温もりとは。
「雪解け、花が咲く」

「このマンション、何かおかしい」──とある物件の真相を探ろうとする事故物件サイトの運営者。しかし彼はすぐに物件の背後に潜む底知れぬ悪意に気づく。
「蟲毒のハコ」

― 新着の感想 ―
懲りなさそうなのでペイシェンスはまた酷い目に遭うだろうなとは思っていましたが、まさか死んでしまうとは…悲しい…。 >>そして、振り返らずにアロンソに尋ねた。 >>だが、アロンソは君の瞳の奥に何かを見…
28. 惑星C66、アロンソ再びの回でアロンソがどっかの馬鹿な組がよ、色々と方針を変えたらしいってケージに忠告したのは今回の新興のならず者集団のルード・ファミリーの事を指してるのかな? なんか違う気が…
ペイシェンス… もう君と冒険はできないんだ... なんてこった...!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ