12.友達②
◆
「分かった」
君はため息をついた。これは厭な話を聞くことになる──君はそう思った。この辺は長年のギャンキチの勘というやつだ。
「すぐ行く」
『ケージ、どこへ?』
ミラの問いに、君は「ちょっと野暮用さ。留守番頼むぜ、ミラ」といって家を出た。
アロンソは下層居住区の死体安置所で待っていた。
ゴッチ・ファミリーが管理する、薄暗い建物だ。
防腐剤と血の匂いが混じり合って、独特の臭気を放っている。
アロンソは壁にもたれて煙草を吸っていたが、君の姿を見るとそれを床に捨てた。
「来たか」
アロンソの声は重い。
普段の軽薄な調子は鳴りを潜めている。
「話ってのは?」
君は単刀直入に尋ねた。
アロンソはしばらく黙っていたが、やがて奥の扉を顎で指した。
「見てもらった方が早い」
二人は薄暗い廊下を歩いた。
蛍光灯が時折チカチカと明滅する。
床には黒い染みがあちこちに散らばっていた。
古い血痕だ。
「昨夜、うちの縄張りで死体が見つかってな」
アロンソが歩きながら口を開いた。
「ピギー星人だ」
君は足を止めなかった。
ただ黙って歩き続ける。
「で、調べてみたら、どうもお前の知り合いらしい」
「なんで俺にそれを?」
「お前、あの豚と仲良かっただろ」
アロンソは振り返らずに言った。
「まあ、そうかもしれねぇけど」
君の声は妙に平坦だった。
アロンソはその声音に違和感を覚えた。
いつもの粗野で感情的な君とは違う。
まるで感情のスイッチを切ったみたいに──
アロンソは扉の前で立ち止まった。
重い鉄扉だ。
「覚悟しとけよ」
そう言ってアロンソは扉を開けた。
◆
部屋の中央に、白いシーツがかけられた台があった。
シーツの下から、何かがはみ出ている。
ピンク色の、肉片のようなものが。
「で、これがペイシェンスだって?」
君の声は相変わらず平坦だった。
怒ってもいない。
悲しんでもいない。
ただ、事実を確認するような口調。
アロンソはそれが逆に不気味だった。
──大きさってもんは、大きすぎると良く分からなくなるもんだ
アロンソはそう思った。
巨大な山を間近で見ても、その全容は掴めない。
同じように、あまりに大きな感情は、表に出てこないものなのかもしれない。
「よくわかんねぇなあ」
君がシーツをめくった。
「ばらばらでさ」
シーツの下には、まとめられた肉片があった。
かつてペイシェンスだったもの。
手足は千切れ、胴体は引き裂かれている。
顔の原型も留めていない。
ただ、特徴的な豚の耳だけが、かろうじて形を保っていた。
君は淡々とした様子で肉片を眺めていた。
アロンソにはそれが不自然に見えた。
いや、見えるというより──感じる、と言った方が正確かもしれない。
君の中で、何かが降り積もっていく。
それは雪のようでもあり、灰のようでもあった。
音もなく、静かに、だが確実に積もっていく。
その"ナニカ"は、黒い。
ドス黒く、重く、そして冷たい。
まるで底なし沼の泥のように、君の内側に沈殿していく。
積もれば積もるほど、彼の表情は無になっていく。
感情が消えていくのではない。
感情が深く、深く沈んでいくのだ。
アロンソは無意識に一歩後ずさった。
──こいつはヤベェ
長年ヤクザ稼業をやっていると、危険な人間を見分ける勘が養われる。
今の君からは、その危険な匂いがプンプンしていた。
爆発寸前の爆弾みたいに。
◆
君はバラバラになった肉塊に向かって歩いていった。
そして、その場にどすんと座った。
胡坐をかき、耳と思しき部位に指を伸ばす。
優しく、とても優しく撫でさする。
「やれやれだな、ペイシェンス」
君の声は穏やかだった。
まるで眠っている友人に話しかけるように。
「お前、稼いだ金で女をもっとコマすんじゃなかったのか?」
大きくため息をつく。
そして、振り返らずにアロンソに尋ねた。
「誰が殺った?」
アロンソは首を横に振った。
「やめとけ」
「誰が殺った?」
君は同じことを尋ねた。
声のトーンは変わらない。
だが、アロンソは君の瞳の奥に何かを見た。
暗い、底なしの闇。
そこに浮かぶ、赤い炎のようなもの。
アロンソの額に冷や汗が滲んだ。
「どうせ見つからねえよ」
「誰が殺った?」
三度目の問い。
アロンソは観念した。
──こいつを止めるのは無理だ。少なくとも、俺には無理だ
「……ルード・ファミリーって知ってるか?」
君は振り返らなかった。
ただ、ペイシェンスの耳を撫で続けている。
「新興のならずもの集団だ」
アロンソは続けた。
「元々はドックの荷運び連中が集まって作った組織だが、最近は縄張りを広げようと躍起になってる」
「それで?」
「そこに最近入った若い奴がいるんだけどよ……」
アロンソは言いよどんだ。
本当にこれを言っていいのか。
だが、君の背中から漂う圧力が、彼に続きを促した。
「名前はジミー・ラットっていう」
「ジミー・ラット、ね」
君が初めて反応を示した。
名前を反芻するように呟く。
「アースタイプの若造だ」
アロンソは早口で説明した。
「二十歳そこそこで、調子に乗ってる」
「そいつがペイシェンスを?」
「確証はねえ」
アロンソは慎重に言葉を選んだ。
「だが、昨夜ペイシェンスと一緒に飲んでたって目撃情報がある」
「どこで?」
「ゴールデン・ナゲットだ」
君は立ち上がった。
ペイシェンスの耳から手を離し、シーツを元通りにかけた。
「そうかい、助かったぜ」
振り返った君の顔は、いつも通りだった。
粗野で、ぶっきらぼうで、少し間の抜けた顔。
だが、アロンソにはわかった。
それは仮面だ。
その下に、黒い何かが渦巻いている。
「じゃあな」
君は出口に向かって歩き始めた。
◆
君が去った後、アロンソの部下が近づいてきた。
痩せた男で、神経質そうな顔をしている。
「良いんですかい?」
部下が心配そうに言った。
「いかしちまって……」
「何がだ?」
「カチコミでもされたら、またこの辺も荒れますぜ」
部下の懸念はもっともだった。両ファミリーは決して良好な関係にはない。
ルード・ファミリーとの抗争になる可能性がある。
そうなれば商売にも影響が出るだろう。
アロンソは煙草に火をつけた。
「じゃあてめえが止めろ」
煙を吐き出しながら言う。
「俺は嫌だね」
「は?」
「まだ死にたくねえからな」
アロンソは死体安置所の薄暗い天井を見上げた。
君の背中を思い出す。
降り積もった黒い何かを思い出す。
「それに」
アロンソは付け加えた。
「あの豚──ペイシェンスは借金を完済してた」
「え?」
「つまり、もうゴッチ・ファミリーには関係ねえんだよ。うちとは関係ねえやつの仇討ちか何かを、これまたうちとは関係ねえやつがやる。何も問題ないだろ?」
部下は納得したような顔をした。
「でも、間違いなく物騒な事になりますぜ……」
「知ったことかよ」
アロンソは煙草を床に捨てた。
◆
その頃、君は下層居住区の通りを歩いていた。
足取りは普通だ。
急いでもいないし、怒りに震えてもいない。
ただ、淡々と歩いている。
頭の中で、ジミー・ラットという名前を繰り返しながら。