9.昨夜はお楽しみでしたね
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君の新居での生活は思いのほか快適だった。
元宇宙船というだけあって防音性は完璧だし、何より秘密基地のようで気分が高揚する。
君は時折、意味もなくコックピットの操縦席に座り、機能しない計器パネルのスイッチをカチカチと押しては悦に入っていた。
その日も君がパイロット気分で「隕石群、突破ァ!」などとガキの様な一人芝居に興じていると、エントランスのチャイムが鳴った。
モニターを覗くと、そこにはザッパーが立っている。
手には食料品らしきものが入った袋を提げていた。
「よう、いらっしゃい」
ハッチを開けると、ザッパーは少しだけ驚いたように室内を見回した。
「本当に宇宙船なんですね」
「だろ? 面白い物件だ」
君は得意げに胸を張る。
「引越し祝いです。何か作りますよ」
ザッパーはそう言って、キッチンへと向かった。
金属生命体の彼女が作る料理がどんなものか、君には想像もつかなかったが、とりあえず黙って見守ることにした。
やがてテーブルに並べられたのは、君用の合成肉のシチューと、ザッパー用の光り輝く金属ペーストだった。
君がシチューを口に運ぶと、豊かな風味が口の中に広がった──気がする。
味覚センサーが過去のデータを参照して、脳にそれらしい信号を送っているだけなのだが、それでもザッパーが作ってくれたという事実が食事という行為に温かみを与えている。
「うまいよ」
君が言うと、ザッパーの頬が微かに青く発光した。
食後、二人はコックピットの窓から見える星空を眺めていた。
もちろん本物の星空ではなく、環境スクリーンに映し出された映像だ。
まあそれでも、ムード作りには十分だった。
「綺麗ですね」
「ああ」
隣に座るザッパーの横顔を盗み見る。
金属質の肌が星の光を反射してきらきらと輝いていた。
その無機質な美しさに、君の心臓……正確には内蔵された動力ポンプが微かに鼓動を速める。
ザッパーが不意に君の方を向いた。
ライトブルーの瞳が、まっすぐに君を見つめている。
「ケージ、あなたの体に触れてもいいですか?」
君は黙って頷いた。
ザッパーの冷たい指先がそっと君の頬に触れる。
金属の感触。
「以前とは……違いますね」
「まあな。中身はほとんど別物だ」
君は自嘲気味に笑う。
ザッパーの指が、君の首筋を、胸を、そして腕をなぞっていく。
指が触れるたびに、君の人工皮膚の下を走るセンサーが微弱な電気信号を発した。
「昔……あなたの体に触れるのが、怖かった」
ザッパーがぽつりと呟く。
「実を言うと、俺もそうだった」
生身だった頃の君の体液は彼女の金属の体にとって猛毒だった。
汗も、唾液も、そして──愛の交歓で流れる体液も、彼女を内側から蝕む酸でしかなかったのだ。
それが二人を引き裂いた。
「今はもう、大丈夫だ」
君はザッパーの手を取り自分の胸に当てる。
「この体の中を流れているのは血じゃない。自己修復ナノマシンを含んだ、非腐食性の冷却潤滑液だ。シリコンベースの合成ポリマーでできてる。君を傷つけたりはしない」
ザッパーはそのまま君の胸の鼓動に耳を澄ませるように顔を寄せた。
君は彼女の肩を抱き寄せ、ゆっくりと唇を重ねる。
金属の唇と、人肌に近いサイバネ皮膚の唇が触れ合った。
冷たいはずなのに、燃えるように熱い。
長い、長い口づけ。
呼吸する暇もない。アースタイプならば窒息死しているだろう。まあ君もザッパーも別に呼吸しなくても生きていけるため問題はない。
そしてザッパーの金属の指が、震えながら君のシャツのボタンにかけられる。
一つ、また一つと外れていくたびに、君の人工皮膚が夜の空気に晒された。
君もまた、ザッパーのワンピースのファスナーに手を伸ばす。
滑らかな布地の下から現れたのは、月光を浴びて輝く鋼の肢体。
二人はどちらからともなく、寝室へと向かった。
壁や天上に投影された星々が静かに二人を見守る中、ベッドの上で金属の肌と人工皮膚が重なり合った。
◆
翌朝、君は腕の中に感じる重みで目を覚ました。
見ればザッパーが君の胸に顔を埋めて静かな寝息を立てている。
君は彼女を起こさないように、そっとプラチナホワイトの髪を撫でる──が。
ザッパーの私物端末がけたたましい着信音を鳴らし始めた。
「ん……」
ザッパーが身じろぎし、ゆっくりと目を開ける。
端末を手に取り、眉をひそめるザッパー。
「……緊急の護衛依頼です」
明らかに不機嫌そうな声だ。
「そうか」
君はそれ以上何も言わなかった。
ザッパーはベッドから起き上がり、服を着始めた。
「すぐに行かなければなりません」
「ああ、分かってる」
支度を終えたザッパーが、玄関で振り返る。
「ケージ」
「なんだ?」
「……ありがとうございました」
その言葉に、君はぶっきらぼうに答えた。
「気をつけろよ」
「はい」
ザッパーは小さく微笑むと、ハッチの向こうへと消えていった。
一人残された部屋はやけに広く感じられる。
君はコックピットの椅子にどかりと座り込み、煙草に火をつけた。
紫煙が立ち上る。
その時、充電ユニットから離れたミラがふわりと君の隣に浮かんできた。
『昨夜はお楽しみでしたね』
「……うるせえよ」
君は煙を吐き出しながら、悪態をついた。




