7.退去勧告
◆
翌朝、君はベッドの上でタブレット端末を眺めていた。
画面には中層居住区の賃貸物件がずらりと並んでいる。
どれも襤褸ホテルとは比べ物にならないほど綺麗で、そして高い。
「月額10万クレジットから、か」
君は顎を撫でながら呟く。
現在の収入なら払えない額ではない。
むしろ余裕すらある。
だが、長年染み付いた貧乏性がブレーキをかけていた。
『ケージ、この物件はどうですか?』
ミラが画面の一角を指し示す。
そこには「空中浮遊型コンドミニアム」と書かれていた。
「浮遊型?」
『はい。反重力装置により常時地上10メートルの高さを維持する物件です。地震の心配もありませんし、害虫も入ってきません』
君は物件の詳細を開く。
確かに見た目は悪くない。
ガラス張りの球体が空中に浮かんでいる様子は、まるでシャボン玉のようだ。
「でも風が強い日とか揺れるんじゃねえの?」
『ジャイロスタビライザー搭載により、揺れは最小限に抑えられるそうです』
「そうかい」
君は次の項目を見て眉をひそめた。
「注意事項:高所恐怖症の方はご遠慮ください。また、泥酔時の転落事故については一切責任を負いません」
──俺、酔えないけどな
そう思いながら次の物件へスワイプする。
◆
「水中アパートメント?」
画面には巨大な水槽の中に建てられたアパートが映っていた。
各部屋の窓からは泳ぐ魚が見えるという触れ込みだ。
『癒し効果があるそうですよ』
ミラが補足する。
「どれどれ……"窓の外を優雅に泳ぐ熱帯魚たちがあなたの疲れを癒します"……ふーん」
君は物件の画像を拡大する。
確かに綺麗だ。
青い光に包まれた部屋は幻想的ですらある。
だが──
「"注意:水圧により窓は開きません。換気は人工的に行われます"……息苦しそうだな」
『それに、もし水槽が割れたら……』
「考えたくねえな」
君は素早く次へスワイプした。
◆
次に現れたのは「生体建築マンション」だった。
『これは興味深いですね』
ミラがモノ・アイを青く光らせる。
「生体建築って何だよ」
『建物自体が巨大な生物の体内を改造したものです。消化器官を取り除いて居住空間にしているようです』
君は説明文を読む。
「"生きている建物ならではの温もりを感じられます。壁は常に36度に保たれ、冬でも暖房要らず"」
──気持ち悪いな
「しかも"餌代として月額500クレジットの追加料金"だってよ」
『建物に餌をやるんですね』
「そんなのペットじゃねえか」
君は即座に却下した。
◆
しばらく物件を眺めていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「開いてるぜ」
君が声をかけると、ペイシェンスが情けない顔で入ってきた。
「おはよう、ケージ」
「よう。どうした、また金でも無くしたか?」
「違うよ! ……まあ、似たようなもんだけど」
ペイシェンスは君の隣に腰を下ろす。
ベッドがギシギシと悲鳴を上げた。
「何見てるの?」
「物件だよ。引っ越し先」
「へえ! ついに引っ越すんだ!」
ペイシェンスが身を乗り出してきた。
豚特有の体臭が鼻を突く。
「これとかどう? "完全自動化スマートルーム"」
ペイシェンスが指差した物件は、AIが全てを管理するという触れ込みだった。
『居住者の生活パターンを学習し、最適な環境を提供します』
ミラが説明を読み上げる。
「うーん……」
君は腕を組む。
「なんか監視されてる気分になりそうだな」
「そう? 便利そうだけど」
「お前はそういうの気にしないタイプか」
「だって楽じゃん」
ペイシェンスの単純な思考に君は苦笑した。
◆
「ところで、何で昼間っからここにいるんだよ」
君が尋ねると、ペイシェンスは肩を落とした。
「実は……集団での岩石採掘の依頼を受けたんだけど、出発が三日後なんだ」
「ほう」
「で、することなくて暇で……」
ペイシェンスはもじもじしながら続ける。
「最近ケージとよく話すようになったじゃん? だから、まあ……」
──要するに暇つぶしか
別に追い返す理由もない。
それにこのホテルの住人でまともに会話が成立するのは、ペイシェンスくらいのものだ。
「岩石採掘か。地味な仕事だな」
「でも安全だよ。戦闘とかないし」
「その分報酬も安いだろ」
「うん……でもゴッチ・ファミリーへの上納金もあるし……」
ペイシェンスの声が沈む。
◆
「そういえばさ」
ペイシェンスが話題を変えるように切り出した。
「このホテルの住人って変な奴ばっかりだよね」
「今更かよ」
君は鼻で笑う。
「でも本当にヤバいのが多いよ。昨日なんて廊下で緑色の触手が這ってたし」
「ああ、あれは203号室のスライムだろ」
『正確にはゲル状知的生命体ですね』
ミラが訂正する。
「あいつ、夜中に部屋から這い出して他の部屋のドアの隙間から侵入しようとするんだよな」
「怖っ!」
「まあ、ドアの下にタオル詰めとけば大丈夫だ」
君は事もなげに言う。
◆
「301号室のサイボーグもヤバくない?」
ペイシェンスが声を潜める。
「ああ、"鉄屑のジョー"か」
「なんでも元は軍の実験体だったって噂だよ」
「らしいな。脳以外全部機械だとか」
君は煙草に火をつける。
紫煙が立ち上り、すぐに体内で分解される。
「この前、共用トイレで会ったんだけどさ」
ペイシェンスが続ける。
「いきなり"お前の内臓、いくらで売る? "って聞かれて」
「で?」
「"売りません"って答えたら"そうか、じゃあ死んだら貰いに行く"だって」
君は笑い出した。
「商売熱心だな」
「笑い事じゃないよ!」
◆
『ところで、404号室には誰が住んでいるんですか?』
ミラが唐突に尋ねた。
「404?」
君とペイシェンスは顔を見合わせる。
「さあ……見たことねえな」
「僕も。でもいつも変な音がするんだよね」
「音?」
「なんていうか……ズルズルって引きずるような音と、カリカリって引っ掻くような音が交互に」
君は眉をひそめた。
「気味悪いな」
「だよね。あと時々、隙間から赤い光が漏れてるのを見たことがある」
『興味深いですね』
ミラが無邪気に言う。
「興味深いで済ませるなよ」
◆
「そういえば、102号室の双子は?」
君が思い出したように言う。
「ああ、あの不気味な」
ペイシェンスが身震いする。
「片方は普通に喋るのに、もう片方は逆さまの言葉しか喋らないんだよね」
「しかも同時に喋るから何言ってるか分からねえ」
「この前エレベーターで一緒になった時、ずっと僕のこと見つめてて……」
「あいつら、元は一人だったって噂だぜ」
「は?」
「違法な肉体改造手術で分裂したとか」
ペイシェンスの顔が青ざめる。
「やめてよ、そういう話……」
◆
君は再びタブレットに目を落とす。
画面には「記憶共有型シェアハウス」なる物件が表示されていた。
「何だこりゃ」
『入居者全員の記憶を共有できる特殊な装置が設置されているそうです』
「プライバシーもクソもねえな」
「でも面白そうじゃない?」
ペイシェンスが興味深そうに覗き込む。
「お前、自分の恥ずかしい記憶を他人に見られたいのか?」
「あ……」
ペイシェンスの顔が真っ赤になる。
「やっぱりダメだね」
◆
「"時間加速アパート"……内部の時間が2倍速で流れる?」
君は首を傾げる。
『つまり、外で1日過ごす間に中では2日分の時間が経過するということです』
「老化も2倍速ってことか」
「それは嫌だなあ」
ペイシェンスが顔をしかめる。
「ただでさえ寿命短いのに」
「ピギー星人の寿命ってどれくらいだっけ?」
「平均60年くらい」
「短いな」
「でも密度は濃いよ。繁殖期なんて一日中──」
◆
次の物件は「完全無重力ルーム」だった。
「常に無重力状態か……」
『無重力体験の訓練にも使われているそうです』
「でも普通に生活するには不便だろ」
「トイレとか大変そう」
ペイシェンスの現実的な指摘に君も頷く。
「飯も食いにくそうだしな」
◆
そんな調子で物件を見ていると、廊下から奇妙な音が聞こえてきた。
ガリガリガリ……
何かを引っ掻くような音だ。
「……404号室の住人かな」
ペイシェンスが怯えたように呟く。
音は次第に近づいてくる。
そして君の部屋の前で止まった。
ドアの向こうから、重い呼吸音が聞こえる。
君とペイシェンスは顔を見合わせた。
しばらくの沈黙の後、足音が遠ざかっていく。
「……何だったんだ?」
『スキャンしてみましょうか?』
ミラが提案するが、君は首を振った。
「いや、関わらない方がいい」
下層居住区で生き延びる鉄則の一つ。
余計な好奇心は命取りになる。
◆
「なあ、結局どの物件がいいと思う?」
君はペイシェンスに尋ねた。
「うーん……正直、どれも微妙だよね」
「だよな」
SF的で面白そうな物件は多いが、実際に住むとなると話は別だ。
「普通のアパートじゃダメなの?」
「普通って言われてもな……」
君は画面をスクロールする。
確かに一般的な物件もあるが、どれも個性がない。
──せっかく引っ越すなら、もうちょっと面白い所がいいんだけどな
「あ、これは?」
ペイシェンスが指差したのは「元宇宙船改造アパート」だった。
「退役した小型輸送船を改造した物件か」
『エンジンは撤去されていますが、船内設備はそのまま使えるそうです』
君は詳細を確認する。
場所も悪くないし、家賃も手頃だ。
◆
結局、その日は物件を決められずに終わった。
ペイシェンスは夕方になって自分の部屋に戻っていく。
「また明日も見せてよ」
「暇なのか」
「暇なんだよ」
ペイシェンスは苦笑しながら出ていった。
君はベッドに寝転がり、天井を見上げる。
雨漏りのシミが相変わらず不気味な模様を描いている。
──引っ越し、か。この汚いホテルを出て、もっとマシな場所に住む……悪くねぇな。うん、悪くないかもな
生身へ戻るまで節制すべきではないかという思いもないではなかったが、君の考えは居住環境を変えてちょっとした刺激を得るという事にやや傾き始めている。
そんな矢先であった。
端末が低い電子音を発する。
事業団支社からの公式通達。
君は画面を開く。
『ランク査定結果通知:貴殿のランクがCランクに認定されたことに伴い、現居住施設からの退去を命じる。期限は本通知より30日以内。事業団斡旋低ランク居住施設利用規約第17条に基づく』
文面は事務的で冷たい。
君は煙草に火をつけ、紫煙を吐き出す。
「ついに来たか」
『退去命令ですね』
ミラが確認するように言う。
「ああ。この襤褸ホテルは事業団がDランク、Eランク向けに用意してる施設だからな。Cランクの俺には、もうここにいる資格はねえってわけだ」
君は部屋を見回す。
剥がれかけた壁紙。
隅に転がる空の酒瓶。
ベッドサイドに積まれた煙草の空き箱。
私物と呼べるものはほとんどない。
ボストンバッグ一つあれば、全て収まる程度だ。
「一か月か……」
君は端末をテーブルに放り投げる。
悪い話ではない。
むしろ良い機会だ。
このカビ臭い部屋から出て、もう少しマシな場所へ移れる。
雨漏りに悩まされることもない。
壁越しに聞こえる隣人の奇声に耐える必要もない。
「よし」
君は立ち上がり、伸びをする。
関節から機械音が漏れる。
「引っ越しだ」
君はタブレットを手に取る。
中層居住区の物件情報を検索し始めた。
退去まで一か月。
十分な時間がある。
焦る必要はない。
──新しい生活、か
そう思うと、気分は意外に悪くなかった。




