6. 豚②
◆
「おいおい! ペイシェンス! お前かよ! 生きてたのかよ!」
君は心底驚いた声を上げた。
「や、やあケージ……」
ペイシェンスは相変わらず小太りの体をゆらしながら、申し訳なさそうに鼻をヒクつかせていた。
──どう見ても全身でトラブルを背負ってきました、という顔だ
君は面倒くさいとは思ったが、とりあえず彼を部屋の中へ招き入れた。
「で、どうしたんだよ。ゴッチ・ファミリーに追われてるって話じゃなかったのか?」
君が椅子に腰かけながら尋ねると、ペイシェンスはもっと情けない顔になって、事の顛末を語り始めた。
「それがさあ……。やっぱりケージのいう通りで……」
「ケツの毛まで毟られたわけだ」
君は足を組んで、面白がって尋ねる。
「すごく綺麗な人だったんだ! 髪は銀色で、胸なんてさ、もう、ミサイルみたいで……」
「で、そのミサイルに撃ち落とされたわけだ」
君は鼻で笑う。
「"あたしをここから連れ出してくれたら、あなたに一生ついていくわ"なんて涙目で言われたらさあ、男として……」
「で、全財産貢いだのか?」
「う……うん。貯金全部……。それで足抜けを手伝ったんだけど、すぐに追っ手がかかって……」
「それで密輸船に逃げ込んだと。で、その密輸船が宙賊に?」
「そうなんだよ!」
ペイシェンスは身震いする。
「僕、奴隷になっちゃってさ……」
「で?」
「でもよく分からないうちに解放されて……」
「なんでだよ」
「僕が捕まってた船で何か大きな騒ぎがあったみたいで……。警備隊みたいなのがなだれ込んできてさ。気づいたら解放されてたんだ。ラッキーだったのか、なんなのか……」
◆
君は堪えきれずに腹を抱えて笑い出した。
「ぶはははははは! 何が何だかわからないうちに助かったって! お前、なんか持ってんな!」
腹筋が痙攣するほど笑う君を見て、ペイシェンスはますます肩を落とす。
「笑い事じゃないよ……。それで惑星C66に命からがら戻ってきたら、今度は案の定ゴッチ・ファミリーに捕まっちゃってさ……」
「だろうな。アロンソの奴、お前の顔写真持って街中探してたぞ」
「半殺しにされたよ……。"次に俺を裏切ったら、お前の肉でソーセージを作って娼婦たちに食わせてやる"って耳元で囁かれて……。おしっこ少しだけ漏れちゃった」
「そりゃ災難だったな。で、どうやって許してもらったんだよ」
「開拓事業団の仕事で稼いだ金の一部を上納金として納め続けるなら見逃してくれるって……」
「まあ、妥当か。で、どれくらいだ?」
「えっと、6割」
君の笑いがピタリと止まった。
「そりゃもう奴隷と変わんねえじゃねえか!」
なんだこいつ滅茶苦茶面白いなと思った君は立ち上がり、絶望の淵にいるペイシェンスの背中をバン! と力一杯叩いた。
その衝撃でペイシェンスが「ぶひっ!」と断末魔のような声を上げる。
「まあ命あっての、っていうからな!」
君はニヤリと歯を見せて笑う。
「せいぜい真面目に働いてヤクザの財布になるこった。なあに、事業団は一発当てればどかんと稼げるぜ」
ただし結構な確率で死ぬが。
ペイシェンスは「そ、そうかな……」と力なく頷く。
◆
「それにしてもケージ、君は最近どうしてるの? 仕事は順調?」
ペイシェンスが話題を変えるように尋ねてきた。
「ああ、順調だよ。おかげさまでランクもCになったしな」
君がタバコでも吸うかのようにごく自然に言うと、ペイシェンスの目がまん丸になった。
「し、Cランクぅ!?」
無理もない。
Eランクの団員は文字通り鉄砲玉だ。
そのほとんどが最初の数回の依頼で宇宙の藻屑と消える。
生き残ったとしても、Dランクに上がるまでにはいくつもの修羅場をくぐり抜けねばならない。
Cランクなど、ペイシェンスにしてみれば天上の存在のように思えたのだろう。
「うそだろ!? あのEランクから!? ほとんどの人が死ぬか発狂するかだって聞いてるのに!」
「まあ、色々あったからな」
「色々って何さ!? 一体どんなヤバい仕事してきたのさ!?」
食い気味に尋ねるペイシェンスに、君は面倒くさそうにこれまでの経歴をかいつまんで話してやった。
「そうだな……なんか全長5000メートルくらいのクソでかいクジラに追いかけられて、船ごと丸呑みにされそうになったり」
「く、クジラ!? 宇宙に!?」
「あとは、喋る植物が生えてる星に行ったな。そこの葉っぱが結構いいヤクになりそうで、つい大量に持って帰ったら全部没収された」
「喋るだけなら大して危険はなさそう……だけど」
「精神汚染されるらしいぜ。俺はよくわからなかったけど」
ペイシェンスがドン引きしている。
君はそれを気にも留めず続けた。
「他には、他人のゲロと放射能まみれの船を掃除したりな。一緒に組んだ奴が被曝して死にかけたぜ」
「聞いてるだけで寿命が縮むよ……」
ペイシェンスは青い顔でブルブルと小刻みに震えていた。
まるで屠殺場へ送られる直前の家畜だ。
「まあ、すぐに慣れるさ」
「慣れたくないよ、そんなの!」
◆
ペイシェンスはしばらくの間ぜえぜえと荒い息をついていたが、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「で、でもさ、Cランクなら結構な給料もらってるんでしょ?」
「まあな」
君がニヤリと笑うと、ペイシェンスは羨望の眼差しを向けてきた。
「じゃあさ、そろそろ引っ越したりするの? こんなオンボロホテルじゃなくて、中層のちゃんとしたアパートとかにさ」
その何の気なしに発せられた言葉に、君の思考が初めて止まった。
──引っ越し、か
考えたこともなかった。
この油とカビと絶望の匂いが染みついた薄汚いホテルが君の住処だった。
金を稼ぐことばかり考えていた。
その金で生身の体を取り戻すことばかり考えていた。
自分の生活の質を上げるなんて発想は、君の頭の片隅にも存在していなかったのである。
それは君が根っからの下層民だからか、あるいは例の施術の後遺症でそういった人間らしい欲求が削げ落ちてしまったのか。
そのどちらもがおそらくは正解だった。
『ケージ、どうしました?』
傍らで静かに浮遊していたミラが、モノ・アイを不思議そうに点灯させる。
「なあミラ、引っ越しってどう思う?」
君は、まるで他人のことのように尋ねた。
『生活環境の改善は、精神衛生の安定と作業効率の向上に直結します。極めて合理的な選択です。現在のあなたの収入であれば、中層居住区の標準的な物件を維持することは十分に可能かと試算されます』
ミラの淀みない回答を聞きながら、君は部屋の天井を見上げた。
雨漏りの跡が不気味な大陸の地図のように広がっている。
このシミともお別れか。
「……そうか。考えてみるか」
君はぽつりと呟いた。
その時初めて、君の中で「未来の生活」というものが、ただ手術代を稼ぐという目的以外の形で、ぼんやりと色を持ち始めたのだった。




