『第五章~ファントム』
コルトに言われた通りグレイハウンドのキャビンに移動すると、マリーとドクター・アオイが談笑していた。一刀斎はV8ブラックバードで寝ているらしい。
「ハロー、何だか久しぶりって感覚ね? 五時間かそこらなのに。調子は? 揺られて疲れたでしょう?」
キャビンは禁煙と言った張本人のリッパーだが、咥え煙草に火を付けて二人に尋ねると、ドクター・アオイがコーヒーカップを差し出してきた。
「チャンバラ兄ちゃんは、あれはヘリ酔いやな。酔い止め渡して、今は寝とるわ。酔い止めにな? 眠気の副作用あるねん。ウチは見ての通り元気やで?」
同じく口から煙を吹きつつ、ドクター・アオイはコーヒーを飲んでいた。
「私も大丈夫。ちょっと疲れたけど、ブラックバードよりは揺れないし、墜落するみたいだったり何回か爆発みたいな音がしてビックリしたけど、そっちは平気なの? 大砲撃ってる音もしたようだけど?」
「ああ、通信がオフラインになってたのね? 今はAVT……空母の上で、この空母からミサイルが飛んできたから、フレア撃って回避して、顎の下の百五ミリでランチャーを破壊したのよ。CIWS、対空機銃もね。所属不明だからその確認をコルトがやってくれてるの。何やら訳ありの空母みたいで、進路がクワンティコでステルボン……大きな爆撃機なんかもあったから、チェックしとこうって。まあ、物騒なの乗せたボートが海兵隊基地に向かってるから、事前に処理しとこうとか、そういう状況ね。詳しく聞きたかったらイザナミに聞いて。軍事機密扱いはNGだけど、おおよそのことは言えるでしょうから」
説明しつつ、リッパーはドクター・アオイの隣に腰掛けて、コーヒーを飲んだ。ブラック無糖だが、リッパーは味覚が麻痺しているのでそもそも味は解らない。それでも鼻を刺激する香りで疲れが収まるように感じた。
「なんや、ややこしいみたいやな? ああ、あの黒い大きいんがその爆撃機いう奴かいな。あんなでっかいんで飛べるんかいな。めっちゃ重そうやん」
「重量は八十トンくらいだったかしら? UAVステルボンバーっていうのが正式名称よ。UAVっていうのは無人戦闘爆撃機で、文字通り無人で、オートパイロットと外部コマンドで飛んで空爆なんかをする機体なの」
ドクター・アオイが見ている窓をマリーも横から覗いた。
「……でっかい飛行機! 甲板から翼がはみ出てる!」
「両翼は五十メートルほどで、見ての通りの完全ステルス仕様よ。四基の大型ターボファンエンジンだけど、自力では飛び立てないの。カタパルトで打ち出したり追加ロケットなんかで無理矢理飛ばすの。一旦飛べば後は人工衛星みたいなもので、空中給油を繰り返しながらずーっと飛んでるの。このグレイハウンドと同じ世代のEスペックでレーダーにはまず写らないし、GPS誘導の爆撃精度はほぼパーフェクト。バンカーバスター、地中貫通ミサイルなら三十六発ほど、トータルで二十トンは積める、空飛ぶアーモリーってところ。実戦で使われたのは数回だけど、これが頭の上に来たら、まあ無事じゃあすまないって代物よ。地上方面空軍の切り札ね」
「あんな凄いの、初めて見た! 空軍って凄いのね?」
メカには目が無いマリーは、ステルボンバーの後姿を見て興奮しているようだった。
「まあ、見たことのある人間は少ないでしょう。存在そのものが極秘扱いだからね。実際に何機飛んでたかまでは知らないけど、確か四十機くらい製造されたって聞いたことがあるわ。一機で地上の二割はカヴァー出来る機体だから、量産計画は無かったみたいね。無人機としては第三世代で、宇宙戦艦の演算ユニットの一世代前ね。ちなみに宇宙戦艦の演算ユニットが第四世代型で、ハイブのカーネルが第五世代で、バランタインが第六世代型。イザナミやイザナギも同じく第六世代型に分類されるんだけど、第五世代から後は全く別物だから、これはあくまで便宜上の区分なの。軍司令部の中枢にある演算ユニットは第四世代型だけど、だからってハイブのカーネルのほうが性能が上ってことでもないのよ」
「宇宙戦艦のコンピュータよりハイブのほうが後の新しい技術なのに?」
マリーが尋ねた。ドクター・アオイはリッパーが何を喋っているのか全く解らないらしく、黙ってコーヒーを飲んでいる。
「新しいというより、全く別の技術なのよ。第四世代まではいわゆるコンピュータ扱いなんだけど、同時にAI・人工知能だとか呼ばれるもので、第五世代のカーネルは自律思考と外部からの命令実行を有機サーキットで実現した脳デバイスで、演算装置とは全く違うのよ。で、その次の第六世代は量子演算ユニット。こちらはニュートン力学ベースの電子信号じゃなくて、量子力学ベースで光だとかイオンだとかを媒介にしてる装置なのよ。あたしも優しく説明出来るだけの知識はないんだけど、要するに既存の演算装置よりも性能が上ってこと」
「その、第六? それがリッパーの左腕さんと右腕さん?」
「ヤー! ミス・マリー、その通りさ! 俺はシクサージェネレーションのAFCS、ウルトラガンナーのイザナギってわけだ! サーモミサイルの目の前にサンバーストを撃ち出して、百五ミリは十一キロ先からピンポイントでランチャーをヒットってな!」
「バランタインもシクサー、第六世代で、作られたのはNデバイスより前なんだけど、まあ、イザナギ、イザナミとバランタインって姉妹みたいなものなのよ。基礎理論を作った人も同じだし、実際に作ったのもIZAで同じだし、サイズこそ違うけど中身は似てるのよ」
「バランタインってリッパーの艦よね? 右腕さんと戦艦が姉妹って、つまり、リッパーの両手って宇宙戦艦ってこと?」
「うん? えーと、そうなるのかしら? イザナミ?」
Nデバイスを装着・使用しているのはリッパーだが、その性能を一番理解しているのは開発者であるドクター・エラルドでもリッパーでもなく、イザナミである。各種制御プログラムもイザナミにあり、仕様変更しているのでNデバイスの命令系統も今はイザナミが上位にある。
「巡洋艦バランタインの量子演算ユニット、名称バランタインとNデバイスは同じ規格で、設計上は同じ性能を有します。現在の形状のまま巡洋艦クラスを制御することも可能です。これはイザナギも同じくです」
「だって。両手が戦艦ってのは大袈裟だけど、それくらいのことも出来るとか、そういう感じみたいね? これで指からビームでも出れば便利なものでしょうけど、Nデバイスって戦闘支援システムだから兵器ってのとはちょっと違うし、あそこのステルボンバーなんかに比べたら平和なものよ」
「リッパー、俺はあのステルボンバーを撃ち落せるぜ? Nデバイスのサテライトリンクにステルスなんて通用しないのさ! ハーハーハー!」
「撃ち落すもなにも、UAVは雲の上を飛び回るんだから届かないわよ。届くにしたってハイパーグラファイト装甲を抜ける弾頭なんて早々ないし、誘導ミサイルの類は一切通じないわよ?」
「ミス・マリーにインドラ・ファイブを持たせれば、ステルボンバーの装甲の継ぎ目をピンポイントさ!」
カサブランカ・シティでの一件以降、イザナギはマリーを自分と同等のガンスリンガー・銃の達人扱いしているらしい。実際にインドラ・ファイブで上空一万メートルの目標を狙えるかどうかは別にして、マリーならそんなことを平然とやってのけても不思議でもない。
「インドラ・ファイブは大きいライフルだけど、あのステルナントカって飛行機は凄く大きいから、きちんと狙わないと落とせないんじゃない?」
つまり、きちんと狙えば落とせる、そうマリーは言っている。イザナギは大喜びだろうが、リッパーは呆れ半分だった。
「ま、そういう場面があったら、その時は是非お願いするわ。落下してくるバンカーバスターを狙い撃つなんてことも、まああればお願いするかもね」
「それでやー」
会話についていけないドクター・アオイがそっと割り込んだ。
「このお船に物騒なんがあって、それを確認しとくために降りたとか、そーいう話でええんかいな?」
「そうね。このボートが物騒っていうか、あそこのステルボンバーが物騒なんだけど、まあどっちもね。このボートってクーロン、中央海の西にある大きな軍の基地のものなんだけど、何故だかこっちの海にいて、どうやら進路が同じクワンティコらしくて、そんは話は聞いてないしそういう作戦も上がってないから、ハイブはいないみたいなんだけどキナ臭いからチェックしときたいって、そういう事情ね。クワンティコは軍の基地だから武装した空母が近寄ったりしたら撃ち合いなんてことも有り得るから、そんな事が起きないようにってこと」
「リッパーちゃんて海兵やったっけ? んで、このお船は空軍? 仲良しちゃうん?」
「仲良しかどうかはともかく、敵ではないわよ。海兵って陸海空のどれとも一緒に作戦行動をするから、まあ顔は広いの。昔は国家間戦争なんてのもあったけど、ハイブの暴走でそれどころじゃなくなったから、軍人はまあたいてい味方同士で、地上と宇宙もいがみ合いは止めたし、少なくとも人間同士でケンカするケースは随分と減ったみたいね。火星の事情は解らないけど、今のところ争いみたいなことは起きてないし、ハイブとサイキッカーを除けば割と平和なの……って、これはザックリとした説明で、実際はもっとややこしいんだけど、イメージってことで」
ほうほう、とドクター・アオイが頷いている。軍だのの以前に世界情勢に疎いドクター・アオイに、地上と月と火星の勢力図とハイブやサイキッカーの位置を説明するのはかなり難しい。ドクター・アオイは宇宙戦艦がどうして落ちてこないのか、などと言い出す医師なので、きちんと説明しようとするとニュートン力学から量子力学まで説明しなければならず、ドクター・アオイが頭脳明晰といっても説明だけで数年かかりそうだった。ダイゾウ、シノビファイターに至ってはリッパーも理解していないので説明不能だった。
「ホンマは仲良しやのに、なんでかこのお船はリッパーちゃんのお仲間んところに向こうてるとか、そういう話やな? 大体解ったわ。ナンチャラボンバーいうんわサッパリやけど、まあええわ。さっきのドカドカいう音は撃ち合いやけど、それもお仕事やとかそういう事情なんやろ」
どうやらドクター・アオイは、何事も概要を把握すれば満足するタイプらしく、それを独自に解釈して納得しているようだった。当人が満足ならそれで良し、リッパーはそう判断することにした。ドクター・アオイの行動原理はリッパーにはサッパリで、頼れる医師ではあるし話も通じるが、言うこととやることが時としてかけ離れてもいる。それの説明はあって聞けば納得は出来るが、やはり実際に行動するドクター・アオイは掴み辛くもあった。ただ、比較的長く接しているのでそれに慣れた感はあって、そういうことがドクター・アオイの魅力のようにも思えていた。これはマリーも同じらしい。
「いちおう確認だけど、イットウサイさんは平気なの? グレイハウンドって比較的揺れないほうなんだけど」
「あのチャンバラ兄ちゃんな? ブラックナンチャラでも車酔いしてたし、苦手やねんて」
カサブランカ・シティからラバトまでリッパーは気絶してそのまま寝ていたので、須賀一刀斎恭介{すが・いっとうさい・きょうすけ}の事情は全く知らなかった。名前と、サムライという肩書きと、ホネバミというブレードを使うということ以外はサッパリだった。ラバトの医務室で長く喋ったが、リッパーが一方的に喋ってそれに一刀斎が応えていただけなので、一刀斎はリッパーの事情は多少知っていても、リッパーは詳しくない。
「チャンバラ? それってイットウサイさんのセカンドネームとかかしら?」
「セカンドって何や? チャンバラいうんは、まあ侍{さむらい}って意味やけど?」
「サムライっていうのは確か、ブレード使いのことよね? それをアオイさんの国ではチャンバラって呼ぶってことかしら? まあ、元気ならいいわ。ところで、イットウサイさんってグレイハウンドに乗ったようだけど、行き先なんか聞いてる?」
マリーに尋ねてみた。
「えーと、聞いてない、かな? ラバトまでは同じ進路って言ってたし、同じ方向の間は一緒でいいって言ってあるから、多分一緒なんじゃないかしら? ラバトから北上したいんだったらこのヘリには乗らないでしょうし」
「ラバトから海越えする進路と一緒ってのも妙な話だけど、まあ彼がいいならこっちは構わないわね。食料なんかは?」
「予定より長くなってるけど、余裕はあるわよ。ガス以外はもう二週間くらいは補充しなくても平気だと思うし、ヘリで移動してるからブラックバードのガスにも余裕はまだまだ。ラバトで給油して満タンだし、この空母? これから海兵隊の基地に到着すれば、そこが目的地なんでしょ?」
「ああ、そうね。うん、そう。クワンティコまでグレイハウンドで行けば、クワンティコが健在ならそこがいちおうゴールね。何かの事情でクワンティコが駄目なら、その時はマリーにお願いってところ。……ああ、そういえば、あたしのバイク、ラバトに置いてきた?」
地上で長く一人旅をしていたリッパーは、移動にバイクを使っていた。最初のバイクはハイブとの戦闘でオシャカになったが、マリー・コンボイから九百五十CCの大型ネイキッド、チョッパーハンドルのバイクを譲って貰って愛用していた。ハンドルがチョッパーなのはダイゾウの仕業だが、乗っているうちに慣れて少々愛着もあった。
「バイクだったら載せてるわよ? あそこ、ブラックバードの前のシート。念の為にってコルトが言ってたから。ガスもチャージしといたし、こっちでチェックもしたわよ。タイヤが少し減ってる以外は問題ないみたい」
「あら、そうなの? 至れり尽くせりって奴? 何だかすまないわね。あのバイク、お気に入りなのよ。なんだかんだで長く乗ってるし、それに……」
「それに?」
流暢だったリッパーが口ごもったのでマリーが首を傾げた。
「えっと……オズとタンデムしたバイクだから……って、はは、まあ、その」
珍しくたどたどしいリッパーを見て、マリーは微笑んだ。リッパーは裏表のない性格で建前などは使わないが、どこか他人を寄せないところもあって、プライベートを話す機会はケイジの酒場くらいだった。テキーラでガンガンに酔わせてやっと本音を晒す、そういうタイプで普段はあまり内心を喋ったりはしないし、恋人のオズのことをあれこれは殆どなかった。マリーはリッパーとオズが何年付き合っているか、そもそもどこで知り合ったかなどは知らないが、二人の仲が良好らしいことは酒場で少し聞いたことがある。今はケイジのラボで昏睡状態だが、それも脳再生手術で完治すると確信しているらしかった。医師の見解まではマリーは聞いていない。
「そういう思い出は大切にしたほうがいいわよ? あのバイクに名前とか付けるといいかもね」
「うーん、あたしってネーミングセンスないから。あれって市販されてるタイプよね? 名前なんかあるんでしょ?」
「ベースになってるのはゼブラっていうバイクで、そのカスタムだけど?」
「ゼブラのカスタムね、まあ覚えとく。あのバイクが喋ったりするならそう呼んでもいいし、まあ地上にいる間は大事に扱うわ。クワンティコにシャトルがあれば、その時は一旦マリーに預けるから、よろしくね」
「うん。大事にしてあげて。特別希少ってこともないんだけど、コンボイなんかで使ってたから私も幾らか思い入れはあるし」
マリーはメカにも人と同じくらい愛情を注ぐ性格で、それが車でもライフルでもメンテナンスはきちんと行い、故障すれば修理して、場合によっては名前を付けたりもする。V8ブラックバードがそのいい例だが、ブラックバードはベースになる車両がない、マリーがゼロから組み上げたマシンなのでそもそも名称がなく、マリーが命名した。かといって技術屋にありがちな人を避けるような種類ではなく、誰に対しても社交的でリッパーと同じく裏表がない。若干、感情に左右される傾向ではあるが、そこがいかにもマリーらしくもあった。コンボイではリーダー役を進んでやるが、人にあれこれ指図することはなく、助言、アドヴァイスで人をまとめて、誰かの指示で動くことにも抵抗はないようだった。
リッパーは海兵隊大佐で艦隊指揮が任務だったのでクルーに指示を出す感覚で人にあれこれ言うことがあるが、将校特有の高圧的な態度はない。これはリッパーが大尉からいきなり大佐になったという経歴もあるが、性格のほうが強い。単独行動を好み最小限でしか人と接しないが、社交やマナーはきっちりしていて大勢で酔って騒ぐようなこともあった。ケイジの酒場でマリーと盛り上がったり、そこにコルトやBBを交えて大騒ぎするようなことも何度かあり、酔った勢いで音痴を晒すようなこともあった。自分が孤独を好むとはっきりと自覚したのはバランタインを指揮するようになってからで、戦艦ドックに入港して無人となったブリッジで一人、煙草を吹かすことを何度かで気付いた。人には自分は能天気でハッピーだと説明するしそれはウソではないのだが、スイッチを切り替えるようにクールになって一人であれこれ考える時間も多かった。地上に降りてイザナミとイザナギと一緒に行動するようになって、随分と賑やかだったが、二人はお喋りだが沈黙することもあり、二人が黙るとリッパーも無口になり、煙草を吸いつつ溜息をこぼすような場面もあった。
コルトにそれを指摘されるまで自覚はなかったが、どうやら溜息が増えているらしい。
「イザナミ? コルトは?」
「傭兵コルトはブリッジ最上部に到着、状況はクリア。目標と接触、会話中です」
「トーク中って、相手は?」
「空軍第三艦隊所属と名乗っています。航海士一名、副艦長一名、警備員一名」
「うん? サブがいるのにキャプテンがいない? コルト?」
「――リッパーかい? こっちはブリッジだ。三人とも空軍らしいが、様子が妙だ」
「イザナミに聞いたけど、キャプテンがいないって? 装備は?」
「一人、ライフルを持ってるが、残りは丸腰だ。歩兵、でもないな。なあ、アンタ、警備員だったかい? 空軍の兵士ってことでいいのか?」
空母のブリッジ最上階でコルトが搭乗員らしき三人の一人と喋っているらしいが相手の声が聞こえない。
「コルト? イザナミ? 通信が変よ?」
「ああ、そう、アンタだよ。そのライフルは空軍歩兵のものだろう? それにしたってバックアップもなしで一人っきりで、こんなデカいボートの警備ってか? ランチャーを吹っ飛ばしたのは謝るよ。撃ってきたから仕方なくさ」
コルトの声は聞こえるが、その相手の声が全く聞こえない。ブリッジが通信を遮断しているのならコルトの声も聞こえないはずだが、そうでもない。
「警報。ECCM確認。指向性通信妨害です」
「ジャミング? コルト?」
「そっちが任務でそれが極秘なら詮索はしないが、言える範囲でいいから説明してくれないかな? 俺たちは西、海兵隊のベースに向かってるんだが、見たところ、このボートは単独で武装していて、甲板にゃ物騒なモンが置いてあって、そんなモンが同じく海兵隊ベースに向かってるってのは、穏やかじゃあないぜ?」
通信状態がおかしい。コルトの声は聞こえて、相手の声は聞こえず、今はこちらからの呼びかけにコルトが応えない。イザナミがECCM、電子カウンターを探知して、指向性通信妨害と言っている。つまり、一定方向の通信以外を遮断する特殊ジャミングだ。
「イザナミ! コルトをフルカバー! 策敵! ECMの発信源を探知して! マリー! ヘリをお願い! あたしも出る!」
マリーに状況を説明している余裕はなかった。リッパーはキャビンから飛び出して、そのまま甲板を走ってブリッジに向かった。
「コルト! 応答しなさい!」
「ECCMをサーチ、確認。傭兵コルトと会話中の一人が発信源です」
「……何? イザナミ! もう一度!」
全速力のリッパーは首筋に気色の悪い汗を感じた。ブリッジ入り口まで二十メートルほどだった。
「電子カウンターが傭兵コルトの会話相手の一人から発生しています。傭兵コルトの状況はクリア」
「空母のクルーからジャミング? それでコルトがクリア? ……イザナミ! アナタ、ジャミングに騙されてる!」
ブリッジ入り口のドアを蹴りつけてそのまま内部階段まで走り、背中を壁に衝突させてそのまま階段を駆け上がる。
「イザナミ! 対ECM! イザナギ? そっちは?」
「傭兵コルトの状況はクリア」
イザナミが繰り返した
「リッパー! 敵だ! イザナミを狂わすほどのジャミングだ! こっちのレーダーが無力化されてる! スカルマンがヤバいぜ!」
イザナミとイザナギはNデバイスの一部だが、それぞれ独立した量子演算ユニットなので、普段は連携しているが物理的回路を遮断する機能もあり、何者かがイザナミに対して強力な電子カウンターを仕掛けているらしく、コルトを正確にサポートできない。イザナミには劣るがイザナギにも策敵能力はあり、AFCSの照準やレンジファインダーを使ってサーチすることが出来る。
「イザナミを無力化させる? そんなユニット、地上にも月にも存在しない! イザナギ! イザナミからのフィードバックを警戒! サーキットを一旦閉鎖して!」
「コピー! スカルマンの位置は変わらず! ジャミングはスカルマンの相手からだが、装備の類じゃないぜ!」
「このブリッジ! どこまでなのよ! 装備じゃない電子カウンター? 敵を想定、出来る?」
「無理だ! このブリッジの外部に粒子フィールド確認! 戦艦クラスのディフェンスフィールドでこっちのサーチが全部キャンセルされる! あとツーフロアだが、いきなり出くわすのは危険だ!」
ガンガンと金属階段を蹴り付けて駆け上がって既に三フロア。残り二フロア、五階建てのブリッジの外に戦艦クラスのフィールドをイザナギが確認した。コルトとの通信が切れているが……。
「トラップでしょうよ! 解ってるけどコルトがいるんだから出たとこ勝負! イザナギのほうで駆動制御! モードはガンファイト! レディ!」
駆動系はイザナミが制御するのだが、トラップらしき電子カウンターでイザナミが無力化されているのでNデバイスを全て右腕、AFCSのイザナギに預ける。スペック上は可能だがやるのは初めてだった。
「コール・ガンファイト、コピー! ヒートスリットはオートでオン! ディフェンサー、オート! ベッセル、オン! AFCS、スクランブルアップ!」
「ジャンプアップ!」
顎の前で両腕をクロスさせ、ジャンアップをコール。イザナギ制御で背中からベッセル・ストライクガンがスライドして、グリップが顔の両方に跳ね出る。それを握って最後の一段から飛んだリッパーは、最上階のドアを蹴り付けてベッセルを構えた。
「コルト!」
荒い呼吸をこじ開けるように叫んだ先に、テンガロンハット、サングラス、ポンチョにロングブーツのコルトがいた。煙草を咥えてリボルバーをガンスピンさせていて、目の前には空軍の制服姿の三人がいたが、特に争うようでもなかった。
「リッパーか? 何だ? ガンを構えていきなり登場って、どうかしたか?」
リッパーと二挺のベッセルに少し驚いた風にコルトが言うが、声色は普段と同じだった。
「状況を!」
ベッセルのマズルを二人の頭に向けてコルトに並んで、リッパーは素早く言った。
「状況って、俺のかい? 見ての通りだが? そこの三人は空軍らしいが、ライフル持ってるのは一人で、まだ会話らしい会話はしてないが、そっちは何だか穏やかじゃないな?」
コルトの口調はグレイハウンドの中と変わらずで、目の前の三人の一人はアサルトライフルを持ってはいるが、構えるでもない。残り二人は見たところ丸腰で、空軍の制服でなければただの民間人に見える。
「ECM! 電子カウンターよ! ここが発信源でイザナミが無力化された! 外には戦艦クラスのフィールドで通信が指向性妨害されてるの! イザナギはこの三人の誰かが発信源だと言ってたけど、そんな装備もない! つまり――」
「……トラップか?」
右のリボルバーをホルスターに戻して、サングラスのブリッジをくいと挙げてコルトがつぶやいた。
「しかし、こいつら、仕掛けてくる様子もないし、別で伏せてるでもなさそうだが? ジャミングはこっちのモバイルでは確認できねーが?」
コルトが説明する間、三人は無言で棒立ちだった。
「イザナミを無力化させるなんて真似、ルナ・リングの演算ユニットでも不可能よ? 今はイザナギにバックアップしてもらってるけど、イザナミがフリーズしてる! トラップよ! それも、イザナミかNデバイスをピンポイントで狙ったもの! このブリッジの外にフィールドがあるからマリーたちからこっちはモニターできないの! 第六世代の演算ユニットにアクセスできるのは同じタイプだけで、それはバランタインだけなのに、現にイザナミがフリーズしてる! 理論上有り得ない!」
リッパーの両腕には片側七箇所の切り目、ヒートスリットがあり、これは強力なリボルバー、ベッセル・ストライクガンのリコイルを吸収して熱変換して強制排熱させるためのもので、通常はイザナミ制御だが今はイザナギが制御している。コール・ガンファイトは特殊射撃戦駆動、ベッセルを使うモードで、ガンファイトがコールされるとヒートスリットシステムとプラズマディフェンサーが同時起動する。ベッセルの照準を担当するAFCSのイザナギが、今はAFCSと駆動系の制御まで全てを行っており、イザナミは沈黙していた。前触れもなくいきなりイザナミを無力化する。理論上は有り得ないことが起きており、リッパーの思考が加速する。
「トラップには違いないんだけど、目的が解らない! イザナミをフリーズさせて、こちらの策敵をキャンセル! 狙いはコルトじゃなくてあたし? 空軍! 目的は?」
三人との距離は五メートルもない。この距離でベッセルで撃てば生身ならば木っ端微塵だが相手は武器を持つでもなく、感情のない視線でこちらを見ている。
「右腕さんよう。こいつら……ひょっとしてハイブなんじゃねーか?」
煙を吹きつつ、コルトがつぶやいた。左はずっとガンスピンを続けている。リッパーはベッセルで二人を狙ったまま、トリガーに指をかけている。
ハイブと戦う場合、普段なら五百メートル以上からの射撃で対応し、白兵距離に近寄ることは殆どない。ハイブは人間の数倍の筋力と反射能力を持って白兵・肉弾戦を得意とするからで、ベッセルの有効射程は最大で三キロ、バレットライフルを越える距離から五十五口径のアーマーピアシングでカーネルを一撃で破壊する。そのカーネルは特有の信号を微弱ながら発しており、イザナミやコルトの持つモバイルはこれを探知してハイブに備える。つまり、目の前の三人がハイブであればイザナミがフリーズしていてもコルトのモバイルに反応するはずだが、それはなく、しかしコルトが言うように三人はハイブに似て、感情らしきものが見えない。だが、仕掛けてくる様子もないのでリッパーは混乱して、どう対応するのか判断に悩んでいた。
「ヘイ、スカルマン。こいつらからカーネル反応はないが、ここから指向性ジャミングが発生してるからレーダーは信用できないぜ? 俺はスカルマンと同じ意見だ! シーカームーブ! レンジ、ファイブ! トリプルロック! トリガー!」
イザナギがトリガーコールをしたが、リッパーはハーフトリガーで指を止めた。半分浮いたハンマーがそこで止まる。
「カーネル反応がない相手を、空軍の兵士をベッセルで? 友軍だったら……」
「リッパー! 友軍がジャミングなんて出さないさ! しかもイザナミをフリーズさせるとんでもないジャミングだ! 対空ミサイルで撃たれてもいるし、こいつらが空軍でも敵だ! トリガー!」
イザナギの意見はもっともだ。人間だろうがハイブだろうが、指向性ジャミングでイザナミを沈黙させる、おそらくクラッキングも兼ねた強力なジャミングを発する相手ならばそれはリッパーの敵で間違いない。だが、空軍の軍服で殆ど丸腰で、こちらに具体的な危害を加えるでもない相手にベッセルを撃つというのは、判断が間違いであった場合、取り返しがつかない。
「イザナギ! 予測だけでトリガーなんて無茶よ! 外の様子は? モニターできる?」
「フィールドは健在、グレイハウンドは不明だ! リッパー! 孤立してるぜ! エマージェンス! トリガー!」
再びのトリガーコールだが、奥歯を噛み締めたリッパーはベッセルのトリガーを引けず、舌打ちした。三人がハイブならば躊躇は微塵もないが、空軍であれば海兵であるリッパーの友軍で同類で仲間でもある。イザナミを無力化させる状況下ではイザナギのサーチも不確実で機械的に判断できる要素はなく、見たままの状況から判断するしかないが、イザナミではないが、状況はクリア。ベッセル二挺を構えているリッパーだけが臨戦態勢で相手は武器を持つでもなく、コルトは左でリボルバーをガンスピンさせているが構えたりトリガーを引いたりでもない。コルトが言うように相手がハイブならばこの距離で白兵を仕掛けてくるはずだが、その気配もない。カーネル反応が探知出来ないことはジャミングで説明出来るが、これは同時に相手が敵か味方かをレーダーでは判断出来ないという意味でもある。
「リッパー、グレイハウンドでの会話、覚えてるかい?」
ガンスピンの回転音がやけに大きく聞こえた。
「コルト?」
「こういうときは、こうすんのがいい、のさ!」
パン! と乾いた音とマズルフラッシュ。コルトがガンスピンさせたシングルアクションアーミーを回転させたまま発射した。突然の発砲にリッパーは驚いてコルトを見て、四十五口径を受けた相手を見た。コルトより随分老けて見える空軍制服の男の左肩から真っ赤な血が吹き出している、が、男は棒立ちのままだった。
「コルト! 何? ……ハイブ? イザナギ!」
リッパーの混乱が加速する。冷静さが自慢のリッパーだが状況が全く見えない。ジャミングとクラックでイザナミが沈黙し、コルトが空軍の一人をリボルバーで撃ち、しかし相手は倒れるどころか痛がるでもなく、声一つ出さない。その様子はハイブそのものだが、表情こそハイブにソックリだが特有のアルビノ、白い肌に白髪ではなく、コルトと同じ肌の色で、肩を撃たれても反撃どころかリアクションすらしない。四十五口径で近距離なのでかなりの出血だが、感情のない視線がコルトとリッパーを捕らえているだけで状況は全く変わらない。
「リッパー! トリガー!」
イザナギがトリガーコールを繰り返すが、ベッセルで撃てば急所を外してもそこが吹き飛ぶ。コルトの科白を反芻する。グレイハウンドでコルトは、迷ったら撃て、そう言っていた。撃たれるくらいならば撃てと。急所を外して、誤射ならば謝ればいいといかにもコルトらしい科白だったが、他愛ない会話を目の前で再現されるとは思ってもみなかった。
「まあ、こいつらがハイブなのは間違いないが、右腕さんはどう思う? リッパーはどうやらパニクってるようだが?」
「スカルマン! ハイブが三匹でこれはトラップで、狙いはリッパーだ! この空母そのものがトラップで敵はこっちの進路上で待ち構えていた! UAV搭載の空母をリッパーがスルーする筈はないからな! あのUAVもトラップなのさ! だが、ハイブならこんな凝った真似はしないさ! ハイブ以外でリッパーを狙う相手は?」
「何だ。頭脳労働は左腕さん専門かと思ってたら、右腕さんもなかなかじゃねーか。そう、クソハイブはデカいボートだのボマーだのを準備するような出来のいいオツムなんぞ持ってない。ビンゴだよ……サイキッカーさ。よう! そこいらにいるんだろう? そろそろ登場してもいいんじゃねーかい? クソサイキック野郎。ここまで用意しといて不意打ちってこたーねーだろう? とりあえず面{つら}見せろよ」
イザナギとコルトの会話をリッパーは半ば放心で聞いていた。二人の会話はつじつまが合う、納得できるものだったが、それに体が反応しない。ベッセルを構えてはいるがトリガーにかかった指は凍ったようでピクリとも動かない。視線は三人に向けているが、見えている状況を判断出来ないでいる。
「ははは! やっぱり面白い奴だね、死神。ちょいとした演出のつもりだったんだが、どうだい? いい感じだろう?」
声が聞こえた。聞き覚えのある、女の声だった。だがマリーでもドクター・アオイでもない。どこかで聞いたようだが相手の顔は浮かばない。
「演出、ね。空母だ爆撃機だと大層なモンだが、ちょいと回りくどいぜ? んなことしなくても、いつでも相手してやるんだが? ミス・サンタクロース?」
目の前の三人の後ろから女が現れた。真っ赤な髪の毛、真っ赤な上着に真っ赤なミニスカートで、ロングブーツも瞳も真っ赤な、初めて見る女だった。声に聞き覚えはあるが見覚えは無い。
「……イザナミのボイスレコーダ?」
喉がカラカラでへばりつくようで、出した声は他人のもののように聞こえた。真っ赤な、コルトがミス・サンタクロースと呼んだ女を合わせて四人になったが、状況がまだ見えないリッパーは、血を連想させる真っ赤な瞳を銀色の視線で凝視した。首が隠れる程度のショートヘアで柔らかそうだが、こちらも真っ赤で気味が悪い。ボアの付いた首や膝部分、顔や太股は白いが他が真っ赤で、コルトが撃った一人から吹き出す血よりも鮮やかに見える。
「アンタ、回りくどいのは苦手とか言ってなかったかい?」
「言ったさ。だがな、演出があったほうが雰囲気が出るだろう? 私はね、何事も存分に楽しむのが流儀なのさ。お解りかい? 死神。お前が最初に出てくるのは予定外だったが、きっちり水兵女が来たから、まあいいさ。くくく!」
コルトに向けていた視線をリッパーに移したミス・サンタクロースが小さく笑った。
「水兵? そういうのを、鳩が豆鉄砲って言うんだろう? お前があのランスロウを半殺しにしたなんて、信じられないねぇ、ははは!」
赤い女があれこれ言っている。冷静になれ、そうリッパーは自分に無言で怒鳴り、敵であろう相手を目の前に両目を閉じて、大きく深呼吸をした。
「……ソーリー。柄にもなくパニックになってたわ。アナタ、返り血でも浴びたみたいだけど、それってファッションのつもり? 今時の火星ってそういうのがブームなのかしら? 地球じゃあ流行らないと思うんだけど? 実はミスター・チェイスのシスターだった、なんてオチも、まあありでしょうよ」
深呼吸一つで普段通りになったリッパーが言うと、ミス・サンタクロースは大爆笑した。
「あはは! なるほどね、大したもんじゃないか、水兵。ランスロウの野郎をやったってのも頷けるねぇ。嫌いじゃないよ、そういうのは」
「ミス・サンタクロース。これはランスロウとかって金髪にも言ったんだけど、あたしも回りくどいのは苦手なの。用件があるなら聞くけど?」
言いつつ、リッパーは両手を下ろした。
「リッパー! ガンファイトがコールされてる! ベッセル、オン!」
「イザナギ? 解ってる。モードはそのままで、何だっけ、あの新しい奴、あれをスタンバイ」
「コール・ファントム、コピー! ディフェンスはオフ!」
「その大砲みたいな銃が自慢なんだろう? 私に気にせずに構えておいでよ。でないと、水兵、お前……死ぬぞ?」
三人の空軍制服の前にミス・サンタクロースが出たが、銃だのナイフだのは見当たらない。だが、真っ赤な瞳の威圧感には覚えがある。金髪で空軍将校の軍服を着たサイキッカー、ランスロウと同類の威圧感だ。大砲の前に立っているような、ミサイルの信管が目の前にあるような、あの独特の威圧感だ。
「アナタ、あれこれ間違いだらけね? まず、あたしは水兵じゃなくて海兵。自慢なのはベッセルじゃなくてこの銀髪で、しばらく死ぬつもりはないの、オーライ?」
「……ははは! お前、最高さね。名前は確か、リッパーだったか? 地球じゃあそういう奇妙な名前が流行ってるのかい?」
「また間違い。今は地上だけど、あたしはそもそも第七艦隊所属。宇宙育ちなの。リッパーはただの渾名。どうしてそんな渾名なのかは教えてあげない。それで? 言ったはずだけど? 回りくどいのは苦手だって」
「まあ焦るなよ、水兵。お前がどうなるかなんてのはとっくに決まってるんだから慌てるな。聞きたくはないだろうが、お前は死ぬんだよ。割と近いうちにな? それが三秒後なのか三日後なのかはお前次第だが、私の用件は簡単さ。お前が宇宙に上がるのが面白くないと思ってる爺がいるって、それだけさ。もっとも、その銀色の両手を置いてくんなら話は別だが、どうする? 代わりの腕なんぞいくらもあるだろう? 銀じゃなくて純金にしちまえば見栄えがいいかもな。どうだい?」
ふう、と小さく溜息を吐き、リッパーは返す。ベッセルは両方ともフロアを向いたままである。
「ゴールドアームなんて悪趣味ね。金髪にしろとかそういうつもり? ついでにカラーコンタクトで瞳も金色とか? なんでもかんでもそろえればいいってもんでもないでしょうに。それに、あたしはこれを気に入ってるのよ。他人にがやがや言われるのは嫌いだし、腕を付け替える予定もないし、誰がどう思おうがあたしは宇宙に上がるから、そのお爺さんとやらに伝言しておいて。何が気に入らないのかは知らないけど、あたしに構うな、とも付け加えておいてね、ミス・サンタクロース」
「ははは! 全く、とびきり愉快な水兵だな! 海兵だったかい? まあどっちでもいいんだがね。ちなみに私はトリスタン・ペンドラゴンって名前なんだが、別に覚えなくてもいいさ。墓穴まで持っていくほど上等なものでもないしな。マーリンには、まあ伝えてもいいさ。リッパーとかって海兵はマビノギオン通りに動くのは大嫌いみたいだ、ってな。だがな、水兵? マギノギオンは唯一の真実で、過去と未来、つまり、歴史そのものなんだよ。地球人っぽく言うなら、運命って奴さ。好きだ嫌いだで変わるものでもないし、マーリンはひたすらにマビノギオンを書き続けるって、それだけさ。私の言ってることが解るかい?」
「もっときっちり丁寧に説明してくれると嬉しいんだけど、まあ大体は解るわよ? アナタの名前はもう忘れた。マーリンとかって人がマビノギオン? それって書物の類で、予言とかそいういう類なんでしょうよ。運命だのって言葉は大嫌い。過去だの未来だのには興味ないし、何であれ押し付けられるのも大嫌いなの。きっとそのマーリンさんとあたしって相性悪いのよ。アナタともね? それで? サイキッカーなアナタはあたしだかNデバイスだかに興味があるとか、そういう話よね? 正直、アナタとお喋りしてる暇はないんだけど、何か質問があれば応えるけど? こちらからは特に質問はないわ。サイキッカーが何を企んでいようが、ハイブをどうしようが、あたしは海兵、軍人なの。敵なら潰す、それだけ。話し合いで和平ってつもりだったんだけど、とりあえず目の前のパンク女は人の話は聞いても意見を変えるようなタイプには見えないから、交渉するにしても相手は別みたいだし」
「くくく! 海兵、お前は愉快だよ。陰気なランスロウを半殺しにしておいて、そこまで言えるのは、ひょっとして私がランスロウ程度だとか勘違いしているからかい? あれこれ探るのも面倒だろう? そこの死神には言ったが、愉快な海兵にも教えておいてやるよ。私は悲しみのトリスタン。円卓の聖杯騎士で、最強さね。まともにやりあいたいのならそんな拳銃なんかじゃあなく、シノビでも連れて来いよ。どっさりとな? シノビをダースで連れて来れば、一分で血祭りにしてやるから見物してればいいさ。お前じゃあ勝負にならないのはとっくに気付いてるだろう? 自慢の銀の腕の片方が黙ってるじゃないか。つまり、そういうことさね」
ははは、と高笑いのトリスタンに対して、リッパーも笑みで返す。
「どうやったのかは知らないけど、イザナミをフリーズさせたのは、まあ大したものね。戻ったら仲間に自慢すればいいわ。でも、片方だけだってこと、気付いてる? ご自慢のサイキックだかはNデバイスの半分にしか通用しなくって、こちらはイザナギが健在ならフルスペックで戦えるから、実は影響は少ないって、そういう意味だけど、その真っ赤なオツムじゃあ理解できないかしら?」
「いいね。ひたすらに挑発するっていうその態度、嫌いじゃあないよ。この私が本気を出したくなる、そんなさ。お前が私やランスロウ、パーシヴァルなんかを潰したいってのは解らなくはないが、どうやっても無理なことってのはあるのさ。それも全部、マギノギオンに記されてるんだが、リッパー、だったかい? お前、どんな死に方が好みだ? 注文通りにしてやってもいいが?」
「ミス・サンタクロース? 何度も同じことを言わせないで。あたしはしばらく死ぬつもりはないの。別にアタナを潰したいなんて思ってもないんだけど、潰されたいのだったら、そのリクエストには応えてもいいけど? ランスロウは上半身を木っ端微塵にして差し上げたけど、同じでいいのかしら?」
「あはは! なるほどね。だからあの野郎はあんなナリだったのかい。まあ、出来るのなら勝手にすればいいさ。そうさね、試しにその大砲を一発喰らってやるから、撃てよ。反撃はしないでやるから、遠慮するな。ひょっとしたらその一発で寿命が延びるかもしれんぞ?」
トリスタンと名乗った真っ赤な女は、まるでリッパーのように喋る。相手より上位にいることを常にあらわしつつ相手を挑発する。リッパーのそれは一種の心理戦だが、同じようなことをトリスタンという女もしてくる。意図が解る分、ランスロウより理解し易いが、その言葉がハッタリでないことも殆ど確信出来た。ハイブの頭脳、超高度金属の塊であるカーネルを、最大射程三キロで、一発で破壊出来るベッセル・ストライクガン。ゼロレンジフルバーストでサイキッカー・ランスロウは木っ端微塵に出来たが、おそらくトリスタン、真っ赤な女には通用しないだろう。それでも、と、リッパーは右腕を挙げた。
「イザナギ?」
「コピー! レンジ、フォー! ワンロック! トリガー!」
ゴン! 爆裂音と同時の巨大なマズルフラッシュが空母ブリッジで輝いた。爆風で埃と書類の類が吹き飛び、横に立ったコルトはテンガロンハットを押さえた。
「……さて、どうかしら? ちなみに右はイザナギでこのリボルバーはベッセル。威力は見ての通りよ」
四メートルほどの距離にいたトリスタンは……。
「なるほどねぇ。大したもんじゃないか。その銀の腕は張りぼてじゃあないって、そんなところかい? まともに喰らえば、まあランスロウくらいならどうにか出来るかもな。ちなみにどうなったのか説明してやるとな? 弾丸は私の体に当たる直前でどっかに飛んでいったんだよ。月のもっと向こうとか、宇宙の彼方とか、遠くにだよ。デカかろうが何だろうが飛び道具の類を全て無力化する、これがお前らが特殊能力とか呼んでいる私の力さね。それで? 次はどうする? 愉快な海兵さん?」
「アナタ、ランスロウよりは解りやすいわ。そういうのって嫌いじゃないわよ? ベッセルが、この距離で通用しないんじゃあ、お手上げかしら? イザナギ?」
「リッパー! 俺にはギブアップなんてコマンドはない! こいつに有効な武器はない! ジャミングは健在だが瞬発的なESPを感知した! ランスロウの三倍以上がコンマゼロツー! リッパーはサレンダー(降参)しろ!」
「うん? リッパーはって、イザナギはどうするのよ? あたしのオツムにもサレンダーなんて無粋な言葉はないんだけど?」
高笑いはトリスタンからだった。
「そうやって相談しながら戦うのかい? 全く、愉快な海兵だね。腕のほうが頭より賢いなんて、傑作だ! ははは! 降参だの命乞いだのを聞くような上等な耳は私にはないが、次は私の番ってことでいいのかい? 注文があれば聞いてやってもいいさね。気付いたら天国だってってのでもいいし、人生で最高の苦痛を味わいながら私を呪って死んでいくなんてのも面白いぞ? 挽き肉になりたいならそうしてもいいし、塵になりたいならそれでもいいさ。ランスロウとは全く違うってのだけ覚えておいてもらえれば私は満足だからな。さあ、注文しな」
最初こそパニックだったが、すっかり普段の冷静さが戻っている。ひたすらにクールでいて頭が綺麗に回って思考が滑らかで加速を続ける。
「そうね。アナタの能力を知らないからあれこれ言えないだけれど、こういうのはどお? 好きにしなさいな。受けてやるから試しにやってみなさい、とか」
「……くっ! ははは! そっくりそのまんまお返しかい? 海兵。お前は話せば話すほど面白い。何だか好きになってきたよ。お前は気に入らんかもしれんが、私とお前はどこか似てる。そうは思わないか?」
「言ってることは解るつもり。こういう友達が一人いたら、まあ退屈はしないでしょうよ。一緒にバーにでも行ったら盛り上がりそうだし。でも、そういうのはまたの機会ってことで、さあ、いつでもどうぞ? 反撃はしないであげる」
トリスタン、このサイキッカーの能力は全く不明で、ベッセルの弾丸は通じずどう攻撃してくるのかも予測不能だ。各種能力を自在だったランスロウとは違うようだ、というのはリッパーの勘で、その勘ではトリスタンは少ない種類の能力でその威力なりがランスロウを上回る、そう想像した。
イザナギが感知した瞬間的なESPがランスロウの三倍だったというのがその裏付けで、トリスタンは弾丸をどこかに飛ばした、そう言っていた。それらからトリスタンからの攻撃を予測する。
バン! と大気が弾ける音がした。突然だったのでコルトは一瞬狼狽したが、すぐに元に戻りトリスタンに備えてホルスターに両手を近付ける。音は真横からで、リッパーが立っている筈のそこ、床部分が円形でくり貫かれていた。断面が鋭利に輝いていて、直系は一メートルほど。多層の金属床の円範囲が消えていた。そこにいたリッパーもろとも。
「リッパー!」
「……見えているものを全て疑うことこそ、真実への第一歩である。昔の哲学者の言葉よ」
コルトの横にいたはずのリッパーが向かって左、トリスタンの隣に立って、何事かを言っていた。
「ほう……愉快な海兵はまるでシノビみたいだな? 私の一撃をかわすなんて真似をしたのはお前が初めてだぞ」
「それはどうも。コルト? あたしは平気。サイキックっていうのは何度見ても不気味なものね? ブリッジのフロアごとあたしの立ってた場所をえぐったとか、そういう感じみたいね。イザナギ? ナイフファイト。サテライトリンクで、臨界駆動イグニション」
「コール・ナイフファイト、コピー! サテライトリンク、オン! オーヴァドライヴ、スタンバイ!」
「さて、ミス・メリークリスマスだっけ? そちらが手の内をきちんと説明してくれたからそれに応えると、アナタの攻撃をかわしたんじゃなくて、狙ったのがあたしじゃなくてファントム、つまり幻影だったっていうのがタネ明かし。今見えてるあたしが実像が幻影か、その判断は無理でしょうね。そちらがECMを使ったから、まあそのお返しってところ。ブレットが通じないだとか空間をえぐるだとかでアナタの能力がどういう種類なのか、大体解ったから、そろそろこのトークはお仕舞いってことで……イザナギ!」
「スタートアップ!」
イザナギが叫んだ直後、リッパーが立つ場所が再び床ごとえぐられて、ゴゴン! 鈍い音が連続してブリッジに響いた。その音にコルトのリボルバーの射撃音も混じっていた。ざっとブーツを滑らして、リッパーがトリスタンの右に現れた。両手に銀色のベッセル・ストライクガンを持って構えている。トリスタンは、コルトの目の前で両膝を突いて、赤いショートヘアから血が吹き出していた。
「……これは一体? 悲しみのトリスタンが! 聖杯騎士が膝を? 海兵!」
先刻までとは一転、トリスタンが叫んだ。
頭を振ると真っ赤な血が周囲に飛び散り、一部がコルトの黒いウエスタンブーツに飛んだ。白いボアの膝をブリッジフロアに両方とも当てて、トリスタンは自分の頭を両手でさすって、手のひらも真っ赤になった。視線は目の前のコルトに、床から見上げるような格好だった。カシャン、と金属音がして、トリスタンは振り返った。リッパーが握った二挺のベッセルのグリップにナイフ状の突起があり、それがグリップに収納される音だった。
「円卓だ、聖杯だ、最強だ、火星だと、まあご大層なもので、さっきのサイキックにしたってまともに喰らえばタダじゃあ済まないんでしょうけど、結果はその通り。アナタは自分の手の内を説明してくれる面白い人だから、こちらも」
構えを解いたリッパーは、両方のベッセルを肩に当てた。ジャンプアップシステムの小型マシンアームがベッセル二挺を固定し、リッパーはマントの内ポケットから煙草を一本抜いて、オイルライターで火を付けた。
「サイキッカーって言っても、目で敵を追うんでしょう? アナタの反射速度はハイブなんかよりずっと上なんでしょうけど、地球人じゃないにしても眼球は音速で動くなんて真似は出来ないの。それに対してあたし。Nデバイスは電波、磁場、熱、光、その他もろもろをレーダーサーチしてターゲットをロック。ここに戦艦クラスのフィールドがあるにしても、サテライトリンクで衛星からサーチすれば、ブリッジとアナタは丸裸なのよ。あっちの床をえぐったアナタの攻撃、あれもファントム、あそこにあたしはいなかったのよ」
紫煙で三つ、わっかを作ったリッパーはそれをゆっくりと揺らす。トリスタンはリッパーの言葉を無言で聞いており、頭部の出血は続いていた。
「三基の衛星でアナタをロックしておいて、臨界駆動。これを使うとね? 一時的に反射速度を二十倍にまで加速させられるの。アナタたちサイキッカーも随分と素早く動けるようだけど、訓練された海兵を更に二十倍にまで加速させれば、戦艦クラスのレーダーでもタイムラグが発生する。つまり、レーダーで捕らえるのは不可能なの。レーダーでも無理なものを目や耳で捕らえるのは、まあ難しいでしょうよ。で、このベッセル。ただデカいだけのリボルバーだと思ってるんでしょうけど、これってストライクガンなのよ。ロングバレルで複合チタンフレームの鈍器ってこと。カウンターウエイトの下にはショットプロジェクションで、グリップからはストライクファング。アナタがテレポートバリアを使うにしても、その展開速度よりも速くで打撃を与えるなんてことも、臨界駆動を使えば可能なの。通常の二十倍の速度で数発、額と後頭部と首筋を殴らせてもらったわ」
「ヘイ、ミス・サンタクロース? 最初の俺のダブルハイパークイックドロウ、あれはフェイクだよ。通じないのは解ってるが目くらましくらいにゃなる。これは言ってなかったが、俺とリッパーの右腕さんは仲良しでな? まあ、ツーカーってやつさ。リッパーがアンタに何かしかけるようだったから、俺がそのキッカケを作ってやって、ついでにアンタの気をこっちに、一瞬だけ引いたってこった」
両方のリボルバーをガンスピンさせたまま、コルトが言った。
「コルトのクイックドロウが臨界駆動の合図で、アナタは左にあたしがいると思っていたようだけど、実は真後ろにいたのよ。コルトが撃って、同時に臨界駆動スタートで一気にゼロレンジ。ナイフファイトっていうのは白兵戦駆動。そちらが用意したECM状況下でアナタを正確にロックするためにサテライトリンクを使って、二挺のベッセルでその真っ赤な頭を殴ってやったって、そういうこと。ひょっとしたらサイキックバリアなんかがあるかもしれなかったら、途中で一発、ベッセルを撃たせてもらったけど、その後はまあ、なるようになれって感じ。ダメージを与えられれば御の字だし、駄目なら、正直サレンダーってところだったんだけど、割と効果あったみたいね? オーライ?」
煙草を咥えたリッパーの両腕が真っ赤に光っていた。ヒートスリットが強制排熱をする音が小さく聞こえた。
「……なるほどねぇ、大したモンだ。その両腕と銃はハッタリじゃあなかったってところかい。私の防御より速い打撃を、この死神を使ってやるか。しかも私がえぐってやったのは幻で、たったの数発でこれだけの威力とは、まったく、大した海兵だこと」
両膝を突いていたトリスタンは、そのまま床に座り込んで額からの血を拭っていた。
「そうやって平気そうに喋られると、こっちは困るんだけどね? 臨界駆動はあたしの切り札だし、サテライトリンクも同じく。もう三回くらいは使えるけど、そうそう使えるスキルでもないから黙って倒れてくれるとありがたかったんだけど、そこはさすがのサイキッカーってところね。ランスロウみたいに傷が回復して襲ってくるなんて相手だと、正直、やり辛いわね。今だって臨界駆動のフィードバックで目がちかちかしてるし、駆動制御をイザナギだけでやったからあちこち痛むし」
「ふふふ! 言っただろう? 私はランスロウとは違うとな。あの野郎は再生なんて能力も持ってるが、私はそういう小ざかしい力なんぞ持ってないよ。脳みそが揺れてるようで、血も随分と出てるし、お前の戦術は大したものだし、癪{しゃく}だが私の負けってことでいいさ。今ならトドメを刺すのは簡単だから、その大砲みたいな銃で幕を引きな。私は、生かしておくと後々厄介なタイプだぞ?」
くくく、と笑い、トリスタンは上着を漁った。咥え煙草のリッパーはふう、と溜息を一つ、てくてくとトリスタンに寄った。
「まあ、そういうのもアリでしょうけど、一服付けたら?」
リッパーから差し出された煙草を真っ赤な瞳で見詰めて、トリスタンはそれを受け取った。しゃがんだコルトがオイルライターでそれに火を付けた。
「ミス・サンタクロース? 美人は死に急ぐもんじゃあないぜ?」
「死神?」
「まあ、あれだ。サイキックとか火星とか、そういうのもいいが、言っただろう? 俺はアンタとはやりあいたくないってな。リッパー?」
サングラスを向けられたリッパーは、煙草を吹き、頷いた。
「アナタはね、どうもやり辛いのよ。ジャミング以外にももっとこう、悪役っぽく姑息な手段を使うとか、不意打ちするとか、人質取るとか、いくらでもやりようはあるでしょうに。真正面からで手の内明かして、何と言うのか潔いっていうの? 本当にランスロウとは別人みたい」
同じくしゃがんだリッパーは、睨むでもなくトリスタンを見て言った。
「ランスロウがどういう風にやったのかは想像出来るさ。あいつは姑息で陰湿で、ついでに臆病者さね。あれこれと力を持っていて円卓では最強だが、性根が捻じ曲がってやがるのさ。別に円卓だの聖杯騎士だのの面子はどうでもいい。力があるから強い奴とやりあいたいってのは私の趣味みたいなもんさ。しかし、シノビ連中以外でここまでやれる野郎がいて、水兵だか海兵だか知らないが、マーリンが騒ぐのも納得さね」
「ねえ? ミス・メリークリスマス? アナタ、その円卓っていう集まりには向いてないように見えるけど? 余計なお世話かしら?」
「そうさねえ。私が円卓に座るのはそれだけの力があるからだが、ランスロウにしろパーシヴァルにしろマーリンにしろ、気の合う連中でもないさ。あいつらはな、冗談の一つも吐かない退屈な奴らだしな」
「状況終了、再起動終了。イザナギからデータをフィードバック」
ずっと沈黙していたイザナミが言った。
「イザナミ? 平気?」
「ECM感知と同時に防壁を展開、機能は停止していましたが再起動。問題ありません。電子カウンター、外部フィールド、消滅」
「どういうこと?」
「それはな――」
煙草を咥えたトリスタンが次いだ。
「そこの三匹、死神が言ったようにそいつらは合成人間でな、レーダーの類を無力化させるように調整してあるんだが、私の力の中継、増幅装置みたいなものなのさ。こちらが止まればその三匹に力はない。撃ち殺すもよし、ほったらかしにするもよし。普通の合成人間が持つ機能を全部レーダーかく乱用に調整してあるから、自分じゃあ指一本動かすことも出来ない、木偶の坊さね」
「ジャミング専門のハイブ? ハイブ・ジャマーとでも呼ぶのかしら? 残り二匹がそのアンプで、戦艦クラスのフィールド、大したものね。イザナミをフリーズさせるんだから、とんでもない代物ね」
「理屈は簡単さね。お前の腕に仕込んであるレーダーをそのまま送り返してたって、それだけさ」
「つまり、イザナミはイザナミから電子カウンターを喰らってたって、そういうことね? 道理で。イザナミにアクセス出来るユニットはイザナギかバランタインが、イザナミ自身くらいなもの。でも、そんなことしなくても、コルトじゃないけどあたしはアナタが仕掛けてくれば相手をしたけど?」
灰になった煙草をフロアに押し付けて、マントから抜いた一本をトリスタンへ、もう一本を自分の口に放り込んで火を付けた。
「万全なお前とやりあうでも良かったが、嗜好をこらしてやろうとか、その程度さ。大した意味はないさ。反撃もしてこない野郎をいたぶるような趣味は私にはないが、特注の合成人間を三匹も用意しといてこのザマとは、さすがに驚いたよ。ナントカって物騒な武器をマーリンが嫌がってたのも納得さね」
「Nデバイスよ。左がイザナミで右がイザナギ。真ん中はリッパー、海兵隊大佐。アナタはトリスタン、だったかしら?」
「覚えていたのかい? トリスタン・ペンドラゴンさ。ペンドラゴンってのはな、円卓の騎士の飾りみたいなもので、円卓に座る奴は全員ペンドラゴンなのさ。ランスロウもペンドラゴンだよ。もっとも、あの野郎にペンドラゴンの称号は似合わないがね」
「ねえ? ミス・トリスタン? アナタ、ずーっと自分や仲間のことを喋っていて、それって秘密でしょう? ランスロウ、あの金髪が嫌いなのは解るけど、聞かせておいてその相手を潰すにしたって、喋りすぎじゃなくて?」
「どうだろうね。死神にも言ったが、知ったからってどうこう出来る話でもないだろう? まあ、私はこんなだが、他の連中は私とは色々と違うし、ランスロウもそのうち出てくるさ。大体、ペンドラゴンって名前は嫌いだし、円卓の連中には貸しも借りもない」
二本目の煙草をゆっくりと吸いながら、トリスタンは続けた。
「まあ、これが私の流儀って奴さ。隠し玉を使って背中から、なんてのは柄じゃあないし、リッパーって言ったかい? お前の戦術と能力は中々のものだった。こうやって喋らせるってのは詰めが甘いと思うがな。やれる時にきっちり始末しておくのが賢いぞ?」
「それはそうだけど、あたしはヒットマンでもないし、カルト教団の教祖でもない、ただの海兵だもの。敵対するから全部を潰すなんて発想はテロリストよ。イザナミ? グレイハウンドとの通信は?」
「問題ありません。グレイハウンド、及びその周囲はクリア。ウィザードは航行中、周囲は同じくクリア。UAVも沈黙しています」
「だったら、アオイさんを呼んでくれる?」
「了解」
「コルト?」
出血の止まらないトリスタンだが、首や胸元を真っ赤にしつつ煙草を吹かしている。痛覚がないのか、見た目ほどのダメージではないのか、微笑んでもいた。トリスタン、リッパー、コルトは揃ってフロアにしゃがんで煙草を咥えている。
「俺からは何もないぜ? この旅のリーダーはリッパーで俺は雇われの傭兵。まあ、オマケみたいなもんだから、誰をどうしようがとやかく言うでもない」
「ミス・トリスタン。話を少し整理させてもらうわ。イエス・ノー、応えなくてもいいけど、まあ聞いて」
「好きにすればいい。動くのも面倒だ」
「まず、アナタはサイキッカー、こちら側だとESPを操るという特殊能力者で、同じような能力を持った人が何人かいる」
「ああ。私らはそれを聖杯騎士と呼ぶが、まあ呼び方なんぞ好きにすればいい」
「その、セイハイキシという人たちは円卓というテーブルに座る集団で、だからネーミングが円卓の騎士」
「円卓はただのデカくて硬い岩のテーブルさね。凝った飾りのある、重たいテーブルさ」
「メンバーは、アナタ、トリスタン以外に、まずランスロウ。パーシヴァルだったかしら? そんな名前の人もいる」
「谷駆ける騎士、パーシヴァル・ペンドラゴンさ。冗談の通じない堅物さ」
「マーリンという人が、その円卓の騎士をまとめていて、マギノギンとかって書物は何やら不思議なもの」
「マーリンは聖杯騎士じゃあないさ。お前ら風に言うとサイキッカーじゃあない。千里眼なんて力を持ってはいるが、他はマギノギオンにあれこれ書き込むのが役割で、指示を出してるんじゃあなくてマギノギオンを読み上げてるって、それだけさ。マギノビオンは、ルゼルフの白の書と、ヘルゲストの赤の書、二冊のことだよ」
カツカツと軽い音がして、ドクター・アオイとマリーが現れた。ドクター・アオイはカバンを、マリーはレバーアクションライフルを持っていた。
「あちゃー、何しでかしたんや? めっちゃ血でてるやん」
咥えた煙草をフロアでもみ消し、ドクター・アオイがトリスタンに寄った。
「……見た顔だな? 確か死神なんかと一緒に――」
「お医者さんのアオイ先生や。うわ、アンタ、額パックリ割れてるやん。後ろもや。首筋んとこが一番深いな? どないなこけ方したらこんななるんや? 痛いやろ? 止血剤と鎮痛剤や」
「痛み? ははは! そうか、さっきから頭がガンガンで手足が痺れてたんだが、傷が原因かい」
「何でそないに元気に喋れるんか知らんけど、もうちょい静かにしときいや。傷が塞がらんで?」
ドクター・アオイはカバンから粉末状の止血剤を取り出して、トリスタンの額と後頭部、首筋に振り撒いて、小さな注射器で首筋を刺した。
「頭蓋骨までへこんどるわ。傷口を縫うから動かんといてや? 痛みはそのうち消えるやろ」
針と糸を持ち出して、ドクター・アオイは額を縫合し始めた。
「海兵、途中だったな? どこまでだったか、そう、ルゼルフの白の書とヘルゲストの赤の書さ。マビノギオンはマーリンにしか読めないようになっているんだが、ルゼルフは過去を、ヘルゲストは未来を記す、黴臭い本だ」
「過去と未来?」
「ルゼルフにはこれまでの全てが書かれてあって、ヘルゲストにはこれからが全て書かれてある。ヘルゲストの最後の一行はな、太陽が燃え尽きるだとかそんな内容らしい」
「太陽? 計算上では太陽ってもう五十億年は燃え続ける恒星のはずだけど、そのヘルゲストというのは相当に分厚いみたいね?」
「それがな、そうでもない。もしルーン文字を読めるなら、ルゼルフとヘルゲストを読むのには三日もあれば充分さ。もっとも、ヘルゲストの途中はマーリンの野郎がまだ書いていないから読めないんだがね」
「つまり、ルゼルフという過去のほうも、ヘルゲストという未来のほうも、歴史を抜粋してるとか、大事件だけを記述しているとか、そういうことかしら?」
「そうなんだろうよ。私はルーン文字なんぞ読めないが、書かれてあるのはマーリンにとって肝心なことだけらしい。円卓の連中に関係することだとか、誰が聖杯騎士になるかとか、その聖杯騎士が何をするかとかで、お前とは直接関係のないことだけなんだろうよ」
「すまんけど、ちょいと髪の毛切るで? 後ろ頭のほうの傷を縫うから、動かんといてや?」
「この髪は気に入ってるんだが?」
「そういうのは贅沢いうんやで? アンタかてこのまま血が止まらんかったらイヤやろ?」
「……勝手にすればいいさ。マギノギオンのことで私が知ってるのはこれくらいさ。他の聖杯騎士もこれ以上は知らないだろうし、そもそも興味もないだろうよ。私もだが、聖杯騎士はルゼルフの白の書で選ばれて、ヘルゲストの赤の書の通りに動けと、そうマーリンに言われているしな。もっとも、こうやって髪の毛を切られるなんてことがヘルゲストに書かれてるかどうかは知らんよ。ふふふ! すまないが……」
言われたリッパーは、煙草を差し出した。火はコルトからだった。
「その、マギノギオンって、結局のところ何なの? ルゼルフ? 過去のほうはまあ理解できるけど、ヘルゲストっていう未来のほうは、ちょっと理解出来ないんだけど? 太陽が燃え尽きるってのを最終行にしておいて、これから起きることを全部記してあって、空白をマーリンって人が埋めてるって、つまり、そのマーリンって人が未来を決めてるってこと? 大したファンタジーよ?」
「さあな。マーリンが勝手に書いてるのか、あの千里眼で見たことを書いているのか、そこまでは知らないさ。ただ、ヘルゲストの最初のほうは現実として終わってるからな。お前らが月に住んだりそこにわっかみたいな基地を作ったり、自分の星に熱線を叩き込んだり、なんてことはヘルゲストの最初にきっちり書かれてある」
ドクター・アオイが縫合した額を、トリスタンが指で触っていた。二つのリングが通った指は細く、今は血で真っ赤だった。
「縫ったばっかりやから触ったらあかんで? 後ろはこんなもんやな。で、首やけど、ここ、相当やな? 脊髄が半分砕けて、こんなでよう頭支えられるわ。とりあえず骨の欠片取って消毒するわ」
ドクター・アオイがトリスタンの首筋を見てぶつぶつ言っていた。
「ソーリー。それ、あたしの仕業なのよ。ストライクファングで思いっきり殴ったから。臨界駆動でストライクファングを使うのって初めてだったから加減が解らなくて。ファングは五センチくらいだから抜けないと思って」
「何やナイフで何回も刺してかき回したみたくなっとるやん」
ベッセル・ストライクガンのグリップ底部に仕込んであるナイフ状の突起は、ストライク・ファングシステムと呼ばれる四枚のナイフで、オートマチックガンで言うマグリリースボタンの部分にスイッチがあり、これを押すとストライク・ファング四枚が飛び出す。ロングバレル下部、カウンターウエイトには三箇所の突起、ショットプロジェクションがあり、これらで打撃ダメージを与えるのがベッセルのストライクガンとしての使い方である。他にフレームと一体になっているフロントサイトや、突き出したマズルやスタビライザー部分も打撃に使うことが出来る。ベッセルは全長五十センチと大型だが複合チタンフレームで重量は一キロで収まっている。シリンダー、ハンマー、トリガー以外は全て一体式で、ストライクガンとしての強度を保ち、臨界駆動、知覚反射や筋力を二十倍に強制加速させて使用しても故障しないが、臨界駆動で白兵戦駆動をセレクトして、ベッセルで殴るというのはリッパーは始めてだったし、そういった使い方はベッセルには想定されていなかった。しかしどうやらストライク・ファングもショットプロジェクションもフレームも問題ないようだった。
「月面都市やオービタルショットがヘルゲストっていう方に書かれてあるってことは、そのマーリンにとって宇宙方面への進出ってのは過去じゃなくて未来に近いって、そういう意味かしら? 過去のほう、ルゼルフの方の最初って、どんななのかしら?」
「ルゼルフの白の書の最初は、ヘルゲストと同じで太陽が誕生するって内容らしい。いつの話なのかは知らんがな」
「太陽誕生? えっと、イザナミ?」
「恒星、太陽は約四十六億年前に誕生したとされています。超新星爆発で散らばった星間物質がふたたび集まって形成され、中心核では水素などの熱核融合が発生しており、およそ六十三億年後に燃料となる水素が消滅するというのが一般的な解釈です」
「えーと、ルゼルフってのは四十六億年前から現在までを、抜粋で記述してあって、ヘルゲストというのは六十三億年後まで? どれくらいのサイズだか知らないけど、恒星スケールの歴史を人間の視点で記述するって、とんでもない量になりそうだけど?」
「ヘルゲストもルゼルフも、拳くらいの厚さだよ。二冊とも持ち歩くには重そうな大きさで、装丁は黴た革で、辛気臭い、不気味な本さ。ネクロマンスとかってのが地球にはあるだろう? そんな雰囲気だよ。人間の皮だって言われても私は驚きはしないが、正確に読めるのはマーリンの爺だけだし、私も幾らかルーン文字は解るが、マギノギンで使われてるのは随分と古いルーンでな、マーリンはそいつをヘルゲストに書き込むんだよ。ランスロウの奴がお前、海兵にやられたってのが割と最近の一節で、聖杯騎士が四人、地球に降り立ったってのがヘルゲストの最新さね」
ドクター・アオイがピンセットで砕けた骨を首筋から取り出して、金属トレイに丁寧に置いていった。止血剤が効いているらしく傷口からの出血は止まっているようだったが、ストライク・ファングでの一撃の傷口を見たマリーは、眉をひそめてのけぞった。どう見ても致命傷なのだが、トリスタンはリッパーにあれこれ説明しつつ煙草を吹かしていて、ドクター・アオイが顔の血をタオルで拭ったので表情は砕けていた。
「ん? 四人? ミス・トリスタン、アナタ、確か地上に降りたのはアナタだけってそう言ってなかったかしら?」
「そうさ。だからってマギノギオンに誤りがあるとは思わないことだ。つまり、残り三人はいずれ降りてくるって、そういう意味なんだろうさ」
「でも、実際はアナタだけでしょう? どうしてその、マビノギオンという本とマーリンという人のことを信じられるの? その、予言のような能力があるにしても、パーフェクトってのは難しいでしょうに。センリガンとかって能力だとしても」
「お前の言うことは解るよ。私だって最初は信じちゃいなかったさ。しかしな、マギノギオンには私の生まれ育ちが書いてあったし、円卓に呼ばれるまでのこともきっちりかかれてあったし、その後の行動なんかもさ。信じる信じないに関わらず、マギノギオンは唯一の真実だと説明されれば、そうなんだろうと頷くだけさ」
「信仰、というのとは少し違うようね?」
「違うね。まあ、マーリンが何を考えているのかは知らんが、あの胡散臭い爺は思想がかったことを好むだろうから、そういうこともあるかもしれんが、マーリンの千里眼は確かで、あれを扱えるのは円卓でもマーリンだけだからね」
「でも、マーリンというのは円卓のリーダーではなく、アドヴァイザーみたいなもの? 聞いたイメージだと円卓って連中はマーリンって人の指示で動いてるようだけど?」
「マーリンの使う千里眼ってのはな、時間と空間を飛び越えて全てを見通すんだとさ。あの爺は太陽が生まれる瞬間と燃え尽きる様子を見たんだとよ。そんな能力だから、円卓の連中の生死も知っていやがって、お前らがどうなるのかも知ってるって、そういう話さ。疑うにしたってマーリンの言う通りに事が運び続ければ、疑念なんぞ消えちまうだろうよ。だから奴が円卓の頭のようにも見えるが、命令ってんじゃないし、言われた以外のことをしても、戻ってみれば全部ヘルゲストの赤の書に書かれてある。マーリンからは見えないほど遠くでの出来事の全部がだ」
「ほれ、ちょいと黙ってーや。砕けた骨は全部取ったから、そこに人工骨格入れるで? 神経やらは再構成されるから後遺症とかない、便利なもんやねん。その後は人工筋肉な? 半日もあれば、まあ元通りになるやろ。傷はそのうち消えるから安心してええで? 痛むところとかあるか?」
「……ないよ。手間かけてすまないね。お前もこんな奴を治療なんぞしたくないだろうに」
「怪我人に好きも嫌いもないわ。怪我治すんがウチのお仕事やし、アンタもあんま無茶したらあかんで? 事情は知らんけどや」
ドクター・アオイは、ケイジでは外科と心療内科、心理学がメインだと言っていたが、腕前は相当なものだった。機械のように針や注射器を操り、ベッセルで出来た傷口がみるみる元通りになっていった。
「医者、ねえ。私は体をあれこれいじられるのは好きじゃあないんだが、確かに、怪我人は文句なんぞ言わずに医者に従うのがいいんだろうさ」
「そういうことや。お医者さん好きいう人は少ないやろうけど、それでええねん。お医者さんとか軍人さんとかはな? 暇なほうがええねん。アンタが何やっとる人かは知らんけど、こないな怪我するような真似はせんほうがええで?」
「ふふ、そうだな。命に執着なんぞないんだが、まあ、こうやって愉快な海兵と話が出来るのも生きてこそって奴だろうよ。しかし、海兵? お前は面白いが妙な奴だな? 私を治療して、また私がお前を邪魔したら、また半殺しにして治療するのかい?」
くくく、と含み笑いでトリスタンは煙草を揉み消した。マリーが水筒から水を注いで、カップを差し出した。
「おや? お前は確か、黒い車にいた小さいお嬢さんか? 海兵と一緒だったとはね」
「私はマリーよ。アナタ、ミス・サンタクロースじゃなくて、ミス・トリスタン? こんな怪我ってことは……」
「名前なんぞ忘れてくれていいさ。そう、そこの愉快な海兵の返り討ちにあったのさ。どうして留めを刺さないのか、どうして治療してるのかは知らないよ」
「私ね? アナタは、きっと良い人だろうって、そう思うの」
コルトの横にしゃがんだマリーが、真顔でトリスタンを見詰めた。
「それは勘違いって奴さ、小さいお嬢さん。私は全く良い人じゃあない。海兵を殺そうとした、円卓の聖杯騎士さ」
「アナタ、サイキッカー?」
「地球風に言えば、そんな肩書きだね」
「地球を侵略とか、人間を殺すとか?」
「ははは! いや、すまない。そういう趣味はないよ。適当にぶらついて、適当に戦って、帰って寝る、そんなさ」
「リッパーを、殺したいって思ってるの?」
「……さあね。そういう仕掛けを用意はしていたが、結果は見ての通りさ。失敗したやり口を繰り返すような趣味はないしな」
「途中からだから詳しい話は解らないだけど、アナタ、円卓っていう所には戻らないほうがいいって、私はそう思うけど?」
「まあな。こんな無様をランスロウに笑われるのは癪だし、マーリンの奴に何か言われるのも願い下げさ。だが、他に戻る所もないし用事もないしな。あの硬い岩椅子に座って食事でもしてるさ」
「だったら、一緒に来れば?」
マリーの一言に、コルトが卒倒した。
「ヘイヘイ! マリー! グレイハウンドにいたからって、どういう状況だったかくらい、お前でも想像出来るだろう? そこの穴はこのミス・サンタクロースの仕業だし、あそこで棒立ちの三匹はハイブで、それを用意してたのもこのセニョリータだぜ? ミサイルもな。つまりだ」
「怪我をしてる女性、でしょ?」
マリーはドクター・アオイに尋ねた。
「そうやな。どっからどう見ても怪我しとる女の人やわ。名前やら肩書きやらは知らんけど、ウチには怪我人にしか見えんけど?」
「リッパーは?」
マリーに聞かれて、リッパーも唸った。口の煙草を上下させつつ、腕を組んでいた。
「こういう例えが当てはまるかどうかだけど、敵に捕らえられて治療まで受けて、そのまま捕虜になって味方の情報を流すってのは、ちょっとした恥よ? そんな真似して戻ったら軍法会議で絞首刑は間違いないし、その後は逃亡で亡命とか、何かと面倒だし、家族や知人がいればそこにも迷惑だろうし。こういうケースの場合、プライドの高い軍人だと、その……」
「テメーで落とし前つける、つまりな? マリー。捕虜になったらテメーでテメーの頭をぶち抜くんだよ。軍人に限らず、ヒットマンだのアサシンだのはたいていそういうモンだ」
口を挟んだのはドクター・アオイだった。
「死神兄ちゃん、ウチの仕事の邪魔したらあかんて。そないな真似されたらウチのやっとること無意味やん。何で自分から死ぬねん、アホくさい。あのな? 生きとったら色々あるねん。ややこしいことも、面倒なことも。せやけどな、同じくらい楽しいこととかもあるねん。生きてるいうんはそういうもんや。せやからウチみたいなお医者さんがおるねん。死んでもうたらコーヒー飲まれへんしな。ほれ、いちおうの応急処置はこんなもんや。後は輸血で、少し寝たら元通りや」
コルトの言うことも最もだし、ドクター・アオイも同じく。マリーの思い付きは唐突だが、突拍子もないには違いないが、リッパーは不思議と違和感は感じなかった。
「まあ、結論は本人に任せるわ。また戦うってのは正直止めて欲しいけど、それだって自由にすればいいし、仲間のところに戻るもどこかに消えるも任せる。それに、こちらもこう見えて相当に消耗してて、実はまともに歩けないのよ。アオイさん? 続けてで申し訳ないんだけど、そちらが終わったら少し診て貰える? イザナギだけでベッセルを撃ったり、サテライトリンクと臨界駆動を併用したりで、もうヘトヘトなの」
しゃがんでいたリッパーは、そのままフロアに座り込んだ。治療を終えたトリスタンも同じくで、二人はお互いを見詰め合っていた。
「海兵と同じで私も自力では動けないし、煙草だの水だのを貰っておいて、治療まで受けて、やる気なんぞ失せちまったさ。円卓に戻るのも面倒だし、家族なんていやしない。全く、留めを刺されないってのは面倒だな? しかし、この医者の言うことはマーリンの言葉よりは説得力があるな。お前らの好きにすればいいさ。抵抗する気力もありゃしない」
「決まりよね? コルト?」
ぴょん、と跳ねたマリーがやたらと元気に言った。
「オーライだ。リッパーがいいんなら俺はそれに従うさ。ミス・サンタクロースはグラマーな美人だから、物騒な話以外は大歓迎だよ。っつーか、もう勝手にしてくれ。俺の仕事はドクター・アオイの警護とリッパーの監視で、ドクター・エラルドからは前金も頂いてる。仕事の邪魔にならないなら何でもいいよ」
「なあ、死神? ……お前も相当に変わった野郎だが、寝首を欠かれるなんて思わないのかい?」
「そんな元気もないんだろう? やりたきゃ勝手にすりゃいいさ。アンタは美人だから、そういう死に方も悪くないさ」
ははは、とコルトが笑うと、トリスタンも笑った。
「アナタには他にも聞きたいことが山ほどだし、まあ、自由にすればいいわ。妨害なんかは出来れば止めて欲しいけど、強要はしないわ。ただ、別のサイキッカーが出た場合はちょっと面倒よね?」
「ふふふ、それはどうにでもなるさ。言っただろう? 私らは仲良しごっこじゃあないんだ。同じ聖杯騎士が私に剣を向ければ、私はそいつを殺す、簡単な話さね。治療してもらった分くらいは何かしてやってもいいし、海兵、お前とは話が合うしな。この小さいお嬢さんも医者も、死神も嫌いじゃあない。ランスロウの野郎に比べたら可愛いもんさ」
「いちおうだけど、イザナミとイザナギは?」
リッパーは両腕に尋ねた。
「マスターの判断に従います。トリスタン・ペンドラゴンは危険要素ですが、現時点では許容範囲内です」
「俺はどっちでもいいぜ? またやるってんなら今度こそベッセルを撃ち込んでやるし、ファングで串刺しにしてやってもいいが、ミス・マリーの隣でおとなしくしてるんなら、トークしてやってもいいさ」
「ヘイヘイ、右腕さんはともかく、左腕さんがこんなとんでもない話にオーケーとは、意外だな?」
ガンスピンを続けるコルトがぼやくように言った。
「あらゆる全てが情報化出来るとは思いません。予測外要素に対応し、最良の戦術を提供するのが私の役目です。ちなみに傭兵コルト、略称はイザナミです」
「まあ、そういうこと。危なくなったらそれなりに対応すればいいし、サイキッカーだろうが何だろうが怪我人を放置するってのは抵抗あるし、ま、なるようになるわよ。コルトは彼女をグレイハウンドまで運んで。マリー? ちょっと肩貸して貰える? 目がちかちかで頭の中がぐらぐらで、ついでにあちこち痛むの。このボートはクワンティコに進んでるんだし、予定よりは遅れるけど、一休みしたいの。ところで、そこの三匹のハイブはほったらかしでもいいのかしら?」
立ち上がったリッパーがトリスタンに尋ねた。
「私が命令すれば動くが、それ以外ではそのままだから、無視しといていいさ。しかし、妙な話になったもんだね」
「そりゃあこっちの科白だよ、ミス・トリスタン。グレイハウンドのキャビンで横になって、ついでにメシでも食って、まあくつろげばいいさ。そのうち、生きてて良かった、なーんて思い出すこともあるだろうよ。マリーに感謝しな」
「ははは! そうだね。小さいお嬢さん、マリー、だったかい? ありがとうよ」
「いいのよ、ミス・トリスタン。旅ってこういうものだし、頼れるものは頼って、後で恩返しすればいいのよ。私、マルグリット・ビュヒナー、縮めてマリーよ。好きに呼んで」
「私はトリスタンだ。ペンドラゴンってのは捨てちまおう。サンタクロースでもいいしメリークリスマスでも、何でもいいよ」
「そんだけ喋れるんやったら大丈夫やな。ウチはお医者さんのツユクサ・アオイ、の逆の、アオイ・ツユクサや」
「このボートにも部屋くらいあるでしょうけど、いざというときにすぐに動けるように、グレイハウンドに移動しときましょう。今はちょっと飛ばせないけど、ボートがオートパイロットでクワンティコに向かってるようだから、イザナミ? AVTのコントロールを取っておいて」
「了解」
リッパー、コルト、マリー、ドクター・アオイ、そしてトリスタンは空母ブリッジの最上階から、甲板のグレイハウンドに移動した。
時間は既に正午過ぎで、太陽は頭上にあり、空は晴天だった。波が少し荒く、魚が飛び跳ねていた。