800年前の悪女に憑依されたど底辺のわたし、1年後に完璧で幸せな人生をリスタートします!
そして、春が来た。
その日は階段から落とされた。大量のプリントが散らばる。このプリントも、姉の仕事を無理やり押し付けられたやつだったんだけどな……。
昨日は座ろうとした椅子を直前で引かれて。一昨日は運ぶように頼まれた机の両端の裏面に画びょうが貼られていて。たはは……もうあちこちが痛いや。
実家にいた頃も、両親や双子の姉にたくさん虐げられた。寮生活の貴族学校に入学したら、何かが変わるかも……そう思っていたけど、この二年間なんにも変わらなかった。いいように使われて、あちこち痛くて、ひもじくて。こんな生活も今年で最後。家に戻ったら……考えたくもないな。
煤けたようなボサボサの髪や枝のようなガサガサで細い手足と生まれつき魔力がカスしかないから『枯草令嬢』なんて呼ばれている令嬢の中のど底辺。それがわたし、シシリー=トラバスタ。
疲れちゃった。もう起き上がらなくていいや。もう死にたい。
お願いだから死なせて――と、学校の冷たい踊り場の床に背を預けながら、目を閉じようとした時だった。
(だったら、その身体を私に預けてみない?)
少し傲慢な、だけど凛とした女性の声がする。
(一年後、あなたにとって最上の環境と一緒に身体もお返しすると約束する。素敵な恋人と友人は必須よね? あと卒業後の進路はもちろん、優しい家族と潤沢な資産も必要かな?)
この人は何を言っているんだろう?
そんなの、今のわたしにはひとつも持って――
(だから、私がこの一年間で作ってあげるって言ってるの。わたしは夢の学園生活を送ることができる。あなたは一年間ゆっくり静養したのち、完璧な状況から人生リスタートできる。どう? 我ながら悪くない取引だと思うけど?)
嘘か本当か。天使か悪魔か。そんなのどうでもよかった。
なんでもいい。誰でもいいから……こんな私に声をかけてくれたことが嬉しい。
(ほ、ほんとうに……?)
(勿論! それじゃあ、あなたはまずゆっくり休んで。私はとりあえず……あなたを可愛がってくれた者たちへ挨拶しなくちゃ、ね)
すると――わたしが、わたしの意識とは関係なく起き上がった。
まるで神様にでもなったような視点で、わたしは――わたしことシシリー――を見下ろしている。
「あら、私を突き落としたのはあなたたちね?」
正直不気味だった。本当に枯草のようなずたぼろの女生徒が、含み笑いしながら階段を上っていくんだもの。その笑みを向ける先は、階段の上にいる二人の女生徒だ。姉の取り巻き。姉と一緒に、なぜか私のことを玩具にしていいと思っている人たち。
そんな彼女らに、シシリーは笑いながら近づいていく。優美ともいえる所作で、しっかりとした足取りで。落ちた直後で足とか痛くないのかな?
それがやっぱり……彼女たちも怖かったのだろう。
「な、なによ! あんたが勝手にぶつかってきたんでしょ⁉」
その振り払った手が、またシシリーにぶつかった。勢いで再び階段に落ちていくシシリー。うん……亡霊みたいになったわたしは痛くないけど……シシリーは今度こそ痛いよね?
それなのに――またシシリーは立ち上がった。
「ふふっ。痛い! ものすごーく痛いっ!」
そう叫ぶ声はとても嬉しそうで。
痛めたのか、彼女はずっと首を捻ったまま階段を上っていく。笑ったまま、横歩きで。
……一見面白いかと思ったけど、怖い。わたしじゃなくても怖いよ。まわりで見ていた生徒たちも怯えているよ。
わたしを突き落とした取り巻きたちも、「ぎゃーっ」と令嬢らしからぬ悲鳴を上げて逃げていく。そんな彼女たちの背中を見送ってもなお、シシリーは優美に微笑んでいた。
「あら、今の時代の女の子は、ずいぶんと意気地がないね?」
わたしはふと気が付いた。
そういや、この人誰なんだ?
(そういや自己紹介がまだだったね!)
その日の夜。
なんとびっくり。わたしは心の中でこの人とお話しすることができた。
それに驚いていると、その人は苦笑する。
(そりゃできるよ。あなたの心の中に居候させてもらっているような状態だもの)
でも驚くことはそれだけじゃないんだよね……。
だって今日はあの階段事件だけじゃなかったんだもの。
首を痛めたままシシリーが授業に出ようとしたら、わたしが名前を出すのも烏滸がましいレベルの学校トップクラスに有名男子生徒に止められて知り合いになってしまう事件。その男子生徒は神が舞い降りたと言われるレベルの美貌で、かつ超天才的な魔導士というハイスペックも極まる美青年なのだ。わたしなんか視界に入れるのさえとてもとても……。
それでもやっぱり授業に出るシシリー。出たところで、魔力も枯れたわたしが実技に参加できるはずがないのに……。
『あら、私にもやらせてよ。ちょっとあなた、手を貸して?』
あろうことか、その名前の呼べない美青年の手を通じて、誰よりも圧倒的な炎の花を咲かせたのだ。……あぁ、思い返すだけでも胃が痛い。意識だけの今のわたしに胃はないのかもしれないけど。
すると、わたしに憑依している人が嘆息した。
(ほんと度胸以前の問題ね……魔力は体に宿るにしろ、魔法なんてしょせんは想像力。つまり『やってやるぞ』的な度胸の問題なんだから。慣れないうちは見るからにナルシストの魔力を借りて、授業くらいちゃちゃっとこなしちゃおうよ)
(ナルシストって⁉)
わたしなんて三年間同じクラスで名前も呼べないくらいの相手なのに⁉
しかも、その名前の呼べないその人はすでに憧れの王都魔導士研究所に齢十歳で入学した超エリートなのだ。今は施設長からの厳命で学園生活を優先しているんだって。
王都魔導士研究所は貴族から平民まで誰もが憧れる場所。魔法はこの世の基盤であり、無くてはならないものだからね。わたしも魔法は使えなくても、その理論書を読んでいるだけで胸がときめくほど……まぁ、肝心の魔力が枯れているわたしが魔導士研究所に入職するなんて、夢のまた夢なんだけどさ。
まぁ、そんな感じの有名学生の手を借りつつも、教師やクラスメイトを唸らせる結果を出してしまう事件がありまして。しかも名前の呼べない美青年に「面白いね」とお気に入り判定まで受けてしまう始末なのだ。
……終わった。わたしの人生、終わった……。
その名前の呼べない人のこと、姉も大ファンなのに……こんなお近づきになったら、明日からどんな嫌がらせを受けるか……だけど、わたしの身体を使う当の本人はあっけらかんとしたものだった。
(改めて――私の名前はノーラ=ノーズ。どうぞ一年間よろしく)
(へ?)
聞いたことある名前だった。それどころか、とても有名すぎるお名前で……。
(偽名……ですか?)
(いいえ、本物。八百年前に封じられた稀代の悪女。気軽にノーラと呼び捨ててね)
……その名は本の虫のわたしでなくても、三歳のこどもでも知っているのではなかろうか。
〈稀代の悪女〉ノーラ=ノーズは、前文明を滅ぼした魔女の名前である。若くして魔法の才があった彼女は数々の功績をあげていったものの……その才に溺れ、婚約者であった王太子の暗殺や国家転覆を狙っていたという。だけど正義感の強かった王太子の訴えにより、世界が滅ぶ寸前でノーラ=ノーズを捕獲。彼女は永遠に封印され、生まれ変わることも許されないというこの世で一番重い罰を受けた――はずである。ちなみに現在も、彼女を超える魔導士が出たという話は聞いたことがない。
だけど、その名を名乗った彼女は笑った。
(なんか八百年目の今日に封印が中途半端に解けちゃったみたいでね? でも身体は動けないし、もうすぐ……それこそ一年くらいで死にそうだからさ。それまで憧れだった『青春』っていうのを経験してみようかと!)
(ちなみに昼間、痛くて喜んでいたのは……?)
(八百年ぶりの痛覚が懐かしくて♡)
(いやあああああああ!)
わたしは意識だけの存在とて、頭を抱えて悲鳴をあげた。
いや……そんな稀代の悪女様なら、授業でのことや諸々の言動も納得いく気もするけれど。
もちろん、全力で拒否するわたしのことなんて稀代の悪女様はお構いなしだ。
(あと、まだ無理はしなくていいけど、上から見てるんじゃなくて、横に居ることをおすすめするね。私がどういう光景を見ているのか、自分の目で見るといいよ)
(もうやだあああああああ!)
夢の中で絶叫するわたしをよそに、伝説の悪女ノーラ゠ノーズは嬉しそうに微笑んでいる。
だけど、当然朝はやってくる。
「それじゃあ、張り切っていくよ!」
身なりを整えたシシリーに、わたしは驚いた。
だってボサボサだった髪は少し滑らかになって整っているし、服のほつれも直っている。手や膝だって前よりすべすべで、枯草だったのが水を得て復活したような感じだ。前髪なんかばっさり切られて、碧眼が露になっていた。
驚いていると、鏡の前でシシリーが得意げに笑う。
(早起きしてあちこちから材料借りて、色々手を加えたの。八百年前の浅知恵だけど。いつの世も女の子は見た目が肝心でしょ? これでもう『枯草』なんて呼ばせないから!)
恐怖のあまりにわたしが気絶(?)していた間に……彼女はどれだけ苦労したのだろう。身なりを整える材料を貸してくれる相手なんて、わたしにはいないはずなのに。どれだけ頭を下げて。惨めな思いをしてくれたのだろう。この身体のために。
だけど、意気揚々と登校しようとしていたシシリーの前に、やっぱり彼女が立ちはだかった。
「ちょっとあんた、どーいうつもり⁉」
双子の姉、アネリア=トラバスタである。元の見た目はそっくりのはずなのに、彼女には魔力が普通にあって、わたしにはなかった。そのため姉が蝶よ花よと育てられた一方、わたしは踏まれるがままのドアマットのような生活を強いられてきた……そんな物語の中でよくありそうな設定が、わたしたちである。
姉の言うことが絶対――そんな我が家のしきたり通り、アネリアは理不尽を押し付けてくる。
「あたしの許可なくあの方と親しくなるなんて……しかもいきなりオシャレしてもう恋人気取りのつもり? そんなことしていいと思ってるの? お父様に言いつけてやるんだから!」
「どうぞご自由に?」
「……はぁ⁉」
シシリーはアネリアの横を通る。そして、すれ違いざまに一言。
「いい年して父親溺愛なんて愛らしいわね?」
「あんた……覚えておきなさいよ!」
「お姉様は先に私の名前を覚えるべきではなくて? まぁ、嫌でも覚えさせてあげるけど」
「きいいいいい!」
……終わった。わたしの人生、終わった。まぁ、どのみち終わっていた人生だけど。それでも、
「あんた、わたくしの代わりに当番を――」
「どうして? お姉様の仕事を私如きが代わるだなんて烏滸がましい」
「あんた、わたくしの代わりにこの手紙を――」
「どうして? 私の手が触れた汚いお手紙を大切なお相手に渡していいの?」
「あんた、わたくしの代わりにこれを――」
「謝罪ならご自分で。それとも八百年の間に“誠意”の言葉の意味が変わったのかな?」
一週間で、姉は泣いた。
一番のきっかけはあれだろう。シシリーがテストの代筆を断ったからだ。双子であることを利用して、わたしはいつも姉のふりしてテストを受けさせられていたのだ。魔法の実力試験はあれでも、学力だけはこのために昔から良かったわたしである。……まぁ、それも姉の成績になっていたので。ちなみに、その試験時間欠席扱いになっていたわたしはいつも再試験……よって成績の八割でしか評価されていなかったりする。
そして今回、シシリーは姉からの申し出をきっぱりと断ったため。
姉が泣く泣く補講を受けている間に、なぜかシシリーは演劇部に入って古典曲を披露し色んな意味で有名になったり、春の体育祭で大活躍したり、名前の呼べない有名な人にさらに気に入られたりする光景を眺めていると……思わず思うのだ。
青春最後の春が終わろうとしている。
春を象徴する花はとっくに散ってしまったけど、わたしの心はようやく蕾を作り始めたかもしれない……なんて。
そして、夏が来た。
長期休暇中は、わたしを含めてたいていが里帰りするものである。
当然、シシリー(+意識だけのわたし)も双子の姉と実家に戻るわけだ。
「さぁ、お姉さま。素敵なバカンスを楽しもうね?」
同乗した馬車の中で、ずっと震えているアネリアを見ているのはちょっと楽しかった。
だけど、それは家に着くまでだ。
だって家には両親がいる。魔力がない出来損ないだからと、わたしをずっと使用人扱いしてきた人たちが。
しかし家に帰ってすぐ掃除を命じてきた両親にシシリーは言った。
「嫌。」
「ワシの命を拒否するとは……貴様は自分の立場がわかっているのか⁉」
「あなたの血を受け継いだ娘ですが、何か?」
ダメだ……八百年封じられていた悪女、心が強すぎる……‼
どんな雑務を命じられようとも、シシリーは言うことを聞かない。
「だって休暇は休むためにあるものでしょ? 働くためのものではないもの」
しかも食卓に自分の分の食事がないとわかるやいなや……シシリーは父の膝の上に座る始末。
「美味しそうなご馳走ね。ね、パパ? どれから食べさせてくれるの?」
「こ、この戯けが~~‼」
後日から食事は毎食出てくるようになり、父との親子交流……ついでに我が家の不正まで指摘する始末である。これ、来年『シシリー』に戻った時、どうしたらいいんだろう……。
そう悩んでいると、ノーラは言った。
(でも、数字がおかしいことに気が付いたのはあなただよ?)
彼女が小突くのは今年度の帳簿である。ノーラが暇ということで屋敷の探検……ではなく『お手伝い』として頑丈に鍵のついていた部屋の『掃除』をしてあげたら見つけたのだ。不作にも関わらず大量に税を取り立てようと目論んでいるかのように『勘違い』されてしまう、『うっかり計算を間違ってしまった』帳簿が。
なので両親に間違いを『教えて』あげたシシリーは、今から『おつかい』として王都の役人の所に減税申請を申し込みに行くのだ。
(それに近年の正規税率を知っていたのもあなただし、最近こっそり施行されたという不作時臨時減税申請のこともあなたの知識)
そんな嬉しそうに「あなたのおかげ」と連呼されてしまうと、今すぐ引きこもりたくなってしまうのだが……。
(もっと自信を持ちなさい。ここの領民を救ったのは、あなたなんだから)
そう言われて、馬車から見させられた風景は、領民たちが不作ながらにも、懸命に次なる作物の準備をしている姿。子供たちも交ざってわいわいと……なんだかお祭り騒ぎである。
青春最後の夏が終わろうとしている。
馬車の中で蒸されてしまうくらい暑いけど、わたしの心は清々しい空気で気分がいい。
そして、秋が来た。
八百年前には食欲の秋という言葉があったらしく、なぜかシシリーは名前の呼べない人と食い倒れデートなんてしていたけど……わたしもそれを見ているだけじゃダメだったらしい。
ある日、珍しくシシリーが図書館に行ったなぁと思うやいなや、思いがけない人に声をかけたのだ。
「その本、面白いよね?」
「……きみも、この本を読んだことがあるのか?」
「えぇ」
彼はいつも図書館で本を読んでいる生徒だ。隣のクラスのぼっちである。成績はトップクラスながらも見た目の地味さと会話のつまらなさが原因……という噂で、いつも図書館で本ばかり読んでいる人である。家督も男爵家の次男ということだから、婚活狙いで話しかける女生徒もいないらしい。
そんな生徒にも気軽に話しかけちゃうとか、さすがはノーラ――と呆れていた時だった。ふと、わたしの身体に重さが戻る。
あれ? あれれ?
うろたえても、事実は一つ。
(あとは頑張ってね~)
もうノーラ⁉ なんでいきなりわたしに身体を戻したの⁉
「え、あ……」
「なんだ、嘘だったのか?」
「あ、いえ……」
そもそも半年ぶりくらいに身体の主導権が戻ってきまして。
手足を動かす違和感や自分の綺麗になった手足に思わず見惚れてしまいたくなるけど……目の前の男子生徒は待ってくれない。だから、わたしは慌てて口を動かした。
「特に中盤にある詩が好きでこの作者の初期の頃の詩と少しだけ言葉を変えただけのものなのですが作者がどんな人生を送ってきたのかが窺えるというか…………はい」
早口で語りすぎた~~っ‼
あ~、わたしは何マニアックなことを言っているんだろう⁉
この作者の初期の作品なんてすでに絶版していて、知る人ぞ知るっていうか、知っている人なんているのって感じだし。わたしも小さい頃に捨てられそうになっていた詩集をこっそり隠し持っていただけだし!
早く心に帰りたい。ノーラ、お願い。早く代わって……‼
そう目を閉じていると、なぜかわたしは両手を掴まれた。
「そう、そうなんだよな! 作者の死生観というか、もう女なんてうんざりというやけっぱち感が何とも男くさくて……」
「あ、その……」
よろ……こば、れた……?
思わず目をパチパチしていると、彼は慌ててわたしの手を離す。
そして頭を掻きながら、
「いや、いきなりすまない。あまり読書の趣味が合う相手が今までいなかったせいで……つい感動してしまった」
「あの、大丈夫、です……」
むしろこんな汚い手に触れさせて申し訳ない……と思いつつ、自分の手を見下ろせば。
全然ボロボロじゃなかった。多少柔らかくて、すべすべで。
そうだよね、いつもノーラが一生懸命に手入れしてくれているものね。その大切な手を、わたしは胸に抱えていると、心の中のノーラが小突くように告げてくる。
(ほらほら、告白してしまいなさいな)
(色々と早すぎるでしょ……)
(んなことないよ。青春なんて、あっという間なんだから)
それにしたって……わたしはまだこの方に名乗ってすらいないのに。
思わず頬を緩めていると、目の前にまだ男の人がいたのを思い出す。
「あ……笑っちゃってごめんなさい。その……」
図書館に他にいるのは、居眠りしている図書委員のみ。誰も見てない。聞いていない。だったら……いつもの『シシリー』の挙動より全然恥ずかしくない。
えーい、ままよ!
わたしは一世一代の恥だと思って、頭を下げた。
「また、わたしとお話ししてくれませんか⁉」
まぁ、どうせ断られるんだけど。大丈夫。馬鹿にされることなんて慣れている。
全部ノーラのせいにしちゃえばいいんだ。どうせノーラだったら、全部笑って流してくれるもの。てか実際、変に急かしてきたノーラが悪いし。
そう思いっきり責任転嫁していると、頭上からくつくつと笑う声が聞こえた。
「光栄だ。僕みたいな地味な男が、淑女から真っ向に誘ってもらえるなんて想像したこともなかった」
ゆっくりと顔をあげてみれば、彼は少し顔を赤らめながら、小声で告げてくる。
「良ければまた来週ここで会えないだろうか。あの図書委員はいつも寝ているから、多少話しても全く問題ないんだ」
なにそれ。全然知らない情報だけど……ナイショにすることなのかな?
思わず笑ってしまうと、彼も目じりの端にしわを寄せた。
「改めて、僕はローランド=エルガーという。これからどうぞよろしく頼む」
青春最後の秋が終わろうとしている。
風は冷たくなってきたけど、わたしの心はココアを飲んだ後のようにあたたかい。
そして、冬が来た。
卒業までもうすぐだ。残された学内の大きなイベントといえば、卒業パーティーくらいのものだろう。だから卒業生のやることといえば、卒業後の進路を決めて、卒業試験に合格する。そのくらいである。
(それじゃあ、ローランドの坊やに求婚してもらいましょうか!)
(いや待って?)
わたしとて、一応貴族令嬢の端くれ。
なので、嫁に行くという選択肢はノーラが言う通り最適解であるのだが。でもローランドの場合は男爵位。うちよりも下で、しかも次男。いくら両親から疎まれていようと他の使い道を……あ、もう両親とは和解、もとい牛耳った(?)んだっけ?
でもそんな大人の事情は置いておいたとしても、だ。わたしなりに仲良くなったといえばなったけど、手を繋いだ以上の何かがあったわけではないし、婚約なり恋人なりだという話はてんで出たことがない。
なのでわたしが待ったをかけると、ノーラは不満を堂々漏らす。
(それなら、あなたの夢はあるの? 自領を継ぐ?)
(継ぐというか、今まで通り手伝いをするのかなぁ……とは思っていたよね)
それはあくまで書類仕事もする使用人として。家事から領地経営までの雑務を、あの家族のためにしていくのだろうとは思っていた。そして、都合のいいタイミングで政略結婚だ。結納金目当てで偏屈な相手の元に嫁がされるのだろう。そんな未来を思い描いていたのだが。
思わず答えずにいると、ノーラは言う。
(ま、そんなことはさせないけどね?)
(え?)
(それじゃあ行こうね~)
そして強制的にシシリーが向かうのは、王都の魔導研究所である。
「頼もう~♪」
(だから待って⁉)
もちろん心の中からわたしが待ったをかけても、彼女が聞いてくれるはずがない。
そもそもですよ、王都の魔導研究所というのは誰もが憧れる就職先なのでして。実力さえあれば身分を問わず入職することができるエリートで、その施設長は城の宰相にも並ぶ権限を持つほどの大事な国の機関である。それこそ、ここの研究者になるために嫡子という身分を捨てて挑戦する人も少なくないらしい。それほどまでに、王都魔導研究所の正職員という座は名誉なのだ。……もちろん、わたしも含めて。
だけど……だけどわたしは魔力なしの枯草だよ? そんなわたしが入職できるわけがないし……そもそも約束もなしに門までやってきて、入れてくれるはずがないよね⁉
だけど、シシリーが散々散々大暴れするものだから。
無理やり駆り出されてくるのは、彼女の知り合いである。
「……きみはほんと自由だよね? やっぱり俺のこと好きなんでしょ?」
はい……名を呼べないほどに有名な美青年です。彼はここの正職員だから……授業が少なくなった今はもう、正規の職場であるここに滞在する時間も多くなるわけだよね。実際夏休みの時も王都に来たときに鉢合わせして、シシリー……というか、ノーラと色々とあったりしたわけだけど。
「その自惚れだけは尊敬してあげなくはないけど」
正直、わたしから見て相思相愛である。
本人は絶対にそうとは言わないけれど、もう絶対に特別。恋愛に疎いわたしでもわかるレベルで。それでも受け入れないのは……本当にもうすぐノーラが消えてしまうから?
……ねぇ、ノーラ。本当にあなたは消えてしまうの?
……ずっとこのまま、ふたりで仲良く生きていくことはできないのかな?
だけどノーラは今日も、そんな気持ちはおくびも出さない。
わたしのその不安にだけは応えてくれない。
「入職試験を受けたいの。ここは正規の手続きを積まなくても、正規職員の推薦状があればいつでも試験が受けられるんでしょ? 書いてもらえないかな?」
「きみの頼みだったら何枚でも書くけどね……でも、もうすぐ目の前から消えてしまう人を推薦するつもりはないよ。俺の妻の欄にだったら、たとえ一日だけだとしても書くけど」
「それは絶対にお断り」
ノーラは彼に、春が来る前に自分がいなくなることを告げている。もちろん、シシリーという身体に憑依した別人であることも。むしろ、名前を呼べない美青年の方も色々と調べてバレちゃっているし、なんだったらノーラ=ノーズの八百年前の因縁とケリをつけるために助力してくれたのも彼なんだけど……それはまた、別の視点の話になるのだろう。
今は、わたしの話である。
「私のためだけど、私のためじゃないわ。大丈夫、どんな試験でも受けさせるから」
「ふ~ん……」
その言い回しだけで、きっと全てを察したのだろう。
わたしが名前を呼べない人は、小さく笑って踵を返す。
「いいよ、稀代の悪女の推薦だ――紙なんて書かずに、直接施設長に会わせてあげる」
(それじゃあ、あとは頑張ってね)
(……うん!)
わたしとノーラも、もう結構の付き合いだ。何を言っても通じないのは知っている。
彼女にやれと言われたら……やるっきゃない!
そして、まずわたしは簡単な筆記試験を解かされた。簡単といっても、問題の答えが簡単なわけじゃない。問題文はシンプルだけど、魔導の根幹における、まだ解明されていない理論についてだ。それは……悩みながらも、きちんと時間内に自分なりの答えが書けたと思う。
施設長の面接も何とかなった。そりゃあ怖かったけど……わたしは毎日、逃げ場のない心の中で、誰と話してきたって話。〈稀代の悪女〉ノーラ=ノーズより怖い人間なんてそうそういない。
だからあとは……肝心の魔力検査だけ。検査用の水晶を光らせればいいだけ。
いくら知識があっても、上司受けが良くても、肝心の魔力がなければ、魔導研究所で働けるわけがない。だけど――わたしは今まで、魔力検査でずっと魔力なしと言われてきた女だ。
(前にも言ったと思うけど……魔力がない人間なんていない。魔法は、その存在さえ夢見れば、誰にだって使えるモノ)
検査水晶に手を添えたわたしの後ろから、大好きな友人も手を添えてくれる。
(意識だけのわたしに魔力はない。魔力は生きる人間だけのモノ。未来を想像する力そのものが、魔力の根源なのだから)
そう――それは先の試験問題でも問われたことだ。
わたしの回答の要約はこうだ――魔力とは自信である、と。
だから、わたしは今までの思い出を注ぐ。
無茶なことばかりだったけど、どれもこれもノーラは自信たっぷりに乗り越えてきた。
わたしにずっと無くて、ノーラにずっとあったモノ。
そしてノーラが授けてくれたモノ。
すると、目の前の水晶は眩しいくらいに光はじめる。成功だ。試験官の顔を見る必要もないくらいの魔力量である。
「やった……やったよ! ノーラっ‼」
そして、わたしが振り返った時――ぼんやりと、とても美人な少女が微笑んだのが見えた。それがノーラだって、わたしはすぐに気が付いたけど、
(おめで……)
お祝いの言葉の途中で、彼女の姿は消えてしまう。
その後、わたしの意識は二度と心の中だけに閉じこもれなくなった。
わたしの中から稀代の悪女が消えたのだ。
「元気がないな。せっかく同じ魔導研究所の入職が決まったというのに」
「ううん。そんなことない。すごく嬉しいよ」
そして卒業試験も自力で難なく終えて、卒業パーティー。
元から勉強は得意だったし、魔力不足問題も解決したのだ。虐めてくる姉や家族の問題も解決したし、こうしてパーティーをエスコートしてくれる素敵な恋人……候補もできた。
もうシシリー=トラバスタに怖いものはない。
彼女のおかげで本当に全てが手に入った。
わたしは物凄く幸せな状態で、人生のリスタートをきるのだ。
それなのに……わたしの心にぽっかり穴が開いているのは……。
「嘘つき」
彼女が嘘をついたから。
だって、彼女は言ったのだ。
『一年後、あなたにとって最上の環境と一緒に身体もお返しすると約束する。素敵な恋人と友人は必須よね? あと卒業後の進路はもちろん、優しい家族と潤沢な資産も必要かな?』
大嘘つきめ。完璧には足りないじゃないか。
……大切な友人が、いないじゃないか。
何の因果か、シシリー=トラバスタが卒業パーティーの開始の音頭を頼まれている。
あの嘘つき、こんな大舞台の頼まれごとを安易に引き受けちゃって。
どうするの。みんなが求めているのは、わたしじゃない。いつの間にかクラスの……いや、学園中の人気者になったのは、わたしの身体に憑依していたノーラ=ノーズだったのに。わたしにどう後始末をつけろというのか。
だから、わたしはアナウンスに呼ばれて。ずかずかと壇上に向かって。
苛立ちのまま、魔導拡声器にむかって叫んだ時だった。
「ノーラのばかああああああっ!」
キーンッとした音割れが会場に響く。ほとんどの人が耳を塞ぐ中で、わたしは荒い息をしていると……ふと、目に入る。
遠くからでも目立つ美貌の名前も呼べない青年の隣に、誰よりも偉そうに佇む美少女。彼女はわたしを真っすぐに見て、パクパクと口を動かした。
青春最後の冬がもうすぐ終わろうとしている。
この美少女が誰かなのか。どうしてこの場にいるのか。彼女がなんて言ったのか。このあと、わたしがどうしたのか。
それはここで語る話ではないだろう。
だって魔法という奇跡の力は生きる人間の想像力によって生まれるものだと――〈稀代の悪女〉ノーラ=ノーズが教えてくれたのだから。
ただ最低限を語るなら……タイトルは結末を裏切らないってことくらいかな?
【800年前の悪女に憑依されたど底辺のわたし、1年後に完璧で幸せな人生をリスタートします! 完】
最後までお読みいただき誠にありがとうございました!
〈稀代の悪女〉に憑依されたど底辺少女のお話、いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマ登録や、評価(☆☆☆☆☆→★★★★★)していただけるとすごく嬉しいです。ノーラ視点の話を書くかもしれません。
この作品が、あなたの有意義な暇つぶしなれたことを願って
ゆいレギナ
【追記】
大好評につき、連載版を始めました。ノーラ視点のお話です。
『ど底辺令嬢に憑依した800年前の悪女はひっそり青春を楽しんでいる~猫系天才魔術師さま、惚れても無駄よ。1年後に私は消滅してしまうから~(https://ncode.syosetu.com/n9868hy/)』
少し短編とストーリーも変えてまして、2話目に「名前を呼べなかった」イケメンも登場します。
下記にリンクも貼ってありますので、ぜひ読んでみてくださいね。