8.お友だち
9話目、失踪者視点です。
気が付くと、森の中に居た。
どうして此処にいるのか、何をしているのか、はっきりしない。
鬱蒼とした森の中だった。
ヘルメットも無く、直接呼吸する大気は、複雑な匂いを届けてくれる。
行く先の当てもない筈、なのになぜか足取りは、迷い無く獣道すらない森の中を進んでいく。
唐突に森が途切れ、草原が広がっていた。
一瞬前までは永遠に続くように思えた深い森が、一歩踏み出したとたんに草原のとば口に立っている事に気付いた。
草原?どっちかってと原っぱと呼んだ方が良いかもしれない。
百メートルほど先には背後に有るのと同じような鬱蒼とした森がみえる。
その手前に切り立った崖。
二十メートルぐらいの高さかな…ほぼ円形に広がる原っぱの中心部あたりまで張り出した崖は、そこで終わり、ここからはその先までは見通すことが出来ない。
何故か、目的地に辿り着いた、そんな気持ちが歩みを遅らせる。
ゆっくりと原っぱを横切り、慎重に崖のふもとに近づいてみる。
崖のすぐ近くまで草が茂っている。
突然崩れ落ちるなんて心配はあんまりなさそう。
それでも用心して少々離れて歩きだす。
なにごともなく崖の突端辺りまで歩いてくる。
崖に沿って折れる。
最初に目に入ったのは洞窟だった。
直径三mぐらいの馬蹄形をした穴が白い崖に穿たれていた。
視界の隅で何かが光を弾いた。
胸元ほどまで伸びた草むらから亜麻色の髪がのぞき、その下に現れた灰青色の瞳が驚きと好奇の色を湛えている。
「あなた…だぁれ?」
少女が口を開いた。発音は少々子供っぽいけれどほぼ正確な汎用語だ。
どう答えればいいんだろう。一瞬の間躊躇していると、少女は草むらから飛び出して叫ぶ。
「お友達ね!そうでしょう、フォーレの言ってた!」
「お友達…?ちょっとあなた…」
どうなってんだこれ?
近づいてあらためて見ると、少女は意外と年齢がいっているようだった。
といってもせいぜいが十六~七だろうけど。
もっともその表情や話し方から見ると精神年令の方はもうちょっと幼そう。
それにその格好っは一糸まとわぬ素っ裸。
目のやり場に困るわね。
「あたし、ずーっとお姉ちゃんほしかったんだうれしいなァ。お姉ちゃんいくつ?どっからきたの?なまえは?ねえったらァ」
堰を切ったように少女は早口でまくしたてる。
いったいこれは何?…涼子は困惑する。
「ーあなたは誰?何者なの?」
涼子は訊ねる。
頭の中に霞がかかっていてどうにも考えがまとまらない。
何か重要な事を思い出したような気がするのだけど、それがいったい何なのかわからない。
「…なにもの?メイアなにもんじゃないよ」
きょとんとした瞳で涼子を見詰めてそう答える。
「メイアっていうのね。ーあなた、ここに住んでいるの?」
「そーよ、ここに住んでんの。おねーちゃんは?」
メイアは涼子の戸惑いを他所に屈託のない満面の笑顔で話す。
「誰か一緒にいるの?」
何故だろう、この少女だけではない誰か他に大人がいるはずだという気がして涼子はたずねる。
「フォーレと一緒だよ。ねーねーお姉ちゃんどっから来たの?お名前は?ねーったらぁ」
少女はそう言ってすこし焦れた表情を見せる。
「あたしは、涼子。地球から来たの」
「地球!あたしも地球から来たんだよ!」
メイアは跳び跳ねながら叫ぶ。
「…そうみたいね」
何というか、元気だなーこの娘。
歩き疲れたのか、元気娘に当てられたのか、急に疲れを感じる。
「ー座っても良い?」
涼子はメイアに訊ねると草むらの中に腰を落とす。
視界が緑のベールにおおわれ、青臭い匂いに包まれる。
風が心地良い。
首を伸ばし、空を見上げると蒼い空と白い雲。
草いきれの中、涼子はゆっくりと身体を倒す。
こうして緑の中に身を置くと何もかもどうでも良くなってしまう。
「お姉ちゃん?」
草むらからメイアが顔をだす。
いきなり座り込んで呆けてしまった涼子を心配したのか、不思議そうな視線を向けている。
「…なに?」
半眼に閉じかけた瞳を向けて涼子は答える。
「眠いの?」
「ー」
答えを返すことも億劫な位、急速に眠気が涼子を襲ってくる。
「んじゃ、あたしもお昼寝!」
そう言うなりメイアはそのまま地面に転がると、驚いたことに安らかな寝息をたてはじめる。
その寝付きの良さに驚きを覚えながら、涼子も睡魔に呑み込まれてしまう。
蒼空の下、緑の原っぱで二人はただ楕眠を貪る。
満ち足りた、限りなく平和な光景。
世界にはただ二人だけ。
一時間ほど眠ると嘘のように疲れが取れた。
森林浴みたいなものだろうか、身体が軽く感じられる。
でも、だからって何かしなくちゃいけないことが有る訳でもないので、そのまま二人でゴロゴロする。
「ねえ、そのフォーレさんは何処にいるの?」
思い出したように涼子は話しかける。別にどうでも良いんだけど、一応先住者には挨拶しておこうかなって。
「何処って…わかんない」
メイアの答えはそれこそわかんない感じ。
何処かに出掛けてるのかな?で、行き先は知らないって事かな。
「んじゃあ、いつ頃戻ってくるの?」
「戻ってくる?」
メイアの答えはちょっと想定してた範囲から外れてる。
「どっか出掛けたんじゃないの?」
「ー出掛けてないよ」
出掛けてない?んじゃあこの辺に居るのね。それなら。
「ちょっと呼んでくれないかな」
「うんーーフォーレ!」
メイアは寝転んだままで呼び声を上げる。
でも、その音量は原っぱから少し離れたら聞こえないんじゃないかってぐらい。
そんなんでちゃんとフォーレさんに届いてるのかな。
暫く待ってみるが近づく足音も、呼び掛けに答える声もない。
「ー来ない?」
「うんーお姉ちゃんいるからかな」
焦れて尋ねた涼子に思いがけない答えが返る。
警戒されてるのかな?
「フォーレ、恥ずかしがり屋さんだから」
「恥ずかしがり…なの?」
恥ずかしがり屋の能力者だって…ー?能力者?
「うん、いっつも声だけなの」
「一緒に居るって言わなかった?」
さっき確か…
「うん、いつも一緒にいるよ」
メイアはしっかり頷く。
「でも、声だけ?顔見たことは?」
「だって、フォーレってすぐ隠れちゃうんだもん」
涼子の追求が気に障ったのか、メイアはちょっぴり膨れっ面で答える。
隠れちゃうって…どういう事なんだろう。
メイアとフォーレの二人っきりなのに、単なる恥ずかしがり屋さんで済ませる話じゃ無いよな…
「お腹すいたね」
メイアが唐突に話題を変える。
そう言われると涼子も急に空腹を感じる。
「そうだね」
その答えも待たずにメイアは立ち上がり駆け出す。
「こっち!」
メイアの後を追って原っぱのはずれにたどり着く。
数本の樹が疎らに生え、それぞれに沢山の実がぶら下がっている。
色も形も大きさも、皆まちまちで同じ種類とは思えないものが一本の同じ樹から下がっている。
まるで子供が飾ったクリスマスツリー飾りのように節操がない。
「はい」
その中から二つ両手でもぐと一方を涼子へ差し出す。
形はリンゴの様だけど、色はショッキングピンク、そのまま齧り付くと味はイチゴ、食感は何だろう煮崩れたジャガイモ?何ともちぐはぐだがまあ食べられ無い事もない。
「一緒だとおいしいねぇ」
そう言ってメイアが笑う。慣れると旨いのかな?にっこりよりも弛くって、にんまりよりも平和な笑い顔。
ちょっと軽佻浮薄って感じに、にへら~って笑ってる。
おんなじように、にへら~って笑う。
陽気が良いから作業服も適当に脱ぎ捨てて、どうせ女二人だから下着姿でも平気。
下草が素肌にチクチクする感じも素敵。
二人、蒼空の下奇妙で平和な食事を取りながら。
悩みごとも考える事もなく。
日溜まりに二人のんびりと寛いで。
ゆったりと午後の時間が過ぎていく。
「あそこ、上れる?」
「うん」
そろそろ夕刻、傾いた陽に森に囲まれた原っぱが日陰に入った頃、訊ねるとまだ残照を浴びている崖の天辺を見てメイアが簡単に頷いた。
一旦裏の森に入ると少し急な登りをメイアに従って歩く。
森を抜け、狭い崖淵に出る頃にはさらに陽は傾き、大きな紅い太陽と夕焼けが森の梢の先に広がっていた。
その眺めに目を奪われる。
見渡す限り広がる森の上、瑠璃色の空に浮かぶ絹雲を紅く染め上げ、沈み行く太陽が一際大きく見える。
時間を忘れ、放心したようにただ立ち尽くす。
いつしか東の空はすでに夜空に変わり、一番星が光り始める。
現れた星空に追われる様に陽光は絹雲に名残を残しながら消えていく。
その、壮大な一幕の変化にただ魅了される。
やがて大きかった太陽も、その姿を梢の向こうに隠し、森が暗く沈む。
西の空にほんの名残を留め、すでにほぼ全天に星が煌めく。
「暗いなーそっか、月が無いんだ」
満天の星空を見上げながら涼子は呟いた。
「お姉ちゃん、もう行こう」
隣でアクビをしてメイアがいう。
こんな特別で感動の光景も彼女にとっては日常の一幕でしかないのだろう。
「そうだねー」
そう言って振り向いた瞬間、動けなくなった。
星空に比べてすら暗い。
星空を隠していることで森の梢の先端のシルエットは判るものの、足元はおろか目の前に居たはずのメイアの姿も確認できない。
方向を間違えれば崖下に転落してしまう可能性もあった。
「どしたの?」
「あ、いやその」
無意識に伸ばした手を柔らかく暖かい物が掴む。
「こっち」
メイアが手を引いて歩き出す。
迷いも躊躇いも無い進み方に少し驚いて訊ねる。
「ちゃんと見えてるの?」
こんなに暗いのに。
「うん」
メイアの答えは明快で確信に満ちていた。
だから心配するのを止める。
森に入った事すら星明りが消えたことでしか判断できない程の暗闇の中。
会ったばかりの少女に手を引かれるままに斜面を下り、原っぱを抜け洞窟へ戻る。
その夜は久しぶりにゆっくりと眠ることが出来た。
入り口から差し込む朝日に洞窟の中が明るくなる。
普段には考えられない長い睡眠時間に却って頭が働かない。
メイアはまだ眠っているようだが、起き上がると洞窟を抜け出し伸びをする。
昨日メイアに案内されたトイレー原っぱを横切って流れる小さな細流ーへ向かい、朝の儀式をすませる。
上流で顔も洗ってさっぱりして洞窟へ戻るとメイアがようやく起き出すところだった。
メイア戻るのを待って、果実で朝食を摂る。
「地球のお話して」
メイアが果物を頬張りながら突然に言う。
「地球の?」
「うん、メイア小さかったからよく覚えてないの。だからお話して」
無邪気にメイアが言う、けど…
「ごめん、あたしもよく知らないんだ。ずっと月に住んでたの」
そう、地球から来たなんて言ったくせに実は地球へ降りた事が無いのだ。
「月ってどんな所?」
気にした風も無くメイアは会話を進める。
「岩と砂だけ。日向は暑くて日陰は凍えるほど寒いし、人間の住む場所じゃ無いかな」
もちろん住んでいたのは専用の居住施設の中だから暑くも寒くもなかったんだけど。
特別な理由でも無きゃわざわざ住みたいような場所で無いことは確実。
「お姉ちゃん、人間じゃないの?」
喩え話を文字通り受け取ってメイアが訊ねる。
「そうね、」笑みを浮かべて答える。
「そこに住んでたのは能力者ーゴズリンの末裔ばかりだったからね」
数百年前、世界を滅ぼしかけた男。
「まつえー?」
「血を引いてるってこと。要するにそこに居たのは化け物だってこと」
本当に血縁だって訳じゃあない、その男が能力者だった、それだけで世界中で能力者への迫害ー魔女狩りが始まった。
そして地球上で迫害される罪の無い能力者たちを保護するという名目で、月に能力者収容施設が作られた。
だけど、実際はその施設自体が迫害の総本部のようなものだった。
虐めや虐待が在ったわけじゃない、けど社会から隔離し、月という辺境に閉じ込める。
それは迫害以外の何物でもない。
そこにいる間は分からなかった。
イリアが連れ出してくれるまで。
彼女に外の世界を見せてもらい、ジュエルに逢うまで。
「いっぱい?」
そんな思いを他所にメイアが続ける。
「ーいっぱい?」
意味がわからずそのまま鸚鵡返す。
「お友達、いっぱい居た?」
ああ、そういうことか。
「施設にはね仲間が何百人も居たけど、友達はあまり居なかったなぁ」
あの頃はあまり他人と打ち解けない性格だった。
今は違うのかって言われると難しいところだけど、只でさえ神経質な能力者たちの中で、精神感応系の能力ってのは却って自分の殻に閉じ篭らせ、もうひとつの能力も人間不信を強める以外に役に立つものでも無かった。
続きは明日です。
感想お待ちしています。