20.大団円
21話目です。これで最後になります。
東の空にフローラの太陽が昇る。
着陸後七百時間、二十二日目の朝日が昇る。
まだ暗く沈んだ草原の上を風がそよぐ。
その風が、何かを告げる。
ゆっくりと空を振り仰ぐ。
まだ明けぬ暗い空に遠く微かに母船の姿が小さく浮かんでいる。大気圏外に有ってもなんとか肉眼で見えるだけの偉容を誇る巨体。
天空に浮かぶ小さなラッパ。全長二キロメートルの超光速ラムシップ。
地球と私達を結ぶ唯一の船。
一方地表では着々と発進準備を進める調査艇の姿が朝日に浮かび上がる。
身分不相応に巨大なタンクを背負い、ちょっとした小山のよう。
着陸船から外したタンクの中には大量の推進剤が詰め込まれている。
いくら母船を降ろすと言っても所詮は針金細工の恒星間宇宙船、大気圏外縁に触れることなんて出来やしない。
結局は調査艇で引力圏を抜けるしかないので、必然的に大量の推進剤が必要になるらしい。
「涼子何してるの、そろそろ出発するわよ」
イリアが調査艇のドアから呼ぶ。
すでに船外には誰も残っていない。
「わかった」
イリアに続いて調査艇に乗り込みながら話しかける。
「あのね、まだいろいろ微妙な感じなんで、しばらく放っておいてもらえるかな」
「どういうこと?」
「えと、まだフォーレとは交渉中。見てわかるように、ツリーの急成長とかは無いし、ほぼ大丈夫だとは思うけど、まあ、微妙な交渉中なので、しばらくあたしのことは放っておいて欲しいんだ」
「何だかよくわからないけど、調査艇が無事に出発できるのなら、そうするわ」
よし、言質を取った。
これで、多分大丈夫。
調査艇のコントロールルームは普段よりも多い乗務員にごった返していた。
元々五人分の席しかないところに二つ余分にシートを設置して、なんとか七人が乗り込めるようにしてあった。
「質量中和装置始動」
イリアが命じる。
やはり着陸船から引っ張り出し、タンクの間に収まった質量中和装置は思いのほかスムースに起動し、その効果で調査艇の重量が本来の一割程度まで軽減される。
「発進」
アルバートが宣言してスラスターレバーをゆっくり押す。
大量の推進剤を撒き散らして調査艇は空中に浮かび上がる。
スクリーンに写る草原に何の変化も無い。
フォーレは約束通り何も手出しをして来ない。
調査艇は母船に向けて予定した軌道を描き上昇して行く。草原の中に擱坐した着陸船が取り残される。
メインスクリーンの光景が変化する。
地平線が弧を描く。
空が蒼から紺に変わって行く。
対流圏を抜け、調査艇はさらに上昇を続ける。
拍子抜けする位に、何事もなく調査艇は虚空を上昇していく。
既に大陸の形が見え、着陸地点であった岩の台地も小さくなっている。
警戒していたロケット群による追撃もなく。
磁気嵐に計器が狂わされるという事もなく。
急ごしらえのシステムと、安定しない推進器の為に、予定軌道を幾度か修正しながら、なんとか母船とのランデブーに成功する。
本来なら着陸船が収まる広いスペースの隅に調査艇を接近させる。
備え付けられた接続装置や、接合部は着陸船用に設計されている為、調査艇には位置が合わない。
それでもどうにか接舷し、船体の固定を完了する。
「まずは、お疲れ。母船に移りましょ」
イリアはそう言って立ち上がる。
「涼子も、もう大丈夫なんでしょ?」
出発前から半ば眼を閉じて、じっと座席に座っていたが、さすがに母船まで上がってくればもう心配は無い筈。そう思ったのだが、なぜか涼子は動きを見せない。
「どうしたの、何かあったの」
肩を掴んでのぞき込もうとしたその手が空を切る。
手首が座席の背面に当たる。
直前までそこに居た涼子の姿が消えていた。
「・・どういうこと」
突然に振動と共に騒がしい警報音が船内に響き渡る。
「何!」
「ちょい待ちぃ…誰だこんな事しやがったのは」
コンソールを手早く叩きながらアルバートが毒づく。
「強制帰還シーケンスが開始されてる、何だ!艦隊司令命令だと」
一応の所属として軍属になっている為に形式上の艦隊司令命令は船長命令よりも重い。
「そんなバカな!」
遠く地球圏にある艦隊司令からの命令なんて届くはずもない。
だが、母船はゆっくりとフローラの周回軌道を離脱して太陽系への帰還コースへ向かおうとしていた。
イリアは船長権限で中止命令を打ち込むが、当然ながら艦隊司令命令による帰還シーケンスを遂行中のAIはその命令を受け付けようとしない。
「くそ!」
クルー回収後の緊急退避指示があらかじめ出されていたのだ。
誰かが艦隊司令になりすましたということになる。
越権行為であり、完全に違法だった。
誰かなんてわかりきっている。
あのバカ娘にこんな事が出来るなんて!
「タチアナ!何とかできない?」
座席に座ったままぼんやりとしているタチアナに呼び掛ける。
「え、あ…ちょっと、確認させてください」
「…本当に、帰還シーケンスになってる…」
コンソールから次々と画面を呼び出し、仮想スクリーンに取り巻かれながらタチアナが独りごちる。
「ログは…ああ、オペレーションログは流石に消してるな、そこまで馬鹿じゃないってか、でもイベントログは…と、はは、やっぱり取り消されて…トリガーはそのままで、アクションだけ強制帰還シーケンスにすり替えてんのね……やられたなぁ」
「これ、どういう事?何を取り消してるの…その前のログは消えてるけど、あんた何か知ってるの?」
「ええ、まあ、地表への攻撃と母船の降下突入指示があったんですけどね」
「ああ、それなら僕が消しといたよ」
突然にレナーが割り込んでくる。
「涼子に、その相談されて、ーいえ、船長に報告すると大事になるからって言われてーその、すみません」
「強制帰還シーケンス起動命令もあなたが?」
イリアが怒りを押し殺して尋ねる。
「ちがいますよ、ただ攻撃と降下指示を消しただけで後はー」
「えええっと、つまりお前がなりすましで司令権限を設定して何かやらかしたのを涼子が見つけてレナーに取消しさせてから、今度は自分で強制帰還シーケンスを設定したって事か?」
アルバートが聞き返す。
「そゆこと…ですね」
「ーそういう事。じゃあ、いいわ。もう出発しちゃいましょ」
イリアはもううんざりしたように言うと船長席にへたり込む。
「今回の指示に関しては、あたしが最悪の場合を考えて実施していた事にして置く。恣意的で不公正な判断でね」
「ちょっと待ってくれ、涼子の救出は…」
ジュエルが慌てた様に話しかける。
「逃亡者を捕縛して地球で裁判をやりたいっての?」
じろりとジュエルを見てイリアは訊ねる。
「裁判なんてそんな事」
「逃亡に越権行為の退避指令教唆、最初の失踪だってこうなるとマイナスにしかならない。どう庇い立てしたって涼子を無罪放免する訳にはいかないわ」
イリアはジュエルの言葉を待たずに続ける。
「あたしだって頭にきてるのよ、何の相談も無く!目の前にいたら二三発引っ叩いてる処よ」
「物理的にも救助も捕縛も無理だろ」
アルバートが横から指摘する。
「調査艇にタンクを増設すれば地表へ往復する事もできるじゃないか」
ジュエルが反駁する。
「そうじゃない、本気で涼子を連れて戻って来る事ができると思ってるのか?フォーレと涼子が本気で隠れてしまえば俺たちには探す方法なんて無いんだぞ」
「ーだけど…」
二人の言葉にジュエルは反論の手がかりを見つけることが出来ない。
「じゃあ、涼子を見捨てるのか」
うなだれて呟く。そんな事、ジュエルには考えられない事だった。
「違うわ、」
イリアの答えに、わずかな希望を見出すようにジュエルは視線を上げる。
「涼子が、あたしたちを捨てたのよ」
それが、紛れも無い事実だった。
メイアの崖の上に立ち、虚空を見上げていた。
今頃、軌道上では母艦が地球への帰還シーケンスを開始している筈。
もちろん肉眼で見えるわけじゃあない、でもフォーレを通じてそんな高高度の軌道上の気配を感じ取ることが出来た。
調査艇には乗らなかった。
イリアに呼ばれて座席に座ってからすぐに席を立って外に出てしまった。
そこにあるものを見えなくすることができるのだから、そこに居ない人間の姿を見せるのなんてフォーレには造作もないこと。
だから調査艇が飛び立つことに何の心配もなかった。
どぉーーーん
轟音と共に一筋の雲が青空に伸びていく。
音速を超えて落下する物体を先頭に伸びる白い雲は天頂から急速に高度を下げる。
重装甲宇宙服。単独での大気圏突入も可能だと言われるその機体がフローラの大気を切り裂いて急速に降下してくる。
「…まさか」
そんな馬鹿な。
あり得ない。
そんな否定の言葉が浮かぶ。
だけど、赤熱した重装甲宇宙服はもう目視出来る高度に迫っている。
「フォーレ!お願い、受け止めて!」
耐えきれずそう叫んだ時、重装甲宇宙服からドラッグシュートが飛び出し、落下速度を急激に減少させる。
大量のバラシュートに吊り下げられ、重装甲宇宙服がゆっくりと降下を続ける。
中継衛星を回収すると船は軌道を離脱していく。
たった四人になってしまった乗組員を地球に戻すために。
数十年振りに発見された遭難者を地球に帰すために。
船長席に座ってイリアは妙に閑散としたコントロールルームを見渡した。
結局、今回の調査で多くを失った。
三人の乗務員に、着陸船の装備一式全て。
その上、ジュエルのバカは重装甲宇宙服まで持って行った。
まあ、とうにイリアのキャリアはボロボロで、今さら遺失装備品のリストが少しぐらい長くなったからってどうと言うことは無いのだけど。
それよりもジュエルが追ってくれた事が嬉しく喜ばしい事だった。
追いかけなくても、見捨ててしまっても非難することなんて出来ない、でも追ってくれた。それが嬉しかった。
涼子の為に、彼女になにもしてやれなかった自分自身の為に。
「あの二人、アダムとイブになるのかな」
イリアの呟きにアルバートがげんなりとした表情で振り向く。
「止めてくれよ」
そういえば最初に楽園なんて言い出したのはアルバートだったっけ。
くすっ
イリアが笑う。
小さな笑いが段々大きく、激しくなる。
何がツボにハマったのか、涙を滲ませながら笑うイリアを三人の乗務員が怪訝な表情で窺う。
だって、可笑しいじゃない。
船長だなんて言って、結局何も出来なかった。
最後まで涼子に振り回されて。
こうなってみるまで涼子が何を考えていたのか分かりもしないで。
三人の乗務員を犠牲にしてのうのうと帰還するなんて。
まったく、船長失格だわ。
涙を滲ませた笑いが泣き声に変わる前にどうにか感情を押さえ込む。
「さあ、帰りましょう」
目尻の涙を指先で拭いながらイリアは言った。
レーダーコンソールの脇に設えた補助席に座った人形の瞳をした少女を見る。
メイアは今も無表情に座っている。
すがる様にケヴィンの腕をきつく掴むその仕草だけが彼女の心の奥底を覗かせる。
結局、今回の調査の成果と呼べるのは彼女だけだったのかもしれない。
彼女とその不器用な保護者に幸せが訪れますように。
そして、フローラに残った二人にも。
イリアの切なる願いを載せ、巨大な宇宙船は故郷への帰還を開始した。
風が梢を鳴らす。
蒼い空に、白いパラシュートが広がる。
あたしは駆け出す、崖裏を駆け下り、森を抜け、草原を渡り。
じれったいくらいの速さで落下する人影が大きくなっていく。
両の腕を差し伸べる、空を抱くように。
ーそうして、あたしは空に抱かれる。
目の前が一面真っ白になる。
天と地が入れ代わる。
あたしはまどろむ、彼の腕の中で。
幸福な夢を見ながら。
煤けた黄金の髪が指に絡まる。
灰青色の瞳があたしを見詰める。
風が草原を渡る。
二人の髪をなぶりながら。
さざめきが広がる。
草いきれの中に、森の中に。
すべてが森の惑星の幸福な夢と化す。
そして、風が二人を抱き締めた。
FIN
最後までお読みいただきありがとうございました。
感想をお待ちしております。
次回作は近日中に開始予定です。




