19.交渉
20話目です。
ぐしょ濡れのシートの上に間に合わせに隔離シートを敷いて座り、船長用のコンソールに向かっていたイリアの前にタチアナが立っていた。
「何?」
「メイアを残せば安全に脱出できるのではありませんか?」
今晩は皆総出で調査艇の改装に駆り出されていてミーティングは中止になっていた。
「どういう事?」
「このままではまた撃ち落とされるだけではありませんか」
「だからメイアを置いて行けと?」
「ええ、」
「あんな状態の子供を一人で放り出せと、本気で言ってるの?」
「綺麗事を言っている場合では無いと思います」
「ーメイアを放り出すのは、彼女を苛めたことになるんじゃないの?それこそフォーレの怒りを買うんじゃなくて?」
「それではみすみす危険を放置しておくと言うのですか!」
「ー手は打ってるわよ。涼子が今頃フォーレを説得してるはずだから」
「説得!今さら、それもあんな女が!貴女は、どこまでおめでたいのですか!化け物どもが信用出来るとでも思ってるんですか!」
バン!
コンソールを叩きイリアが立ち上がる。
「いい加減にして!」
タチアナが驚いたように身を引く。
「デイビッドの件は事故だって、責任が有るのは涼子でもメイアでもない、このあたしだって言ってるでしょ!」
一気にまくし立てると座り込み息を整えて続ける。
「下らない事ばかり考えてないで仕事に戻りなさい」
コントロームを出るとタチアナは格納庫へ向かった。
緊急離脱の際に無理やりヘリとバギーを詰め込んでいたのが幸いしたのか、不時着時の衝撃でも頑丈なバギーは致命的な破損はなかった。
その代わり、緩衝材にされたヘリは完全に潰れてしまっていた。
外壁の搬入用の二重扉を両方ともに開放するとタチアナは手前の一台に近づく。
そのかなり高い車体によじ上ると、コクピット後ろのエンジンユニットと燃料タンクの間に手を入れて小さなケースを取り出す。
ついでポケットからハンカチ包みを取りだし広げる。
小さく煌めくガラス玉ーエネルギー触媒コアが現れる。
デイビッドからの最後の贈り《ゼン》物。
コアをセットしたケースを元の位置に戻す。
コックピットに潜り込み、エンジンをスタートする。
ゆっくりとアクセルを踏み込むとヘリのフレームの残骸が車体の一部に引っかかって居るのかギリギリと音を立ててバギーが止まってしまう。
ギヤをバックに入れアクセルを踏み込む。
乱暴なアクセル操作に、車体が勢いよく後退してもう一台のバギーにぶつかって派手な音をたてる。
ギアを入れ直してアクセルを踏み込むとと車体は勢い良く飛び出す。
壁面に衝突する既のところでハンドルを切り、エアロックから飛び出す。
傾斜した船体の半ばに開いたエアロックから、バギーが飛び出す。
開いたスロープ代わりの扉の端も地表まで数メートルの高さで止まっている。勢いよく飛び出したバギーはそのまま数メートを飛翔して草原に着地する。
タチアナは夜の草原をバギーで駆ける。不時着の際に着陸船が残した爪痕をたどって。その痕は彼女を森へと導いてくれる。
不意にコクピット前方数メートルの空中に人影が浮かぶ。それがくそ女だと気付くまえにタチアナはアクセルを踏み込んでいた。
衝撃は感じなかったから、衝突しなかったのだろう、撥ね飛ばしてやれなかったのが残念だった。
そう思った次の瞬間、四本のタイヤがロックする。
ハンドルが取られバキーは大きく姿勢を乱す。
大量の草が車軸に絡まっていた。
消しきれない運動エネルギーがロックしたタイヤを引き摺ったままバギーを横滑りさせる。
停止し、大きく揺れた車体のコクピット前方、剥き出しのフレームの上にあいつが降りてくる。
「何しようっての、ええ!」
コクピットのタチアナに罵声を浴びせてくる。
「仇を討つに決まってるでしょ!」
タチアナが叫び返す。
「フォーレがロケットを飛ばしたのでしょ!あいつが彼を殺したのよ!仇を討ったっていいでしょ。一人ぐらいあのひとの仇討ちをしたって!」
「仇?なにくだらない事言ってんの」
くそ女がブーツでコックピットの強化ガラスを蹴り飛ばして喚く。
「くだらないですって!」
「くだらないよ、言ったじゃない!あいつが死んだのはあいつの所為よ、自分の面倒見れない奴は死ぬしかないんだって、あんただってわかってんでしょ」
くそ女は相変わらず自分の事を棚にあげて彼に責任を擦り付けようとする。
「だいたい、仇討ちってなに、森を焼き払う?はん、フォーレはあの森にいるわけじゃない、他の森も、この草原だってみんなフォーレの一部なのよ、あんた、この星全部焼き払う気?そんなことフォーレだって黙ってない、あんた、本気でそんな事を始めたいの?」
「よくも、よくもそんなことが言えたわね!あんたの所為なのに、勝手に居なくなって連絡も寄越さないあんたを、へとへとになるまで探し続けたのよ、そのお陰でロケットを避けられなかったのに!全部あんたの所為、あんたたちの所為よ!」
「自分の面倒も見れない奴がこんな所までのこのこ来るからだよ、あんたもあいつも地球でのうのうと暮らしてりゃ良かったんだよ、あんたたちはそこで普通に平和に暮らせんだから!」
あいつのブーツが再び強化ガラスを蹴る。
「覚悟も無いくせにのこのこ来て甘い事言ってんじゃないわよ」
度重なる打撃にも強化ガラスのコクピットはゆがみもしない。
「開けろって!」
しつこくコクピットを蹴り飛ばすくそ女にむかつく。あーもう、ふざけやがって、思うようにならないくそ車にもむかつく。
「糞!」
思い切り振り上げた両の拳をコックピットのダッシュボードに叩きつける。
途端にコックピットの強化ガラスが跳ね上がる。
振り回されたブーツが、目標を失い、くそ女がバランスを崩して前のめりにコックピットに倒れ込んでくる。
正面に倒れ込んでくるくそ女を避けて右の席側に体を逃がす。
頭から転がり込んできたくそ女が辛うじて伸ばした手をシートバックとサイドパネルに手を伸ばして体を支えようとする。
シュボ。
「わ!…」
慌てて振り向いた視界に白煙を曵いて飛翔する砲弾が写る。
「あ、やっばー」
緊張感の無い声をあげる。
砲弾は夜空に消え、一瞬の後、世界に光が充ち溢れる。
「ー照明弾…」
タチアナが驚いたように囁く。
慌てて小さなナビゲーションスクリーンに兵装画面を呼び出す。
照明弾や曳光弾ばかりだなんて、出発時に確認していなかったことが悔やまれた。
「諦めなよ」
その表情から状況を理解して静かに口を開く。
「武器も無いんじゃ仇討ちもできないでしょ」
タチアナの顔が歪む、両手を振り上げ操作パネルに叩き付ける。
俯いたまま動かない肩が震える。
抑えた嗚咽が漏れる。
遅れてもう一台のバギーに乗ってアルバートがやって来るまで二人は動かなかった。
タチアナは諦めたようにのろのろとバギーを降りる。
コクピット後ろのエンジンに手を伸ばすと何かを取り出す。戻るタチアナの手は硬く握られていた。
そのまま、アルバートの隣に座ると俯いてただ拳を見つめている。
「乗らないのか?」
バギーのコックピットに立ち上がったままのあたしに声を掛ける。
「ーいい、歩いて戻るから」
小一時間くらいかかるかも知れないけど、あんな狭いところにタチアナと一緒に座っているなんてお互いの精神衛生上良くない。
「…」
アルバートは分かったようで、そのまま何も言わずにバギーを着陸船に向けて戻っていく。
ヘッドランプの明かりが小さく消えていく。
月の無いフローラの夜。
二週間前には何も見えなくて動けなくなった。ーけれど、今は大丈夫。
星の灯りと、そして地上には緑の輝きが道を示す。
バギーの走り抜けていった轍の向こうに帰る場所がある。
ゆっくりと歩き出す。
こうして一人星空の下、草原を歩いていると、部屋に篭って、精神を翔ばして居た時よりもずっとすべてが身近に感じられる。
空も、大地も、一本一本の草までもが身近に親密に感じることが出来る。
そして、今はフォーレを感じることが出来る。
いくら探しても見つからず、ようやく見つけることが出来た。
考えてみれば簡単な事。
以前、言った通り、フォーレは「いつも彼女の目の前にあった」のに。
フローラの森、すべての植物の意識集合体。
自分で言っていながらその言葉の意味を全く解っていなかった。
最初から感じていたバックグラウンドノイズ。
植物が発する自然の雑音。
いつも目の前に在ったそれこそがフォーレであり、惑星フローラを包み込む唯一の知的生命体なのだ。
そのノイズにチューニングを合わせ、心を開く。
ーすると世界が一変した。
今も世界はフォーレに包まれている。
黒々と茂る森に、足元で揺らぐ草に、髪を吹き抜ける大気に、そこここにフォーレを見つけられる。
暗闇を見つめる瞳にフォーレの精神が、生命の息吹が写る。
タチアナはどうにか止めることができた。
感情に任せた暴挙は未然に防ぐことができた。
でも、イリアが決断すれば、涼子には止められない。
それに他の皆はタチアナのように喜んで賛成するかもしれない。
うん、どちらかと言えばそちらの方が可能性が高い。
けど、そんな事許すわけには行かない。
七人の人間を帰還させる為に、その為だけに惑星を一つ滅ぼすなんて。
一人の為に七千人を殺すよりももっと酷い。
この美しい星と、そこに生まれた貴重な知性を滅ぼすなんて。
そんな事させてはいけない。
ーでも、だからって皆を此の星に閉じ込めるのも駄目。
皆の人生を、メイアの将来を失わせるわけにはいかない。
ひたすら考え続ける。
フォーレの望み、イリアの望み、みんなの望み、全てを満たす方法を。
「何で行かなかったの?」
バギーが戻ってくるのを傾いた部屋のスクリーンで見ながらイリアが問いかける。
開け放しのドアの影からスクリーンを見ていたジュエルからの答えは無い。
「何日話してない?」
再び発せられた少し異なる問いかけにも答えは返って来ない。
「黙ってちゃ、何も判んないよ。涼子だって心は読めないからね」
振り向くと、すでに誰の姿もない。
子供なんだから。
まあ、子供で居られるうちはそうしていれば良い。
傾いた狭く暗い部屋の中、不時着の衝撃とそれ以前からの主の不在で荒れたままの部屋の中、タチアナはベッドとクローゼットに挟まれた狭い隙間に蹲っていた。
あの朝、慌ただしく出掛けていったまま放置された部屋。
私物と呼べるものは軌道上の母船の中と、倉庫に置かれた空っぽの棺の中に少し有るだけ。
この部屋には支給品の衣類と10日程の記憶ぐらいしか無い。
まともな武装もないバギーで向かっても結局何もできなかった。
相手はそこに見える森なんかではなく、この星の全植物だと、そんなものどうやって滅ぼせばいいんだろう。
この船に積まれたミサイルを打ち尽くしたって地方都市を壊滅させるのが精々。
星を丸ごと滅ぼすことなんて出来やしない。
ゴズリンが核兵器を使っても人類は滅びやしなかった。
まあ、瀕死にはなったんだけど…そうか、滅ぼせなくたって少しぐらいは痛い目にあわせてやれるかもしれない…でも、ううんそう、みんな同罪なんだから。
そうだ、うん、それが良い。
そうね、デイビッド。
私に、できるかしら…
貴方の、 仇討ち、
彼女はゆっくりと立ち上がると部屋を出た。
疲れた。
休み休み歩いたせいもあるけど、二時間以上かかってしまった。
緑の輝きの中に黒々とした塊が鎮座している。
擱座してしまった着陸艇と、調整のために引っ張り出され、草原におかれた二艇の調査艇。片方は部品取り用になるらしい。
その調査艇に誰かが入っていく姿が見えた。
細身の後ろ姿。
そっと、そのあとから探査艇に忍び込む。
この小さな船の中で行き先なんてそう選択肢は無い。
耳を澄ませば、ほら不用心に動き回る音が聞こえる。
音を追って、探査艇の操縦室にそっと入る。
足音を立てないように。
誰にも見つからないように。
こちらに背を向けて何やらコンソールに向かっている誰かさんの背後を抜けて音もなく二階へ駆け上がる。
操縦席のコンソールに向かいタチアナが一心不乱にコマンドを叩いている。あたしには何をしているのか皆目見当もつかないけれど、その鬼気迫る様子に少しだけ気圧される。
しばらくすると、タチアナはコンソールをそのままに操縦席を後にする。
後方の頭上から覗き見ている視線に気づくこともなく。
少し待ってから操縦席に降りる。
コンソールに映る画面を眺めてみても何がどうなっているのか皆目見当もつかない。
でも、
なんだか、放っておくと拙い気がするんだよねー
さて、どうしよう・・・
明日で最終回です。




