18.出発
19話目です。
ラウンジの扉を抜けると普段と違う雰囲気に気づく。
「なに、どうかしたの」
「ああ、涼子。ちょとこれを見て」
イリアが手招きする。
ラウンジを横切り壁面のスクリーンを見る。
昨日まで一面の草原だった所に、数本の若木が出現していた。
着陸船の着陸している岩盤の端から十数m離れた地点にまとまって生えている。
その若木の一本一本にあの果実ーマナが不揃いな色と形で生っている。
その若木たちが微かに動いていることに不意に気づく。
まるで微速度撮影で撮られた映画でも見るみたいに見る間に成長を続けていく。
と同時に周囲の草むらかさらに数本の若木が伸びてくる。
それも同様に、とても植物の成長速度とは思えない早さで。
「すっごい」
思わず声をあげる。これはけっこうな見物よね。
「何なのあれ」
イリアに聞いてみる。まあ、まともな答が返ってくると思ってる訳じゃ無いけど。
「それが解るくらいなら苦労しないわよ」
予想に違わずイリアは途方に暮れたように言う。
「ふーん。ねえ、いつ頃から始まったの」
「二時間ぐらい前ね、そのときはまだ木は一本しか生えていなかったそうよ」
ふーん。あ、まだ駄目だ頭が起きてないみたい。
しっかし、すごいよね。
ほんのさっきまで若木でしかなかった中心の幾本かはすでに相当に年輪を重ねた樹齢数十年って風の立派な木へと変わっている。
ものすごいパワーだ。
どれだけのエネルギーを投入すればあんな事が出来るのだろう。
ほんと脱帽しちゃうわ。
成長を続ける若木は、以前森の中で見たものとほとんど変わらない、たぶん同じ種類のものなんだろう。
「んー、たとえばさ、この木の成長速度ってもともとこの位なのかもしれないとかさ」
いい加減なことを言ってるなー。
自分でもこれっぽっちも信じてないくせに。
「森の中でもあの位まで成長した木を何本か見たがね、これ程成長が早いような様子は無かったな」
まあ、そうだよね。
メイアの居たあたりにも沢山生えてたけど、こんな微速度撮影なんて見れなかったよね。
「そっか、じゃあねー・・・」
スクリーンの中で、木々は更に成長を続ける。
いったいいつまで、どこまで伸び続けるんだろう。
このまま伸び続ければ、あっという間に成木の高さに達してしまうだろう。
それとも、それすら越えて伸び続けるんだろうか、どこまでも。
不意に一つの可能性に気づき、コンソールに向かう。
正面のスクリーンの映像が着陸船を斜め上から見た映像に変わる。
岩盤の周囲の草原では、どこも同じように急激に森が形成されようとしている。
かつては草原に浮かぶ島のように見えた一枚岩の大地が、周囲を成長する森に囲まれたカルデラ火口のようになりつつあった。
見守る内に森は更に成長を続けて行く。
「イリア、これ予想推移出せる?」
何も言わず、空けたコンソールに着くと、よく解らないややこしい命令を立て続けに打ち込んで行く。
待つ程もなくスクリーンの表示が変わり、まだ森に囲まれる前の台地と着陸船が写る。
右上に大きく相対時間が表示される。
現在マイナス三時間。
表示時間がゼロに近づいていくにつれ、周囲に小さな森が形成されていく。
現在時刻を過ぎ、経過時間が大きくなるのに伴い岩盤の周囲の森も大きくなっていく。
草原が消え、森がそれにとって変わる。
だが、それ以外には取り立てて変化は無い。
「違う。イリア、成長限界の設定はいらない、無限でやって」
予想外の結果に一瞬、目を疑い、それから誤りに気づく。
イリアは森を構成する木の成長限界をこれまでに調査してきた森のそれにしてしまったんだ。
再びコンソールに向かい指示を与える。
先刻と同じようにシュミレーション画面の表示が始まる。
だが、そこに表示された森は、先程までのそれと違い、一定の高さ迄成長をしてからも更に上へと伸び続ける。
やがて成長を続けた木々は、伸ばした枝葉により岩盤の上に天然の天蓋を作り上げる。
非常識な成長を続ける枝葉により密度を上げていく緑の天蓋はまるで着陸船が大空へと飛び立たぬように入れられた檻のよう。
「なんだよ、これ」
ジュエルが声を上げる。
イリアは更に指示を打ち込み、着陸船が脱出できなくなるほどに森が密度を増してくるまでの時間を問い合わせる。
スクリーンの右隅に表示された経過時刻は十二時間。
つまり、それは現在時刻から十二時間後には着陸船の離陸成功確率が九十パーセントを割り込むことを示していた。
「ー成る程。これは面白いわね」
やはりフォーレはメイアを放り出したのでは無かったらしい。
新参の群に預けて様子でも見ていたのだろう。
そのまま新しい群もフローラに定住すると考えて。
でも、群はこの星を出て行こうとしている。
それもメイアまで一緒に。
だからフォーレは実力行使に出たって訳ね。
「面白いですむ話ならいいんだけど」
イリアは憮然として答える。
「アルバート、このでか物を飛び立たせるのに何時間必要?」
「飛び立つだけなら直ぐにでも出来るが、軌道まで上げるんなら十時間は欲しいな」
すでに別のコンソールから状況を問い合わせていたアルバートが答える。
「まあ、主反応炉の再点検に二時間。プロペラントの再充填には三時間ぐらいかかるが、平行して進めて、四時間強あれば何とか出来ると思うがね」
「すぐに始めて。全員で。出来る限り早くこの星を離れるわよ」
イリアは標準手順を無視してでも撤退を優先することにした。
彼女にしては驚くべき決断だった。
ジェネレーターの発する超低音の振動が船体を揺さぶっている。
「システムオールグリーン。出力上昇中」
「付近に飛行中の物体無し。上空進路オールクリア」
離床チェックもようやく終わろうとしている。
着陸時に展開した早期警戒システムはなんとか回収したけど、森の中に仕掛けた小型レーダー網などは結局そのまま放置、バギーや小型ヘリも洗浄しないで格納庫適当にほうりこんだで燃料も抜かずに、エネルギー触媒をはずして固定するという最低限の安全性を確保するぐらいしか出来なかった。
で、大急ぎ着陸船は惑星フローラを離れようとしていた。
周囲の森の成長速度は、イリアの作成したシュミレーションのそれを上回り、脱出可能限界時間を予想より四時間も早めていた。
アルバートがイリアを振り返る。
かすかにうなずく彼女に軽く眉を上げ、おどけた表情を見せ、スロットルレバーを押し込んだ。
わずかの揺れもなく着陸船は上昇していく。
メインスクリーンの風景が微妙に変わっていく事で辛うじて船が動いていることが分かる。
そうでなければ故障でもしたのかと思ってしまうぐらいスムーズな発進。
船は静かに上昇を続ける。
船の高度が森の梢を越える。
視界が開け、シュミレーション画面で予想していた光景が広がる。
周囲の草原はほとんど消え失せ、森へと変わっていた。
だが、岩盤周辺部が最も木の高さが高く、周辺部に行くにしがたい低くなっているだろうという予想を裏切る光景であった。
岩盤周辺部の梢の頂を越えた着陸船のスクリーンに、さらにその周りに、威嚇するように空を睨み、そびえる巨木の姿が写し出される。
それはいまだこの星で見たことの無い大きさのものだった。
それでも何事もなく船は上昇を続け、スクリーンに写る風景は、すでにかなりの高度からのものになっていた。
かすかな振動とメカニカルノイズだけがコントロールルームを満たしていた。
「飛行物体接近」
レナーの声が響き渡る。
着陸船を追い掛けて数十本、いや百以上のロケットツリーが急上昇してくるのがスクリーン上に模式図として写っていた。
「対Gシート作動しろ、まくるぞ!」
アルバートが吠える。
慌ててメイアのシートを作動させ、次いで自分のシートに手をかけた瞬間、アルバートがフルスロットルをかけた。
過激なGにシートにたたきつけられ、呼吸が苦しくなる。
辛うじて伸ばした指先でレバーを倒し、シートを作動させる。緩衝液入りのバブルが膨らみいくらか楽になる。
「くそ!振り切れん」
アルバートが苦しそうに漏らす。
旧式な固形燃料ロケットに追いかけられるなど、本来有り得ない事だった。
「来ます!」
レナーの声。
次に叫んだのが誰だったにせよ、その声を聞くことは出来なかった。
船体が激しく揺れた。
ベルトを締めていなかったのでシートから放り出され床の上に転がる。
起き上がろうとして、意外に身体が軽いことに気付く。
推力が落ちている、そう思った時、再び船体が揺れた。
慌ててシートに戻る。
コンソールの上で赤くウォーニングがまたたき、警報が甲高い悲鳴を上げている。
「尾部バランサー破損、右舷推進剤タンク被弾」
「さらにロケット接近中!」
船が横滑りする。ロケットを避けようとかなり強引に振り回している。
一段と激しい爆発音とともに船体が跳ね上がる。
コンソールに示された船体の三面図の後ろ半分が真っ赤に染まっている。
後部の噴射口に直撃を受けたらしい。
「質量中和装置出力低下!推力が足りません、落ちます!」
タチアナが悲鳴を上げ、それに重なるようにイリアの指示が聞こえる。
「森の中に降ろして!多少はクッションになるわ!」
スクリーンの中で地表が恐ろしい程の速さで近付いてくる。
アルバートとジュエルは気違いじみた努力で船をコントロールしていた。
あたしは後ろ半分真っ赤に染まった三面図を睨み自分の馬鹿さ加減を呪っていた。
「全員、対ショック防御。落ちるぞ!」
アルバートが叫ぶと同時に最大推力で制動をかける。
だが、それでも降下速度はほとんど変化を見せない。
推進器の半分以上を失った上、船体が回転しないようにバランスをとるためは残りも半分程度しか使えない。
重力に直接引かれる状態の着陸船では四分の一の推力などものの役にたちはしない。
このままの速度では地表に激突、大破してしまう。
そう思った瞬間、未知の力が着陸船の船体を下から押し上げた。
急激に降下速度が減少し、墜落から辛うじて不時着と呼べる程度の速度へと変わる。
落下した着陸船は森を引き裂き蹂躙し深い爪痕を残しながら滑り続ける。
空を向いていたメインスクリーンが一転して木々を映し出す。
船体の尾部が硬い岩にぶつかりその反動で船首がもろに森の中に突っ込む。
着陸船は、そのまま大地を抉りながら滑り続ける。
森を抜け、草原をさらに数百メートル滑り、船首を土砂に埋めた状態でようやく停止した。
コントロールルームは惨憺たる有り様になっていた。
衝撃で対Gシートのバブルの殆どが破裂し、コントロールルームの床に粘度の高い緩衝液が流れ落ちていた。
船首を土砂に埋め、前傾姿勢で停止した着陸船の床は大きく前方に傾斜している為、徐々に最前列のパイロットコンソール下に大きな緩衝液溜まりを作り始めている。
床面は言うに及ばず、乗組員も頭から爪先まで緩衝液でべちゃべちゃ。
イリアの金髪だって酷いもの。
髪の毛やブーツのなか、果ては下着までぐちょぐちょ。
もっとも、そのお陰で身体はどこも壊れてないんだけれどね。
粘性の高い緩衝液に多い尽くされた滑りやすい床を警戒しながら、シートから抜け出す。
イリアはまだシートにしがみついたままコンソールをいじくりまわしている。
前傾姿勢でもずり落ちないのは律儀に締めたシートベルトのお蔭。
ともすれば垂れ下がって邪魔になる緩衝液まみれの金髪を手荒にオールバックにしてコンソールをのぞき込んでいる。
レナーはメイアに手を貸して足元に注意しながらコントロールルームから出て行こうとしている。
摩擦〇って訳でも無いけど油断すれば転倒したり傾斜を滑って怪我しかねないからね。
アルバートが斜めになった通路を足下に注意しながら入ってきた。
「こいつは、おしゃかだな」
「駄目かい?」
と、ジュエルが緩衝液溜まりから抜け出しながら訊ねる。
「駄目だね、造り直したほうが早いぜ」
二人のやり取りを憂欝そうに聞いていたイリアがようやくベルトを外してシートから滑り降りる。
「それで、方針は?」
「こいつを直すには最低三週間は必要だ。調査艇なら三十時間でなんとかなる。まあどっちにしろ母船を大気圏すれすれ迄降ろすとしての話だがね」
「攻撃してくる相手がいるってのに船を降ろすですって?」
イリアが気色ばむ。
「調査艇を今の母船の軌道まで上げるだけの推進材は残ってない。今から充填するにしてもプラントも破損してる、修理も必要だ。そうしたって、攻撃を受けないって保証は無い」
「…分かった。いいわ、その線でやってちょうだい」
しばらく考えてからイリアは決断した。
アルバートがタチアナを呼び、ジュエルも一緒に連れてコントロールルームから出ていく。
その姿を見送ってこちらを振り返る。
「で、涼子にはちょっと、やって貰いたい事が有るんだけど」
「あたしに出来ることなら」
慎重に答える。
「出来る出来ないじゃないの、やるのよ。それがあんたの仕事」
そんな逡巡を力一杯吹き飛ばすようにイリアは続ける。
「三十時間よ、それだけあげる。出発までにフォーレとやらの説得をして来なさい」
「説得って、コンタクトすら出来ていないのに」
「それでも、やらなきゃならないのよ」
「出来なかったら?」
一応聞いてみる。
「…判ってるでしょ」
イリアはそれだけ答えるとくるりと踵を返し涼子一人を残してコントロールルームを出ていった。
「最…悪…」
さわさわさわ。
風が草原の上を渡っていく。
森から外れポツンと一本だけ生えた陳ねこびた樹の根元に腰を下ろす。
風にそよぐ草と枝のざわめき以外に聞こえる音もなく、背中に当たるごつごつとした樹皮に頭を預ける。
フォーレ…そおぅと呼び掛けてみる。
フォーレ、貴方に話したい事があるの。
フォーレ、フォ…レ…
身体の力を抜き精神を解き放つ。
大地を、この星を抱き締めるように、覆い尽くすように広がっていく。
森を抜け、草原を川を湿原を覆い尽くし、更に広がる。
拡散した意識の中で自然と一体化した歓喜にうち震える。
ーやがて、ようやく、ついに、フォーレを見つけることができた。
続きは明日です。




