earth-7 戦線拡大
日本とロシアとの間で発生した軍事的衝突から1週間が経過した。当初、ロシア側は空海自衛隊の攻撃を掻い潜りある程度の損害を想定しての大規模上陸を計画していたが航空自衛隊と海上自衛隊の圧倒的な攻撃力により多少の被害は被ったものの抑止することに成功した。ロシア軍に稚内地方を制圧されたもののそれはすべて北部方面隊の想定通りであった。
北部方面隊側はロシア軍部隊を上陸させ、油断している隙に襲撃する作戦を編み出していた。そのため稚内市内の至るところに監視カメラと起動型爆弾が設置されており警戒しようにも遠隔操作であるため回避することができない状況となっており、ロシア軍は自衛隊に苦しめられている。一部のロシア兵は不満を募らせていた。
「どういうことなんだ一体・・・日本軍は弱いはずと聞かされていたが強いじゃないか!信じていた俺はバカだったのか?・・・」
どこから来るか分からない起爆にロシア兵のやる気は落ちていた。しかし、上陸部隊長のレーキ・マルアーは士気が落ちかけている部隊全員に怒鳴った。
「総員!誰が座ってよいと言った!立ち上がれ!例え苦しい展開が続こうとも今だけだ!我が軍より最強だ!さぁ!立ち上がれ!戦え!」
「りょ・・・了解です・・・」
今のレーキ上陸部隊長の発言でさらにやる気が落ちたようだ。それもそのはず、至るところに爆弾が仕掛けられておりこの4日間で400人のロシア兵士が自衛隊と直接交戦せず死亡した。ロシア軍側は量では勝っていたが自衛隊は質と作戦勝ちであった。
また、ロシア政府は核兵器の使用も検討されていたが国際連合の圧力により使用が中止された。また、カムチャッカ半島側から自衛隊・イギリス軍・フランス軍・オーストラリア軍が上陸作戦を展開し20日19:00、上陸が完了した。今後、海軍拠点を増設し作戦をスムーズに展開できるように整備していく。
4月23日時点での朝鮮半島情勢は悪化しており北朝鮮軍がソウルへ向けて化学兵器を発射しNATO軍隊員含めて多数の犠牲者を出してしまう事態となった。しかし、すでに元山はNATO側の手中にあるため北朝鮮側は時間の問題である。朝鮮半島有事が始まって早1ヶ月、膠着状態が続いており北朝鮮側の意地ある抵抗により国境は動いたり元に戻ったりしている。
そして中国・台湾方面に関しては自衛隊やフィリピン軍、NATO軍の後方支援により福建省を4月20日に完全制圧した。また、上海周辺の制空権掌握に関してはNATO軍による中国空軍基地爆撃が提案され、5月1日から開始される。
さらに、東アジア地域のみでしか戦闘が起きていなかった他、米国消失やNATO軍の極東方面への軍を集中させてしまっていたため中東・南米方面が手薄な状態となっていた。そのためアメリカによって成り立っていた中東地域の安全保障環境は一瞬にして破滅を迎えた。中東情勢の構図としては集団対集団ではなく一国対一国の潰し合いが始まってしまった。一方の中南米ではメキシコとカナダ、アルゼンチンとチリの両国が宣戦布告し極東から始まった戦争は世界へと広がった。
アフリカに関しては各国中立を保っており、永久の武装中立を貫いているスイスと協調路線をとる方針である。そのためNATO軍はアフリカは様子見にすると発表した。しかし、軍事力のある南アフリカ共和国は周辺国へ圧力をかけていることに国連は危惧している。
それから数日の5月4日。この11日間で各地の戦線は膠着状態となった。朝鮮半島も中国も稚内方面のロシア軍部隊は更に劣勢の状況へと立たされることになる。
5月4日12:30 北海道・音威子府村
「ロシア軍の接近を確認した!総員、速やかに戦闘配置につき次第目標の接近を待て。接近する敵に対しては容赦なく射撃せよ!」
「了解!」
稚内市から音威子府村に在住する民間人に対しては避難が完全に完了しているため人質・捕虜が発生することはない。また、道中各地に爆弾を設置しロシア軍の進軍を妨害するという作戦内容を避難前に住民に生活地域の確保や戦後の生活支援を伝達し住民から了承を得た。
ロシア軍の音威子府村接近の情報を受けて第25・26普通科連隊は戦闘準備に入り、いかなる時でも射撃できる体制を整えた。
「どこからでも来やがれ・・・ロシア軍め・・・自衛隊の力を思い知ったか!」
すると第25普通科連隊長の葉山が両連隊に対して射撃命令を下した。
「総員!目標を確認!射撃開始!撃ちまくれ!」
命令により第25・26普通科連隊は接近中のロシア軍に対して追い討ちをかけるかのごとく一斉射撃を開始した。すでにロシア軍は設置型や起爆型の爆弾に翻弄されロシア軍の戦力は5000以下となっており撤退や全滅の可能性だってあり得る。
「我々の作戦は成功したようだ。これよりロシア軍を殲滅し北海道から排除する!」
稚内上陸から約2週間、ロシア軍の北海道上陸部隊は自衛隊の作戦に翻弄され音威子府村での戦闘はわずか2日で終了した。また、捕虜も200人獲得しロシア軍側との交渉材料となるに違いない。しかしまだ稚内市内には複数のロシア軍が警備しているためまだ北海道北部の奪還はまだ終わらない。




