9-111 東京講話会議
9月12日から始まった捕虜返還は10月1日の東京講話会議前まで行われた。ボルドー軍が開戦時の3月30日からアスキー指導の正式なボルドー国の降伏までに10万人規模の捕虜が確認されたため帰国にかなりの時間を要することになった。しかし、各国の空軍基地や民間空港の協力もあり捕虜の帰還は滞りなく終了した。しかし、一部の捕虜の中にはPTSDになってしまった者もいるため問題ない隊員にもカウンセリング等を実施し最大級の支援を大島総理は指示した。
そして10月2日、東京の国会議事堂にて講話会議が開催された。国会議事堂で講話会議が開催される理由としては国際同盟が候補に上げた都市がボルドー国によって破壊され、使用不可能な状況であったため日本政府は国会での開催を提案し承認されたのである。首相官邸も候補に上がっていたが以前のミサイル攻撃により一部が損壊してしまったため開催候補地とはならなかった。
同日13:00 国会議事堂
「これより東京講話会議を開催する。我々国際同盟とボルドー国との間で開始された戦争は多大な犠牲を払いながらもボルドー国側の降伏により終了しました。昨年の世界戦争以降、各地で発生した戦争を食い止めることが出来なかったことに大変責任を感じています。講話会議終了後、国際同盟とボルドー国の解体を宣言します」
ボルドー国の国家解体は事前に知らされていたが国際同盟の組織再解体も決定した。世界戦争後、新国際同盟として改編・設立を行ったもののアコースティと日米との間での戦争、今回のボルドー国との間で始まった戦争を阻止できなかったため国際同盟全体の解体を同盟の事務局長のレガートは宣言した。
「さて、本題に入らせていただきます。本日2028年10月2日を持ちましてボルドー国の国家解体を正式に行われます。また、賠償金・軍事裁判の日程などに関しましては後程議論いたしますので少々お待ちください。そしてボルドー国の国家解体後は日本国とバンジ共和国が直接統治、アメリカ合衆国、グレーシス共和国他以下13ヶ国は治安維持を目的とした軍の駐屯を承認します」
ボルドー国の国家の解体等が正式に決定し、199年間のボルドー国の歴史は幕を閉じることになった。しかし、賠償金未払いであるため日本統治下の旧ボルドー国自治区にて賠償金を払うことになり、全額支払われたら自治区は消滅する。
その後、各国政府の演説が行われ、米国大統領のベッセマーや日本国総理大臣の大島は戦後の恒久平和を目的とした新世界秩序の構築を宣言した。両首相の宣言内容としてはG7を主体としする新たな組織を作ることが決められた。G7が構想する組織が作られれば戦争を企む国は迂闊に動くことは出来なくなるためかなりの抑止力になるに違いない。
「それでは賠償金、戦争裁判の日程、領土割譲などを組み込んだ平和条約を締結したいと思います」
事務局長は【東京平和条約】と書かれた文書の内容確認と調印を求めた。【東京平和条約】には以下の内容が記されている。また、アスキー指導らの処分が決まる軍事裁判の日程なども盛り込まれた。
【東京平和条約】
●本条約は2028年10月2日付で公布・調印され、先の戦争における反省を生かして平和的行動をしていかなければならない。そして国際同盟とボルドー国の戦闘をこの日を持って戦闘を停止しいかなる自衛戦闘を許さない。
●公布日 国暦2028年10月2日
●場所 日本国・東京・国会議事堂
●ボルドー国の処遇
・ボルドー国軍は2029年12月31日までに軍の武装解除を完全に実行しなければならない
・ボルドー国は全ての交戦国に10万ボルド(日本円で10兆円)を支払わなければならない
・ボルドー国は2028年10月2日で国家運営を終了する
・日本国とバンジ共和国はボルドー国から領土を割譲されるが現地の民間人に対して暴行・虐待などの非人道的行為をしてはいけない。該当した場合、当事者を厳重に罰する
●有効期間 無期限
●軍事裁判に関して
・国際軍事裁判 日程
A日程 10月14日~10月20日 B日程 11月1日~11月10日
C日程 11月17日~11月23日 D日程 11月30日~12月7日
E日程 12月18日~12月28日 F日程 1月10日~1月14日
予備日 10月25日 11月15日 12月13日 1月18日
・対象者 ボルドー国政府関係者 ボルドー軍最高幹部 計1300名
公職追放者 計120万人
という内容となっている。内容確認後、各国の代表は順番に調印していき【東京平和条約】が公布された。講話会議は7時間で終了し、大島総理はアスキー元指導と談笑した
「総理、この度は貴国らに多くの迷惑をかけたこと深くお詫び申し上げます。許されないのは重々承知ではありますが私ができる最大限の誠意であると思っていただけたら幸いです。それと・・・恩着せがましいですが総理に頼みがあります」
「何かな?」
「国民をお願いします。私が指導していたときは今振り返ってみると無謀で自分がいかに愚かな所業をしてきたか映像を見て実感いたしました。罪が重くなるのは当然です。私はどんな判決でも受け止めます。最後までよろしくお願いします」
「分かった。まずはボルドー国の最後を見届けるとともに我が国はボルドー国の地を発展させるとしよう。まずは取り敢えず最高指導職ご苦労であった。今はゆっくり休みたまえ」
「お気遣いいただき大変感謝します」
アスキーは大島総理の言葉に目に涙を浮かべながら会釈した。講話会議終了後、アスキーは大島総理に連れられ日本食を堪能しボルドー国の199年の長い歴史思いを馳せながら裁判の日を待った。そして10月3日、ボルドー国は歴史上からその姿を消したのであった。
【対ボルドー国戦争 総被害数(10月2日時点)】
・ボルドー国側 民間人死者 600万7800人 行方不明者 300万人
ボルドー軍死者 890万人 行方不明者 110万人
・国際同盟側 日本国 民間人死者 102万3000人 行方不明者 38万5000人
自衛隊死者 27万6000人 行方不明者1万3000人
アメリカ合衆国 民間人死者 88万5000人 行方不明者 5万5000人
アメリカ軍死者 22万4000人 行方不明者 1万2000人
グレーシス共和国 民間人死者 53万3000人 行方不明者 2万3000人
グレーシス共和国軍 13万7000人 行方不明者 7000人
上記以外の国 民間人死者 320万6000人 行方不明者 12万4000人
上記以外の軍 42万5000人 行方不明者 7万6000人
となっている。多大な犠牲を出したこの戦争は決して繰り返してはいけないものである。今後の平和な世界の発展に注目である。
第9章も残りわずかとなりました。よろしくお願いします。




