9-99 決戦 11
8月22日、ボルドー国との総力戦展開からまもなく3週間が経過しようとしていた。17日のミサイル発射基地への度重なる攻撃と首都に配備中であった対空ミサイルの破壊により首都の防空網と制空権が消失しようとしていた。17日から21日の4日間、ボルドー国は国際同盟側に対してあらゆる手段を用いて抵抗を試みたが全て失敗に終わった。以下は17日~21日の出来事がまとめられた国際同盟軍の戦果報告書の内容である。
17日深夜、70のミサイル発射基地への攻撃を受けアスキー指導は明朝にかけて報復を目的としたミサイルを5000発発射を試みた。しかし、特殊作戦軍による破壊工作によってほとんどの発射基地が運用不可能の状態に近くなり、100発しか発射できなかった。しかし、発射された100発のミサイルは日米両国にそれぞれ59発ずつ落下したものの合計90発が上空で破壊され、8発が洋上に落下し残りの2発が千葉県銚子市、茨城県大洗の郊外に落下したことによる人的被害はなかった。その後も、アスキー指導は基地所属の兵士に対して制御システムの復旧を実行を命令するが複雑な破壊工作が行われており復旧が困難な状況であった。
18日、ボルドー海軍は駆逐艦30隻、輸送艦10隻、空母5隻、揚陸艦20隻の65隻を率いて日本の排他的経済水域内に侵入した。しかし、侵入領域にて国際同盟海軍艦隊により待ち伏せと魚雷による攻撃により65隻各艦400人の計2万6000人のボルドー軍人が駆逐艦らと共に海に落ちた。救助ヘリによる救助活動を開始するものの300人しか生存していなかった。救助された300人の生存者は日本国内の捕虜収容病院で治療を受け、18日時点で12万7000人が収容されている在日ボルドー軍捕虜収容施設に入れられた。
19日、再度ボルドー軍は八丈島とハワイ諸島に奇襲上陸を仕掛けるが八丈島には八丈島奪還作戦で展開していた自衛官と米兵と同盟軍兵士による応戦で200人の負傷者と70人の殉職者を出したもののボルドー軍八丈島再上陸部隊1500人を排除し700人を捕虜とした。また、午後にハワイ諸島に上陸し、一度はホノルルで市街地戦闘を繰り広げるなど順調な滑り出しを見せていたが国際同盟軍による増援部隊が運悪く到着し全滅間近となったため100人が投降、300人が自害を試みた。一方市街地での戦闘の展開によりハワイの日本人12人が負傷し2人が死亡、米軍500人が負傷し1200人が死亡する被害を受けた。
20日、バンジ共和国によるボルドー国への侵攻が開始された。首都バンジから出発した9万人のバンジ共和国軍は共和国に近いフロイへ進軍を開始した。後方支援として自衛隊1200人が同行し戦闘に参加した。フロイ近郊に接近の際にボルドー空軍による戦闘機からの空爆を受け数十人が殉職したが自走砲などの対空攻撃で撃墜に成功後、フロイ市へ到達し電撃的に占領を開始した。21日深夜にかけて行われたフロイの戦いはバンジ共和国の勝利に終わり駐屯していたボルドー軍2万人が投降した。しかし、共和国軍900人が死亡、1000人が負傷した。また、後方支援として同行した自衛隊員160人の隊員の殉職が確認された。
21日、ボルドー国の南南東にあるキーロにグレーシス共和国海兵軍、武蔵連邦陸軍の計5万5000人が上陸した。上陸時に不意打ち攻撃を受けたもののすぐさま反撃を実行し沿岸から攻撃したボルドー軍を排除後、上陸地点を占領後に市街地へと侵攻した。キーロ市内では武装市民による攻撃を受け、同盟が定めている武装市民への対処法に遵守し正規軍とゲリラの排除を試みた。結果夜間まで続いたキーロ市街戦はグレーシス共和国軍、武蔵連邦軍によって分割統治された。
そして現在に至る。ここまで苦しい戦いが強いられているボルドー国は反戦デモが多発したがアスキー指導の命令によりデモ隊の殲滅と偽の勝利報告を伝えた。
8月22日16:00 日本国 首相官邸
「総理、明後日から敵首都への攻略がついに開始されます。開戦から5ヶ月・・・我々にとっても大変な時期でした。首都攻略によってボルドー国との争いに終止符を打ちましょう!」
「あぁ。だが当初の計画では1週間で攻略終了となっているがボルドー国の首都の地図を見た感じかなり広大かつ多くの民間人が生活している。気をつけてやらなければならないな・・・」
「そうですね」
ボルドー国の首都の大きさは日本でいうと四国並みの大きさである。そのため1週間での攻略を遂行するにはスピード性が求められる。また、首都攻略においてボルドー軍はすべての戦力を用いての籠城作戦を仕掛けてくる可能性がある他、民間人に対しても愛国の精神のもと戦闘参加を強制することも考えられるためあらゆる選択肢を持つ必要がある。
「ボルドー国は我が国の国民と同盟国の国民を我が物顔で危害を加えてきた。これは到底未来永劫許されるものではない。9月以降の平和と自由による政治を行うため我々はボルドー国への首都攻略を開始する」
大島総理含め、米国のベッセマー大統領ら同盟国側の首相は明後日から開始される首都攻略に期待と不安を募らせた。
ボルドー国 指導府
アスキー指導は国民には伝えられていない敗戦情報が書かれた報告書を目にし、机を大きく叩いた。怒りに任せて机を叩いたため手が赤くなった。
「大丈夫ですか指導。手当てなさいますか?」
「大丈夫だ。これぐらいの痛みどうってことない。それよりも何だ!この報告書は!」
アスキー指導は赤くなった左手を気にすることなく右手に持っていた報告書に怒りを露にしていた。それもそのはず、ボルドー国軍の各地での投降や兵士の士気の低下、度重なる攻撃による戦費の逼迫。全てがアスキー指導に重くのし掛かった。
「くそ・・・!どこで道を外した・・・我が国は負けるのか・・・?」
「そういうことを考えてはダメです指導。今だけかもしれません。仮に首都に入ってきたとしても籠城による時間稼ぎで守りましょう」
「それで行けるのか?行けるのであれば我が軍は今頃敵国の地を踏んでいるはずだが・・・?」
アスキー指導は完全にネガティブな思考を持ってしまっていた。しかし、降伏という言葉を禁句にしている以上彼はボルドー軍を信じ続けた。
「だが我々はたとえ負けが続きようとも決して白旗をあげるつもりはない」
「それでこそ指導です!共に頑張って参りましょう!」
「それと一つ頼みがある」
「何でしょう?首都に生活する市民の安全を確保するため希望する者に避難を開始させる。すぐに取り組むように」
「了解しました!」
その後、危険が及ぶであろう首都に生活する市民に対して希望者のみ避難を許可を出した。しかし、首都に生活する600万人のボルドー国民は避難を希望せず留まり続けることを決めた。アスキー指導は感謝の意を示し、各世帯に小銃などの武器や弾薬を提供した。また、各地に駐留している1000万の部隊に首都への配置を命令した。
「もうこんな時間か・・・寝るとするか・・・」
22日23:00。アスキー指導は眠りについた。睡眠中、アスキー指導は父親が指導在任中の夢を見た。その夢はとても懐かしい夢であったがこの国を変える夢であった。
《ーー父上!》
アスキー指導にとって大きな転換期となったのはこの時であった。首都攻略開始まで残り1日、国際同盟側にとってもボルドー国側にとって重要な1週間を迎えるだろう。
次回、アスキー指導とボルドー国の過去編を書きます。よろしくお願いします。




