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ヘズルの落日 遠き日々   作者: カルダスレス
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ヘズルの落日 遠き日々 最終話

ライをアーシャルの手から救い出したレインでしたが、ライが何の反応も示さなくなっていました。いったいなにをされたのか…?

       【 ヘズルの落日 遠き日々 最終話 】



 ――…寒い…寒いよ、レイン…レイン、どこ?抱っこして…


 俺…ちゃんと思い出したよ、グランシャリオのこと…。思い出したら、レインに会えるんだよね?

 あの時トイレに行って、部屋に戻ろうと思って廊下を歩いてたら、いつのまにか目の前に緑色の髪の男の人と、あの怖い女の人が立ってたんだ。


 今日みたいに突然持ち上げられて、最初は知らないところに連れて行かれた。…怖くて泣いてたら…うるさいって怒られて、今度は魔物がいっぱいいるところに放り込まれた。

 …俺、食べられちゃうかと思って逃げようとしたのに、見えない壁があって逃げられなかったんだ。怖くて怖くて…そしたら、どのくらい後だったんだろう…レインの声が聞こえて――


 でもね、でも…俺を呼ぶ声はレインなのに、近寄ってきたのは真っ黒なお化けだったんだ。びっくりして逃げたのに掴まっちゃって…次の日の朝、隣にいたのもやっぱりお化けだった。

 次の日も、その次の日も…声はレインで、おいでって、ライって、呼ぶのに…どんなに目を凝らしてもレインには見えなかった。


 それから…暫くしたら、怖かったことはなにも思い出さなくなった。お化けは消えたし、手を繋いでいたのもちゃんとレインだった。…なのに今度はレインが俺を見てくれなくなって、孤児院に置いて行かれた。

 でも置いて行かれたのは俺が友達を欲しいって言ったからだったんだよね?シスター・ラナはそう教えてくれた。

 マイオスさんに会って、怖いことを思い出せばレインに会える。俺、怖くても平気だよ。そう思ったのに、また知らないところに連れて来られた…


 ここは寒いよ…寒いのに、声が出ない。身体が動かないんだ――





「――嫌忌呪眼(けんきじゅがん)!?…いったいなんだそれは…!!」


 耳にしただけで悪印象しか持てない、初めて聞くその言葉に、思わず俺はサイードに掴みかかりそうになり、慌てて自分の手を抑える。


 色々あったが、どうにか攫われたライを取り戻せた俺は、変化魔法でまた碧髪の男性姿になったサイードと共に、リグとラナが待つソル・エルピス孤児院に戻って来ていた。


 聖堂側の建物の客室にゲストベッドを用意してもらい、俺はライをそこに寝かせて、サイードとラナに様子のおかしいライを診て貰うことにした。ところが…――


「呪詛の一種です。特定の相手を忌み嫌うようになるように、相手の姿が化け物のように見えるよう瞳に幻視の呪いをかけるのですよ。…あなたは言っていたでしょう?ライが自分を怖がって近寄ろうとしない、と。

 おそらくはグランシャリオで最初に攫われた時に、あの第二位がライに呪いをかけていたのでしょう。」

「光神に仕えているはずの蒼天の使徒が、暗黒系に属する呪詛など使うものなのですか…?」


 普段修道女として教会に立つラナにしてみれば、ここと同じく生命と慈愛を司る光神を崇めておきながら、幼子に呪いをかけるなど信じ難い話だろう。

 それは俺も少し疑問に思うところだったが、誰よりもそういう類いに詳しいサイードがあっさりとこう言った。


「別に不思議なことではありませんよ。蒼天の使徒は戒律に抵触するため暗黒魔法にこそ手を出しませんが、元々使用も習得も不可能なわけではありません。

 地上で人間相手に呪詛を使うくらいなら黙っていればわかりませんし、目的さえ達成出来れば、後でどうとでも誤魔化せますからね。

 それにあのミュゼリカという第二位は、生まれた先を間違えたのではないかと言うくらいにその本質が邪悪でした。」

 “本当に手がつけられないくらいの性悪女でしたからね”、と思い出しただけで腹が立つのか、その整った顔を苦々しく歪ませて吐息付く。


「待て、それじゃレインを怖がっていたというのはまさか――」

 第二位がかけた『呪詛』、と聞いて絶句する俺の横でリグが身を乗り出し、俺の代わりにサイードに聞き返した。


「ええ、呪詛が原因だったのでしょうね。表面化したので今ならわかります。レインが勘違いをして記憶を封じたために、ライは呪いをかけられたことを忘れてしまい、その上ここに預けた後すぐに、レインが距離を置いて全く会わなくなってしまったために、その効果までもが封印され見えなくなってしまった。

 …二年以上もの間放っておかれた呪詛は、弱まるどころか深く根を張るように侵蝕し、肉体を制御するライの精神までも蝕んでいます。」


 サイードは一旦瞑目し、ベッドに横たわるライを瞥見(べっけん)すると、左手で右の肘の辺りをきゅっと扼腕(やくわん)して“それだけではありません”とさらに続けた。


 ――今となっては確かめる(すべ)がないので、推測に過ぎませんが、とサイードが前置きしてから、言い難そうに話したその内容は、あの第二位をサイードとネビュラに任せるのではなく、この手で八つ裂きにしてやれば良かったと、消滅してなお俺に激しい憎悪を抱かせるものだった。


 あのル・アーシャラー第二位のミュゼリカという女は、おそらくずっとどこからかライの様子を監視していたのではないか、とサイードは言う。

 その上でライの俺に対する愛慕の情が募るのを待ち、時を経て呪詛が深く侵蝕し、その恐怖に抗えなくなってから、なにかに利用しようと企んでいた可能性があるらしい。

 なぜそんな推測に至ったのかというと、ライの今の状態で呪詛を利用されれば、簡単にその行動を操れてしまうからなのだそうだ。

 あの女がライになにをさせようとしていたのか…そんなものは想像もしたくないが、どうせ碌なことではないだろう。それだけは断言出来る。


 とにかく、ライのこの虚脱状態は呪詛と暗示の両方の作用によるもので、その大本となった幻視の呪い其の物をどうにかしないことには、手の施しようもないと言うことだった。


「待ってくださいサイード様、記憶を封じて呪詛の効果も封じられていたのに、どうして今になって表に出て来たのですか?レインもマイオスさんも、ライの暗示はまだ解いていないんですよ?」

 今も半分閉じられた虚ろな瞳で、あらぬ彼方を見るライの頭を…ラナは悲痛な面持ちで撫でながらサイードを見上げる。


 俺がライを抱いてここに連れて戻った時、ラナはすぐにライを抱きしめ、無事で良かったと泣いてくれた。それも束の間、一転して様子のおかしいことに気付き、今に至っている。


「…レイン、あなたはもう気付いていますね?」

 その金色の瞳が俺を一瞥し、答えを知りながら当然のように聞いて来る。

「――ああ。…ライにかけた封印はもう消えてしまっている。…あの女が切っ掛けになって解けたのかもしれない。所詮俺が施したお粗末な暗示だったからな、簡単な誘導でも解けるくらいのものだった。」

「そんな…!!」

 ラナが絶望的な顔をして左手で口元を覆った。


 そもそも俺はサイードのように記憶を操作することなど出来ないのだ。ライに急場しのぎで施したのは、一種の催眠術に似たただの暗示に過ぎず、大きな衝撃やそれに関わる再体験などで簡単に解けてしまう。

 だからこそライに会いに来ることでその暗示が解け、また怖がられ逃げられてしまうのではと恐れてもいたのだ。


「…精神を蝕んでいると言ったが、その呪詛は解けるのか?」

 サイードの終始険しい表情から察するに、それは簡単なことではなさそうだ、と思いながら…それでも俺は尋ねる。すぐに解けるのならきっとサイードなら疾っくにやっているだろう。そんなことはわかりきっている。


 …案の定その答えは否定的だった。


 第二位が生きていれば脅して解除させるか(おそらく絶対に無理だっただろうが)、呪詛返しを行って、呪いそのものを引き取らせるかする方法があったかもしれないが、完全に消してしまった今となってはそのどちらも不可能だ、とサイードが言う。


 ――それなら、どうすればいい?俺に出来ることなら、なんだってする。ライがこんな目に遭っているのは、最初から全部…全部、俺のせいなんだ。

 そうは思ったが、次にサイードの口から出た言葉に、俺は耳を疑った。


「――レイン、“邪眼(イヴィルアイ)”を使ってライの精神世界に入りなさい。そして心の中から呪いをライ自身の力で打ち破らせるのです。」

「な…っ」

「サイード様、それは…!!」

「正気か…!?」


 ――選りにも選ってそれはないだろう…あんまりだ、サイード。俺がどれだけこの力を嫌い、恐れてもいるか知っていながら…なぜそんなことをさせようとする?

 当然のことながらラナとリグは猛反対した。そんなことをすれば…ライが発狂して自ら死んでしまう。俺にだってそんなことが出来るはずはないのに…!


「大丈夫です。そもそも“邪眼(イヴィルアイ)”が唯々(ただただ)闇の死を招く恐ろしい力だと思っていること自体が間違っているのです。」


 ――“邪眼”の本質は、生けとし生けるもの全ての、精神世界に通じる入口を開く(すべ)であり、敵に向ければ攻撃手段としてその恐ろしさを発揮するも、今回のように精神に影響を受け、外からの試みではどうにもならない場合などには、治療手段として使用することも可能だと言う。


「…無理だ、サイード…俺には出来ない…!!もしライを殺すことになったら…いやだ、無理だ、俺には耐えられない…!!」

 万が一にもそんなことになったら…そう思うだけで気が狂いそうになる。


 俺は両手で頭を抱えてライが横たわるベッドの脇にへたり込んだ。


「ほ、他になにか方法はないんですか…!?」

 ラナの必死な問いにサイードは溜息を吐いて一時の間を置いた後、“ありますよ” と返した。

「だったらそちらを――」


「私がライの中にある、これまでのレインに関わるすべての記憶を完全に消してしまえばいいだけです。」

「…っ!!」

 サイードは冷ややかに俺を見て続けた。

「呪詛の対象はレインです。ならばそのレインという存在が、ライの中から完全に消えてしまえば、呪詛そのものの効果も消し去れます。

 自分の力が信用出来ず、ライを殺してしまうと、そう思うのであれば好きにしなさい。

 ライの中から、あなたに愛された幸せも、一緒に過ごした思い出もなにもかも奪い、消し去っても構わないと言うのなら、私がこの子の中からレインフォルス、あなたの存在を完全に消してあげましょう。」

 “さあ、どうしますか?” 今まで以上に厳しく、サイードは半ば怒っているように冷たい眼差しを向けて俺に詰め寄った。


 ――サイードは俺を責めているのだ。…ライが苦しんでいるのは、初めから全て俺の所為だ。それは言われるまでもなく俺にだってわかっている。

 なにもかも俺が悪い。ライのためだと言いながら中途半端に手を離し、忘れられたくないと記憶を消さず、嫌われたくないと暗示をかけた。その結果…俺を狙ったアーシャルにかけられた呪いに蝕まれ、今はただ虚ろな目で天井を見上げて横たわっている。

 それなのに俺はまだライから逃げている。自分の過ちから目を背けるな、そうサイードは言葉に出さずに言っているのだ。


 これ以上ライを苦しめるくらいなら…遅かれ早かれいずれ必ず、ライと別れる時は来るのだ。だったら今ここでライの中から消えてしまっても、俺さえ耐えればそれで済む。

 俺との記憶が全て消えても、ライは…きっと幸せに生きて行けるだろう。


 …この期に及んでまだ俺は、ライの気持ちなど少しも思いやってやれずに…どこまでも自分勝手に、そんな甘えた考えを抱いていた。


「――わか…った、サイード…、俺はライが生きていてくれさえすれば、それだけでいい。…だから、ライの記憶を…ライの中から、俺に関わる全ての記憶を…消してやってくれ…。」


 そう口にした途端、部屋中に響き渡るほど大きな溜息を吐いて、サイードが俺を睨んだ。


「わかりました。…まったく、どうやら私はあなたの教育を間違ったようですね、本当に情けのない。…失望しましたよ、レインフォルス。」

 “そこをどきなさい”、そう言ってサイードは俺を疎むように強く押しのけ、ライの傍らにベッドをギシッと軋ませて腰を下ろした。


「…かわいそうに、ライ君…レインはあなたの中から消えることを選びました。あなたから逃げたのです。こんな情けのない男のことなど、もう忘れてしまった方が却って幸せでしょう。

 …ごめんね、私が助けてあげられれば良かったのに…幸せだった記憶も、レインとの思い出も…なにもかも、失ってしまう。」

 サイードが優しくライの頬に触れ、その髪を撫でた。

「次に目覚めた時には、元通り動けるようにはなりますが、レインのことは全て忘れてしまいます。…本当にごめんなさい。」


 俺はその言葉を、壁際に背中を丸めてうずくまり、ライに忘れられる悲しみに暮れながら…項垂れて聞いていた。


 …これで終わりだ。本当に終わりだ。ライの記憶から完全に消えると言うことは、俺はもう死んだのと同じだ。

 ライと暮らした日々が頭の中を駆け巡る。俺に向けられた無償の愛情と依存の瞳…ライはその生死さえも俺に委ね、二人で寄り添うように生きて来た。

 

 ――そのすべてが消えてなくなる…。



 “いやだ!!”


 ――いやだ…やめて…消さないで!!俺、レインのこと忘れたくない…!!いやだ、いやだよ…お願い、やめて…!!


 その時ライは、必死に心の中で抵抗していた。微かに意識はあり、レイン達の会話が途切れ途切れでも精神世界の片隅にいながら、その耳にずっと聞こえていたのだ。


『レインに関わるすべての記憶を完全に消す』


 それは、ライがこれまで生きて来た、そのすべてを失うことだと…ライは一瞬で理解した。


 誰にも聞こえなくても、指一本動かせなくても、それでも必死に叫び続ける。


 …その絶叫にも似た心の叫びが、僅かに唇を動かす。


「――……だ………て………」


 奇跡的にその小さな風の揺らぎが、憐れに思いその顔を覗き込んでいたサイードの鼓膜を震わせた。


「…!?…レイン…レイン!!ライが…なにか言っていますよ!!」

「!?」

 サイードの慌てた呼びかけにガバッと顔を上げ、レインは急いでライの口元にその(かす)かな吐息を感じるほど、耳を近づける。


 “いやだ、レイン…消さないで…助けて”


 それは、小さく、途切れ途切れで…ゆっくりと、辛うじて聞き取れるくらいにか細い声で…その口から漏れ落ちた。

 直後、ライの瞳から一筋の涙が…その頬を伝い、つうっと零れて行く。


「――ライ…ライ…っ!!」


 耐えきれずにレインがライを抱きしめて噎び泣く。


「悪かった…俺が、悪かった…!わかった、消さない…今、俺が助ける…!助けるから…!!」


 動かない身体で、ライが必死に訴えた。その思いを踏みにじる寸前でレインはようやく目を覚ます。

 ――ライが望んでいないのに、俺はなにを考えていた?たとえ失敗しても、その時は俺もライと一緒に逝けばいい。ただ、それだけのことじゃないか。



「ようやく決心が付いたようですね。」

 大丈夫、邪眼(イヴィルアイ)は人の命を奪う死の力だけではない、希望を齎すことも可能なのだと知りなさい。そう言うとサイードが、さっきまでとは打って変わってホッと安堵したように微笑んだ。


 不安気に俺を見ていたラナとリグも、『もし失敗したらその時は俺も一緒に逝く、だがサイードの言葉と自分を信じて、やれることはやってみる』そう誓ったら、それ以上なにも言わなかった。


 ――サイードとリグ、そしてラナに部屋の外へと出てもらい、俺は覚悟を決める。


 邪悪だと嫌い、数え切れないほどの命を奪って来たこの力に、頼るしかない。ライが助けを求めているのは、他でもない俺になんだ、そう思ったら、不思議と心が落ち着いた。


 邪眼(イヴィルアイ)を使い、ライの精神世界に入り、その中でライを導き、呪いの元…つまりは化け物に見える俺とライが対峙する。

 ライが呪いに立ち向かい、幻視を打ち破れれば呪詛は消えるはずだ、サイードはそう教えてくれた。



「――開け、邪眼(イヴィルアイ)。」


 俺の視界が真紅に輝き、忌まわしき闇の眼が再び開く。世界が一瞬暗転し、俺はライの額に触れ、意識を飛ばした。


 ライの精神世界。…そこはロクヴィスの森にある、俺達が過ごしたあの小さな家の中だった。

 もう随分昔のことのような気がする。ライと二人…必要最低限のものしかなく、贅沢はさせてやれなかったが…それでも温かく、幸せだったと思う。

 俺は床を軋ませ、リビングからぼんやりと明かりの灯った寝室へ向かう。


 いつも二人で寝ていたベッドの脇に、小さな背中を丸めて座り込み、ライは膝を抱えて俯いていた。


「…ライ。」


 背を向けたライに近付く俺の姿は今、ライにとって途轍もなく恐ろしい化け物に感じられているはずだ。

 その証拠に俺が後ろから声を掛けただけでライの身体は萎縮し、ビクッと一度、大きく揺れた。

「レインの声…レイン?…本当にレインなの?」


 ライは振り向くことが出来ず、カタカタと恐怖に震えながら絞り出すような声で聞いて来た。


「ああ、俺だよ。おまえには俺がどんな風に見えている?ライ。」

「み…見られない。怖くて振り向けないよ。でも見なくてもわかるんだ、後ろに真っ黒くて大きななにかがいる。真っ赤な大きな口で俺を食べようとしてる。」


 すぐ後ろに感じる恐怖…ライが口に出した通り、ライの背後には巨大な漆黒の闇が渦を巻き徐々に広がりながらその魔手をこちらに伸ばしている。

 その中心に赤く輝く目が二つ、そして湾曲に深く裂けた大きく歪な口が舌舐めずりをして、歯を見せながら“にいっ”と、ぞっとするような笑いを浮かべているように思えた。


 それなのに、そこから遠くなったり、近くなったりしながら反響して聞こえてくるのは、ライにとって最愛のレインの声なのだ。


 ライの中でレインへの思いと恐怖が鬩ぎ合い、激しく葛藤する。レインに抱き付きたい。でも本当はお化けで、食べられちゃったらどうしよう、そう思うと竦んで振り向くことすら出来ないのだ。


「レイン…怖いよ。…怖くて振り向けない。どうすればいいの?」


 すぐに涙が滲んできて、視界がぼんやりと揺らいでくる。


「――グランシャリオで見知らぬ緑髪の人間に攫われたことは覚えているか?」

「うん…覚えてたんじゃなくて、思い出したんだ。すごく怖かったけど、思い出せばレインに会えるって思ったから…一生懸命考えた。」

「…そうか。おまえはその時に俺の姿が恐ろしい化け物にしか見えなくなる、そういう呪いをかけられたんだ。俺はおまえが呪いにかけられていることに気付かず、怖いことは忘れさせてしまえばいいと無理に封じてしまった。…そのせいでおまえはこんなことに…」


 今の俺には、寝室の入口に立ち、震えるライの後ろ姿を見守ることしかできない。


「ライ、この呪いを打ち破るには、おまえが勇気を出して恐怖に立ち向かうしかない。怖いかもしれないが、こちらを見て幻を振り払え。…おまえなら出来る。」


 レインの言葉に、ライは一度、きゅっと真一文字に口を閉じ、下唇を噛むと両手の拳をぐっと握りしめ、顔を上げて立ち上がる。


 ≪――勇気を出して立ち向かい、幻を振り払う…≫


 背中に、纏わり付くような…黒い恐怖が迫ってくる。すぐそばにヒヤリとした冷たい空気が漂い、手足にみるみる鳥肌が立ってくる。

 その恐怖が、さあ振り向け、振り向いて喰われてしまえ、そう嘲笑っているような気がした。


 ――違う、後ろにいるのはお化けじゃない。レインだ。あれは幻…あそこにいるのはレインなんだ。呪いを解かないとレインに会えない。会いたい…レインに会いたい!!


 ライは勇気を振り絞り、後ろを振り向いた。


 レインにとって、その間は酷く辛い時間だった。振り向いたライが自分を見て大きく目を見開き、恐怖で青ざめ、硬直している。

 あの日自分から怖い、と叫んで逃げ出したように、また走って逃げて行ってしまうのではないかと…そう思った。


 レインはそれでも、両手を広げライに微笑む。


「――ライ、おいで。…もう一度、俺におまえを抱きしめさせてくれ。」


『…愛しているよ。』


 その恐怖が、黒い魔手を左右から伸ばし、そう言った。


「…っ…レイン…っ!!レイン、レイン…っ!!」


 ライは無我夢中でレインの胸に飛び込む。その漆黒の恐怖は霧散して消え失せ、そこには会いたくて夢にまで見たレインの姿があった。




 ――レインが心配していた、邪眼による精神的異常はライには現れず、サイードが言っていた通り、ライ自身の力で恐怖を打ち消して呪詛を解くことに成功した。

 だがその反動と寒冷地帯で長時間寒さにさらされた影響もあり、その晩からライは高熱を出し、寝込んでしまう。

 看病を変わると言ったラナの申し出を断り、レインは付きっきりでライを看てそばを離れず、幼児返りをし、べったりと自分に甘えるライを、愛おしそうに何度も抱きしめていた。


「…ライ、俺はもっと早くにおまえに話を聞かせておくべきだったと思う。」


 森の中の小屋で寝ていた時のように、シングルベッドに二人で横になり、レインはライを腕の中に抱きしめながら静かに語り始める。


 ――俺は昔、おまえぐらいの時にある事故に巻き込まれ、独りぼっちになった。運悪く辿り着いた先で…自分が生きるために数え切れないほどの他人の命を奪って生きて来た。今はその罪を償うために、ずっと長い間俺にしか見つけ出せない、大切なものを探し続けている。

 だがその大切なものは、俺以外の様々な存在も手に入れようと欲しがっていて、そのせいで俺はいろんな連中に追いかけ回されているんだ。

 そいつらは目的の物を見つけ出すまでは俺を殺しはしない。捕まえて身動きが取れないようにして、言うことを聞かせようとするだけだ。

 そのために俺にとって最も大切なおまえを攫い、俺を捕まえようとしてきた。


「俺がおまえに名前を呼ばせて来たのは、俺との関わりが他人に知れ渡ると、今よりももっとおまえの身に危険が及ぶからだ。…まあ、他にももう一つ理由はあるんだが、それはおまえがもう少し大きくなって、俺の隣に並び立てるようになってからじゃないと話せないかな。」

 レインは優しく微笑んでライの鼻の頭をちょん、と人差し指で突っついた。ライは一瞬きゅっと両目を瞑ると、すぐにまた目を開いてレインの話しにじっと聞き入る。


「このままずっとおまえのそばにいてやりたいが…話した通り、俺には探し物があってな、また落ち着いたらあちこち出て歩かなければならない。おまえはここに残って普通に暮らせるようにシンやマグ達と勉強もして、人との関わりを学ばなければならないんだ。…わかるか?」

「…うん…なんとなく。」

 その返事に微苦笑してポンポンとライの頭を撫でながら、レインの紫紺の瞳がライのオッドアイを真っ直ぐに見つめる。

「なんとなくか。…まあそれでもいいが、今後はできる限り合間を見つけておまえに会いに来るようにする。そうだな、他の子供達のことがあるから、会うのはリグの家にしよう。どうだ?ライ。」


 ――どうだ、と聞かれても、話を聞いたその内容から、自分は連れて行っては貰えないのだとライは悲しくなる。

 ただ、レインの話はきちんと理解でき、会えなくなるのではないということも同時にわかっていた。それにライは少しずつ友達といる楽しさも感じられるようになって来ており、ようやくだがほんの少しだけ成長する一歩を踏み出そうとしていた。


 レインから離れてここで暮らして行く。でもこれは別れじゃない。ライはそう納得し、せめてそばにいる間だけは、好きなだけレインに甘えておこうと思うのだった。




 それから数日後…ライにまだなにかあった時のために、とインフィニティアには帰らず、そばに留まってくれていたサイードと、レインは、孤児院の精霊木(せいれいぼく)の下で柔らかな草の上に腰を下ろし穏やかな空を眺めながら、ゆっくり話をしていた。


「――以前あの子にかけた忘却の魔法は、余程のことがない限り解けることはありません。…今になって後悔しているのではありませんか?レイン。」


 珍しく変化魔法を解き、サイードが本当の姿になって話をしている。俺としてはどちらの姿でも、頭の上がらない相手であることに変わりは無いのだが、今日のサイードはどこか寂しそうで、その上酷く心配しているような顔で俺を見ていた。


 『忘却の魔法』…人が成長するに連れ、幼い頃のことを自然に忘れていくように、俺は、ライが成長するに連れ…年を重ねるごとに少しずつ、俺との細かな出来事を忘れていくように魔法をかけて貰っていた。

 ライが俺と暮らした日々をその記憶に留めておくことは、ライにとって無用な危険を呼び込むことになりかねなかったからだ。

 そしていつか…俺との暮らしだけではなく、俺に関わる細かなことも思い出せなくなって行くだろう。おそらく、別れて十年ほども経てば、俺の顔や姿もぼやけてうろ覚えになってしまうはずだ。


 “おまえがもう少し大きくなって、俺の隣に並び立てるようになってから”


 …そんな話をしておきながら、酷い、と責められそうだが…これも仕方がないことだと忘れて貰うしかない。


「いや…それはない。おまえに頼んだ時点で、そのことは俺の中できちんとけりが付いている。小さい時から俺はライを連れ回し、神魂の宝珠が眠っている安置場所にも行っている。俺達の事情にあいつを巻き込まないためには、どうしても必要なことだった。…だから大丈夫だ。」

「…そうですか、それならいいのですが…あまり無理をしてはいけませんよ?」


 今日のサイードはまるで子供の身を案じる、母親のようだ。


「はは、どうしたんだよ?いつもは厳しいのに、今日はやけに心配してくれるんだな。あんまり優しいと、後が怖い。」

「失礼な、私はいつでも優しいでしょう。」

「まあ…そう言うことにしておくか。…なあサイード、あの時だけどな、俺の耳に絶対障壁を発動するあいつの声が聞こえたんだ。」

「あの時…?」

「ライと一緒に第二位に魔法を放たれた時だ。…無傷だっただろう?」

「ああ…」

 なにが言いたいのかわかった、と言う顔をしてサイードは微笑んだ。


「最後に見つかった手がかりは、『クラーウィス・カーテルノ』でしたね。このラ・カーナ王国のどこかに眠っているのは間違いないはずなのに…いったい()()()はどこにいるのでしょうね。もう時間もないと言うのに――」

「とんだ重責を残してくれたよ。俺にしか見つけられない場所に隠した、そう知った時の俺の気持ちがわかるか?」

 レインとサイードは目を細めて互いに笑い合う。

「…だがそれがあったから俺は今まで生きて来られた。俺にライとの幸せをくれたのも、あいつだ。…早く見つけてやらないとな。」

「――そうですね。」


「レイン――っ!!」

 丘の下からライがシンとマグ、ミリィと一緒にこちらへ息を切らせて駆けてくる。


「どうした?」

「あのね、マグとミリィがレインにもう一度お礼が言いたいんだってさ。レインが助けてあげたんでしょ?」

「ああ…」


 俺が助けた子供達。俺を狙った賞金稼ぎとならず者の戦闘のとばっちりを受けて、巻き込まれた被害者…気付くのが遅れたために、子供しか転移魔法で助けられなかった。

 それでもこんな俺に礼を言ってくれるのか。


 結局この子達も里親が見つからずにここで暮らすことになった、とラナが言っていた。ライやシンと少なからず気も合うようだし、見知らぬ他人に引き取られるよりはこれはこれで良かったのかもしれない。


「ねえレイン、聞きたかったんだけど、俺のオルゴール…どこに行ったか、知ってる?いくら探しても見つからないんだ。」

「ああ、あれか、俺が大切に持っているぞ。」

「本当!?良かったあ、大事にするっておばあさんと約束したのに、失くしちゃったかと思った…!」

 ライが嬉しそうに破顔する。

「今出してやる。ああ、ついでに占有魔法もかけてやろう。グランシャリオの店の前で約束してそのままだったな。」


 無限収納にずっと仕舞ったままだったラカルティナン細工のオルゴール・ペンダントを取り出すと、俺はすぐに魔法をかけてライに手渡してやった。

 子供達はその目を輝かせてライの手にあるオルゴールを覗き込んでいる。


「――また高価そうな物を…どこで買ってあげたのですか?」

 はしゃぐライ達を見るサイードの瞳はとても優しく、慈愛に満ちたその目を細めて聖母のように微笑んでいた。ライは俺達の前でオルゴールを首にかけ、服の中に仕舞うと子供達と元気に来た道を駆け降りて行く。


「グランシャリオの店だ。確か名前は――」


 そこでようやく俺は思い出した。


 ――どこかで聞いたことのある言葉だと思った。『()()()()()・ラカルティナン・オルゴール』“カーテルノ” あの店の名前だ…!!


「サイード、思い出したぞ…!!『クラーウィス・カーテルノ』というのは、おそらく人の名前だ…!!」

「え?」


 俺は詳しく思い出した内容と、俺にしか探し出せない、という言葉から推測可能な考えをサイードに話した。


「まさか…それがもし本当なら、どれだけ探しても今まで見つからなかったはずです。」

 興奮したようにサイードも目を輝かせた。

「ああ、だがこれでようやくあいつを見つけられる。後はもう一度グランシャリオに行って確かめれば――」


 その時だった。…俺の目の前で、なぜかサイードの姿が少しずつ透け始めた。


「サイード…!?」

「ああ…どうやら時間のようですね。…レイン、どのくらいになるかはわかりませんが…暫くの間お別れです。」

 “もうこれまでのように助けることが出来なくなった” サイードがそう告げる。


 俺は突然のことに、狼狽えて慌てた。これまでどんな時でも連絡をすればすぐに駆け付けてくれたサイードに、いったい何が起きているのか。


 ――それはあの日、正気を失った俺を救いに駆け付ける前、サイードが取った行動に深く関わっていた。

 俺がライの元へと飛び去った後、サイードは天空都市フィネン…蒼天の使徒アーシャルの本拠地に行っていたらしい。

 そこで俺を捕らえようと、執拗に狙い続けてきたアーシャルの事実上の支配者、“聖哲(せいてつ)のフォルモール”に私的制裁を加え、時の呪縛を使って、ある場所に閉じ込めてしまったのだそうだ。

 だがインフィニティアという場所には厳しい“掟”がある。主君たる存在に断りなく、一定の行動を取ってはならないという決まりがあった。

 サイードの行動はそれに抵触しており、その“掟”を破れば、どんな理由があろうともその罪に見合った期間、刑に服さなければならないのだ。


 どうしてそんなことを、と当惑する俺の問いにサイードは、蒼天の使徒が俺を追うだけでなく、ライにまで手を出したことがどうしても許せなかった、と静かにそう言った。


「フォルモールさえいなくなれば、暫くの間…少なくともライが、自分で身を守れるようになるくらいに成長するまでの間ぐらいは、安心して暮らせるでしょう。」

「俺とライのために…?サイード…っ…」

「ああ、そんな顔をしないで。初めからわかっていて勝手にしたことなのですよ。それに収監されると言っても、おそらくそこまで長い時間ではないと思いますから。」


 それでもサイードが囚われるのは“時の牢獄”と呼ばれる昼も夜もない、時間の止まった監獄だ。そこでは時が動かないため、食事も与えられず、寝ることも許されない。それほど厳しい場所だった。

 なのにサイードは眩しいほどに優しく微笑んで言う。

「そうそう、あなたにこれを渡しておきましょう。」

 唐突に異空間から白銀に輝く金属製の装飾具を取り出し、それを俺に手渡した。その表面には細かい唐草模様が刻まれ、裏には俺のイニシャルである“R”の文字が彫刻されている。手に取った感触では、特殊装身具(ユニーク・アクセサリー)のようだった。


「アルティマイト製の首飾り(チョーカー)です。私の代わりに出来るだけあなたの身を守ってくれるように、守護魔法を施しておきました。いつも身につけておきなさい。」

 サイードは消えかけたその手で、俺の首にチョーカーをカチリと嵌めた。


 スウッと背景に溶け込むように、その姿が薄くなって行く。

「サイード!!」

「…後のことは頼みましたよ、レインフォルス。また会いましょう。…元気でね。」


 後に残る光の粒子をきらめかせながら…サイードは俺を残し、微笑んだまま消散して行った。





 ――サイードが“掟”を破ってまで俺に齎してくれた平穏な時間…


 プラエミウムの懸賞金はいつの間にか取り下げられ、賞金稼ぎ達も大人しくなり、第二位とフォルモールがいなくなった蒼天の使徒は、俺に構うどころではなくなったらしい。

 ライが攫われたことで王国騎士はヘズルの守護を強化し、ならず者や流浪者も入って来難くなった。

 当初ライの身辺が心配で、すぐにここを離れようと思っていた俺は、街の状況が一変したことで考えを変え、暫くはヘズルを拠点にして動くことに決めた。

 ライとラナはもちろんのこと、シンやマグやミリィ、他の孤児達の進めもあり、使わせて貰っていた客室に当分の間住まわせて貰うことになったのだ。


 その後…後遺症もなく完全に元気になったライは、もう二度と攫われないように自分の身は自分で守る、と俺に剣技を教えて欲しい、そう言い出した。

 俺はライに武器を持たせるかどうかで随分悩んだが、目の前でライを攫われた悔しさを忘れられずにいたシンも一緒に、と言い出し、ラナやリグと相談した上で、様子を見ながら少しずつ訓練を始めてみることにした。


 最初は危ないのではとかなり心配だったが、リグと二人交代で指導に当たるうち(と言ってもリグは専ら怪我をしないように注意する役だった)、ライが人並み外れた剣の才能を持っていることに気付く。

 所謂“天賦の才”とでも言うのだろうか、その技の習得スピードは凄まじく速く、三度に一度は俺の剣を弾くこともあり、とても十の子供の成せる業とは思えぬほどだった。

 それに必死に食らいついていくシンにも驚いたが、二人は日々遊びながらも切磋琢磨し、研鑽を怠らず、友情を育むと共にいいライバル関係にもなりつつあった。


 その一方で俺の“捜し物”だが、『クラーウィス・カーテルノ』と言う一文が人の名前を表しているらしいことに気付いたまでは良かったのだが、グランシャリオのオルゴール店を含め、様々な町や村を捜索してみたのだが、一向にその名の人物には行き当たらなかった。

 もちろんあの老婦人の店主にも尋ねてみたのだが、クラーウィスと言う名前には心当たりがないらしく、結局そこで手がかりはまた途絶え、すっかり行き詰まってしまった。



 さらに月日は過ぎ、捜し物の捜索に行き詰まったまま、俺はまた、他に見落としがないか一から遺跡巡りを始め、定期的にヘズルに戻る以外は人里を離れるようになった。

 ライとシンが十三才になる頃には、俺がヘズルから離れている間、ライは毎日シンと共にリグの元へ通い、時折訓練と称して警護所にも顔を出し、守護騎士に混じって街の外へ魔物の討伐に出るまでにもなっていた。


 そんな日々を過ごすうちに、俺はライの成長を見守りながらヘズルと外を行き来することにすっかり慣れてしまい、リグやラナ以外の住人達とも顔を合わせれば挨拶をするようにまでなっていた。

 ライとシンを褒めそやす守護騎士達にまで顔を覚えられ、いつの間にか街に馴染み始めてしまっていることに気付く。

 それは人目を避けて暮らしていた期間が長かった俺にとって、瞬く間に過ぎて行く、束の間でも最も幸せな時間だったと言えるかもしれない。



 ――だがその幸せな時間は、最も最悪の形で…ある日突然、なんの前触れもなく終わりを告げた。



 ――天地が揺らぎ、空には幾筋もの天雷が降り注ぎ、地には激しい地鳴りが迸る。すべての災厄が一度に押し寄せたかのような轟音がラ・カーナ王国の全域を包み込んだ。

 右を見ても、左を見ても遙か上空から大量の魔法弾が流星のように降り注ぎ、目に映るそのすべての光景が燃えさかる炎に包まれて、まるで落日が大地に溶け込んだかのようだった。

 耳を(つんざ)く爆音と轟音が鳴り響き、それに続く巨大な複数の艦影が、ヘズルの上空を次々にグランシャリオ方面に向かって通過して行く。

 それは話に聞いてはいたが、実際に目にするのはこれが初めての…エヴァンニュ王国が所持しているという戦闘飛空艦隊だった。

 だがそれだけではなかった。遠く北東の方角に、全く異なる形のやはり魔法弾を辺りに撒き散らす、こちらはゲラルド王国の戦闘飛空艦隊が侵空していた。


 俺はあまりにも信じられない眼前の光景に、自分がいったいなにを見ているのか、全く理解出来なかった。


 なぜこのラ・カーナにエヴァンニュとゲラルドの戦艦が侵入している?なぜミレトスラハではなく、この国の上空で戦闘が…?…どうなっているんだ、なにが起きた…?


 いくら考えても答えが出るはずもなく、暫くの間動けずにただ呆然としていた。


 自分達の国の真上で、人知を超えた異界の産物が互いに互いを攻撃し合い、高速で空を裂く残光を伴う光弾が、キュルルルルと音を発して複数飛び交うと…それは着弾して爆発し、損傷した巨艦は傾きながら墜落して行く。

 その真下で平穏な生活を営んでいた住人もろとも、赤とオレンジ色の業火に黒煙を高く巻き上げ、なにもかも一瞬で吹き飛んで行った。


 ここはどこだ?…冥界か地獄か…?


「レ…レイン!!俺達のソル・エルピス孤児院が…!!」

 リグの家がある街外れの高台で、ラナの張った守護障壁が降り注ぐ魔法弾から教会を守っているのが見えた。

 だがその攻撃は激しく、それが着弾する度に障壁の表面を光の波紋が幾重にも広がっていった。

「あ、あそこにはシン達が…シスター・ラナ、マグ、ミリィ…っっ!!」

 俺の横でライが真っ青になりガタガタと震え出す。そのライの肩を強く抱き、俺は孤児院の障壁が放つ光をここから見据えた。

 ――あの着弾頻度ではもうそんなに持たない。ラナがいくら頑張ったとしても、そのうち魔力が尽きるだろう。ラナは転移魔法が使えない、助けに向かわないと子供達が…!



 …今日は俺が久しぶりにヘズルに戻って来たため、ライとリグの家でゆっくり会い、気が置けない三人での楽しい一時を過ごしていた。

 それなのに…なぜこんなことが、このラ・カーナに、このヘズルに、起きているのだろう…?…誰か、俺に教えてくれないか…――


 俺は横に並び立つリグの顔を見る。もしここが炎に包まれたら、リグの足では逃げられないだろう。今すぐにライと一緒にどこか安全な場所へ移動し始めないと、間に合わなくなるかもしれない。


「――リグ、ライを頼めるな。ここも危ない、万が一のために神魂の宝珠を預けておく。」

「おいレイン…!!」

「レイン!?」

『レイン!!』


 リグ、ライ、ネビュラが同時に俺の名を呼んだ。


 俺は無限収納から、こういう時のために予め用意しておいたラカルティナン細工の仕掛け箱を取り出すと、急いでその中に神魂の宝珠を入れ、ネビュラを見る。

「――約束だ、ネビュラ。」


 なぜだろう、これが…ネビュラとの別れになるような気がした。


『だめだレイン、奴らの気配がする!!なにをするつもりか知らないけど、ぼくから離れちゃだめだ!!』

「…おまえならこれを使って一度だけ、ライとリグを連れて転移出来るだろう?…頼んだぞ。」

 俺は非常用に取っておいた、場所指定の転移魔法が込められた魔法石を一緒に入れて仕掛け箱に仕舞った。

『だめだってば、レイン!!』

 ネビュラの姿がかき消える。神魂の宝珠の魔力が一時的に遮断されたせいだった。この仕掛け箱なら、外から魔力を取り込めても、ネビュラが意識しない限り、その存在は気付かれにくいだろう。仕掛け箱からネビュラの声だけが聞こえる。

 だが俺はそれに構わずに、すぐに何重もの封印魔法を施してから、リグに渡すこの鍵と特定の人物を占有にし、そして俺以外には()()()にしかわからない解除方法で完全に鍵をかける。

 それをリグのザックに入れてから真っ直ぐにその目を見て手渡した。

「…馬鹿野郎、預かるだけだからな。」

「ああ。」


 俺がなにも言わなくても、リグはわかっていたと思う。…長い付き合いだ。


 俺達が高台を離れ、森から町の方へ移動しようとしたその時、魔法弾の流れ弾がリグの家を吹き飛ばした。

 逃げようとしていた森への進路が炎に塞がれ、火の手が上がる街中に向かうしか進める道がなくなってしまう。


 ――だめだこのままライとリグを連れて孤児院に向かうのは危ない。ここで別れ、後はネビュラの判断に任せよう。


「ネビュラ、俺が戻る前に危なくなったらすぐに転移しろ!」

『レイン!!』

「レインどこ行くの!?孤児院に行くなら、俺も行く!!」

「だめだ、おまえはここでリグと一緒にいろ。大丈夫だ、ラナ達を連れてすぐに戻ってくる。」

 ライの前に片膝を付いて目線を合わせると、俺はその肩に手を置いた。

「いやだ、俺も行く!!絶対にいやだ…!!置いて行かないで…レイン!!」

「ライ…」


 俺はライを強く抱きしめた。俺のライ…どうか、無事で。…大丈夫だ、これが別れじゃない。きっとまた俺達は会える。…俺はライにではなく、自分にそう言い聞かせた。


「もう一度言う、愛しているよ、ライ。」

 最後に愛するライの…その頭をくしゃりと撫で、俺は立ち上がると振り向かずに孤児院を目指して走り出した。

 ここからなら数分もかからない。ラナ、今行く…待っていろ。


「いやだレイン!!俺も行く、置いて行かないで…レイン!!レイン――っっ!!」


 後を追おうとするライの腕をリグはしっかりと掴んで決して離さなかった。レインに頼まれた以上、ライを守らなければ。…そう心に誓って。




 ――ライが記憶している限り、これが…レインを見た最後だった。


本編のライ・ラムサスが記憶している最後のレイン。ライとレインの絆がどんな物であったか伝わりましたでしょうか?最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今後はまた本編に戻ります。それではそちらもよろしくお願い致します!

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