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ヘズルの落日 遠き日々   作者: カルダスレス
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ヘズルの落日 遠き日々 ⑤

申し訳ありません。もう一話続きます。

――またもライが攫われたと聞き、レインはヘズルに戻る。そこに待っていたサイードと、捜索に向かったリグからの情報を待つしかなかった。レインは無事にライを見つけられるのでしょうか…?

        【 ヘズルの落日 遠き日々 ⑤ 】



 ――ライが柄の悪い二人組の中年男に連れ去られた。…その知らせは、ラナから一報を受け取ったリグから、緊急通信用の魔法石を通して俺の耳に届いた。


 その時俺はゲラルド王国との国境にほど近い、ラ・カーナ最北東に位置するドラグレア山脈にある竜人族(ドラグーン)の集落跡地、パリヴァカの古代遺跡にいた。

 ここには唯一、“太陽の希望(ソル・エルピス)”の在処に関わる、直接的な碑文が残された古代文字の石碑があった。

 その日その石碑を調べていると、ここには何度も来ていたはずなのに、見落としがあったことに気付き、刻まれていた碑文の文字が一部アナグラムになっているとわかった。

 文字を並び替えて暗号を解き、ようやく導き出した答えは『クラーウィス・カーテルノ』という一文だったのだが、残念ながらそれがなにを意味するのかまではわからなかった。

 だが、“カーテルノ”という言葉には聞き覚えがあるような気がして、それがいつ、どこでだったのかメモを見ながら記憶を探っている最中に…その知らせが届いたのだ。


『おい、レイン…聞いているか!?とにかく今、守護騎士達が街の中と外の両方を隈なく捜索してくれている。長距離転移は難しいかもしれんが、なんとかここまで来い!』


 魔法石からリグの声が直接耳に届く。…つい一週間ほど前にヘズルに立ち寄った時には、リグに怒られはしたものの孤児院に特段変わりはなく、ライは安全に暮らせているものだとばかり思っていた。

 それが…また攫われた?柄の悪い二人組の中年男?またか。また賞金稼ぎか?


 ――どうしてだ。…どうして俺達を放っておいてくれない。俺がこの手で命を奪って来た人間のその数だけで、優に生きて来た年数を軽く越える。

 それでもなぜ未だに俺を追うんだ。なぜ手を離した子供(ライ)にまでも害を及ぼす?


 …俺は全てを呪いたくなった。もうなにもかも諦めて投げ出し、欲に塗れて穢れた命が存在する、こんな世界など滅んでしまえばいい。…そう思った。


『だめだよレイン、しっかりして!!』


 ネビュラが虚脱する俺の周囲をくるくると飛び回り、何度も頭を叩きながら叱咤する。…とにかくヘズルに向かわなければ。



 ――俺は転移魔法が使えても、あまり遠い距離を飛ぶのは苦手だった。自分の自由になる魔力に制限があり、それを越えれば昏倒してしまう。だがここからヘズルまではかなりの距離があって、ネビュラの“神魂の宝珠”の魔力を借りなければ、一度に飛ぶことが出来なかった。


「…いつもすまない。この宝珠の力はおまえの生命と本体を維持するためのものなのに…俺の勝手で無理ばかりさせている。…ありがとう、ネビュラ。」


 両の手の掌を重ねて上に向け、そこにネビュラを座らせてから俺は彼と目線を合わせ、礼を言う。いずれはネビュラとも別れなければならない時が来る。それはもうそんなに遠い先ではなく、けれどもその日がいつ来るのかは俺にもわからない。だから言える時に言っておきたかった。

 ネビュラはその大きな金色の瞳をキョトンとさせて首を傾げる。


『…なに?急に。それどころじゃないでしょ、なんで今そんなことを言うのさ。これでお別れみたいな言い方するの、止めてよね。

 それに礼を言うのはぼくの方だろ?あのままミレトスラハに置き去りにされてたら、今頃はゲラルド王国の宝物庫かカオスの手の中だ。キミと一緒にいるから、僕はこうして外にも出られる。』


 “だからキミを助けるのは当たり前なんだよ” ネビュラはそう言って俺の顔を訝しむように覗き込む。


 …俺がネビュラと行動を共にすることになったのは、ライを引き取ったのと同時期…約八年前からだった。

 ネビュラの神魂の宝珠は他の守護七聖<セプテム・ガーディアン>のものと違い、なぜか人間の手元…ミレトスラハ王国に安置されていた。

 と言っても簡単に盗み出せるような場所にではなく、それなりに厳重に管理されてはいたのだが、本来ならば必要であるはずのキー・メダリオンがなくても俺が持ち出せた通り、人里の、それも一国の王家の宝として、代々受け継がれるような形で保管されていた。


 驚いたのはそれだけではなかった。ネビュラは封印されていたにも関わらず、眠りについてはおらず、近くにいた俺の存在に気が付くとある日突然話し掛けて来たのだ。

 ネビュラの話によると、元々眠っていたのはほんの数年だけで、後は宝珠の中から変わりゆく人の世界を、見渡せる範囲に限ってだが俯瞰し続けてきたのだそうだ。

 だが第一王女であり、ライの母親でもあるベルティナ・ラムサス・ネル・シェラノール・ミレトスラハがエヴァンニュ王国に嫁いだ辺りから不穏な空気が流れ始め、ミレトスラハ王国は滅亡してしまう。

 その際里帰りしていたベルティナに頼まれて俺がライを助け出し、逃げる時一緒にネビュラの神魂の宝珠も持ち出したのだった。


「――ネビュラ、いつも助けて貰っている身で厚かましいが…無事にライを助け出したら、これからは俺よりも、ライを守ってやってくれないか?」

 ネビュラは一瞬目を細め、不満げに右の目を吊り上げた。

『…なんで?それって、ぼくをキミから離すとか、そう言うこと?言っておくけどさ、ライよりもキミの方が()(ぽど)!!危ないんだからね?…それをわかってて言ってるワケ!?』

「ああ、わかってる。でも俺はライが無事でいてくれないと、きっと約束を果たせない。もちろん今後もおまえの力を借りることにはなるだろうけど、それでもいざという時は、俺よりもライを優先して欲しいんだ。…だめか?」

 不貞腐れたようにネビュラはぷいっとそっぽを向く。

『…だめじゃないけど、やだよ。キミになにかあったら、ぼくだって困るんだ。』


 “だめじゃないのなら、頼む。” そう俺がもう一度頭を下げると、ネビュラは口をとんがらせながら文句を返した。


『もお!!マスターとおんなじ顔で言うのは卑怯だよ、レインっ!!…断れないじゃないかっ!!』

 その後渋々“わかったよ”、と言うと俺に今まで以上に気をつけるよう念を押した。


 サイードは闇の精霊を気まぐれで信用出来ないと言っていたが、ネビュラに関してはそうは思わない。少なくとも今の俺にとって、この闇の大精霊であるネビュラ・ルターシュほど信頼でき、頼りになる存在はいないのだ。

 彼が一度承諾してくれた以上、もうなんの心配も要らなかった。ネビュラは守護七聖<セプテム・ガーディアン>の一角であり、自身の約束を違えることは決してないからだ。



 ――ネビュラの神魂の宝珠から魔力を借り受け、俺が長距離転移して孤児院に辿り着いた時、そこにはサイードとラナ、そしてシンという名の子供が待っていた。


「レイン…!」

 ラナは自分の腰の辺りに泣きじゃくる子供を抱えながらも、俺を見て顔を上げた。

「――無事に来られましたか。どこにいたのです?」

 サイードがいつもの碧髪に男性の姿ですぐに俺の所に駆け寄ってきた。

「パリヴァカの古代遺跡だ。ああサイード、今日新しい手がかりを見つけた。忘れないうちに先に言っておく。『クラーウィス・カーテルノ』という一文だ。一応覚えておいてくれ。」

「クラーウィス・カーテルノ…わかりました。呪文かなにかでしょうか?」

「いや、それはわからない。聞き覚えがあるような気がして、メモを見ながら記憶を辿っていたんだが…そこにリグから知らせが入った。」

「…そうですか。」

 俺とサイードのやり取りは普段からいつもこんな感じだ。淡々と情報を掻い摘まんで要点だけを伝える。こんな時でも重要なことだけは話しておかなければならなかった。


 周囲を見回すが、俺に連絡をくれたリグの姿が見えない。ラナに尋ねるとリグは守護騎士と一緒にヘズルの外を捜索しているらしかった。


 ――なぜリグが捜索に…?冒険者は引退したし、いくらライを捜すためだと言っても、足を痛めている身で外は危険だろうに、と疑問に思った。

 その答えをサイードがすぐにくれる。


「マイオスですが…どうも自宅の入口前で、ライを攫って行った男達を見かけていたようなのです。気付けなかったことに責任を感じているらしく、危ないと言ったのに自分から捜しに出てしまったのですよ。」

「…どういうことだ?」

 訳がわからずに尋ねると、ラナが沈んだ声で伏し目がちに話し始めた。

「実は今日、ライとこの子…シンはマイオスさんの自宅へ行くはずだったの。」


 それによると、俺とライの仲をなんとか取り持とうとしたリグから話を聞き、ラナが俺のことをライに話した。ラナから話を聞いたライはリグに会いに行こうとし、その途中で攫われたらしいのだが、リグはライ達が自宅を訪ねて来ると知り、家の入口に立って待っていた。

 その時まさかライが誘拐されたなどとは夢にも思わず、袋を抱えた不審な二人組の男が森に入っていくのを見ていたんだそうだ。


 リグのことだ、その時点で気が付いていれば、と気に病んだに違いない。…だがそれを聞いた俺は、他の誰の所為でもない、結局元を辿ればまた俺自身が招いた事態なんじゃないか、…そう思った。


 ――落ち着け、焦っても手がかりのない状態では動けない。…冷静にならなければ。


 俺は自分にそう言い聞かせる。


「ごめんなさい、レインさん、シスター・ラナ。ライが連れて行かれたのに、俺…なにも出来なかった。怖くて動けなくて…ごめんなさい。」

 シンは泣きはらした目をして俺の方を見ると、そう言ってはさらに泣きじゃくる。目の前でライが攫われたのは余程ショックだったのだろう。

「シンのせいじゃないわ。謝らなくていいの、あなたはなにも悪くないの、大丈夫よ、シン。ライはきっと無事に帰ってくるから。」

 ラナがシンを慰めて抱きしめ、その頭を優しく何度も何度も撫でていた。


 そう、この子のせいじゃない。悪いのは俺だ。この子に怪我がなくて良かった。…そう言いたいのに、ラナのようには上手く慰められそうになく、俺の口からはなんの言葉も出て来なかった。


「…大丈夫ですか?ラナ。その様子ではその子の精神的負担が心配です。せめて少しでも落ち着けるように、この“安らぎの葉”を煎じて飲ませてあげるといいでしょう。」

 サイードが所持していた薬草を袋から出して俺の目の前でラナに手渡す。

「ありがとうございます、サイード様。…さあ、シン、私と食堂へ行きましょう?美味しいお茶を淹れてあげる。その後で少し休みましょうね。」

「待ってシスター・ラナ。俺、レインさんと話したい。」

 ラナがその肩を抱き、食堂へと促そうとすると、シンは振り返り、俺の方へと戻って来た。


「レインさん…俺、シンって言います。いきなりごめんなさい。でもどうしても言いたくて…レインさんには俺達にわからないような事情があるんだろうけど、お願いだからライに会ってやってよ。

 あいつ、今日初めて俺に笑いかけてくれたんだ。あなたに会うためにマイオスさんのところに行くんだって…そう言ってて…」

 シンは真っ赤に泣きはらした目で涙を堪えながら俺を見上げる。

「生意気なこと言うかも知んないけど、どんなに会いたいと思っても二度と会えなくなることだってあるんだよ。それこそどっちかが死んじゃったりしたら、後悔しても、どんなに願っても本当にもう会えないんだ。」

 “そんなことになる前にどうか会ってやってよ…!” ライと同じ年だというシンは、その言葉で以て俺の横っ面を思いっきり殴った。


 その後でシンは、ラナに肩を抱かれて奥の食堂へと移動して行く。


 ――あんな小さな子供に諭されるなんて情けありませんね。横にいて黙って聞いていたサイードは、少し呆れたように冷ややかな目で俺を見た。


 確かにその通りだ。もちろんそんな事態など考えたくはないが、もしこのままライの行方がわからず、どんなに捜しても見つからなかったら、俺はもう二度とライをこの手に抱きしめられないのだ。

 そう考えたら…そう考えただけでも…頭がおかしくなりそうだった。



『レイン!!北東の廃村にいる、すぐに来いっ!!』


 ――魔法石から突然耳に響いてきたリグの声に、俺は目を見開き、天を仰ぐ。


 シュンッ


「レイン…!?」


 その場にサイードを置き去りにして、俺はリグのいる場所へと転移した。


 サイードなら放って来ても俺が飛んだ位置を探査(サーチ)して追いかけて来るだろう。



 ――“北東の廃村”…その場所を特定して転移した俺は、崩れた廃屋が数軒ある、朽ち果てた小村の中で、守護騎士達と一緒に話をしているリグの元へと駆け寄った。

「リグ…!!」

 程なくしてやはり追いかけて来たサイードもすぐに合流する。

「なにか見つかったのか!?ライは…!?」

「来たかレイン、サイード様も。」

 リグの表情が険しく、俺を呼んだ理由が決して良い知らせのためではないことを悟らせた。

 目の前の廃屋の中で中年の男が二人、折り重なるようにして事切れていた。そのすぐそばに、小さな子供くらいなら入れられそうな麻袋と、細長い布きれ、そして何本かのロープが放置されていた。


「…俺が袋を抱えて森へ向かう姿を目撃したのはこいつらだ。だが殺されていやがる。」

 眉間に深い皺を寄せ、悔しげにリグが歯噛む。

「――すまん、レイン。…俺があの時気付いてさえいれば…」

「違う、おまえのせいじゃない…!!」

「そうですよ、マイオス。あなたが謝ることなどなにもありません。」

 思った通り、リグは気に病んでいた。サイードが俺に同意してリグの言葉を強く否定するが、それでも気のいいリグはやっぱり自分を責めてしまうのだろう。


「殺されていたこの男達ですが、武器を抜く間もなく急所を一突きにされています。おそらくは即死だったでしょう。」

 守護騎士の一人が男の脇に片膝を立て、詳しく所持品などを調べながらそう言った。見たところ確かに目立った傷は一カ所しか見当たらず、心の臓をなにか鋭い物で貫かれているようだ。

「所持していた身分証からやはり賞金稼ぎ連盟(プラエミウム)に所属している流浪人のようです。レインフォルス・ブラッドホークさん…あなたには未だ五千万(グルータ)の懸賞金が懸けられたままなのだそうですね。おそらくこの男達は最終的にそれが目当てだったのでしょうが…他にお子さんが狙われるような心当たりはありますか?」

「――……」


 俺が黙り込んでいると、横にいたサイードが代わりに返した。

「――あり過ぎて逆に見当が付きませんね。この男達が殺されたのも仲間割れの可能性がありますし、賞金稼ぎ以外にも外部に雇われてレインを捜している人間は、それこそ数え切れないほどいます。」

 お手上げというように両手を広げ、溜息を吐くとサイードは大きく首を振った。

「それより日が大分傾いてきました、暗くなる前になにか手がかりが残されていないか、周囲を詳しく調べてみましょう。そちらが優先です。」


 俺達は手分けして、どこかになにか残されていないか探し回った。だが一向になにも見つからない。そんな中、守護騎士の一人が男達の遺体の下をまだ調べていない、と言い出した。遺体の下に何か見つけたようだ。

 リグを除く四人で男達の遺体を外に運び出す。すると血溜まりのあるそこの木の床に、なにかで削られ、刻み込まれた図形と短いメッセージ、そしてその図形の中央にわざわざ血で汚れないよう魔法で防汚(ぼうお)処置された封筒が置かれていた。


「これは…R・B…レインのイニシャルか…?」

「それと封筒になにかの図形…地図か見取り図のようにも見えますね。」


 その図形は大きな二重円に小さな円が縁に十二個等間隔に並んでいる、なにかを真上から見た俯瞰図のように思えた。そう感じるのも、俺が数多くの遺跡を巡ってはその見取り図を、次にまた訪れることを想定して出来るだけ詳細に残すよう、習慣づけて来たからだった。

 つまりこれを残した相手は、そんな俺の普段の行動をよく調べて知っている人物だと言える。

「――for R・B…from ASL2…レインフォルス・ブラッドホークへ、ASL…アーシャルより…」


 …この図形…古代期の祭壇か、転送陣…?


 俺にはこの図を見て思い当たる場所があった。このメッセージの送り主が連中ならば、猶更あの場所に間違いないだろう。


 “アーシャル?それは人の名前ですか?” と蒼天の使徒を知らない守護騎士達が俺の呟きを聞き、尋ねる。彼らの対応はリグが買って出てくれたようで、すぐに適当に誤魔化し始めた。

 捜索してくれるのは心底有り難いが、詳しいことはなにも話せない。事情を知られれば余計な災難に巻き込んでしまうかもしれないからだ。


「この男達を殺し、ライを連れて行ったのは誰なのか…わかりましたね。」

「…ああ。ASL2…ル・アーシャラーの第二位、と言う意味だろう。」

 俺とサイードは守護騎士達に聞こえないように小声で話す。

「その封筒は?」

「これも俺宛だな。…今中を――」


 パラ…パラパラパラ…パサッ


 封筒を開けた瞬間にそれは消え、俺の手の中からその中身が、パラパラと舞いながら床の血溜まりの中へと落ちて行った。


「あ…――」


 意図せずぶるぶると激しく震え出す俺の指に、絡みついた漆黒の数本の髪――


「レイン!!」


 後になって思い起こしてもこの瞬間のことは覚えていない。


 ――サイードと、リグの俺の名を呼ぶ声が、酷く遠くに聞こえた。


 誰かの叫び声が聞こえる。…叫んでいるのは、誰だ?……ああ、俺か。これは…俺の声か。


 ライが攫われたと聞いてから…落ち着こう、冷静になろうと必死に保っていた心の均衡が破れ、どこかでなにかが壊れた。



「レイン、しっかりしなさい!!レインフォルス!!」

 サイードの目の前で、絶叫していたレインが見る間に獄炎の闘気に包まれて行く。その呼びかけにも反応せず、紫紺の瞳が紅く輝き、漆黒の髪が完全に赤々と燃え上がる真紅に染まった。


 次の瞬間、それは爆発して周囲を灼熱の炎が吹き飛ばした。



 ヘズルの孤児院教会入り口でライとレイン達の帰りを待っていたラナは、北東の方向に真っ直ぐ上空へと向かって飛翔した真紅の光が、日の暮れかけた薄紫の空を切り裂きながら遙か遠く、南南東の方角へと一直線に飛び去っていくのを目にする。


「――あの紅い光は…!!」

 ≪…レイン…!?≫

 不吉な予感に胸騒ぎを覚えるラナの背後に、守護騎士二人とリグを伴い、サイードが転移して戻って来た。

 ラナは慌てて駆け寄る。リグと二人の守護騎士は気を失っていたが、サイードを含め特に怪我はしていないようだった。

「サイード様、レインは…!?たった今、真紅の光が南の方へと飛び去っていくのを見ましたが…まさかライになにか…!?」

「ラナ、マイオス達を頼みます。ライを攫ったのはまた蒼天の使徒、アーシャルです。レインは封筒に入れて残されていた、ライのものだと思われる切られた黒髪を見て…正気を失ってしまいました。」


 そう告げるサイードの表情から、憂慮すべき事態が起きたとラナは瞬時に理解する。

「私になにかお手伝い出来ることはありますか…!?()()()姿()()()()()、たとえレインの瞋恚(しんい)(ほむら)であっても食い止められます。」

 ラナはその瞳に決意を込めてサイードを見た。だがサイードは静かに首を振る。


「大丈夫です、レインには私がいます。最悪の場合は私があの子を止めますから、あなたはここを守ってください。」

「サイード様…わかりました。」

 ラナは頷いて、すぐに転移魔法で消えゆくサイードに、“どうかお気をつけて” と告げその姿を見送った。



 ――転移したサイードが向かったのは、人間が容易には辿り着けない特別な場所だった。遙か上空まで聳え立つ豪奢な聖堂。三本の形の異なる剣を掲げた肖像が祀られ、色とりどりのガラスから差し込む光がそれらを七色に照らし出す。

 そこでは緑髪の白と金の聖衣に身を包んだ、神官とおぼしき人物が一人厳かな祭壇に向かって祈りを捧げていた。


 サイードはゆっくりとその人物に近付きながら変化魔法を解き、本来の美しい女性の姿に戻って行く。

 青銀のふわっとした腰までの髪に、紺色の真珠が鏤められたカチューシャを付け、透けるように真っ白く、陶器のようになめらかな肌を適度に露出させた魔法衣に身を包み、桜色のその艶やかな唇で冷淡に声を掛ける。


「――光神レクシュティエル様の元・忠臣…聖哲(せいてつ)のフォルモールですね。」

 緑髪のその人物はゆっくりと立ち上がりこちらを振り返る。

「何者ですか?ここは聖なる神殿…限られた者しか立ち入りを許しておりません。」

「許可など必要ありません。(わたくし)の名はサイード・ギリアム・オルファラン。インフィニティアより参りました。」

 男はサイードの言葉を聞いて顔色を変える。

「オルファラン…インフィニティア…!?まさか――」


 コツン、カツン、とヒールの靴音を響かせながら歩く度にサイードが触れた床に青銀の魔法陣が広がって行く。

「蒼天の使徒アーシャルを率いる高位神官でありながら、なんの関係もない幼子にまで魔手を伸ばす…これで何度目かしら? あなたの命令で(くだ)っている、ル・アーシャラーの第二位が(わたくし)の庇護下にある子供を傷付けたの。今度という今度はもう看過出来ないわ。」

 カッと金色の瞳を見開き、サイードの身体から眩い真珠色の闘気が層状に放たれると、その神々しさにフォルモールは恐れをなして後退る。

「くっ…その気高く清廉な威光はやはり…!!」

「あなたを当分の間“怨嗟(えんさ)遠奥(とろく)”にある嘆きの(ひとや)に拘束します。抵抗しても構いませんが、(わたくし)の時の呪縛<カーラ・マレディクタム>からは逃れられませんよ。覚悟なさい。」


 ――その日、人間の目の届かぬ遙か高みで、青銀の閃光が蒼天の居城を包み込んだ。





 ヒュオォォ…


 冷たい風が音を立てて薄氷の張る地面を吹き抜けて行く。凍えるような寒さの中、吐く息は白く、暗くなりかけた空からは、はらはらと小さな灰色の塊が舞い落ちてくる。


 緑髪の女にライは転移魔法でラ・カーナ王国の僻地にある、ヘズルから遠く離れた寒冷地帯の高所に連れて来られていた。

 その足元には円形状の、直径が二十メートルほどもある大きな舞台にも似た真っ平らな石の台座があり、周囲には等間隔で並んでいる、12本の円柱が建っていた。

 この場所にはここに続く道が何処にもなく、緑髪の女が立っているその背後は切り立った高い崖になっていて、その下に見える範囲全てが深い森であり、正面に見える反対側にも同じような鬱蒼とした森が広がっていた。


 かつてここは蒼天の使徒アーシャルの本拠地である、天空の城に通じる転送陣が設置されていた場所だった。

 今は遺跡と化し、その機能は既に失われて久しかったが、僅かに残っている当時の魔力の残滓が、この女の持つ聖光術を使うのに都合が良く、それがレインをおびき出す場所としてここを選んだ理由であった。


 薄いベールのようなぼんやりと光る保護膜に包まれ、女は利き足に重心を置き、腕を組んでその時をただ待っていた。

 僅か数秒後、仕掛けておいた信号魔法が発動したことを感じ取ると、もうほどなく待ち人が来ると踏んで酷薄な笑みを浮かべる。


「うっふふ…封を開けたらわかるように魔法を仕掛けておいたプレゼントは、どうやら受け取って貰えたみたいね。最愛の坊やの切られた黒髪を見て、あの男はどんな反応をしたかしら?ねえ?坊や。」

 緑髪の女は口の端でほくそ笑み、横に力なくぺったりと冷えた地面に座り込んだまま、虚ろな目をしてなんの反応も示さない、壊れた人形のようになったライを見下ろす。

「ああ、そうそう、今更だけど一応名乗っておくわね。私はミュゼリカ。ル・アーシャラー第二位よ。…と言っても、壊れた坊やには聞こえていないかしら。」


 ミュゼリカは邪悪な女だった。狡猾で目的のためなら手段を選ばず、他人を蹴落とすなど当たり前で、人の粗を探し、弱味を握ることを生きがいとしており、隙あらばそこにつけ込んでは、意のままに操ろうとする。

 それは全て蒼天の使徒として自らの地位向上のためであり、敬愛して止まぬ大神官フォルモールにただ気に入られたいがためであった。


 実際、それは上手く行っていた。ル・アーシャラーとして第二位の座までは上り詰めたのだから。だが以降はどれほど手柄を立てようとも第一位が必ず邪魔をする。

 不思議なことに第一位はなぜか短命の人間が務めており、その(くらい)だけはたとえ空位になろうとも、フォルモールが何処からともなく新参者を連れて来て、すぐに有無を言わさず据えてしまうからであった。

 ミュゼリカにはそれが面白くなく、度々第一位に罠を仕掛けたり、陰で暗殺を企んだりもしているのだが、今のところそのどれもが失敗に終わっていた。


 ――忌々しいったらありゃしない。どうしてフォルモール様は魔法に長けているからと言って、あんな人間なんかを第一位に重用するのかしら?おまけに大神官(ごじしん)と同等の権限を与えて、代理まで務められるようにするなんて…信じられない。


「でも、それもこれまでよ。レインフォルス・ブラッドホークの捕獲はフォルモール様の悲願だもの。この子供を上手く使えば…私なら捕まえられるわ。うふふ…」


 女は髪色と同じその瞳を蛇のように光らせ、奸計を巡らせる。が――


 ――ミュゼリカの頭上に真紅の光に包まれ、獄炎の塊と化したレインが…微音も立てずに出現した。


「な…――」


 ズガンッ


 刹那的に視界が陰っただけで反応し、その一撃を躱したのはさすがにル・アーシャラーの第二位である。


 レインの不意打ちに等しい攻撃が、ミュゼリカの立っていたその場所を粉塵を舞い上がらせながら深く穿った。その衝撃と反動で空気が輪のように振動し、瞬間舞い散る小雪が真横に吹き飛んだほどだ。

 当然、ミュゼリカのすぐ隣に座り込んでいたライとて直撃し、無事では済まない。だが正気を失っているレインにその判断は付かず、ライの身を守ったのは言うまでもない、ネビュラの守護障壁だった。


「なにすんのよっ!!」

『なにすんだよっ!!』


 ミュゼリカとネビュラの声がほぼ同時に響く。ミュゼリカにネビュラの声は聞こえないが、聞いていなくてもレインの耳には入っていたはずだ。


『敵と一緒にライまで攻撃に巻き込むつもりなの!?目を覚ましなよ、レイン!!』


 転移してすぐのとんでもない行動に仰天したネビュラは叫んだ。


「「…コロス…アーシャル…コロス…!」」


 だがネビュラの声はレインの耳に届かず、レインはその声を高低二重に響かせ、ただ真紅に輝くその眼をギラギラさせて殺意を剥き出しにしている。

 殺す、アーシャル、殺す。ブツブツと呟くように何度もそれだけを繰り返して。


「あっははははは、なあに?まさか正気を失っちゃったの!?たかが坊やの切られた黒髪を見ただけで!?やあだ、これが邪眼を持つ男の正体ってわけ?散々手子摺らせてくれた割にはお粗末なのね、笑えるわぁ!!」

 いっそ清々しいまでに悪辣な高笑いをし、ミュゼリカは隠唱(いんしょう)してなんの前触れもなく高位魔法を放つ。

『うきゃっ!?』

 広範囲に幾筋もの雷撃が降り注ぎ、驚いて声を上げたのはライと自分に障壁を張ったネビュラの方で、直撃こそ免れたもののレインは完全には躱しきれずに傷を負う。

 だがその痛みすら感じないのか、一切構わずに猛烈な勢いでミュゼリカへ突っ込んで行くと、ただ闇雲に爪を立てて狂暴な攻撃を繰り返し始めた。

「「がああああぁぁっっ!!!」」

 咆哮を上げ、がなりながら腕を振り回し続けるその姿は、最早狂った獣のようにしか見えない。


 因みに隠唱(いんしょう)とは読んで字のごとく、周囲に悟られないように魔法を詠唱していきなり放つ補助スキルのことだ。

 それを使用して魔法を使われては、いつ、どこからどこを狙って魔法が放たれるのかわからず、ネビュラはライの守護から一切離れられなくなった。卑怯な手段を好むミュゼリカらしいスキルと言えるだろう。


『あの女アーシャル…かなり狡猾で性悪だ、正気を失くしたレインじゃ勝てないかもしれない…!ううん、最初からレインの冷静さを失わせるのが目的で、ライを狙ったんだ…ご丁寧にライの髪を切って目の当たりにさせてまで!!』


 ――不味い…不味いよ、これは…!行動が暴走して魔力もただ拡散させているだけだ、あれじゃそのうち力尽きて倒れてしまう…!!そうなれば今のぼくじゃ、レインは守り切れない…どうすればいいのさ…!?


 ネビュラは猫型の耳ごと頭を抱えて焦った。これまでもレインが怒りに支配され、瞋恚(しんい)(ほむら)を爆発させたことは何度かあったが、完全に正気を失ったのはネビュラの知る限り、これが初めてだった。


 おそらくこの二年以上もの間、レインはライに会いたい気持ちを心の底にひた隠して我慢していたのだろう。

 “時間がない”と捜索に没頭する振りをして、その思いをずっと誤魔化して来たに違いない。

 だがそれに耐えられたのは、ライが孤児院に無事でいて、いつでも自分の心に区切りが付きさえすれば、会いに行ける、と言う希望があったからだ。

 そのライが攫われ、切られた髪を見たことで、ライが殺されたかもしれない、とレインは一瞬でもそう思ってしまったのだ。


 その結果、正気を失った。


 ネビュラの声すら届かないのでは、この状態のレインをどうやって元に戻せばいいのか?せめてライが声を出せれば、呼びかけて貰うことも出来たかもしれないが、ライの様子も見た感じおかしく、寧ろこちらもすぐに治療が必要なんじゃないかとすら思えた。


 そうしてネビュラは左見右見(とみこうみ)しながら、狼狽えてなにも出来ず右往左往するしかなくなった。


「あっはははは、エクシオルには感謝しなきゃねえ…彼のくれた最後の情報のおかげで、あんたに有効な手段がわかったんだから。ねえ?そろそろ疲れてきたんじゃない?大分動きが鈍くなってきたわよ?」

 ミュゼリカの放つ小威力魔法がレインに高確率で当たるようになって来ていた。

「「ぐがああああぁぁっ!!アーシャル、アーシャル――っっ!!!」」


 ――レインの心の中は怒りと憎しみ、そして悲しみで埋め尽くされていた。過去に犯したある罪から重責を背負い、彷徨い歩いたこの世界で、ライとの出会いが孤独を癒やし、今ではその存在が心の支えとなっていた。

 愛情を注げば注いだ分、無条件に返ってくる同じ思い…それはライとの暮らしの中でしか得られないレインだけの幸せだ。


 ライが幸せになるのなら、忘れられてもいい?会えなくてもいい?…そんなのは嘘だ。

 おまえ達のような連中さえいなければ、俺はライのそばにいられたんだ…!!

 憎い…憎い、憎い、憎い、憎い…!!消えてしまえ…!!俺の前から、消え失せろおおおぉぉ!!!


 その声無き嘆きは、レインの中にだけ狂声となって木霊する。悲憤慷慨(ひふんこうがい)して暴走し続けたレインのその力が、蓄積した疲労と共に急激に弱まり、尽きかけてきた。


 ミュゼリカは攻撃をのらりくらりと躱しながら、煽るだけ煽って挑発を繰り返し、注意深く観察しながら待ち続けていた、その好機を…逃さなかった。


 獲物を狙う蛇のごとく、その眼がギラリと邪悪に光る。


 ――待ってたわ、ここよ…!!


「これで終わりよ、レインフォルス!!捕らえよ、『アストラル・カヴェア!!』」


 レインの頭上に何十もの呪文の帯で、厳重に縛られた魔法の檻が顕現する。それが残像を伴い、時を移さずに急降下してレインを捕らえようとした瞬間――


「――させません!!打ち消せ、『ディスペル!!』」


 カッ…


 空中に描かれた白く輝く魔法陣によって、それは瞬く間にかき消された。


「な…誰よ邪魔するのは!!あと少しだったのに…っ!!」


 タンッ…


 転移してそこに現れ、ふわりと着地したその女性は、真珠色の闘気を纏い、既の所でレインの助けに駆け付けたサイードだった。


『サイードぉ…!!』≪助かった…!!≫ ネビュラは半泣きで(精霊は涙を流さないけど)心から安堵する。

 サイードはミュゼリカとレインの間に毅然として立ち、刹那瞑目すると、その金の瞳に敵意を込め、目前の女に怒気を含んだ視線を投げかけた。


「しっかりしなさい、レインフォルス!!!」


 直後覇気を伴う凜とした声が、凍てつく空気を切り裂いて周囲に響き渡り、レインの頭の中にまで揺さぶりをかけて届いた。


「「…っ!!」」

 その厳しくも澄んだ声に一喝され、レインの身体がビクッとたじろぐ。


「あなたがここに来た目的はなんですか!?思い出しなさい!!蒼天の使徒(このおんな)を倒すことではないはずですよ!?」


「…サ…イード…」


 ――ここに来た、目的…俺の…


 赤々と身を包んでいたレインの獄炎化が次第に鎮まり、その姿が紫紺の瞳と漆黒の髪色を取り戻して行く。


 ≪ライ…!!≫


『レイン…!!良かった、正気に戻った…!!』

 それを見たネビュラはびゅんっと嬉しそうにレインの元へと飛び寄る。

「ネビュラ…ライ、ライは…?」

『あそこだよ、早く行ってあげて!!様子がおかしいんだ…!!』

「…!」

 レインはふらつき、蹌踉けながらも、未だに地面に座り込んだままで俯いて動かないライの元へと急いだ。

「ライ…っ!!」


「ちっ…なんなのよ、あんた!!いきなり現れて邪魔して…私が誰だかわかっているの!?」

 ミュゼリカは正気を取り戻したレインをサイード越しに見ながら、切歯扼腕(せっしやくわん)して悔しがり舌打ちをする。

「――ええ、もちろんわかっていますよ。ル・アーシャラー第二位、悪心奸計(あくしんかんけい)のミュゼリカ。あなたの行いは聞いていた噂通りのようですね。」

「な…だから、あんたは誰なのよ!!」

 サイードは普段の穏やかな姿からは想像も付かないほどに冷酷な瞳でミュゼリカを見やり、心の底から貶んだ眼差しを向けた。

「生憎ですが、あなたのような下劣な者に名乗る名など持ち合わせておりません。ああ、それから、あなたの大好きなフォルモールは暫くの間、フェリューテラから消えて頂きました。」


「え…?」

 ≪なに…?いま、なんて――≫

 フォルモールが消えた、と聞いてミュゼリカは愕然とする。


「ネビュラ・ルターシュ、手を貸してください。この者はこれまでの所業からカオス同等に邪悪で生かしておけません。復活どころか輪廻の輪にさえ入れぬよう、完全に消し去ります。」

 サイードは自身の専有武器である神杖カドゥケウスを、なにもない空間から引き出して具現化すると、それをミュゼリカに向かって突き出した。

『オッケー、サポートは任せてよ!!闇魔法も使っていいからねっ♪』

 サイードの横にひゅるんっと飛んでくると、ネビュラも一丁前に紫の闘気を纏って小さな右腕を肩からぶんぶんと振り回した。(ミュゼリカには見えていないのだが。)

「…ちくしょう…よくも…、よくもぉ―――っっ!!!」

 ミュゼリカも怒りを爆発させ、緑色の闘気を舞い上がらせた。


 サイードとネビュラ対ミュゼリカの戦闘など、もう気にも止めず、レインはライを抱き起こすと、必死に頬や髪を撫でて冷え切った身体を温めようとする。

「ライ…ライ、俺だ!!頼む俺を見ろ、しっかりしてくれ…!!ライ…!!」


 ネビュラの言う通りライの様子は完全におかしかった。その幼気なオッドアイにはなにも映さず、息はしているのに、まるで動かない人形と同じだった。


 ――どうして…なぜなんの反応もないんだ?呼びかけても瞳が動かない。いったいなにをされた…!?


 次々と押し寄せる不安に、カタカタと震え出すその手でレインがライを抱きしめたその時…悪意の込められたミュゼリカの叫び声が響いた。


「坊やと一緒に吹き飛びな!!レインフォルス・ブラッドホーク――っ!!!」


 ミュゼリカは自身の相手をしているサイードにではなく、無防備なレインとライを目掛けて究極魔法を仕掛けた。


「あれは…高位聖光術!!」

 連続して瞬き空に描かれて行く魔法の呪文円に、サイードの額から血の気が引いて行く。


 それはこの場所に残されていた魔力の残滓を吸い上げ引き摺り込んで、サイードやネビュラの障壁では防御不可能なほどに威力を増して行った。


「レイン!!ライっっ!!!」

『レイン――っ!!』


 サイードとネビュラが二人を振り返り、名を叫ぶ。


 力の尽きかけているレインに今、その魔法から逃れる手立てはなく、なすすべもないまま頭上に現れた黄緑色の巨大な魔法陣を見上げた。


「きゃはははは、喰らえ、聖なる十字架!!『グランドクロス』っっ!!」


 ――ミュゼリカの歓喜の狂声と共に降り注ぐ魔法から、レインはライを守ろうと、その小さな身体に覆い被さり両手で強く抱きしめた。

 吹き荒れる魔力の奔流を感じながら絶望に固く目を閉じ、寸刻の間、守り切れなかった最愛の存在に心から詫びると…訪れる瞬間をただ待つしかなかった。

 無情にも閃光が迸り、真っ白く輝いた幾重にも重なる十字架が、辺りをその光で埋め尽くして行く。それはなにをしても到底無事には済まないほどの凄まじい魔法だった。


 だがその絶望の最中、レインには確かに聞こえたのだ。…その声が。


『ディフェンド・ウォール・レクシャス』――


 永遠に続くようにも思えたその魔法が全て消え去った後、その中心にいたレインとライは…無傷だった。

 真っ白い閃光に包まれていたために、サイードとネビュラにはなにが起きたのかわからなかったが、二人ともこの魔法ではかすり傷一つ負わずに無事だったのだ。


「なんでえ!?…なんで無事なの!?あり得ない…同クラスのル・アーシャラーだって無効化出来ない魔法なのに、どうしてよおおおおおおぉ!?」


 絶叫して突っ伏したミュゼリカに、今度は激怒したサイードの消滅魔法が降り注ぐ。


「おのれ卑劣な、よくも…その魂魄までも塵と化せ!!『カーラ・ペルフェクタ・エトランドル!!!』」

『ぼくも怒ったぞ!!おまけだい!!喰らってやる、アストラル・イーター!!』


 断末魔の叫びと共に塵と化して粉砕されたミュゼリカは、ネビュラの止めで闇の狭間に吸い込まれ、グランシャリオでの第四位と同じく、その魂までもが完全に消滅した。



 ――屈折した光に反射し透き通って目に映る、微かな絶対障壁の残滓が…消えて行く。


 レインはまだ、人形のように反応しないライを胸に抱いたまま、不思議な静寂の中に小雪のちらつく空を夢現で見上げた。


 絶体絶命の自分の窮地に、確かに聞こえたその声は…ミュゼリカとの暴走した戦闘で複数箇所に負っていたレインの傷をも瞬時に癒やし、サイードやネビュラの障壁でも庇いきれない、強大な究極魔法を完全に無効化した。


 それはこの世界でただ一人、“マスタリオン”と呼ばれる人物だけが使用可能な――


 ――『究極の守護魔法』だった。


次こそ本当に最終話です。ほぼ出来上がっているので、早めに投稿します。

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