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ヘズルの落日 遠き日々   作者: カルダスレス
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ヘズルの落日 遠き日々 ③

孤児院での日々を淡々と過ごすライ。ここに来てから随分と日が経っているようですが…

         【 ヘズルの落日 遠き日々 ③ 】



 ――高さ二メートルほどの石壁と魔物避けの魔法結界に守られた、古い中規模の街ヘズル。ラ・カーナ王国の伝統的固有芸術の一つ、ラカルティナン細工の細工職人が多く住み、王国騎士がこの街の主守護を担う。隣国ファーディアとの国境からほど近く、流浪者や旅人、時にならず者や犯罪逃亡者などが訪れることもあるが、治安も良く、魔物による襲撃もほとんどない平和な街だ。

 長いフリューテラの歴史上、度重なる戦火を逃れて現在まで残存している、数少ない街の一つでもあり、ラ・カーナ王国内で“太陽の希望(ソル・エルピス)”と呼ばれた人物が、過去拠点にしていたことでも有名だった。

 街の入口から通りに並ぶ建物は、ラプロビスと色彩煉瓦を組み合わせたこの国らしい美麗な外観をしており、暖色系の自然色を中心に温かみのある建築物で統一されていた。

 そのヘズルの街の最奥、緩やかな曲がり坂道を上っていった先に大きな教会がある。


 ――『ソル・エルピス聖孤児院教会』


 その歴史はとても古く、初期の所有者たっての遺言で、身寄りのない孤児達を育てる拠り所となり存続してきた。

 正面の聖堂と教会本体は街中と同じくラプロビスと色彩煉瓦で建てられ、藍色の三角屋根には風見鶏と太陽を示す二重輪の付いた十字架が乗っている。裏手に回ると鐘楼塔(しょうろうとう)と渡り廊下で繋がった孤児達の住居があり、中庭を囲んでぐるりと一周するような形で建物が建てられていた。


 その教会の敷地内にある小高い丘に、樹齢百年以上と言われる一本の精霊木(せいれいぼく)が生えている。


 精霊木(せいれいぼく)とは何らかの要因で、時々夜になると仄かに光を発する不思議な木のことを言い、それは樹齢が百年を超した大木だけに起きる現象で、チラチラと舞うように光が動いて見えるため、“精霊が木に宿っているようだ”と誰かが口にしたことからそう呼ばれるようになった。


 その木の方へと向かい、傾斜となったここの庭の野原を赤茶色の髪をした少年が、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いて来る。


 少年の名前はシン。ここは孤児院であり、その孤児であるシンに名字はない。


「ラーイーっ、おーい、ラーイ、どこだー?」


 おっかしいな、あいつどこに行ったんだ?いつも大体この辺りにいんのに。シンはそう思いながら、自分の声がもっと大きく響くように右手の掌を口脇に当て、近くにいるはずのライを何度も呼んでいる。


 ――シンの声だ。…そんなに大きな声で呼ばなくたって、聞こえてるんだけどな。


 ライはシンの推測通り確かにすぐ近くにいた。ただし、垂直方向にだ。今ライがいるのは、シンの目の前に生えている、幹が二メートル以上、高さが十五メートル近くもある精霊木(せいれいぼく)のずっと上の方だった。


 ここからだと教会前の坂道が下の方までよく見える。ヘズルの入口の方から、もし、誰かがここを訪れようとすれば、遠くから歩いて来てもすぐに見つけられる。だからライは時間があるとここに登り、いつも同じ方向を眺めているのだ。“もしかしたら”と微かな希望を抱いて。


 太い枝を足の間に挟み、跨がるようにして背中を幹に預けていたライは、今日も待ち人の姿が見えなかったことに、短く溜息を吐く。


 …用があるから呼んでるんだろうし、面倒だけどそろそろ返事、しないと。


 仕方なくそれを拒否する身体を動かし、間違っても落ちないように気をつけながら、ライはガサガサと近くの枝葉を手で掻き分けて顔を出す。


「…ここだよ、シン。なに?」

 真下の地面から少し離れたところに、ここへ来て以来すっかり見慣れてしまった赤茶色のザンバラ頭と旋毛(つむじ)が見える。

「ああっ!?おまえまたそんな高いとこまで登って…シスター・ラナに怪我するから危ねえって何度も言われてンだろ、怒られるぞ!!」

 自分の頭上から降ってきたその声に、シンは顔を上げると、親切心からそう言ってライを戒める。


 ザッ…


 そんな忠告もどこ吹く風で、当のライは結構な高さから平然と飛び降り、軽やかにスタッと音を立ててシンの前に着地した。


 ちくしょう、こいつ…俺と同い年のくせに、格好いいな。あんな高いところから簡単に飛び降りるし。そうシンは琥珀色の瞳を丸くしてちょっぴり悔しがる。


「平気だよこのぐらい、怪我なんかしないし。…それよりなんなの?用があるから俺を呼びに来たんでしょ。」

 衣服に付いた葉を払いながらシンの元へ歩いて来ると、ライは無表情のまま顔を上げシンを見る。

 その瞳は変わらぬ左右色違いでオッドアイのままであったが、以前の面影は消え失せ、なにもかもを諦めて失望しているかのように輝きを失くしていた。


「うん、シスター・ラナが呼んでる。俺達に買い物に行って来て欲しいってさ。」

「ふうん…わかった。」


 …なんだ、買い物か。…まあそれぐらいだよな、俺が呼ばれる用事なんて。


 ライは淡々と返事をした後、シンの前をスイッと素通りして歩き出す。


 わざわざ呼びに来たのに、自分を置き去りにして歩き出したライに、シンは少しムッとして眉間に皺を寄せるとすぐに後を追いかけた。


「なあ、おまえさ…いい加減少しは笑ったらどうなの?ずっとそうやって仏頂面でさ、機嫌悪いわけじゃねえんだろ?」

 右手でドアノブを回し、ライがガチャッと扉を開けて裏から教会の中に入ると、シンもすぐ後に続いてきちんと扉を閉め、二人は並んで長いラプロビスの廊下を歩いて行く。


 シンは自分の隣を終始俯きがちに歩くライを見て、普段からその仏頂面をどうにか変えられないかと思っていた。だが今のところその試みは全て失敗に終わっており、未だライの表情は見てわかる通り、一向に変わらないままだった。


「仏頂面で悪かったね。…面白くも楽しくもないのに、なんで笑えるんだよ。」

 そう言い放つライの態度は、機嫌が悪かったり、怒っていたりするからそうなんじゃなくて、ここに連れて来られた後の親を失ったり、親に捨てられた孤児特有の心情から来るものだとシンは良く知っている。


 “面白くも楽しくもないのに、なんで笑える”ライが言ったことは正論なのだが、シンの目的からすると、そう言われては取り付く島もない。

 それでもシンはめげずに食い下がり、その暗い考えから少しでも前を向いて貰えないかと精一杯努力してみる。

「ぐ…けど少しぐらい愛想良くしたって、罰は当たらねえだろ?ここへ来てからもう大分経つんだし、俺らは年が上なんだからさぁ…」

「俺が愛想良くしなくちゃなんない理由があるの?里親を見つけるためとかならわかるけど、俺にはそんな気はないし、年が上とか関係ないし。」


 “あ、やべえ…なにか気に触る言い方した?”とほんの少しだけ口調が変わったライに、シンは押し黙る。


 それでもシンは、このライが嫌いではなかった。確かに愛想はなく、一度も笑った顔を見せたことはなかったが、ライは自分より年下の孤児達にとても優しく、シンが気付かないような所まで本当に良く面倒を見てくれていた。

 母親代わりのシスター・ラナの手伝いも一度たりとて嫌がったり、逃げたりしたことはなく、ただ淡々と熟しているようなところもあるが、それでも頼まれたことはきっちり済ませてくれる。その責任感と言い、面倒見の良さと言い、シンにとってもライは信頼でき、頼りになる存在になっていたのだ。


 だからこそ、もしこのライが感情を取り戻して他の子供達と一緒に笑ったり、年相応に自分と駆け回って遊んでくれたら…きっともっと楽しいだろうと思っていた。

 現在この孤児院にはライとシンを含め、十五人ほどの孤児が住んでいるが、(じき)に十才になるこの二人が最も年上であり、シンにとって対等に話せるのはライしかいなかった。


 …ちぇっ、なんとかなんねえかなぁ。…にこりともしねえもんな。まあ口を利くようになっただけでも最初に比べりゃましになったけど――


 シンはライがこの孤児院に来た日のことを思い出す。ライはライと同じ黒髪の男の人に手を引かれてここに連れて来られた。人を疑うことを知らず、その男の人を完全に信じ切っていた変わった瞳を持つ男の子。それがシンのライに対する第一印象だ。


 そのライは事前にまったくなにも聞かされずにここへ来たのか、置いて行かれると知った時、泣き叫んでその人から離れるのを嫌がっていた。シンはそんな光景を幾度となくこの孤児院で目にしていたため、特別珍しいとは思わなかったのだが、ライの場合はなぜ相手の人が彼を置いて行こうとしているのか少し疑問に思ったのだ。

 なぜなら相手の人が酷く辛そうな顔をしていて、とても自分から子供を手放そうとするような大人の雰囲気に感じられなかったからだった。


 どんな事情があるにせよ、孤児院に子供を置き去りにする大人は、良くも悪くも割り切った態度の人間が多い。

 必ず迎えに来るから、などと嘘を吐いて騙すなんて言うのは茶飯事だし、酷ければ体良く厄介払いが出来たと喜びを隠そうともしない奴だっている。

 中には経済的事情で本当に一時的にだけ子供を預ける親もいるが、そう言う場合はごく短期間で、子供を迎えに来るまでの時間はそう長くない。

 だけどライの場合はそのどれにも当てはまりそうになかった。置いて行かれた当の本人がこんな状態になるのも、相手に対して諦めが付かないからなんだろう。


 その当時ライは、預けられた後すぐに精神的なショックから病気になり、シスター・ラナの手厚い看病で身体は回復して治ったものの、暫くの間声を出せず、誰とも口を利けなくなっていた。


 ライが口を利けるようになったのは、一月ほど経ってライ宛ての手紙が届いてからだった。それはあの男の人からの手紙だったらしく、読んだ後で部屋のベッドに突っ伏し、随分長い時間声を上げて泣いていた。

 それからはシスター・ラナとも話すようになり、シンとも少しずつ口を利いてくれるようにはなったのだが、涙と一緒に感情を失ったかのようにこれまで一切笑ったことがなかった。怒ることも泣くことさえもなくなり、何をしていても虚ろな目をして今ではすっかりこの状態だ。


 …俺には最初から親がいねえし、親の愛情って奴がどんなものなのか知らねえからわからねえけど、当たり前に信じ切っていた相手に、ある日突然置いてかれるって言うのは…もしかしたら俺なんかよりもっと辛いのかもな。

 シンはそう思うとライに深く同情してしまうのだった。



 ――ライがレインと別れて、二年以上もの月日が経っていた。


 レインがライのためを思い、ライを手放した結果、ライは精神的に立ち直れないほど深い傷を負っていた。ライはなぜ自分がここに置いて行かれたのか未だに理解できず、レインに捨てられたんだと思い込んでいることで、感情どころか前を向く気力さえ失いかけていた。

 その悲しみは深く、日を追うごとに心から光を奪って行き、“もしかしたら明日は迎えに来てくれるかもしれない”、と言う辛うじて残る微かな希望に縋らなければならないほど、暗い影を落としていた。



「それで…シスター・ラナは食堂?」

 隣を歩くライがこちらを見てそう聞いて来る。さっきまでシスター・ラナは買い物のリストを食料庫(パントリー)で確かめながらメモに取っていたから、多分まだそこにいるだろう、とシンは思う。食堂はその食料庫(パントリー)厨房(キッチン)のすぐ隣にあるからだ。

「ああ、うん。さっきまで食料庫にいた。」

「そう。」

「――……。」

 ライとシンの間に沈黙が流れる。

「あのさ、そうって、それだけかよ?」

「…?」

 シンが聞くとライは意味がわからなかったのか、訝しんで少し眉間に皺を寄せただけだった。


 …会話が続かねえ。必要なことは喋るし、返事もするけど…雑談には乗ってこないし、こいつ…こんなんでこの先生きて行けんのかな。

 余計なお世話かもしれないが、シンは元来心根が優しく、ここで年下の子供達をずっと面倒見てきたせいもあり、ついつい気になってしまうのだ。


 ライがシンと一緒に食堂に行くと、そこにはまだ二十代前半くらいの修道服を着た若い女性…シスター・ラナが待っていた。

 シスター・ラナはこの孤児院の実質的な所有者で、ここの孤児達の母親代わりだ。彼女は教会の経済的な切り盛りから、孤児達の面倒、食事の用意から日常的な家事まで、全てを一人で熟す凄腕(?)の修道女だった。

 その過去については意外と謎が多く、どこの出身かとか、いつどうやってここの所有者になったのかとか、それを知る人間が実は周りに誰もいない。そもそもこれだけの仕事を子供達以外の手伝いもなく、いったいどうやって毎日やっているのか、シンも時々不思議に思っていた。

 けれど彼女は人間的に優しく、子供達を包み込むような温かさを持っており、見た目の年令の割に博識で聖女と言っても過言ではないほどの優れた人格者だった。


「――来たよ、シスター・ラナ。なにを買いに行けばいいの?」

 ライは無表情のままそう言ってシンと一緒にラナのそばへ近付く。ラナは洗い物をしたり、食器を片付けたりしてテキパキと忙しそうに動かしていたその手を一旦止めて、ライとシンに頼み事の詳しい説明をし始めた。

「ありがとう、ライ、シン、待ってたわ。ええとね、今日はこのメモにあるものを買ってきて欲しいのだけど…注文してあるものもあるから、カウンターでお店の人に聞いて――」


 右を向いたり、左を指さしたり、時に自分達に言い聞かせるように人差し指を立てたり…メモをこちらに見せながら、次々に変化するラナの仕草と表情を見ても、ライはさほど反応を示さず、ただその声をぼんやりと聞いていた。


「…で、お願いしたいの。大丈夫?覚えた?」

 ラナが心配そうにライとシンを交互に見て確かめる。

「…大丈夫、ちゃんと覚えた。ね、シン。」

「う?あ、ああ、うん。」

 ≪ね、って…ホントに大丈夫か?こいつ…≫

 生気のない表情でラナの手からメモを受け取り、淡々と言うライにシンは戸惑う。そう心配になるほど、ライの瞳は虚ろだったからだ。

「そうそう、今日はライもシンも、もしお菓子屋さんのワゴンで欲しいものがあったら、お駄賃代わりに一つずつ、なにか買ってきてもいいわよ?」

 ラナがそう言って二人にウインクをすると、シンはぱっと目を輝かせて素直に喜んだ。

「え!?いいの、やった!!」

「…俺はいいよ、要らない。欲しいものなんてないし、シンの分だけにしなよ、シスター・ラナ。」

「ライ…」

 喜んだシンに対してライは無表情のままそう言って返した。

「そ、それじゃあ、お願いね。二人ともいつもありがとう。いい子で助かるわ。」

 ラナは気を取り直し、にっこりと微笑んで手を伸ばすと、ライとシンの頭を両手でそれぞれ撫でようとした。ところが…


 パシンッ


(さわ)、るな…っ!」

 ライが伸ばされた手にハッとして反射的に避け、ラナのその手を撥ね除ける。

「あっ、おまえっ!!」

 一瞬のことだったのだが、これにムッとしてシンが腹を立てた。

「ああ、いいのよ、シン。ごめんなさいね、ライ。頭を撫でられるの嫌だったのね。」

「…行ってくる。」

 ラナに返事もせず、少し傷ついたような顔をしてそれだけ言うと、ライはふいっと視線を逸らし食堂を出て行く。

「あいつ…!」

「待ってシン、怒らないで。あの子はまだ、ここにいることを受け入れられていないの。だからライをお願いね?」

 ラナはシンの手を掴んで引き止めると、とても心配そうな顔をしてそう頼んだ。


 生まれた直後からこの孤児院にいるシンにとって、ラナは母親同様の存在だった。と言うより、ラナ以外に自分を思ってくれる人間を知らないのだ。

 だから怒らないで、と言われてもライのあの態度は、さすがに許せなかった。


「おい、待てよ!!」

 シンは教会の外に出て先を歩いて行くライの後を追う。

「おまえなんだよ、あの態度!!シスター・ラナは俺らの頭を撫でてくれようとしただけだろ!?」

 カッとなって喧嘩腰でライの腕を掴む。

「うん、そうだね、わかってるよ。…でも触られたくなかったんだ。叩いたのは…悪かったけど…ああ、そうか俺、謝ってないんだ。ごめん、後でちゃんと謝ればいい?」

「ぐ…っ、う…ま、まあ…悪いと思ってんならいいけどよ…。」

 ライの態度があまりにも大人しく、すぐに毒気を抜かれてしまう。

 ≪はあ…張り合いねえなぁ。ケンカすらできねえ。≫

「…まあいいや、買い物、俺も一緒に頼まれてんだから、置いてくなよ。」

「…うん、わかった。気をつけるよ。」


 ライとシンは緩やかな坂道を下って、商店街を目指す。昼の今の時間、孤児院の他の子供達は昼寝をしているか、遊戯室で遊んでいるかがほとんどだ。だから今日のように買い物を頼まれるのは大抵ライとシンであることが多かった。


 歩きながらシンはまた俯きがちに下を見ているライに尋ねる。

「…おまえさ、頭撫でられんの、そんなに嫌だったの?」

 シンはどちらかと言うと、ラナに頭を撫でられるのは好きだった。可愛がられている気がするし、なにより手のぬくもりを感じられていつも嬉しかったからだ。

「うん、嫌だ。…思い出すから。」

「ああ…」

 そういうことか、と納得する。ライは自分を置いて行ったあの人のことを思い出すのが辛いんだ。顔にはあんまり出さなくなったけど、忘れられたわけじゃないんだな。シンはそう思った。


 商店街に入ると、極端に人通りが多くなる。忙しそうに仕事をしている人や、買い物をする人、立ち話をしている人や露店で品物を売る人など、それぞれみんな自分のことに一生懸命な様子が見て取れた。

 二人は先ずメモに記された雑貨屋に行き、頼まれた品物を棚を巡って探し出す。あれこれ話し合いながらそれを買うと、持ち手の付いた紙袋に品物を入れてもらい、それを手にそこを出て、また別の店へと向かい歩き出した。

 次のお店は青果店とパン屋だ。そこまではこのまま真っ直ぐ道なりに進んでいけばそれで良かった。石畳の舗道を歩きながらシンはライに確かめる。

「なあおまえ、本当にお菓子要らないの?」

「うん…要らない。…欲しくない。」

「…ちえ、一人だけ買うのもなぁ…じゃあ俺も我慢するかぁ。」

 道端にあるお菓子屋さんのワゴンを横目で見ながら、シンは意外にも付き合い良くそう言った。


 途中に何件かある、ラカルティナン細工の店の前を通りがかると、ライはふと立ち止まり、ショーウインドーに並んだたくさんの品物を見て、この街に着いた最初の日のことを思い出す。


 ――ラカルティナン細工…同じお店なのに、随分あの時と違って見える。


『うわあ、見て見てレイン、あんなにたくさんラカルティナン細工が並んでるよ。いいなあ、綺麗だなあ…、おれもっと近くで見てみたい…!』

 ショーウインドーのガラスにぺったりと顔と両手を付け、ライは中を覗き込む。

『ねえレイン、ちょっとだけ中に入ったらだめ?』

 後ろを振り返り、ライは瞳をキラキラさせ、期待を込めてレインを見上げた。いつものように優しく微笑んで頭を撫で、“少しだけだぞ”、そうレインが返事を返してくれると疑いもせずに。

 ところがレインはまったくの上の空で、ライの方を見てさえおらず、なんだかずっと怖い顔をして有らぬ方を向いていた。

『レイン?ねえ、レインってば!』

 その手をぐいっと引っ張り、ライはレインを自分の方に向かせる。

『ん?ああ…ラカルティナン細工が見たいのか。…悪いが、今日は我慢しろ。これからおまえはずっとこの街に住むんだから、いつでも好きな時に見られるだろう。』

 そう言うとレインはライから手をパッと放した。


 レインの答えはライが期待していたものと違ったというだけでなく、その態度までもが冷たく素っ気なくて、なによりライが思い出せる限り、昨日から自分にレインの方からは一切触れようとしてくれなかった。


 この時、ライは初めてレインに対して拗ねて怒った。レインがずっと難しい顔をしていて、いつものように笑いかけてくれない。昨夜寝る時も抱きしめてくれなかったし、今も手を振り払って、頭を撫でてもくれない。いつ、どんなときでも自分を見てくれていたレインが、目線も合わせずに自分の方を向いてくれないのはこれが初めてだった。


 ――今思えば、あれが前兆だったんだ、とライは思う。


 ヘズルに行く、とレインが言った時、てっきりレインも一緒に街に住むようになるんだと思い込んでたけど…レインはヘズルに行く、と言っただけでどんな家に住むとか、俺達、と言う自分を含めた言い方でここでの話は一切していなかった。

 あの森の家を出た最初から、レインの目的は俺を孤児院に預けることだったんだよね。最近になってそのことに、ようやく気が付いた。


 それはライがいくら十才になる前の子供でも、さすがに気が付くし、あれこれ考えている内にそこまでは理解できるようになっていた。


「おいライ、なにしてんだよ。」


 ライがラカルティナン細工の店の前で立ち止っていることに気付かず、少し先まで一人で行ってしまったシンが、慌てて走って戻ってくる。


「横にいると思ってたのに、いないからびっくりしたじゃんか。」

 そう言った後で、ライがショーウインドーを見ていたことに気付くと、普段なににも興味を示さないのに珍しいな、と思う。

「なに、ラカルティナン細工が好きなの?」

 隣に立ち、シンも一緒にショーウインドーを覗き込むと、会話の話題になるかと思い、“綺麗だよな”と共感を示してみた。

 だがライは無表情のまま“…別に。もう好きでもなんでもない。”とすげなくそう言ってまた歩き出すのだった。



 そうしてそんな調子で一日、また一日、二日、一週間…となにも変わらない日々が過ぎて行く。シンは根気よくライに話し掛け、その感情を取り戻させようと努力するが、上手くいくどころかライの口数は益々減っていき、勉強の時間となにか用事のある時以外、ライは一人の時間そのほとんどを精霊木(せいれいぼく)の上か近くで過ごすようになった。


 そんなある日の午後のことだ。


 ライとシンはラナに頼まれ、下の子供達と一緒に裏庭の草取りと掃除をしていた。まだ幼い子供達にとってそれはほとんど遊びと同様で、刈った草の上に汚れるのも構わず寝転がったり、せっかく集めたゴミを撒き散らしたりして好きなようにはしゃぎ回っている。


「おいこらチビ共いい加減にしろっ!いつまで経っても終わらねえだろ!?」

 (ほうき)で草や落ちた葉を集めていたシンが、さすがにイラッとして窘める。

「うん、そうだね。…いい加減にしないと俺も怒るよ。」

 ライはそう言いながらも無表情のままだ。そう言われた子供達はそれぞれライの手を掴んで甘えるように手足に絡みつく。

「怒るって言いながらライ兄ちゃんは怒らないよね〜!シン兄ちゃんと違ってお尻も叩かないし!」

「シン兄ちゃんはほら、“らんぼー”だから。」

「ああ?なんだと?こら!」

 シンは子供達を(ほうき)を手に追いかけ回す。今度は鬼ごっこの始まりだ。


 子供達の笑い声と歓声が響く中、それをただ見ていたライは短く溜息を吐く。

「シンまで遊んでたら本当に終わらないじゃないか。…ほら、そろそろちゃんと片付けて終わりにしないと、おやつの時間に間に合わないよ。」

 ライがそう言うと遊んでいた子供達は“はーい”と一斉に返事をして真面目に動き出す。

「ぐ…なんでライの言うことだと聞くんだ?こいつら…!」

 不満げに苦笑いしながら眉を引き攣らせてシンはぼやいた。


「ねーねーライ兄ちゃん、これが終わったらハンターごっこして遊んで〜!!」

 ライの横にいた男の子がライの顔を見上げて強請る。

「…やだ。」

 ライは無表情のまますぐにそう返事を返した。

「じゃあじゃあ、ライ兄ちゃん、また真っ黒い金のお目めの精霊さんのお話しして〜!!」

「や・だ。」

 今度は女の子のお強請りにやはり無表情のまま返事をすると、淡々とゴミを集めて片付け、掃除道具を物置に持って行く。

 その後ろを追いかけ、何人かの子供達がライに纏わり付きながら、猶もなにかを強請り続ける。

「おれ、ライ兄ちゃんの冒険のお話が聞きたい〜!」

「あたしも〜!!」

「だからやだってば。」

 そのライは子供達の要求に、すべて無表情のまま“やだ”の一言を返している。


 そんなライと年下のまだ小さい子供達の姿を、シンは微笑ましく見ながら微苦笑する。


 やだやだ言いながら、なんだかんだ言ってチビ共の相手はするんだよな、ライの奴。チビ共もそれを知ってるから纏わり付いて離れやしねえ。…相変わらずにこりともしねえのに、なんであんなに好かれるんだか。


「シン、チビ達は俺が遊戯室に連れて行くから、シスター・ラナに掃除が終わったって伝えておいて。」

「あ、うんわかった。」

 ライが子供達と一緒に建物の中に入るのを見送ると、シンはラナを探して教会の執務室の方へと向かう。

 子供達が普段過ごしているのは敷地内の裏手側にある、住居の建物の方だ。食堂や礼拝堂、客室や救護室、執務室に面談室などは正面から見える聖堂側に集中している。


 ラプロビスの長い廊下を通って階段を上り、ラナがいるはずの二階の執務室に行くと、なぜかドアが少しだけ開いていて、中を覗くもそこにラナの姿はなかった。

≪あれ?シスター・ラナがいない。隣かな?≫

 シンはその隣にある面談室へ続く扉に近付いた。すると中からラナの声が聞こえる。


「――もう二年以上になるのに、ライは無表情のままで、笑うどころか泣きもしません。なにも欲しがらないし、なにを見ても聞いても興味すら示さない。ただ淡々と毎日を過ごしているだけです。見たところ表からではわかりにくいですが、精霊木(せいれいぼく)の“癒やし”のおかげで、なんとか正気を保っているだけで、多分…心は壊れかけているんだと思います。」


 え…――

≪シスター・ラナの声?…今、なんて…≫

 “ライの心が壊れかけている”聞こえてきたその深刻そうな声に、シンは驚いて耳を澄ませる。


「…ええ、せめて胸の中に閉じ込めたままの悲しみや苦しみを、泣くことで吐き出してくれればいいのですが…――ああ、すみません、誰か教会に来たみたいです。お話はまた後日に。…ええ、それでは。」


 こちらに近付く足音が聞こえ、シンの目の前の扉がガチャッと音を立てて開く。


「あ…」

「…シン!?なにをしているの、こんなところで。」

 棒立ちのまま見上げるシンと目が合ったラナは、一瞬驚いた顔をするもすぐに見抜き、ジト目で前屈みになって顔を覗き込む。

「こ〜ら、私の話を盗み聞きしていたわね?いけない子。」

 そう言うと拳でシンの頭をコツン、と軽く叩いた。

「いてっ」

 思わずビクッと身構えながら、大して痛くもないのにそう声を上げる。その後でシンは両手を叩かれた頭に乗せ、ラナ越しに部屋の中を見回した。

「俺、掃除が終わったって言いに来て…シスター・ラナ、誰と話してたの?」

 部屋の中には誰もおらず、どうやらラナが一人でいたみたいだった。


「…魔法石で遠く離れた人とお話をしていたのよ。そう言う道具があるの。秘密だから、誰にも言わないでね。」

 ごまかしても隠しておけないと判断したラナは、正直にそう言ってシンに口止めをする。

「それよりシン、誰か教会を訪ねて来るから、すぐにライを呼んできて。…子供を二人連れているみたいだわ。」

「え?わ、わかった、呼んでくる。」


 ここからじゃ坂道も見えないのに、どうして人が来た、とか子供と一緒だ、とかわかるんだろう?そう不思議に思いながら、シンはライを呼びに向かう。


 ライやシンを含め周囲の人間は誰も知らなかったが、実はこの教会には守護結界が張られている。それはかなり強固なもので、魔物や邪な人間を近づけず、ここに住む人間以外がその範囲内に入ると反応して、ラナにはすぐにわかるのだ。


≪事前に連絡のない来訪者なんて…随分と急だわ。なにか事件か事故に巻き込まれた子供達なのかしら?≫

 ラナはそう訝しむ。ここへ預けられる孤児達の大半は、事前に手紙などで引き取って貰えるかどうかの確認があるのが普通で、いきなりなんの前情報もなしに子供を連れて来ることは珍しかった。その場合は大抵事件や事故で突然身寄りをなくし、一時でさえ身を寄せる場所のない子供を連れて来る場合が多いのだ。


 ラナはパタパタと急ぎ足で階段を降り、真っ直ぐに聖堂へ向かうと、その中央に立って身なりを整えてから、来訪者がいつ扉を開けてもいいようにピシッと背筋を伸ばした。

 その背後でライとシンが走ってくる気配も感じる。二人にはラナが事情を聞く間、連れてこられた子供達の相手をして貰おうと思っているのだ。


 ほどなくして聖堂の両扉が開かれ、帽子を脱いで手に持った、人柄の良さそうな中年男性が顔を覗かせる。

「あの…すいやせん。」

「ようこそ、ソル・エルピス聖孤児院教会へ。どうぞ、中へお入りください。」

 相手を安心させるように優しく微笑み、ラナは男性と子供達を礼拝堂の中へと招き入れた。


 男性の後に続いて入って来たのは、ライとシンより年下の、男の子と女の子の二人だった。男の子は八才ぐらいで、焦げ茶色の坊ちゃん刈りに薄い黄緑色(きみどりいろ)の瞳を持ち、緊張からか口を真一文字に固くきゅっと結んでいる。

 対して女の子の方は一つか二つさらに年下くらいで、可愛らしいチェリーピンクの髪をツインテールに結んでおり、とろんとした男の子と同じ色の瞳をぽうっとさせながら右手で男の子の手を握り、左手の人差し指をしゃぶっていた。


「ここにこの子達を連れてくるように頼まれたんですが…あなたがラナさんですか?」

「はい、すみませんが先に子供達とお話をさせてください。」

 ラナは男性の言葉を頷いて手で遮り、子供達の前にしゃがんで目線を合わせる。

「初めまして、私はここのシスターをしているラナよ。みんな私をシスター・ラナと呼びます。…お名前を言えるかしら?」

 ラナの優しい微笑みに男の子がまず口を開く。

「…ぼくはマグナイド・ファーガスです。マグ、ってみんなは呼びます。この子はいとこで…ほら、ミリィ、名前を言えるだろ?」

「…ミリリアン・モリス…もうすぐ七つになるの。」

 女の子はもじもじしながらマグの後ろに隠れ、そこから顔を出してなんとか名前を言った。

「うん、よく言えたね。偉いよ、ミリィ。」

 男の子はそう言って女の子の頭を撫でる。男の子だって初めて来る場所でおそらくは緊張しているはずなのに、しっかりしている。ラナはそう感心しながらさらに優しく微笑んで続けた。

「そう、マグにミリィね、よろしくね。横のおじさんとお話をしている間、あそこのお兄ちゃん達と椅子に座って待っていてくれるかしら?」

「はい。」

 マグは硬い表情で頷き、ライとシンを見た。

「ライ、シン、この子達をお願い。マグにミリィよ。」

 ラナは立ち上がりライとシンを呼ぶと、二人の背中に触れて前に歩くように促す。

「はい、シスター・ラナ。おい、ライ。」

「…うん。」

 ライとシンはラナの元へ駆け寄り、マグとミリィを二人で挟み込むように連れ立って前方の長椅子に向かい歩き出す。


「――お待たせしました、ではお話を聞かせてください。」

 ラナは中年男性に向き直り、話を聞き始める。

「ここへ来る途中の街道沿いでならず者と賞金稼ぎ、それから冒険者の変わった乱闘騒ぎがありましてね。それ自体は大した問題じゃなかったんですが、そこへ運悪く通りがかった家族連れの乗合馬車が巻き込まれちまいまして…――」


 乱闘騒ぎに巻き込まれた馬車は、賞金稼ぎが放った魔法の直撃を受け、横転した上に積み荷から火が出て炎上した。その馬車には二組の家族が乗っており、全員絶望的かと思われたが、奇跡的にこの子供達だけが無事だった、ということらしい。


≪魔法の直撃を受けて横転した上に炎上?…良くあの子達だけ助かったものだわ…見たところ無傷みたいだし、なにか守護魔法のようなものを受けてでもいたのかしら…?≫

 ラナはそう気になり、マグとミリィをもう一度チラリと見た。


 ライとシンに挟まれて長椅子に腰を下ろしたマグが、話を聞きながらぽつりと呟く。

「…違う、助かったんじゃなくて、助けて貰ったんだ。ぼくとミリィだけ…」

 マグは俯いて膝の上に置いた拳をきゅっと握りしめる。


「わしらは守護騎士に通報と連絡をするためにヘズルまで来たんですが、子供達は預かれないと警護所で言われて…一緒に来た冒険者の方に、この先に孤児院があるから、ラナという人に事情を話してこの子達を預かって貰って欲しいと頼まれたんです。きっと悪いことにはならないから、と。」

「そう言うことでしたか…わかりました、ではあの子達はこちらで暫くお預かりします。ところでその一緒に来たという冒険者はどんな方ですか?お名前を伺って、もしまだ近くにいらっしゃるのでしたら、一応お目にかかりたいのですが。」

「ああ、今ならまだ警護所の方にいるかもしれません。黒髪の冒険者で、レインフォルス・ブラッドホーク、って方です。」

「え…っ…」

 その名を聞いてラナは思わず息を飲む。


 ガタタンッ


 長椅子に腰掛けマグとミリィを見ていたライが、突然立ち上がり、止める間もなくラナの脇を駆け抜けて行く。

「ま…待ってライ、だめよ!!」

 慌てて手を伸ばし止めようとしたが、バンッと大きな音を立てて扉を開け、ライは外へと飛び出して行ってしまった。

「シン!!すぐにライを追いかけてちょうだい、街の外に出てしまうかもしれない!絶対にヘズルから外に出さないで!!」

 顔色を変えてラナはすぐにシンにそう叫んだ。

「わ、わかった…!!」

 遅れてシンは走り出し、急いでライの後を追う。



 ――警護所…警護所ってどこ…!?…そこに行けば、レインがいる…!!レインがヘズルに来てる…!!


 ライの頭には今それしかなく、息が切れるのにも構わず、ただひたすら坂を駆け降りて街中へと走って行く。

「待てよ、ライ!!」

 かなり先をもの凄い速さで走っていくライに、シンは後ろから叫んだ。

「は、はや…っ、あいつ足が速えーっ!!」

 シンも必死に走っているのに、見る見るうちにその差は開き、あっという間に見失ってしまう。

「やべえ、見失った…!!けど警護所に行けば捕まえられるよな…!!」

 ライは警護所の場所を知らないが、シンはその場所を知っていた。シンは一番近い道を通り先回りをしようとして警護所を目指す。


 警護所というのは守護騎士の常駐する詰め所のことだ。当直騎士の宿泊施設や一時的な逮捕者の拘置場所にもなっており、何人かの王国騎士達が常にそこで待機している。

 ヘズルの警護所は街の入口を入って右側の、公共施設が並ぶ区域にあり、その近くには魔物駆除協会(ハンターズ・ギルド)や商業協会、職人連盟などの事務所もあり、あまり評判の良くない依頼斡旋組織である賞金稼ぎ連盟(プラエミウム)もそこにあった。


 商店街まで駆けてきたライは、キョロキョロと辺りを見回し、手近にいた大人に警護所の場所を尋ねる。必死な様子のライに、親切な大人はすぐに警護所の方向を指さして教えてくれた。ライは頭を下げてお礼を言うとまたすぐに走り出す。


 急がないと…急がないと!!レインがいなくなってしまうかもしれない、急がないと…っ!!

≪お願いだ、レイン、いなくならないで…っ!!≫

 ライは心の底からそう願った。


 もう会えないと思っている間は良かった。諦めていられたからだ。もしかしたら、と木の上から教会の前の坂道を眺め、待っていても来ない、と諦めてはまた、もしかしたら、と次の日には思う。

 そうして一日一日を過ごしている内に、気が付いたら二年以上も経っていた。


 そのレインが、ヘズルにいる。ヘズルに来ている。そう思ったら、もう会いたい気持ちでライの心はいっぱいになってしまった。


「警護所…あった、あそこだ…レインっ!!」


 守護騎士が前に立ち、入口を警戒している建物が見える。その建物の壁には、“王国騎士団ヘズル駐屯所”の表札プレートが嵌め込まれており、両開きの大きな扉は開放されていて、ヘズルの住人達がいつでも訪れることが出来るようになっていた。

 その守護騎士の前を素通りし、ライは中へ駆け込む。


「レインっ!!…レイン、どこ…!?」


 レインに会えたら、もう絶対に手を放さない。しがみついてでも、腕に掴まって離れない。もう会えないのはいやだ…!!俺、レインのそばにいたいよ…っ!!…ライは心にそう誓う。


「おっと、こらこら坊主、どうした?迷子か?」

 息を切らせて駆け込んだライに、守護騎士はその腕を掴んで引き止める。

「迷子じゃない、ここにレインが来たんでしょ?どこ!?」

 必死なあまり見ず知らずの騎士に縋り付くように畳みかけている。

「?…レイン?要するに人捜しかな?おい、誰か――」


「ライ!!良かった、追いついた…!!」

 そこに今度はシンが駆け込んで来てすぐにライの手を掴み、落ち着かせようとする。

「落ち着けって、すいません守護騎士様、俺達ソル・エルピス孤児院のものです。さっきここに黒髪の冒険者で、レインって人が来てたって聞いたんですけど――」

 シンは掻い摘まんで事情を話す。

「黒髪の冒険者?孤児院…ああ、もしかしてあれかな?街道で子供達を保護したって言う…」

 守護騎士はどうやらレインのことを覚えていたらしく、そう口にしてライとシンを見た。

「そう、それ…っ!!」

 ライはやっとレインに会える、と期待を込めて守護騎士を見上げた。ところが…

「彼ならもう、疾っくにここを出て行ったよ。ヘズルには滞在しないと言っていたから、もう街から出たんじゃないかな。」

 身体をかがめ、ライとシンに目線を合わせて守護騎士は優しくそう言った。


 ライの瞳が一瞬で絶望の色を映し出す。


「あっおい、待てってライ!!」

 守護騎士の言葉を聞くなり、ライは踵を返してまた走り出し、レインの姿を求めて街の出口へと向かう。

「待てってば!!」

≪くっそー、やっぱ足速えっ!!≫

 シンの追いかけっこはまた続くことになった。


「やだ…もうやだよ、レイン…行かないで…!!やだ…っ」

 警護所から街の入口までは僅か数分の距離しかない。守護騎士は“疾っくに”、と言った。もし彼の言う通り、すぐにヘズルから出て行ってしまったのなら、ライがどんなに頑張っても…もうレインには追いつけない。

 そうわかっているからこそ、ライの目には既に涙が浮かんでいた。入口にライが辿り着く前に、レインの姿を見つけられなければ、ライはレインにもう会えないのだ。


 そして無情にもライの目に、街の入口が見えてしまった。


 周りを見ても…レインの姿はどこにもない。ライはその場で突っ伏し、周囲の人目もはばからず、大声でわんわんと泣きだした。


 ――追いついたシンは泣いているライを見て呆然とする。これだけ日が過ぎていても、ライは自分を置いて行った人を忘れられていないのだ。多分そうなんだろうな、とは思っていたが、ここまでだとは想像もしていなかった。


 シンはライの影響を受けたかのように、自分まで胸が痛んで悲しくなってくる。


「――ライ、帰ろうぜ。…な。」

「レイン…やだよぉ、レイン…やだぁ…」

 しゃくり上げながら泣き続けるライを抱えるように立たせ、シンはライを支えながら、二人で教会への道を戻っていった。



 教会へ戻るライとシンの姿を、賞金稼ぎ連盟(プラエミウム)の建物の陰から邪な視線がじっと見ていた。

「――おい、今の黒髪の子供(ガキ)…」

「ああ、聞こえたぜ。“レイン”、って奴の名前を呼んでやがったな。」

 無精髭に薄汚れた服装の、外見からして野卑た印象を受ける中年男が、口の端に(いや)らしい笑みを浮かべる。

「二年前のグランシャリオでの一件以降、子供は手放したらしいと聞いちゃいたが…まさかこんな遠くの孤児院に預けてやがったとはな。野郎にゃ逃げられたが、ここまで追って来た甲斐があったぜ。」

「ひひひ…どうする?今すぐ攫っちまうか?」

 もう一人の鼻の上まで布で覆って顔を隠した男が笑う。

「いや、周りを見てみろ守護騎士だらけで今は無理だ。だがチャンスは来る。へへ…見てろや、レインフォルス・ブラッドホーク…今度こそ捕まえてガッポリ賞金をいただくぜ。」


 男達はその目をギラつかせて、見るに堪えないほど下品で汚らしい笑いを、互いの顔に浮かべているのだった。


次回、グランシャリオでなにがあったのか、レインは今どこにいて、なにをしているのか、判明します。ライは果たして心の傷をいやすことができるのでしょうか…?

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