よあけのおさけのおはなし
朝が来る時間、夜明け。ここがどこなのかわからないということだけがわかった。
例えるなら飲み屋街ではあるのだが、一切の喧騒がない、耳が痛くなるような静かさ、キーンという幻聴のようなものが聞こえてくる。
私はこの静けさから逃れようと、無駄に足音をたてて歩きだした。
カツーン、カツーン。
自分がハイヒールを履いていた事には足音で気づいた、私はハイヒールなんて持っていなかったはずなのに……いやそういえば持っていたな。
確か今も靴箱の奥にしまわれていて、もう十年は履いていない。初めて彼氏ができたとき、長身の彼氏を自慢するために履いたハイヒール。足首を痛めて、彼氏におぶってもらったっけ。あの頃は幸せだったなぁ。彼氏に尽くして、周りが見えなくなるぐらい。
そんな事を考えていると、カツーンという音がしていないことに気づいた。足元を見ると裸足だった、何故か痛みは感じない、痛くないに越したことはない。そんなことよりもどうにかしてあの幻聴を打ち消す音を出したい。そうじゃなくても、何か気を反らせるものを……と私は辺りを見回す。
そして後ろを見ると、人影のようなものがあった。背の高い女性のような人影で、私は安心して近寄った。
「すみません、ここはどこなので……」
そう言って近寄ると彼女が電話をしていることに気づいた。
「うーん、わかったー、次はいつ会える?……わからない?そう……予定が空いたら連絡してね!」
彼女はそうやって手に持っていたガラケーを持っていたカバンにしまう。
「あの……」
「なんで最近会えないんだろう……きっと何か大きな用事があるんだよね、蟹工船に乗っているとか。」
「すみません、話を……」
「あれ? じゃーん、どうしたの?」
、私の親友の名前だ。
「彼氏とデートの約束をしていたんだけど、ドタキャンされちゃって。」
「別れろ……?それ本気で言ってるの?幾らかわいいかわい でも、そういう冗談は許さないよ。」
彼女はそういうと、私が歩いていった方向と逆の方向に歩いていった。追いかけようとしたが、足が動かない。
それにしても彼女はなぜ のことを知っていたのだろうか。そんな事を数秒考えたが、私の知っている と別の ということで私の中で話がついた。
全く、わけがわからない。なぜ靴が消えたのか、なぜさっきの彼女は一人で会話しているのか、そもそもなぜ私はここにいるのか。
そんな事を考えながら進んでいると、明かりがついている建物があった。吸い寄せられるというよりはビー玉が置かれた板がそちら側に倒されたかのように、自然に近づいていく。
勝手にドアを開けた、鍵はかかっていなかった。
カランカランという音を聞き、ここがバーだということに気づく。
「カウンターへどうぞ。」
渋いマスターの声、落ち着く。
「マスターのおすすめを一杯、お願いします。」
それを聞くとマスターは無言で頷き、カクテルを作りだした。カシャカシャと振る音、今私が置かれている状況が、少し美しく見えるようだった。
「どうぞ、ミルクエスツツムです。」
「聞いたことない名前ですね。」
「えぇ、私のオリジナルですからね。カクテル言葉は『忘れられた思い出、苦い記憶』です。」
それを聞いたとき、何故かこの状況がストンと理解できた気がした。
このカクテルは、思っていたよりも甘かった。
結果として、私は戻ることはなかった。ここでの暮らしも悪くないもので、何もなくて退屈で、常に不安に襲われている以外は何も不満はない。
ただ一つだけ言わせてもらうとしたら、忘れられた者たちは皆貴方に見つけてもらうことを祈っているのだ。
消しゴムの一つさえ、どうか忘れないでほしい。
私をこれ以上、増やさないでほしい。