雨を連れたひと
雨を連れているおにーさんがいた。
8月の真っ青な空を背景に、黒革のロングコートにハイヒールブーツ、もっふもふの黒ファーを首に巻いた、紫髪ポニーテールの外国人。
お化粧した顔は女の人みたいに見えたけど、なんかガタイがいいんだもん。コートの裾からのぞくズボンも男物に見えるし。
おにーさんは雨のカーテンの下でご機嫌に空を見上げていた。
「何じゃありゃ」
あたしは思わず自転車を止めて、マジマジと見てしまった。
口の中でソーダアイスが溶けてく。やば。垂れる垂れる。
しゃくしゃく。がじがじ。
なんの手品か大道芸か。
でも、そんならどっか他所でやっておくれよな。
こんな団地でやっても誰も見に来ないしな。
ばーちゃんたちは喜ぶかもしれないけど、飛んでくるのは小銭じゃなくて飴ちゃんだぜ?
いや、そんな場合じゃねーや、遅刻する。
センセに怒られる!
あたしに気がつかないのか、おにーさんは道の真ん中に突っ立っている。雨は相変わらずおにーさんの上にだけ降る。
いや、違った。道幅いっぱいは雨の中だ。
「ちょいとそこ行くおにーさん、早くどいてくんない? そこにいられちゃ、あたしが雨に濡れちゃう」
おにーさんは驚いたようにあたしを見た。
「へぇ。面白い子だね、私にどけと言うの」
「その雨、突っ切ってもいいけど制服が濡れちゃうんだもん。今からガッコーなのにさぁ。ちょっと端っこに寄ってくれたら、雨がかからないかもしれないじゃん?」
「……気にならないの?」
「何が」
「この雨」
「べつに」
「あらそう。ふーん」
気にはなるけど、今のあたしにそんな時間はない!
「それで、どいてくれんの? くれないの?」
「そうねぇ。ふふ……じゃあ対価をちょうだいよ」
「タイカ?」
「そ。私たちは貪欲なの。気になるものは何でも奪う。モノでも記憶でも心でも……。ケド、アンタは女の子だから要らないわ。その代わり、何か頂戴。何でもいいわ」
ワケわかんない理屈だな。
でも、まぁ、いいや。
「じゃあ、これあげる。カサ。さしたら?」
あたしはペタンコのカバンから、ピンクの水玉もようの折りたたみ傘を出して、おにーさんに向かって投げた。
「あはっ! ナニコレ!」
「だから、カサだってば。カバー外して、パッチン外して、広げるんだよ。これで雨に濡れないでしょ」
「あははっ! あははははっ! アンタやっぱり面白いわね。あははははっ、いいわ、どいてあげる。あはははははっ!」
おにーさんは水玉もようのカサを開けたり閉じたり楽しそうだ。まぁ、いいや。
「どいてくれてありがとー。んじゃねー」
「待ちなさい、アンタ、名前は?」
「ナツ!」
あたしは自転車を漕ぎながら振り向いて叫んだ。
おにーさんの姿はすでに小さくなってた。
なんかよくわかんないけど、ちょっとだけ涼しかったし、虹が見れてラッキー!
「ひゃっほー!」
あたしは坂道を自転車でスルスル下った。