第六話 面従腹背
この世界特有の冷たい空気は、今ある自然が形成されてからのものだ。
四十年前、旧世界秩序が崩壊して以来、この世界の空気には確かに異様な物質が混じった。それはある種の人間には命を保持できないほどの猛毒で、だからこの世界で普通に生きていくには死体になって蘇り、カードを埋めこむしかないのだ。
そのカードがもっとも密に集まるのがこの鉄屑街。外との交通を厳しく遮断することで、ほぼ、一種の独立都市となっている。
鉄屑街のど真中に立つ、四角形の灰色の物体が彼の屋敷だ。
しかし、彼のいる部屋はその外観とは相いれないほど豪勢で、黄金の色彩に満ちた豪勢な雰囲気。
黒也は先ほどくすねてきたカードを手にへし折りながら、
「この街は俺の物だ。誰にも触れさせはしない」
ふんぞり返る菊池黒也。
歌吾はにやにやしながら、
「はい!」 お追従。
黒也の驕りは、決して虚勢ではない。彼の体内に埋め込まれた『支配』のカードは、この鉄屑町の防衛システムと直結している。城壁に備え付けられた砲台、手の形をしたマニピュレーターは意思でいくらでも動かせるし、道路の信号を停止し、関門を強制的に閉鎖することすら自由自在。
その能力は、まさしく『支配者』にふさわしい。
部屋の隅では、数人の召使が掃除をしていた。年齢は互いに離れているように見えて、その細かい顔つきは黒也よりもどこか幼く見える。さらに言えば、黒也の横暴に何か不満を持っている様子でもなかった。
「そうそう、新しい情報が来ましたぜ。何でも、そいつのカードのありかが分かったらしくて」
「なにぃ~?」
「奴らの元に急行させろ。縛りつけろ!」
「へいへい!」
「帝国の回し者がなんだろうが、この街に俺に逆らう奴を一秒たりとも存在させはしない!」
こいつは何と単純なのだろう、と馬鹿にせずにはいない。歌吾はただの臣下ではない。ずっと、裏ではこの権力を乗取ろうとしていた。そして、ちょうどよい機会がこの時、迫っていたのだ。
今を逃せば……消える時まで、やってこない。黒也から顔を背けた時、歌吾は大いに笑っていた。
◇
「久しぶりだな、鉄屑街は」
人通りのないさびれた場所を、歩く男女一組。
「ええ、あれから十年後ですものね」
男の方が女の方より頭何個分も高い。
「あいつとな。今はもう、どこにいるのやら」
「私はあいつのことは好きでもなかったけれど……」
「忘れろ。それより、俺たちは始めなければならない」
「ええ、始めましょう」
まるで妹みたいな背の低さなのに、その声と顔は妙な艶を帯びている。
◇
「お前に似合うカードは『迅雷』だろうな」
この世界に関する尽きない説明の中で、昌虎。
「『迅雷』? 何で?」
「お前の呑みこみの速い性格だよ。驚くほど肝が座ってる」
昌虎は笑った。だが、自分のために笑っていそうな顔だ。
「雷を起こす……使い方は、今は分からなくてもいい。というより下手に使われたらこっちが困る」
軍兵は、手首についた刻印を眺めるばかり。
「というより、な。死人として蘇って刻印を押されなかったら、お前は今こうして生きてはいなかったんだぞ」
「へ?」
「今から四十年前すごいことがあってだな、それ以来人間は一度死ななくちゃ生きられない体になっちまった……」
学ぶことが多すぎて、もはや覚えきれない。
「だが、今でも常人がごつい機械に身を包みながら生きている集落がどこかにあるらしいって噂だ。あくまで噂だが!」
ゆかりはやはり、興味なさげに台所で調理にいそしんでいる。昌虎に関しないことには興味がないかのように。
賢が頭をかしげながら、
「だからこいつは、この世界にやってきてからごくわずかしか経ってないわけだ。異世界でも来たってのか?」
「そんな、ありえんよ。大体、異世界っていうのは、何も特殊能力を持ってない奴が、神様か何かから偉大な力を授けられ……て?」
昌虎は、言いたいことがはっきりあるにも関わらず、ぴったり当てはまる言葉が見つからない様子で、口をゆがめる。
「昔の記憶なんてどうでもいいじゃねえか」
賢はせかすようにさえぎる。
「あるよ。俺も時たま死ぬ前の記憶がふっと出てくることがある……この四十年間の、カードを奪い合い、帝国の追っ手から逃げる、そんな頃ではないもう一つの時代……」
「一体この間に、何があったんですか?」
「それならな、本を読め、本を!」
賢はまたもや嫌そうに。相当、自分の専門外のことが苦手でたまらないらしい。
「おいおい、この街の本と言ったらポルノや安っぽい冒険小説の類しかねえぞ」
望まない形ではぐらかされて、軍兵の不満はつのる。彼らにとっては、風や地球が存在している理由を説明してほしがってるようなものだとしてもだ。
「でも、わりと言えるさ。俺たちが生まれたばかりの、まだ物心もついてなかった頃の風景というのは」
賢は、はっきりおびえた表情をしていた。
「……どうやら、ここも安全ではないらしい」
窓が割れて、何者かが部屋の中になだれこむ。それも数人がかりで。
誰もが、黒い覆面をして、胸に至るまで強そうな厚い装甲を着こんでいる。拳を構える。
「いつか来ると分かってはいたんだ……帝都と同じことになるって!」
軍兵は、それが拘置所ですれ違った兵士たちだと見て取った。やや肩やスーツの色が違うが、それでも帝国の追っ手であることは間違いない。
「俺が疾風の力で何とかする」
昌虎は悪態をついて、消滅した。言葉を失う軍兵。
尻をつくあいだにも、次々と、兵士たちが殴られ、叩かれ、宙に舞い上がる。
ゆかりが蹴って壁や天井に叩きつける。軍兵にとってそれは一瞬も同然。
「おい! 俺の家を勝手に荒らすなぁ~」
賢の悲鳴をよそに、事態を収束すると、昌虎とゆかりは男たちの体をまさぐる。それから覆面を挙げて、唖然。
「こいつら……ハッキングされてる」
軍兵は恐る恐るその顔を見た。額にあの刻印。しかし、紫色に不気味に光っている。
「じゃあ、帝国じゃなくて……」
紫色の光がやむと同時に、
「この街のドン……?」
ゆかりの『ドン』という響きに、激しい嫌悪感。軍兵は、二人の怯えを見せる様子を、心からきりきりして凝視。
「くそっ!」
賢は棚を叩いて、
「折角この街に居を定めたってのに……また逃げなきゃいけなくなるのか……」
最初から鉄屑街が安全である感じには見えなかったが、これほど失望の色が深いということは相当この土地に根づいていたのだろう。軍兵は安心しかかっていた自分の愚鈍さを呪う。
その直後、壁がばりばりと破られ、灰色の細い腕と鋭い爪が姿を現す。
軍兵は突然の敵に、ただ茫然としていることしかできなかった。しかし賢は軍兵の腕をつかみ、机の上に身を隠そうとする。だが、全てはもう晩かった。
「防衛システムだ! 逃げろ!!」
その爪のごく下側から砲声。ゆかりも昌虎も倒れこむ。
銃弾が当たり、軍兵は気を失った。嘘だろ……こんな所でまた、襲われてしまうなんて……。
黒也は、自分の意識を防衛システムに没入させていた。
例の通報で知らされた場所の、すぐ隣の地面に内蔵されていたロボット・アームを起動し、家を破壊して中にいた彼らに麻酔銃を撃ちこんだのだ。
元から誰が中にいるのか、どこからどこへ移動するのか知るのは難しいことではない。黒也が所持するカードを使えば、この鉄屑街の内部を三百六十度見渡すことなど造作も。
「やったな。これで」
「捕縛して城壁からに突き落とせ! では今から俺は花園町から連れてきたお気に入りの芸妓を相手にする」
「分かりました! それでは帝国の治安部隊に連絡いたしますね」
歌吾は得意げな声を挙げつつも、そそくさと退出する黒也を冷やかに視ていた。これで、自分が鉄屑の頂点に立つ準備は整った。
あとはこいつ自身を始末するだけだ。彼らにカードはまるごと譲渡せばいい。
部屋の隅に立っている受話器を取って、ある人物の元に電話をかける。
「千一さんですか? 黒也は今、休憩中です。すぐ対応できる状態にはありませんのでどうぞご安心を……」