第五話 一蓮托生
鉄屑街は鋼の城壁に囲まれている。上の方に、大砲か、あるいは銃を取付ける凹が見えた。その下には、いくつか関門がある。だがそのどれ一つとして固く閉まっており、明らかに異邦人を入れる様子には見えない。
文明開化号が関門の中まで入りこむと、昌虎は何かノートみたいに薄い者を受付に見せた。軍兵が見る限り、その中には照明がともっており、ノート・パソコンや扇風機。
この時ばかりは昌虎もどこか怖気づいた雰囲気を見せていた。多分、軍兵がこれまで感じてきた重苦しさよりもっと激しい冷たさが、ここから先には漂っているのかも。『鉄屑』という地名は伊達じゃない。
道路の左右に、建物が立並んでいた。目覚めた時、拘置所から見えた建物より、はるかに見劣りのする、低くて安っぽい外見。それだけ、この世界では技術の格差がひどいのだろう。
かなり臭いにおいがした。砂が舞上がる。家と家の間に横たわる何かがのぞくが、見なかったことにしておく。しばらくして、ゆかりは文明開化号は人気のない道で止め、昌虎も降りた。一体何が起きるのか気にしていると、突然文明開化号は無数の小さな部品に分解していき、昌虎が持っていたカードの中に吸いこまれていった。そしてそのカードを、彼は手首の中に収めてしまった。
目的地は、ここから遠いとのこと。
軍兵はただただ、道行く人々の顔に注目する。
ここにいる人間が……自分自身も含めて、みんな死人か。言葉が通じるということは、多分日本なのだろう。
先ほどは、自分が誰かのささやきを聞いていたような気がする。直接、頭の中へ響いてくるつぶやきを。だが、もう内容は思い出せない。
もしかして一度あの時に蘇らされた……のか……?
電撃。砂嵐の画面に響く豪雨。
もう、軍兵は何もかも忘れてしまった。自分が一体何に悩み、何を探求めようとしていたのか。今の彼にとって重要なのは、この狂った世界でどうすれば生きて行けるのか、ただそれだけ。
露店では怪しげな身なりの、けばけばしい道化師みたいな連中がよく分からないものを売っていた。機械か、生物か、区別のつかない、足と頭のついた塊を。そして、それに夢中になって寄りすがり、今にも買取ろうとする客たちが。別の場所では飲食する群衆がいる。酒なのか、茶なのか、区別のつかない色をした液体をグラスからすすっている。表情から察するに、おいしそうには見えない。
この世界では全ての時間が止まっているように見える。歩むべき歴史がもはや何もないのだ。
人々はただ刹那的な快楽に尽くしているとしか。しかも、それをつっこんでくれる人がいない。軍兵はたまらず、
「日本はどうなってしまったんですか?」
必死に思い出すように、昌虎の眼がおよぐ。
「日本? 懐かしい響きだな……確か小学校の地図で見たような……」
「何、小学校って?」
ゆかりが怪訝に。
「俺も知らん。もしあるなら、こいつの顔に似てるだろうな」
軍兵は面食らって、この質問に後悔した。だが、急に昌虎は二人の手をつかんで、物陰に導く。
死角からひそかに覗くと、とりわけ豪華な服を着た壮年男が数人の仲間を連歩いてやってきた。
「菊池黒也だ」
その側、手をすりよせている者に向けて、
「泉歌吾……この街を統治っている第二人者だよ」
「黒也様ぁ! どうか私のカードをお返しください!」
「だめだだめだ! お前が持つカード、抵当にしっかり抑えておいたからな!」
「待ってください! 私の命まで――」
横暴な気配のする声。軍兵はたまらず目を背けた。
爆発音。光の粉が無造作に飛び散り、軍兵の顔にかかる。光を帯びているのに、氷のように冷たい、異様な感覚。
昌虎は軍兵の辛そうな表情には関心を見せず、
「歌吾には近づかない方がいいぞ。あいつは金のことしか頭にないからな」
ゆかりは彼らに目を合わせようとはしない。無論、そうしないのが身の為だが、それ以上の因縁を顔からは感じさせる。
思い出したかのように、
「俺はよく分からんが、ここは帝国の第一支部だ。だが鉄屑街一帯は中央の権力がいまだに及んでない、無政府状態」
まるでエアストリップ・ワンさながらだと軍兵は思った。
『佐々木』と書かれた塀をくぐって、昌虎たちは例の人物に会いに行った。
すると、まず猜疑心のこもる、ぎすぎすした叫びで迎え。
「見ないガキだ!」
「落ち着けよ、こいつは新入りだ」
昌虎はいかにも頼もしげに。
「何でも記憶がないらしい。だが数時間前は常人だった」
「だとすりゃまだ改造のしがいがあるってわけだ」
この男こそが、昌虎の目当て、佐々木賢だった。黒縁の眼鏡をかけて、頬には深いしわが寄っている。だが屍人のことだ、実際の年齢がどれくらいなのか軍兵は判断をためらう。
「で、どのあたりが故障してるんだ?」
「武装だ。車体下部に格納してるマシンガンの弾が切れてる」
車が本当にそこにあるみたいにカードを差出す昌虎。
「劣化ウラン弾のな。これをどうやれば自動生成できる?」
賢は何か液晶のついた機械の溝にカードを差込み、
「そのためには虚空間電子の設定を――」
昌虎と賢は自分たちの世界に没入。
軍兵はゆかりにささやく。
「あの……何を話しているんでしょうか?」
「私も知らない。こいつらはその道の専門家だからね、私なんかの及ぶところじゃない」
「じゃあ、ゆかりさんは何で昌虎さんと一緒に?」
「あくまでも護衛よ。私は金で買われたような存在。ただその報酬が支払えないから――」
「おい、若いの。何を突っ立ってる?」
賢は目覚めたかのように軍兵を指さした。
「常人から屍人になって間もない人間はまだ感情が残っているらしいな。俺たちみたいに何十年も経っちまった屍人はもう感情もなくなっていく、過去の記憶も忘れる。だがお前は違う」
言いたいことが沢山ありそうな、奥底で何かがにえたぎってる顔。
「常人が、だ。まさか常人の集落から逃げてきたわけでもあるめえ?」
賢はとげとげしい視線を隠さない。
「まあ落ち着け、賢。こいつには何を言っても理解できんさ」
昌虎は賢の肩をたたく。
「というより……お前、こいつを捕まえて屍人にしたのか? 何てことだ、俺の貴重な資源が……」
いささか気分の悪くなる会話に突然しゃしゃり出る言葉、
「松平董吾がいた」
「何、董吾が?」
「そいつにこの軍兵って子は刺されたってわけ」
ゆかりが肩をつつく。
興味なさげに肩をすくめる賢。
「多分『帝国』の奴らがこの街に忍びこんでいるってことだ。まあ俺には関係のないことだけどな!」
お世辞にも、昌虎の言葉は頼もしげに聞こえない。
「……関係がない」
「いいか、俺は便利屋じゃないんだ。子守なんて俺の仕事じゃない。俺は誰かの肉体を強化するだけだ。そのためにカードや宝具を収集してるんだ、わかるか?」
賢は軍兵の素性について深掘しようとはせず、静かに壁を開く。本棚と同じような要領でカードや銃が押し合いへしあいして並んでいる。
「これが見られたら、俺の命はない。昌虎、お前がこの坊主を連れてきたのだってきちんとした意味があるはずだぜ? 自分の利益のために使いたいって利益が」
「ああ。俺は善人じゃないからな」
軍兵はそう言われることを知っていた。
「……言われると、分かってましたよ。僕は、闘えばいいんですよね?」
「闘う?」
「だって、この街は帝国と仲が悪いって言ってたじゃないですか」
言いながら、昌虎へ向く。
「なら……俺も闘わなくちゃいけない」
「おう、俺が見越した通りだ。こいつは仕えるんだよ!」
さして嬉しくない賞賛。
黒也の傲慢な声が反芻する。ああいう人間が、この世にどれだけいるか分からない。
「そう言うと思ってたよ。やれやれ、俺はまた一人面倒な顧客を引き受けねばならんのか」
今、俺は何をすれば分からない……けど、求められていることは分かる。
賢は棚の向こうの壁から細長いプラグを引いて、バンドを軍兵に装着させた。
「痛いだろうが、覚悟しとけよ」
体に電撃が走り、軍兵は崩落ちた。傷に自分の体が乗っ取られそうな、そういう感触だ。
「耐忍べよ。俺たち屍人が生まれた時もこういう試練をくぐらなければならなかったんだからな」
賢の言葉は無慈悲。上の方で昌虎が手を組んでいる。ゆかりは完全に背を向いている。
そして、またもやあの幻聴が響いた。
――俺は強い。この後の人生でも必ず生き残るはずだ――
「ああ……」
軍兵はバンドを外し、手首にきちんとコンセント状の刻印があるのを凝視。
「成功したな? じゃあ俺があとから使い方を教えてやる」
昌虎は爽やかな笑顔をしていた。
ちらちらと、カーテンがゆらめく後ろ。