第二十六話 陰謀奇景
花園町地下に広がる旧軍事基地は噂だけなら誰でも知っているが、実際にそこに足を踏入れた人間のことは絶えて聞かない。
花園町自体が広大なため、その全体に渡るとは限らないらしいが、地下基地が地中に隠れているはずの場所は、何でも箱根と呼ばれていたらしい。
軍兵は仲間とこのことについて相談した。もはや誰も出入りしない夜、昌虎の家で、外に光が漏れないように小さなランプだけを灯して。
軍兵は遠い昔もこういう感じにして寝る前を過ごした日があったことを思出した。こんな風にわずかな光をともすことで、世界が急に小さくなった錯覚を味わえたから。
「……そこに誰かが忍びこむ恐れは?」
「いや、いや! あんな場所に入れる奴は誰もいない。やろうとした奴はいるが、いなくなった」
賢はこの時ばかり、怯えを前面に出した表情になっている。
「俺の知人にもそういう奴がいたよ。ウイルスのありかを突留めて、潜入したのがな。でも、同じ二の舞だ」
「じゃあ、何でそれが実在するというのが分かるんだ?」
「あの施設が存在するのは事実だからさ。でもわずかしか踏みこめない。どこが安全な入口なのかまるで分からないんだ……その入口さえ、今では市清によって厳しく封鎖されてるって噂だ」
賢はそれ以上のことをどうしても言いたくなさそうな雰囲気だった。よほど、親しい友人だったのだろう。昌虎とは、まだ違った感じで自分の意見を言えるような関係で。
「奴らに使われてはいけない」
軍兵の顔はいつになく重々しい。
「奴らが先にそれを手に入れたら……」
こういう時に限って、自分が頼りにされることに対して安吉は池に飛込みたいほどの重圧を感じた。二人の会話を聴くに堪えず手を挙げて頭を覆う。
「ああ、俺たちの世界を破壊されないためにな!」
賢は腕を揮う。彼にとっては、帝国も彼自身も含む屍人の世界を残し続けることが正義だと思っている。
だが、軍兵は違った。この世界は間違っている。本来、存在するべきものではないものだ。
誰にも言うことはできない。言えば、必ず対立せざるを得ないだろう。
「それをもし使うべき時があるとすれば帝国を滅ぼす時だけだ。帝国がそれを手に入れれば絶対に俺たちを倒すためにつかうはずなんだからな!」
それが、この世界、ここに住んでいる人間なら常識と言ってもいいくらいの答だろう。
「安吉、お前はそれについて何も知らないんだろうな……」
「ああ。俺みたいな末端にそんな重大なこと伝えられるわけあるか」
一番恐れているのは、軍兵が変な興味を抱いてあれやこれやと訊いてくることだ。折角同じ内通者であるA-71がいるのだから、彼女の方に質問してくれればいいのに、と思う。だがA-71は寡黙だった。そして軍兵は何かを憚ってか、彼女に対してあまり言葉を発しようとしない。
「俺は戦うためだけに育てられてきた。ただ訓練をこなしていただけだからな」
突如ゆかりが声を出す。
「あなたみたいな戦闘ばかりしていた人間にそんな事情は分からない」
むっとする安吉。
「私はあいつらの内部の近くで仕事をしていたことがあるから、あの内部がまだ少しは分かる」
「おっ、いよいよ話す気になったな?」
賢がしたり顔。
「あの基地の地図とやらが、あるにはある」
「おいっ、本当か!?」
「でも残念。これはもう十年前のことだから。今はもう事情が違う。
こんな語った所で、あの人は別に興味なんて持たなかっただろうから」
うつろ気味な瞳が、ゆっくり軍兵の方に向く。
「あるとすれば、もう一度『彼ら』の元に戻って――」
「正気か! A-71」「……ゆかりだ(間断なく軍兵)」
「ゆかりさん、俺たちが還って来たら、あいつらに殺されるに決まってる!」
軍兵と賢はたちまちこの流れに締出された。
「冗談だよ。それに私が奴らの元に帰ってきたら、そもそも通してくれないだろうからね」
二人の会話をつまらなそうに聴いていた賢はおもむろに、傍らから一冊のノートを取りだす。
「二人は面識があるのか」
「あるわけないだろ、俺はこいつを作戦会議のデータでしか見たことしかないんだからな。あと俺は十六歳だ!」
ゆかりはまるで経験の深いような声で答える。
「私は十七歳の時に屍になって、もう八年」
またもや控えめな笑顔を浮かべた。この時ばかり、彼女が何を考えているか、軍兵は分からなくなる。
「あなたには分からない。私が屍人としてどんな生涯を送ったか……単なる捕獲対象として見られる人生を送ってきたわけじゃない!」
ゆかりの声が最後あたりで鋭くとがる。
賢はノートのあるページをめくって、じっとしている。すでに、文章がぎっしりと詰め込まれたページを。
安吉は黙った。軍兵はもう一度口を開いた。
「とにかく、俺たちはどうしても基地のありかを見つけることだ。そしてできれば……ウイルスとやらを見つけて、破壊する」
「おいおい、破壊するのか?」 失望する賢。
軍兵には命を何百万ほどの背負うほどの経験がない。たとえそれが自分たちにとっての利益のある選択だとしても、数えきれないほどの人間の人生を左右することなど、軍兵にはできなかった。
その選択が甘いと言われても、甘い選択がもっと苦しい事態を招くとしても、軍兵にはそこまで容赦ない選択を取ることは気が退けたのである。
「何を自分が世界の命運を握っているみたいな自覚してやがる。俺たちが握っているのはたかがこの昌虎の家と、あの茶屋と、ここにいる四人の自由だけだろうが」
賢の住む世界は狭い。
「……お前には言ったところで聞く耳を持たないか。どうするつもりだ。どうやって情報を手に入れるんだ?」
「一番可能性があるのは、花園町の裏通りね。あそこには帝国からの人間も多いし、色々な話が聞ける」
「だが軍兵が行くには危険だ。切札の密売さえ行われてるところなんだからな」
「頼む。俺はまだ花園町の偉い人たちと色々と付合わなければいけない」
安吉がすかさず、軍兵の元にすり寄る。
「お、お前の元にいさせてくれよ」
「俺にはこの地上の世界が怖ろし過ぎてならん! とてもじゃないが外に出ることすらできんわ」
「ああ、軍兵の腰巾着になっていろよ、この役不立が」
賢は決して容赦しない口ぶり。
「役不立だと!?」
「まあまあ、そんな怒らないで」
軍兵は静かに耳打した。
「明日になったら、俺は地下基地に行くことを市清さんと話す。そしてお前も同席してほしい」
「え……この町のドンとか!?」
安吉は驚いた。花園町にいることですら恐ろしいのに、誰かと
「安心しろ。お仕事体験学習みたいな物だと思って受けてもらえばいい」
「お前は俺の役に立たなければならないからな」
その言葉を聴いて、三人は微妙な表情を浮かべた。安吉という、元々は敵視すべき存在をここに長く置いている軍兵の判断を疑う気にはなれないが、かといって安吉を歓迎しようとする気にもなれなかった。
ゆかりは先ほど会話したように、安吉からつけ狙われていたし、賢に至ってはすでに脳内で彼を処刑する妄想に浸っていたのだから。
「聴いていてほしい。市清がどんな風に話すか。どんな表情を浮かべるか……俺だけだと分からないこともあるからな」
「そうやって、俺がどんな組織から来たかまるで聴こうとしないんだな」
「ゆかりから聴く。明日の朝に出発だ」
ひたすらそう言うだけで、要するに信用がおけないのだと安吉は実感せざるを得ない。
軍兵は、あくまでも自分を中心にして物事を考えているのだ。たとえ冷酷に徹しきれないとして、別に温情を保ちたがっているわけではない。 安吉はもはや何も言えず、黙った。
「それで、俺は? また家で武器でも磨いてろってか?」
「賢には多分、人と触合うよりは売上を調べることの方が見合ってるだろうから」
「だから私の方が人と会って話ができるってことね……」
ゆかりが場の茎を埋め合わせるようにして。
賢はゆかりの言葉にさして反応せず、
「分かったよ。にしてもお前、変わったな」
「俺が?」
「昌虎を気どっているみたいで、虫が好かねえ……今更言った仕方がねえが」
「気どってる? そんなこと」
苦笑して思わず顔を背ける軍兵。昌虎の真似をしている気なんて全くなかった。ただ単に、人の上に立つものとしての自覚を持とうとしているだけだ。
「別に、ただ自分のあるべき道を模索しているだけだよ」




