第二十三話 規律粛正
花園町の中には種々の対立がある。
早速、事態は進んだ。帝国との内通者が正体をあばかれ、逮捕されたのである。街中に出回った新聞にはその写真が載っていた。
凝視して、軍兵はそれが以前店を訪れた怪しげな客だと分かった。間違いなく、処刑されてしまうだろう。未来はない。
「多分、式典で殺されるんだろうな」
賢はその男に対する何の嘆きや同情も寄せずに。
「帝国に対する怒りで燃え上がっているみんなを満足させるために。軍兵、お前は来るだろ?」
「え……!?」
驚く軍兵。
確かに、裏切者に制裁を下すのは当然だが、その死をこの目で視届けるのはさすがに好まない。今は、気分も落ち着いてきたのだから、その心をもう一度荒らすことには加わりたくなかった。
「ことによるとお前が手を下すように頼まれるかもしれんよ」
軍兵は葛藤した。人を殺すことには抵抗感がある。今ですらあの罪悪感から逃れることはできない。
だが町の中の反乱分子を消すことには賛成する。その矛盾に。
自分で血を流すのが嫌いなだけなのだ。軍兵は自分の残忍さに腹が立った。だが同時に、自分に対立する人間をお払箱にできるという幸運への快感も認めざるを得ない。
「何でもそいつらを公開処刑しようじゃないかって話になってるんだ。どうだ軍兵、お前も見に行くか?」
賢が乗気になって提案してくる。善意だと分かっているだけあって、猶更おぞけが走る。
「いや、俺は見たくありません」
「そうか? 巷で町を救ったと噂のお前がそこに現れるだけでも大した宣伝効果だろうが!」
だだをこねる賢。
「嫌です、じゃあ賢さんが行ってください」
「そりゃ無理だ、水ぼらしい俺が行っても煙たがれるだけだろうからな」
もっとも苦しそうな表情なのはゆかりだ。そもそもこういう血なまぐさい話を聴かされるのが苦手な性格なのだが、安吉と顔見知りになり、何ならこの店にまで連込んでしまった軍兵の軽さには気がめいった。
そんなゆかりのことを安吉は好きになれなかった。花園町への何回かの潜入捜査で彼女のことを知り、ずっと追跡していたのだが、もはや任務にも関われない身となり、じかもその元々追っていた人間とともに並ばなければならないことに対する胸糞悪さがすごい。
このままでは、ゆかりに襲われるのではないか――
「その裏切者っていうのは、花園町に昔からいた人間、だよな?」
「ああ。きっと帝国軍の攻撃によって体よくあぶり出されたって感じだ」
と軍兵。
「市清様はああ見えて、敵対する者に容赦ないからな」
安吉は言った。
「俺もそこに行かなきゃならない」
「大切なことを忘れてる」
「でもその前にやらなくちゃならないことがある」
誰もが黙っていた。無論、何を言おうとしているのか分からない人間もいただろうが、軍兵が決して無駄口を叩く人間ではないことに誰も異論はなかった。
「昌虎さんを供養しなきゃ……」
賢は理解できない顔をした。
「供養……そりゃ何だ? 昌虎はもう砂に還っちまったんじゃないのか」
途端に、軍兵の顔は色を失った。未来のことばかりで、過去とのしがらみに注目しなかった自分に不思議な罪深さが湧いてきた。――いつだって、俺は過去を振返れない。というより、振返りたくないのだ。
「確かに昌虎は砂になってしまったかもしれない。けど昌虎は」
どこか、軍兵は引っかかる物があった。確かに昌虎が軍兵の命を助けてくれたのは事実なのだし、その恩義に報いなくてはならない。
まだ常人だった時の記憶を色濃く残している彼女だから出てくる言葉なのだろう。
「墓……って奴か? そいつを昌虎のために作ってやるってのか?」
そういう発言を賢から聞くことがあまりに後ろめたく、耳を塞ぎたくなる軍兵。
「だって、私だってまだ心の整理は落ち着いてない。昌虎が死んだことは忘れようとすれば忘れられる……でも、このまま昌虎を忘れるには忍びない」
三人の静かな不協和音で、今にも軍兵にすり寄ろうと揺動くのは安吉。
賢は別に怒っているというわけではない。ただ単に、変な物を見る視線を彼らに向けている。
「俺が一番屍人になってから久しいからかな。俺はもう昌虎が死んだのも遠い昔のことみたいに覚える」
彼はすでに、一部の感情が衰えつつあった。
「屍人が死んだら……その後残る砂、基本的にどうするんですか?」
軍兵は、気になったことをすぐ言葉に。
「決まってるだろ。川に流すか土に埋めるかだよ」
屍人は一度死んだ人間を無理やり生きたものとして再現しているに過ぎない。本来なら、もう朽果てて亡くなっている瞬間の存在を生きた人間として構築しているのだから、もしその働きが止まったら一瞬で肉体が蒸発してしまう。あの時、昌虎の肌からただよったかがやきとは……熱。
賢が所持していた書籍から分かったことだ。
その賢はすでに、軍兵の提案の妥当性を検討する段階に入っている。
「まさか、それすら回収せずに墓を造るってのか? おいおい、それは墓と言えるか?」
「確かに、昌虎さんが燃えて星になった場所は……」
軍兵は、早速壁にぶちあたる。
「あの場所は今補修工事で立入禁止になっちまった……」
「じゃあゆかりさんの言葉に順って、墓造りましょうよ。俺たちはあの人を忘れるわけにはいかない」
昌虎の死を無邪気に悲しめるほど、軍兵は善良ではなかった。何より、それが一種のパフォーマンスであることを自覚していた。これによって、賢とゆかりと
「安吉、あんたの所では死んだ人間をどうするんだ?」
「ああ、それだ! おいお前、黙秘したら承知しないぞ!?」
不意に関心の的を向けられ、安吉は動揺した。なぜ自分が事実に話さなければならないのか。
「俺と同じ身分の奴は、死んだらすぐに火葬されるよ。あそこは……薄暗いじめじめした所だから、空気を綺麗に保っておかなきゃならない」
「ということは、お前のいた場所は、山か地中深くか?」
どもった様子で、もう何も言うまいと頭を縦に振るばかり。
だが安吉の言葉はそこで終わろうとしなかった。一瞬は。
「少なくとも、この地上から行ける場所じゃない。かなり硬い壁が――」
「A-71! お前はこいつらの肩を持つってぐぐ」
「お前にゆかりのことが少しでも分かるかってんだ!」
賢は安吉の頭上に手を推しつけて机すれすれに下げる。
「お前は軍兵に生殺与奪を握られてるってことを忘れんじゃねえ! まして敵情を知る重要な証人なんだからな」
耳元、鼓膜を引き裂きそうな勢で叫ぶ。
これには軍兵も苦笑い。
「いや別に、安吉は」
「第一、松平董吾にも例の切札を差込まれたままなんだ。」
自分の悲惨さにまたもや頭を抱え、押黙る安吉。
店の小さな庭に、柱を立ててみる。
追悼の文はゆかりに任せた。
軍兵、賢、ゆかりがそれぞれの方法で手を合わせて目をつぶり、黙祷。
軍兵は昌虎に拾われてから、花園町攻防戦で彼から力を受取るまでを想起こした。
今も、彼の体には『迅雷』の切札が埋めこまれている。まだ、その力の使方を知悉しているわけではないが。
その『迅雷』は、どれだけ頼りになる力なのか。全く予想が。
「もしかしたら、お前ら常人って言うのは屍人を滅ぼすのが最終目標なのか?」
「そうなるな」
安吉は、なかば諦めた顔でうなずく。
「じゃあ、一体どんな方法で滅ぼすってんだ……?」
ゆかりはふと、口を開いた。
「私があの世界にいた頃に聞いたんだけど……昔、常人と屍人たちとの間で最終戦争が起きた時、常人は屍人だけを死滅させるウイルスを開発していたらしいの」
「安吉、それは本当か?」
まじで、こいつは何者なんだ……? 安吉は何でもかんでも訊いてくる軍兵に激しい恐怖を覚える。しかも賢がその隣で似た顔つきになるのが本当に耐えられない。
こんなことになるのなら最初から董吾に殺されていた方がましだったかもしれない。
「た、ただの噂話だ! 俺は何も知らない」
安吉のびくびくした顔にさして軍兵は興味を示さなかった。
「なら誰よりも俺たちがそれを手に入れなきゃならない」




