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第二十話 三十六計

 一秒の長さが一瞬で一時間に。軍兵は、もはやその時から理性で動いていなかった。姿勢を崩した昌虎が屋根に座りこみ、瓦の溝に足をすべらせ、地上に墜落し始める。

 だが昌虎は切り札の力、かろうじて速度を制御した。だが激痛に耐えられずゆっくりと地面に頭から落ちた。

「昌虎さん!」

 軍兵はその間近に駆寄り、

「軍兵! 逃げよう!!」

 ゆかりがどなり、手首をつかむ。だがその寸前、

「待て……」

 黄色い光の粒を舞上げる中、昌虎は弱い声でつぶやき、懐から何か、薄いものを差出す。

「これを、つかめ……!」

「何を……!?」

 昌虎の手が軍兵を強く握る。プラスチックとも金属とも付かない、硬い感触。軍兵はすぐにその中を見る。

「軍兵を頼む……」

 小さな札、『迅雷』の字が静かに刻まれていた。その字を確認する暇はなかった。次の瞬間、軍兵は、後ろへものすごい力で引っ張られていた。敵の姿が何人も。

 

 昌虎が見えなくなったのを軍兵は見ることができなかった。帝国兵はバリケードを越えて、円形をなす中心広場になだれこもうとしていた。花園町の人々は更に町の奥へ撤退しなければならなかった。

「おい、止まれ! 俺はあんたたちにつく!」

 突然、あの男の声。

「どうせこの花園町も内輪争いで自滅するからな! お前らに力貸してやるよ」

 董吾は帝国兵を向きもせず、こちら側をにらんだまま、

 董吾の声など、本来は見向きもされないはずだった。何人もの敵を殺してきた人間が、今更降伏した所で。

 だが驚くことに、帝国兵は立ち止まった。董吾が何食わぬ顔で、帝国の装甲服を着こんだ男たちを背後にしている。ゆかりの怒りに満ちた声。

「董吾! なぜ私たちを裏切った!?」

「どこについたって別に構わねえだろ?」

 緑色の液体をまとって、半分人間となった董吾が叫ぶ。

「俺は楽しければいいんだよ!」 心から愉快そうに。

 軍兵は怒りを越えて何も考えられなかった。昌虎が死んでしまったことも心の動揺を大きくしていたが、董吾の天邪鬼も甚だしい行動に、もう殴りたい気分だった。

(どうして何だ? 俺たちはみんな、生きられなければ死ぬだけでしかないのに……!)

 だが前に進もうとしても、ゆかりが手でがっちりと抑えている。そして董吾の異様に楽しげな表情を確認した後で、軍兵とゆかりは遠く離れていった。

 だが帝国兵はそこから進撃していこうとはせず、バリケードから数十メートルの地点でとどまり、こちらの様子をうかがっている。


 当然ながら、市清はこの事態に冷静ではいられなかった。おびえの隠しきれない支持と共に新たに銃や盾を持った男たちが駆集められ、銃後の人々を守るために向かって行く。

「安吉!」

 だが軍兵が驚いたのは、

「軍兵……」

「お前、逃げるんじゃなかったのか? 今なら逃げる絶好の機会なのに?」

「こんな所で生きて逃げられるか! 帝国の奴らがうじゃうじゃいるってのに……俺は自分から死んで行きたくはない。自分の命は自分で決める」

 何度もぐらついた足を見せる。軍兵が何か問いかけようとすると、安吉は黙って逃出した。董吾が帝国兵の群から近づいてくる。


「杉野軍兵と言ったな。お前は」

「やらせてくれ。こいつのとどめは……」

「俺がさす。楽に逝かせてやるよ……」

 軍兵はおびえた。しかしもはや、勝負は始まっている。逃げるのはありえない。逃げたら、死あるのみ。

『迅雷』を、あの手首についた差込口に押付けた。すると、カードが腕の中に入っていき、注射に似た異様な痛みが走る。そして急激に感覚が鋭敏になり、何か複雑なものを自覚した。今まで、自分が知りもしなかったものを。軍兵は、力の使い方を理解した。実際に使うことができるかどうかはともかくとして、切札に関する知識を彼は理解した。もはや、全く違う世界が目の前に広がっていた。

「どうした」

 帝国兵と花園市民が二人の動きを見守っている。誰もが、これを全ての運命を決する瞬間と信じた。

 軍兵は董吾に斬りかかった。高熱のプラズマの刃を拳から発生させ、董吾の頭上に振り下ろす。

 董吾も、あのワイヤー状の武器から鋭い鎖を投擲し、応戦。そのまま、何合も打続けた。これまで経験したことがほとんどない非日常でありながら軍兵は疲労をほとんど感じなかった。どうやれば、身を守れるかが分かる。相手の攻撃に対する措置が分かる。

 それ以上に、体重をまるで感じなくなったことにも軍兵は驚いた。自分の体がすかすかの針金になったみたいだ。

 ゆかりが近づいて、董吾の囮に。軍兵は、ゆかりを守ろうとする。しかしゆかりは目くばせで、構うなと。

 不思議なことに、以前鉄屑でゆかりの力を目にした時とは違い、その動きがはっきりと確認できた。

「図に乗るな!」

 董吾のいかる顔が、急にゆらいで溶けていく。上半身から次々と細胞の塊に分裂していく。その一部がゆかりに憑こうと粘り出す。

 軍兵はそれが危険な毒を持つと見て取った。彼は距離を取り、風のような速さでスライム状の塊を避けていき、どれを狙えば董吾にとどめをさせるか定めようとする。

 その間が何秒程度の長さでしかないことなど、軍兵には知る由もない。

 再び腕に電流をこめて、液状の細胞の一つ一つを斬裂いた。ゆかりを助けるにはあと四秒もない!

 軍兵の刃が妙に赤みを帯びた塊を切断。

 それまで散らばっていた細胞の塊が急激に集まっていき、人の姿に帰っていく。董吾だ。董吾は血を流してはいなかった。だがその顔色は血が流れたみたいに蒼白。

 軍兵は、今なら殺せると腕を高くかかげた。

 しかし董吾の叫びは悲痛だった。

「ぐあっ……!」

 腹を片手でさすりながら、何とか脚だけで退こうと。

「待て……やめてくれ、俺が……」

 軍兵はその時、自分の勇気のなさを恥じた。ここで素直に董吾を殺すのが正解なのだ。そうしないのは分かっている。

「だろうな。お前は、未熟だ」

 董吾の声色が豹変し、なめた言葉を語る。手の中に、あの武器が握られている。と思うと、そこから鋭い針が軍兵に向けて疾駆する。

 反射的に軍兵の前に躍りこむゆかり。

 だが、悲劇はもはや繰り返されない。針はゆかりの腹を貫く途中で突然方向を変え、何か鈍い物に衝突して爆風を起こす。

「てめえ! この俺たちをよくもこけにしやがって!」

 激昂した賢が、凌遅刑を董吾に撃ったのだ。しかし董吾はとっさの判断で不意打を防いだ。

「くっそ! 弾ぎれじゃねえか! おい、よくもこんな所で切れやがったな、このこの!!」

 砲身に頭を打ちつけるが、軍兵は乾いた笑を浮かべるしかない。

「はは……お前たちはつくづく運がいい!」

 董吾の恐怖こそはったりだったが、肉体に大きなダメージを受けたのは確からしい。

 不器用に立ちあがると、手元の武器を突然一つのカードに変えて手首へとしまいこむ。

「今日はここまでにして、また遊ぼうぜ。さあ、お前らはどうする? 俺を殺すか……」?」

 帝国兵たちもこの処遇に困ったらしく、何かを話し合っている。やがて隊長格の男が、

「……連れて還れ!」

 董吾は抵抗しなかった。それどころか、笑っていた。こんな不敵な笑みにも関わらず、悪意らしいものはまるで感じられなかったことに、軍兵はすくみあがる恐怖を覚えた。

 董吾は、全く、赤子のようだった。きっと、軍兵を殺したのも、傷つけたいとか怖がらせたいとかいう気分からではなく、あくまで蚊や蠅がうるさいから殺している。

 前後から体中を拘束された瞬間、わずかに董吾の顔と体は硬直した。だがもといつも通りの様子に戻り、全く悪びれない、ふてくされた動きで軍勢の中にかき消えた。

 軍兵は安堵しかけたが、すぐに気づいた。――帝国兵は董吾を捕まえるためにやってきたんじゃない。花園町を攻め落とすためにやってきたのだ。

 このまま前進されれば、ひとたまりもない。だが、突然、敵兵一人一人の間に妙なざわめきが生じた。

 ほら貝の笛にも似た音が遠くから徐々に大きくなりつつ響渡ると、にわかに敵が後ろへと歩きだした。むろん、しんがりがいたが向こう側に引き始めたのである。

「退却だ!」 はっきりとした事実。


 軍兵は何が起きたのか分からず、ゆかりたちと共に立ちつくしている。

 後ろにはすぐに民衆が迫っている。今にも狂いそうな調子で、喜びの声。

「やった! 俺たちの勝利だ!」

「軍兵さまのおかげだ!!」

 自分たちが勝ったなどとは、軍兵は微塵も思わなかった。

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