第十九話 捲土重来
本当にこれで帝国を撃退できるのか、軍兵は心配でたまらなかった。
あの老婆の言葉は本当なのだろう。この花園町の中には抜差ならない対立がある。
それを今まで市清はぎりぎりの所で抑えていたのだ。その才能たるや評価したい。だが、それすらもこの危機に合ってはぐらつかざるを得ないものだ。
軍兵は、市清の姿をまじまじと見て、その本性を確かめようとした。その視線に、市清が気づいた。
「君が、昌虎くんの言っていた杉野軍兵という人だね?」
「え? ああ……」
「君が世の中を大きな力を秘めているらしいと聞いたよ。私が求めていた人物だ」
文王にとっての太公望とでも言わんばかりの、声。
「ぼ、俺はただの子供です! そんな大それた人物では――」
「直感で分かったんだ。常人であり記憶喪失、そんな人間がただ者なわけがないと……」
市清は重々しい足取で近づいていく。曽我安吉がいるではないか、と言いたくなるが、彼の威厳に好奇心が加わると、もう後戻できない。
「ずっとこの世界は屍人に満たされていた。生きていた人間など一人もいなかった。だが、そこに君は常人のままで生き倒れていたわけだ。君はもしかしたら何者から遣わされたのかもしれない……」
もはや目を輝かせて軍兵が宝石でもあるかのように見る市清。この体たらくで事情を説明するのは面倒だ。
「分かりました。俺が奴らを倒せばいいんですね」
軍兵は不本意だがそう答える他なかった。
「諸君、見よ、この者こそが救世主だ! 常人として見つかり、記憶喪失で現れた、きっと我々少年だ!」
いきなり市清は肩に軍兵を抱寄せ、叫ぶ。群衆から、おお、と声が揚がる。ふと複雑な表情になってしまう。
近づいて来て、肩を叩いてくる昌虎。
「いいぞ、みんなの士気が上がっている。これなら今回も奴らを撃退できそうだ」
「でも鉄屑街が奴らに降った以上、そこからの兵力が加わっている可能性もありますが」
「気にするな。今は敵を撃退することだけ考えていればいい。ほら、いつもは対立してる奴らが手を取りあってる!」
帝国兵が川から突き立った道路の中、花園広場を向けて、列をなして迫る。
水路はどこも閉鎖しており、そこから侵入される恐れはない。花園広場周辺は特に狙われやすい場所なのもあって高い壁や堀をめぐらすことによって特に強固な構造を張巡らしている。もしここが陥落すれば、花園町が内側から侵食されることになる。
建物から建物まで積まれ、遮るバリケード。その前にすらびっしりと並ぶ戦士。
屋根には銃やボウガンを構えた男たち。殺しあいを始めるのだ、という気迫が嫌でも伝わってくる。
軍兵は先ほど凌遅刑で一人を射殺したことの気まずさから未だ脱してはいない。懺悔したい気分だが、相手の遺体を見失った今となってはそうすることもできない。
さし当たっては戦略として、敵を狭い通路に閉じこめて一気に殲滅していくとの狙い。
市清は他の男たちに囲まれ、作戦を指導している。こうしてみると、意外と群衆にまぎれこむことが可能な、目立たない姿。
いつの間にか、董吾がいた。彼は気さくに昌虎に近づき、挨拶。
「おい、昌虎! やってるかい?」
「貴様、俺を味方とでも思うのか?」
昌虎は血走った響き。
「どれくらい殺せるかで競争だ。まあ、俺の方が強いか」
軍兵は董吾に対して不信感を持っていた。無論、彼が帝国をそそのかしたわけではないが、どうやら帝国に繋がりがあるに違いないという疑いがぬぐえないのである。それが今回の侵略に関わらないとしても、やはりどこかで帝国の連中とつるんでいるに違いない。だが董吾は数歩向こうに歩くと透明になり、地面の上を走る音が聞こえる。
董吾がいなくなった後で、昌虎は静かに近づいた。
人々に話しかけられ、困惑する軍兵は昌虎に叫ぶ。
「俺にもできることがあるのなら、手伝わせてください!」
「いや、お前はただ見守っているだけでいい」
「でも、俺はただ無力のままじゃいたくない」
「それは彼らの望む所じゃない。お前が今、ここにいることだ」
ふと後ろを向くと、安吉、いや、F-28がいる。急に有名になってしまった軍兵に、変な眼。
「何だ、お前? 救世主とでもいうのか?」
「知るかよ……市清さまが勝手にそう呼んだんだから」
「そうか。じゃあ俺は逃げる」
場が場なだけあり、単刀直入に。
「見つかったら?」
「どうせ末は知れてる」
首を横に。多分、死にたがっているのだ。董吾に殺されるよりは、野垂れ死ぬ方が楽なのだとばかりに。軍兵は、その願いを責める気にはなれなかった。
しかしF-28は今すぐ逃げ出そうとはしない。逆に、反撃の体制が始まっているせいでますます町の外に逃げるのが難しくなってしまった。
「何でこんな時に……」 なかば放心した、嘆き。軍兵はそれ以上F-28に話しかけようとはせず、昌虎の方を視る。
「一体あの少年は誰なのですか!?」「教えてください、軍兵さん!」
野次馬たちがついてくる。悪口を吐きたくなる軍兵。
軍兵は昌虎に返事してほしくて、
「俺がカードの使い方を教えてやる。じっと見てろ」
昌虎はすっと跳びあがり、何十メートルも遥か、屋根の上を蹴る。
そのまま、じっと動こうとしない。息を呑んで、軍兵がじっとしていると、段々足を踏みしめる音。
突然、昌虎の命令。
「撃て!!」
軍兵は目を閉じ、耳を塞ぐ。自分が殺した、あの人間の姿が脳裏に焼きつく。あの男は、俺をどんな姿で見ていたのだろう。
銃声がとどろき渡る。どこかで、聴いたことのあるような悲鳴。
遠くで、屋根から飛び降りる人影。軍兵は、自分にとって最悪の瞬間が更新されていくのを見た。家の中での無気力な暮らしが、天国に思えた。
次に、董吾の雄叫び。
「お前ら! 俺の恐ろしさで震えあがるがいいわ!」
きっと、帝国兵の矢面に立ってあの体をスライムみたいにする、あの切札で戦っているのだ。
……昌虎があれを愛用していたのか。
帝国軍はきっと食い止められている、と信じたかった。董吾が……もしかしたら善戦してくれるだろうから。あまり彼のことについては考えたくはないが。
帝国兵たちの叫びが聞こえる。こちら側にして見ればただの侵略者に過ぎないが、彼らにして見れば死を覚悟して敵の本拠地を落とそうとしているのだ。どちらにも退く術はない。
賢が後ろからやってくる。
「おい、お前、さっきの忘れてたぞ!?」
怒った調子で凌遅刑を軍兵に手渡し、激しい調子で迫る。
「この野郎っ!! これを敵にぶっ放せばどれだけ多くの人間が一度に殺せるか……大事に使えよ」
いつの間にか、逃げる時に落としていたものらしい。実際、罪悪感にかられっぱなしで手元に何が置いてあるのかすっかり忘れていた。
それを恨みがましく指摘する賢はあくまでも武器のことしか頭の中にないようだった。自分の造った武器が戦場で使われることだけを望む、純粋なまでの欲求。
「おーい、昌虎! この武器を使えよ!」
再び昌虎がこちら側に姿を現すと、賢は凌遅刑を掲げて、使ってもらおうとする。
「銃なんぞ役に立たん!」
しかしにべもなく突返す。それから大声で、
「それよりも第一隊がもうすぐ限界なんだ。休ませるために糧食を用意して来てくれ!」
「はあ~何なんだよ。俺の才能がまたもや埋もれるのかよ」
賢は呆れて肩をすくめるが、他の人間はその指示を見逃さなかった。
一同が懸命に準備をする中で、疲果てた兵士たち――血を流し、あるいは指や手をなくしていた――が降りてきてた。戦場の悲惨さが、語らなくても簡単に理解できる。
ただ単に屋根の上から敵を迎撃つだけでは足らなくなり、地上で白兵戦を展開しているという。ゆかりも人々に酒や弁当を持って来ていた。これほどゆかりが誰かに献身するのは見ていて意外だった。軍兵は怪我人と口を合わせることはほとんどなく、黙々と荷物を運ぶ。
だが、不穏な空気は着々と。敵か、味方か、叫声がどんどん大きくなってくる。
――このままでは自分もいずれは闘わねばならなくなるだろう……軍兵は、死ぬのは怖くなかった。だが、痛いのが怖いのだ。今すぐにでも帝国兵を倒したい。しかし、昌虎は決して許してはくれない。
あまりの無力さに、打ちひしがれる時間。しかし軍兵が何回壁際の様子を見に行っても、昌虎はいまだに休まず、闘っていた。それほど、こちら側は追いつめられている。
軍兵はそれを視た。
昌虎の腹に穿たれる紅の穴。
その次に、バリケードが爆破され、湧き上がる煙を越えて一人か二人、こちら側に侵入していった。
 




