第十八話 電光石火
二人はしばし黙っていた。ただ話題が見つからないだけではない。話が進まない理由があるのだ。
無論安吉は軍兵の言葉を無邪気に信じているわけではなかったが、いざ顔を合わせて言葉を発してくれないとなると、何とも気まずい雰囲気。
軍兵にしても似た気分だった。こちらに注意を向けているわけではないとしても、今ここに董吾がいるという事実は二人にあまりに重い緊張感を与えた。復興祭が近づいているとはいえ、その騒ぎに同調などできはしない。
「俺から逃げられると思ってるのか、安吉?」
突然、董吾が振向もせずに。
「言わなくても分かる。お前らにそれは不可能だけどな」
その言葉は軍兵に浅くない動揺。とてつもない殺気がみなぎっている。軍兵は、足がすくんだ。
「何だお前……俺を助けてくれると言ってくれたんじゃなかったのか?」
茫然。
突然対岸から叫びが聞こえ始めた。歓喜の喜びなどではない。甲高く、不安げな。
照明の並ぶ光の列から、闇へと靄が漏れだした。
「おい、あれは何だ……」
軍兵よりも早く、安吉が声を挙げる。
「火が!」
うろたえる二人。予想はしていたが、まさかこんな時に襲いに来るとは。
董吾は静かにつぶやいた。
「とうとう……奴らのおでましか」 これこそが祭り、と言わんばかりの。
敵が、来た。一瞬茫然とした軍兵は、しかし自分の対処すべき道に気づくと、そこから駆けだしていた。彼らの安否を確かめるため。
「おい!」
董吾は低く叫ぶ。
「止めるな。あいつはどうせ野垂れ死ぬ」
息を荒くしながら、渾沌に包まれる町を走る。
「軍兵!」
道路の真ん中に、昌虎の姿。
「無事だったか!?」
軍兵が返事しようとした瞬間に、真横で爆発音がしみわたり、鼓膜がつぶれる。
「くそ……あいつら、もうこんな所に」
ゆかりは後ろを振返り、今にも悶えそうな表情。
「何だなんだぁ、嬉しくないのかゆかりは?」
彼女の肩を叩きながら、不謹慎な位に陽気に賢が叫ぶ。
「そうだ、軍兵に渡したいものがある!」
喜びを我慢できない顔で、金属の塊を手渡す賢。
軍兵はその重みで、脚をがくんと曲げてしまう。
「完成した『凌遅刑』だ。まだカードの使い方を知らないお前のな」
ちょうど今日の朝、賢が見せたあの銃ショット・ガンだ。灰色の槍にも見える、細い形。
その名前を聴き漏らしたが、軍兵はすぐに持慣れた。この緊急事態では、混乱している暇はない。
「あいつらにぶっ放してやれ。折角の祭なんだからな!」
賢の笑いはもはや狂気をたたえている。この凄惨な情景においてこそ、生きる希望を持っているかのようだった。
途端に、ばたりと転がる人間の死体。横で逃げる人々がいた。
「少なくとも、こんな所で止まってる場合じゃないな……。ずらかるぞ!」
昌虎の言葉と共に、三人は爆発が起きている方向の反対へと走りだしていく。
昌虎は体内にある『迅雷』のカードを起動した。以前、軍兵に与えてやると言った切札だ。
目をつぶると、一体自分に何のカードが刺さっているか、それがどんな機能を持っているのか一瞬で分かる。肉体蘇生措置に含まれている作用の一つだ。
帝国兵に対して殴ると、相手が突然、目を剥いて痙攣し、倒れていく。
肉体から発された電流が敵の体を麻痺させるのだ。
もっともこれは昌虎が本来有していたものではない。奪われた。いずれは取り返そうとしていたのだが、この戦いでまたかなわぬ夢に。
ゆかりもはやはり『疾風』の切札で兵士を撹乱していた。胸の方には固そうな装甲を着てはいるが、腕や脚の、防護が薄い場所に次々とジャブを飛ばす。
拳で相手の急所を回し蹴りで背後の襲撃も遮る。
しかし最も手薄な所に、敵の姿が。軍兵に向かって、
「危ない!」
ゆかりの叫び。
軍兵は迷った。人を殺すことなど、自分にはできない。それでは自分が殺されるだけなのは分かっている。しかしいざやろうとすると、腕が震える。殺さなくては……!
急に時間が止まる。幻影が見える。
それは確かに、あの時と同じものだった。その男は、廃墟に立っていた。目の前には無数の屍。それは、彼が倒したのだと直感で。
厳格に襲われていた間も、軍兵は必死に引金を引いていた。だがすんでの所で良心の呵責に襲われ、躊躇してしまう。もしこの時、手を挙げていたら敵が許してくれるはずはないのに。
真っ白な太い光条が、軍兵の目の前で炸裂し、敵の胸を貫いた。水袋の破ける音がして、敵の腹から上がちぎれて宙を舞った。
軍兵は最初、敵が倒れた程度にしか思っていなかった。
「燃えろ、燃えろ、真っ赤に燃えろ……」
賢は完全に良識を棄てて、殺戮の宴をけしかけている。
「倒せ倒せ、力の限り!」
安吉を背後に控えて、董吾は帝国兵たちとの矢面に立った。
頭に念じて、『細胞』のカードを起動する。すると体に力がみなぎり、董吾の屈強の体が湿気を帯びる。突然銃弾の幕が襲ってきたが、それは董吾の体を貫通することなく、その身体の中に『溺れた』。
「何だと……!?」
すでに董吾の体は人型ではなくどろどろのアメーバと化し、その組織を進んで敵へと投飛ばす。
その体を受けた帝国兵たちは、急に奇声を上げ、腕を抱え、震え、嘔吐し始める。相当の毒が、体の細胞に籠っているのだろう。
安吉は、改めて自分が屍人であることを呪った。
「どうした、安吉」
おびえる安吉の目の前で、アメーバが色と硬さを取戻して董吾にもどる。
「お前の主人も、あの戦争の被害を逃れて地獄の苦しみを乗越えて来たんだろ? それなら何を怯えている……!」
「市清様!」
内村市清が無論、この騒擾を遅れて知るなどという訳はなかった。彼はわずかな従者を従えて花園町の通りを降っていく。
「帝国軍の数は?」
「いまだ不明ですが、恐らく大軍ではないでしょう」
「どの門から侵入してきた?」
「今、二つの門が破壊されたとのことです!」
帝国軍と戦うのはこれが初めてではない。彼らは花園へ何回か襲撃してきているのだ。そのつど花園の人間はたとえお互い不和を抱えていても、力を合わせて撃退してきたものだ。
しかも彼らは、この時期を狙って攻撃してきたのだ。花園町がその統一意識を燃やしている真っただ中に。
「わあ……っ!」
軍兵は半狂乱になって賢の銃を発射していた。あまりに反動が高く、両手で撃たないと肩が脱臼しかねない。
「何なんですか、この銃!? 僕に何をさせるんですか?」
軍兵は、これが自分のやっていることだと思いたくなかった。これは自分の手がやっていることなのだと言い聴かせたかった。しかし、現実には、軍兵は自分。
「凌遅刑だ、憶えておけ。あれ……名前、どこからだったっけ?」
そんな葛藤など露知らぬ賢も、小ぶりの銃を発射する。数人が倒れた。
「まあいいか、名前なんて意味の前では役に立たねえ!」
昌虎は自問自答に終止符。
「おい、賢! 一端引くぞ」
「まだ殺し足りねえだろうが?」
賢は不満げに。
だが昌虎は冷酷なまでに冷静だった。賢のような嗜虐心も、軍兵の恐慌も彼にとっては無縁。
「町の中央に行くんだ。市清さまが恐らく気づいてるはずだろうしな」
そこで、妙に変な動きを見せたのはゆかりだった。引きつって、今にも泣きそうな軍兵の顔をまじまじと見つめて、
「軍兵、あなたは……」
ゆかりが何かを言いかけたが、昌虎は黙って道を進んだので、それにつられて歩きだす。
軍兵たちは岸に泊まっていた船に乗り、エンジンを始動して川を上り始めた。
例の花園広場に行くと、篝火が円を描いてきらめいている。市清が、少し高い台に上ってひと演説売っている。
「全市民よ、聴け! この花園町に再び敵が押寄せてきている。だが私たちは過去にもこのような苦難に打ち勝ったではないか。だから今度も必ず撃退できる! ……」
軍兵たちは群衆に紛れて、その話を聴こうとする。しかし、横で聞き捨てならぬ声。
「やれやれ、まだそんな発破か。聴飽きたよ」
びくっとする軍兵。
「俺たちはもうあんな奴に服従するつもりはない。今にも裏切ってやる」
軍兵はかっとなり、ごく小さい言葉で静止。
「何言ってるんですか、こんな危機に!」
「俺たちは飽きたんだよ。あいつがこれ以上この町にのさばっているのにはこりごりなんだからな」
「てめえみたいな小僧に、教えるかよ」
カードを差込むと、軍兵の前から消える。演説を続ける市清。




