第十七話 一路平安
花園町の復興祭が近づいていた。かつて花園町は地震――それによって今が西暦で何年なのか、分かるかもと軍兵は思った――で大きな被害を受けたという。そこから以前のような活気が取り戻されたのを祝う日に、時間がどんどん追いついて来た。それは娯楽が全くない世界の人々をたしなめるための方策なのかもしれない。
軍兵は、逆に穏やかな空気だったのが次第にピリピリしてきたのを感じていた。通り過ぎる人の顔を見ても、どこか浮かないというか、一抹の不安を抱えているように見える。元からたくさんの勢力の内部対立を書抱えているんだし、毎日どこかで必ず喧嘩が起きているこの町であえて平和な性格を装うのは、かえって苦痛なのだろう。
「お前、お茶の粉をがっぽり買って来たらどうだ?」
昌虎は軍兵に提案。
「祭に備えて、ですか?」
「ああ。例の日の繁盛ぶりは、帝国からも人がやってくるってほどだからな。お前の店にもぞろぞろと客が入ってくるはずだ」
軍兵の店には、やはり閑古鳥が鳴いている。
軍兵はほとんど口をきけないまま終わっている。中には、市清に私的な恨みを持ち、殺そうとしている男が入ってきたこともある。しかし、それを話すのはまるで密告という感じがしてためらった。
その前に話をしなければならない人物に、いまだ巡り会っていないという不満もあった。曽我安吉や松平董吾……軍兵の人生にはっきりと影響している人物たちの言葉を。董吾などは会いたくもない。罵りたい気分にもなるが、心のどこかで、その本性を暴かなければという欲望がたぎる。
それくらい、董吾は軍兵に親しい人物となっていた。
◇
鉄屑街の空気は、やはり気にくわない。千一は、一日でも帝都に帰りたがっていた。
歌吾は仕事の方は真面目にやっている。黒也の元で長く仕えおおせたこともあり、少なくとも無能な人間ではない。
この悪趣味な城によく住めるものだ、と思う。千一は部屋を整えて質素な感じに変えていた。もう帰還の日が近づいていたとはいえ、朱里のあどけない顔だけが千一の慰めの種だった。
千一は今や中央がどこに、次なる目標を定めているか考えている。帝国の情報管理は厳密であって、ピラミッドの核の中に住む『皇帝』以外はどういう風に軍が動いているのか完全に把握している人間などいないのだ。
「帝国の次の目標は花園町だ。そろそろ復興祭だからな」
「その復興祭とやらを行う理由は?」
朱里が訊く。
「さあな。今の時代は歴史なんて意味がない。書いたとしても……誰も見向きはしない」
千一は花園町の成立などほとんど興味を持たなかった。彼にとっては帝都の中だけが唯一の文明圏だった。その外は、粗悪な屍人が闊歩する荒野に過ぎない。
「市清という人物には俺も会ったことがある。あいつは、保身の亡者だ」
難解な表現に、ほほえむ朱里。
「保身の亡者?」
「すでに死んだ身だというのに、まだ世俗の名誉が欲しいというんだからな」
名誉を求めるのは、権力が欲しいからだ。しかしこの世界、帝国以外の権力は全て空しい。
「要するに……まだ命が惜しんでる」
この数日後、花園町に帝国軍が到着する。激闘になるだろう。そのことに不安はない。いずれにしても千一の肩は狭くなる一方だ。中央で彼がどう思われているか、
千一は、けれどどこかで心配していた。
――峻一……お前もそこにいるのか?
◇
軍兵は、しばしの平和を楽しもうと思った。昌虎やゆかりの舌足らずな態度に不審な物を感じながらも、あえて平穏に過ごすことにした。
軍兵は昼には店で接客し、夜には昌虎の家で寝泊りする日々。いくつの部屋に分かれ、一人一人で寝る。彼が言った通り、そこまで立派な建物ではないが、やや古びた壁や瓦の並びからは、それなりの歴史を感じた。
その生活を何回か繰り返して分かったのは、ゆかりの飯はうまいということが分かった。軍兵が何回か尋ねると、董吾のもとで生活していた時に身につけた知識、とわずかに話してくれた。
やはり董吾に関する話題はここでも禁忌なのだろう。
一番まともなのは、賢かもしれない。時たま軍兵の前に現れて、
「どうだ! 新しい機能ができたぞ!!」
と自作の銃を自慢する。人の背丈にも近い長さのショット・ガン。
それがどういう内容のものなのか、機械音痴な軍兵にはなかなか理解できなかったが、鉄屑街での仕打から順調に回復していく様子を見るのは素直に喜ばしかった。
「お前さ、この銃を戦場でぶっ放したらどうだ?」
「この銃だけで十分強い、カードをこめて発射すればもっと強い!」
賢の調子は決して自重しない。
「もうすぐ復興祭なんだからな、そこで余興として披露したらどうなのかなって」
「あんたは、いつもそうやって物騒な提案するんだから」
ゆかりが静かにつっこむ。
「それもそうなんだけど……」
「で、今日はお前、店休みだったな。どうするつもりだ」
「夜、街の様子を見ていくつもりです」
「おい、治安が悪いぞ。いいのか?」
「少しは僕自身でも行動したいので」
夜、軍兵は花園のどこかにいた。一体町がどんな喧噪に包まれているのか、調べてみる必要があると思った。
見覚えのある人影だ。軍兵は、声をかけなければならないと思った。
「軍兵か」 挨拶は、向こうから。
「安吉だな」
曽我安吉は恥ずかしそうに。
「F-28と呼べ」
「そうやって秘密を暴露してていいのか? お前さ、元常人だろ?」
まだ自分が立たされてしまった現実の重みを受入れ切れていないのだろう。確かに軍兵自身もそう言う所があると自覚してはいる。しかし、軍兵にはつい数週間の記憶しかないのとは違い、安吉は何十年もの人生を送って来た時間がある。軍兵は、二人を隔てる壁に気づき、暗澹たる気持ちになっていた。
「董吾は隠れ処に潜んでいるのか?」
「ここにいるぞ」 返事。
董吾だ。
軍兵は足がすくんだ。ゆかりも、昌虎もいない状況で、彼に出会ってしまうとは。だが董吾は機嫌良さそうに、静かな足どりで近寄ってくる。
「一緒に楽しもうぜ。平和な時なんだからな」
そう堂々と言われると、軍兵としてはまるで怒る隙が見つからなかった。
「杉野軍兵、と言ったな。お前は、まだ昌虎なんかの元で雌伏しているのか? あんな自分だけ生き延びることしか頭にない」
軍兵は返事に窮した。安吉もまた、軍兵が関わるのが嫌そうに
「……俺には逃げ場がない。あの人たちと一緒にいる他、何も」
「お前の人生だから勝手にしろ。俺だってあの時は逃げ場がなかったんだから」
董吾の瞳が、ふとどこか遠い所を向く。
「お前は……」
軍兵は、そこでつぶやいた。
「帝国の人間が襲いに来るそうだ」
あの老婆から急に聴かされたことを。
董吾は陽気に笑う。何の邪悪さもこもらない顔で。
「もしかしたら、市清に対立する勢力が協力を要請したのかも」
とりとめもない邪推。だが、それ以外に考えられないのも事実だ。
「そいつはいい。俺も人が殺したくてうずうずしていた所だからな」
こう堂々と言われると、本気なのか冗談なのか分からない。いや、本気なのだろう。董吾があれほどの
「最近は若いのに意気だけは高いチンピラをぼこすのにも飽きてきたからな。帝国の連中でもかかってくるがいいさ! 全部返討にしてやる!」
軍兵は、董吾の不気味さとは別の恐怖を感じた。
これが敵に聞こえたらどんな報復を受けるか分からない。多分、きっと董吾のことを恨んでいるのは軍兵以外にも数知れずいるのかも。
「そうやって俺も死ぬさ。俺一人いなくなった所でこの世界の何が変わる?」
軍兵は董吾が死ぬ妄想をした。夢がありそうな気がした。けれど、もう楽しくなくなっていた。
あまりにも、刹那な生き方だと思う。目先の快楽だけ追求して、どう世の中に貢献していけばいいかなどまるで考えない表情。
軍兵は、昌虎に蘇らせてほしくなかったと思った。こんな奴と生きて三回も見えるなど、あのまま死んでいた方がよっぽど気楽だと。
「お前も俺が蘇らせてやったようなもんだ! 生きてる間はまあ楽しめよ。復興祭があるんだからな」
董吾に感謝したくはなかった。むしろ、こんな生に対する怯えを告白された今は、一層董吾に対する忌避感が激しく。
今すぐにもここから逃げ出したいほどの恐怖感だったが、安吉と話がしたい。
「安吉、お前は軍兵とさしで語り合いたいんだろ?」
「な……!?」
「分かったよ。お前たち二人とも俺を憎んでいる。それで構わん。元から友情なんかで」
「てめえらの浅い友情で語り会うがいいさ。俺を殺す計画でも練っているがいい!」
董吾は寂しさもなく吐捨てると、道路の側、欄干に寄って照明をともす船の往来を眺めている。
「お前は今、何を企んでいるのかな? 昌虎」




