第十一話 単槍匹馬
「A-71がいなくなったのは今から十年前……」
「代替品の分際で……! 粗末な飯を与えられていたくせに、何を我々の管理下から勝手に脱走し、屍人になったのだ!」
悪意に満ちた言葉が、白い装甲で全身を覆った二人の顔、厚い風防から聞こえてくる。
「そう熱くなるな、F-28。あのお方の意思には逆らえんよ」
二人の向こうには人型の灰色の物体が、脚を曲げて異様な存在感をかもしだしている。
「俺たちの目的は街を破壊することではなく、A-71をもう一度取返して冷凍保存することだ。すでに裁判でそういう判決が下ったんだからな」
F-28は何かをつぶやいたように口を動かす。しかし、厚い液晶に遮られ、その言葉は他人に聞こえない。士気を高めようとして、緊張しているようでもある。
「何かあれば機械人形が攻撃を援助する。せくなよ」
すでに薄闇が空を覆い、三日月以外には何も照明がない。花園町とはいえ一番外れの方は実に鄙びた寒村と変わりない所だ。
「お前こそ死に急ぐな、F-8」 F-28は自分に言いきかせるように釘。
――こんな所で、いい獲物を見つけるとはな。董吾は歯を開いて笑った。
この白い鎧を着た人間が何者か誰かは分からないが、かなりふざけた感じがする。敵はこちらに気づいていない。何よりこちらは物陰だからだ。
董吾は再び手にあの武器を執る。軍兵を刺殺したのと同じ要領で。
先端に鋭い刃のついた、伸縮性自在のワイヤー。
声もなく、董吾はワイヤーを一人に向かって投げつける。黒い縄が影のように飛びかかり、その白い鎧を刻みこみ――
「何だと!?」
なかった。鎧はその薄そうな外見に反して金属のようにワイヤーを跳返し、傷を許さない。
一方、F-8にとってもこの攻撃は藪蛇。
まさかこのような時に奇襲を受けるとは予想だにしていなかった。
目の前の人間は、薄い服以外と手に持った筒以外に何の装備もない。常人にはもう許されない姿だ。この世界を覆う外気に触れると、一瞬で光の粒になってしまうのだから。
「屍人め……!」 ホルスターから銃を抜取り、董吾に向ける。
しかし董吾はもう目の前から消えていた。二人が数秒間、茫然とした直後董吾はF-8の脳天を上から蹴挙げていた。
董吾の所持するカードの一つに、『透化』というものがある。このカードを使えば、完全にとはいかないがある程度空気に同化して姿をくらますことができる。
だが、それを信用し過ぎるほど董吾は殺しに慣れていないわけではなかった。
F-28は衝撃を物ともせず、上に向かって董吾を撃つ。だがその大柄には不釣合な身のこなしで弾丸を避ける。
董吾はさらに次のカードを念じて、それを心の中で引き破った。消耗型のカード、『強化』だ。だが常人相手にそれで十分だった。
F-8の目の前に着地した董吾はその胸を思いきり拳で打ちすえた。F-8の肉にこそ食いこまなかったが、その衝撃は彼を川の流れすれすれの場所へ吹飛ばした。戦友の危機に、思わず駆寄るF-26。
「F-8!」
エフハチ? その名前に怪訝な感じを抱いた。
だが疑問に囚われることもなく、董吾はカードの効果によって空高く跳躍して、F-8にとどめをさす。
足に力がみなぎっていき、その体は槍のようにまっすぐ敵の急所を狙う。
ほとんど時間を要さなかった。
F-8の風防が割れ、空気が頭に触れる……!
「ああっ!?」 F-8は地面に倒れ吃驚な声を挙げる。
自分が、死んだという確信のもとに。
「わあああ……!!」
F-28は絶望した。銃を狂ったように発射したが、董吾はもう目の前にはいない。それ以前に、ワイヤーの刃が太腿に食いこんでいた。
「てめえら、もしかして噂に聞く常人か……?」
董吾はさして確信をもって訊いたわけではなかった。だがこれほど厚い甲冑に身を包んだ男が、やはり単なる酔狂な人間ではないことは嫌でも身にしみる。その常軌を逸した存在が何かと言えば、董吾にはそれしか思浮かばなかった。
「この、生きた屍どもが……!」
激痛の中に、F-28は叫んだ。
巨大な物影が董吾に覆いかぶさったのは、その時。
董吾が気づき、驚いた時は一歩遅くて。
「何だこいつ……!」
ミサイルを放つ。爆風が巻きあがる。そして、虫のような指をした腕が、灰色の何かから伸ばて、気を失ったF-8を連去った。董吾は地面を転がりながら、衝撃で立つことも難しかった。
董吾にはそれが人なのか、芋虫なのか、判じがたい姿に見えた。いずれにしても、彼らの正体は分からないままに。
いや、手がかりはある。
「こいつか?」
F-8は死んでいた。無論名前を知らない董吾にとっては、奇妙な服を着る変人にしか思えないが。
後で蘇らせてとことん尋問するか。この銃といい、鎧についた模様や装飾といい、彼らにはどうやら高い科学技術がありそうな気配がする。董吾はその処遇を考え、にやりと笑った。
「――あいつらが!?」
ゆかりの突然の叫びで、軍兵は目覚めてしまった。
「な、何なんですか?」
「奴らがきた」 血走った目。
ゆかりははっきりと怯えていた。
「奴らって?」
「常人の奴らだ……きっと私を見つけて、捕まえるつもりで……!」
頭を抱えて、むせび泣く。
「おい、何なんだよ……こんな夜遅くに……?」
昌虎が目をこすりながら、布団から上半身を立てる。
「常人たちの乗物の音だよ。鉄でできてて……」
暗くてよく分からないが、ゆかりははっきり恐がっていた。
乗物。まさか。あの時、帝都から逃出した時に見た、あれではあるまい。
「おい、何だったんださっきのは……?」
「お前ら、あれをちゃんと見てたんだろ?」
賢はサイドガラスとにらめっこしたまま、何かノートを手に取ってわめく。
「あれの設計図を見せろ!!」
賢にとっては、彼らの懸念など眼中になかった。ありあまる知的好奇心で、ペンを滑らせ、スケッチを座席に捨てる。
「あんなでけえ機械を作れるなんてどこの科学者集団だ!? 昌虎、何か知らないか?」
賢は昌虎や軍兵の顔をじろじろとながめ、来るはずのない回答を待つ。
「常人どもだよ!」
こらえ切れなくなり、叫ぶゆかり。
「常人たちが……私を捜しにやってきた」
無論ながら、賢は複雑な設計図から手を引こうともしない。
「常人? まさか、お前を追ってきた奴らってのか?」
ゆかりは何かをしゃべろうとしていた。今までと同じ、重要なことだ。
「だって私は……」 しかし、もうゆかりの扉は固く閉ざされていた。
軍兵は辛そうな心を、あえてこじ開ける気にはなれなかった。
「いや、言わなくてもいいよ、言いたくないなら」
だが、つい親しげに口が開いてしまった。軍兵は己の身軽さを恥じた。
「何……? それ、誘ってるの?」
ゆかりは力もなく笑う。
軍兵はそれからもう、どう行動すればいいか分からなくなってしまった。
「おいっ! 俺の言葉を聴けっ!」
にべもなくわめきちらす賢。その好奇心をもう少し違う方面に生かせないものか、と思う軍兵。
今日はもう、寝よう。分からないことをどんなに分からないと考えても仕方がないのだから。
「もういいですよ、しゃべるなら好きなだけしゃべっといてください」
後味の悪い気分で、もう一度毛布に伏す。昌虎が賢をなだめ始める。
◇
ある時間、ある部屋。少なくとも、人に知られた場所ではない。
「来るなっ屍人どもめ……っ!」
椅子にくくりつけられた男が叫んでいる。
「叫ぶな……叫ぶとお前の体についたそれが切れるぞ」
反対側に、冷たく見すえる一人が立っている。
久造はあらためて、常人――生きている人間がもはやこの地上に生きられる存在ではないという事実に驚嘆するほかなかった。自分自身が死んでいるのだから、当然のことだ。
一体自分がいつ屍人になったのか。夢のようにおぼろげだが、それでも全く忘れてしまったわけではない。
あの戦争で、飢死した日を忘れはしない。黒い服を着た男たちに蘇生させられた直後、すさまじい量の飯にありついたことだけは覚えている。
屍人になるとある程度進んだ所で、肉体の成長が止まるらしい。すでにこの三十歳程度の体のまま五十年ほど経っている。もうこの時点で、普通の人間としての生など受けられるわけはない。
だがこの目の前にいる人間はなんだ? もはや死後の特殊措置なしでは、数時間すら生きられない……!




