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第十話 呉越同舟

「お前たち、宿の収入を勝手に横領したってことを認めねえのか?」

宿やど』が何を指すのか漠然と分かって、軍兵はもう何とも思わなかった。

「あれは市清いちきよ様のものだ。元々は市清が建てた店なんだからな!」

「ふざけないでください。あれは私どもの共有財産なんですから」

 それに応える方も、だいぶピリピリした雰囲気で、腕を鳴らしている。

「ほう、やるか?」

「では、私どもも反撃するしかありますまいな……」

 軍兵は、ゆかりの考えを読んで、その手を引こうとするが、

「あいつは……」 ゆかりは、またもや動きを止め、意味ありげな視線。軍兵は、まごついてしまう。誰も彼もが、人知れぬ闇を抱えてい過ぎるのだ。


 そこに全く知らない第三勢力。どすを効かせて、割って入る。

「邪魔だ。消えろ」

 その直後、男の一人が長い鎖で串刺にされた。茫然とする一同。

 誰もが目を丸くし、引きつらせる。

 松平董吾だった。

「に……逃げろ」

 恐怖を覚えて、誰もが逃散る。

 董吾は倒した男の屍をあさって、財布や武器を物色する。その途中、

「おっ、若いの! 久しぶりー……でもないな」

 軍兵を見て、友人みたいな笑顔で。

「女がいたのか。『宿』でこさえたのか?」

 軍兵が抱いたのは、憎しみではない、純粋な恐怖。あの時、この男が軍兵を殺した。そして、昌虎が拾って、蘇らせた。誰もが、何かしら狂っている。軍兵は、気づいてはいけないことに気づいてしまった感じが。

「……董吾。また花園町に戻って何のつもり?」

 ゆかりが、軍兵の前に立って。

「お前こそ、俺から逃出して堂々と。なぜ昌虎などについている」

 董吾の強そうな、恐ろしげな風貌に変わりはなかったが、軍兵を殺した時の怒気はない。それすら、軍兵をさらに怯え絶たせるのだが。

「私はあなたのやり方にはついていけなくなった。人を躊躇ためらいなく殺すのは!」

 嫌悪をあきらめるゆかりにも、董吾はさして気にやんでいない様子。

「それよりこのガキは何て名前だ? お前の男なんだろ?」

 冷徹に指さされ、軍兵は目を閉じることしかできなかった。軍兵に董吾が向ける感情は、敵意ですらない。

「殺したのに生きてるってことは……そうか。常人だったか」

 初めて、董吾が驚いた顔を見せる。またもや出る言葉。常人。

 しかし、その説明を乞う前に董吾は後ずさり、静かに腕に力をこめたと見るや霧のようになり――

 もう、どこにも彼の姿はなかった。

「ゆかりさん……あの人の仲間だったんですか」

「違う。あいつは……ただの人の皮をまとった化物よ!」

 ただ怒鳴るだけで、細かい事情など説明する気はない。

 軍兵は、再び暗澹たる気持になった。誰も理解できない。誰とも通合えない。言葉が通じても、ただ、それだけで。

 この世界を理解するだけでも狂気の沙汰じゃないか――軍兵には、そう。


「おっす、軍兵! ゆかり!」

 昌虎には、当然二人が経験した恐怖など知りようがない。

「賢がようやく元気を取戻したんだよ。見ろよ、この設計図を」

 文明開化号の座席から開いた机に、ぼろぼろの紙。よく分からない幾何学模様。ただ昌虎の欣喜雀躍ぶりから、かろうじてその価値だけは分かる。

「から元気さ。どうせ趣味だからな」

 賢はなおも僻んだ口調だが、聞く価値のない愚痴に曝されるまだましと思えた。

「な、何の設計図なんです?」

「新型の銃だよ。人型兵器にぶっ放す用のな。人間なら木っ端みじんさ!」

 物騒な内容なのに、目つきは、いきいきとしていて楽しんでいる。

「人型兵器……見たことがあります」

「おお、帝都しか逃出す時にか?」

 これにしても、あの生々しい記憶を思い出したくない以上、はい、確かに……と。曖昧な感じでうなずく。

「これが現実に製作できるのは鉄屑街の片山かたやま工廠程度だな……だが今はもう帝国が接収してるな」

「ああくそ! あの場所は俺が自分の理想を具現化するために足しげく通う場所だったんだよ……!」

 鉄屑街には戻れない。城壁から攻撃された以上、黒也たちにマーキングされているのは間違いない。

 冷たい現実に、賢は静かな絶望を寄せる。

「俺たちは鉄屑街からも狙われ、この花園町でも見つからないようにびくびくしなくちゃいけない。やれやれ、八方ふさがりだよ」

 ゆかりが、さらに賢を追詰めるような言葉を。

「董吾がいた」

 最初の楽しげな表情も失せていき、昌虎は真面目なのか、怠惰なのかよく分からない顔でつぶやく。

「そうか。あいつ、やはり俺たちをつけているのかな」

 何とか彼らの真実に迫りたい一心で、

「ゆかりさんが、董吾の元にいたって聞いたんですが」

「そりゃ、董吾が芸妓の身から買取ったわけだからな」

 ゆかりはここまで来ると、もう感情を以て黙らせようとはしなかった。

「こいつはな、新秩序が始まるまでの世界を知らないんだ。二十歳の時、冷凍保存されて……花園町のある富豪が肉体蘇生措置で蘇らせるまでずっとでっかいフレスコの中で生きてた」

「そう。私は……屍人たちに捕まえられる前までは、常人たちの中で暮らしてた」

 軍兵は妙な親近感が湧いてしまった。

「俺と、似てるじゃないですか」

 悲惨な境遇にしても。こんな形で共感するのが、下賤だと知りながらも。

「常人たちの暮らしている場所が、今もこの世のどこかにある。でも、それは訊かないで」

 きっぱりと断るゆかり。

 昌虎は、まるで自分が悪いことをしたような申し訳なさで顔をゆがめ、

「すまないが、ゆかりはそれについて尋ねられるのが一番嫌なんだ。運が良かったな」

 どうやら、昌虎もそうそうゆかりの過去を聴いたことがないらしい。軍兵はどういう顔をすればいいのかわからず、真顔。

 しかし、本当はもっと気にしている言葉があるのだ。

 ごく数言だけつぶやき、死んで行ったあの女の言葉。帝国が攻めてくる……。一体誰から聞いた話なんだろう。もしかしたら市清に対して反抗する勢力が帝国に協力を要請して、この町も戦場に仕立てようとしてるのか。昌虎の言葉によって、それを訊こうとする気分は失せた。ゆかりの秘密をそういう風にえぐり出すのなんて、したくなかったから。

「俺には分かってます! これより重大な敵のために、いくらでもやりますよ」

 軍兵は期待させるような、強い声で答えた。

 昌虎は念を推して叫ぶ。

「というより、今はパンを食べなきゃだめだな! 腹ごしらえをしないといけない!」

「そうだ! 今は飯が欲しい」

 賢がせかす。

 軍兵は、ただ不安しかない。この旅に一体どんな結末があるというのか。後先があるのかどうかすら分からない旅だ。しかし今は昌虎たちの庇護を受けるしかない。軍兵は直感していた。いつかは、一人でこの世界を生きていかなければならないことに。


 花園町は不夜城だ。夜になっても、決して人の声が絶えることはない。元から歓楽街としての性格の強いこの町は時間とか空の色に何ら関心を持つことのない人間の方が多いのだ。

 だが松平董吾は人目を避けて川沿を歩いていた。花園には彼に個人的な恨みを抱く人間が少なくない。恐れられている理由は。そう詳しく語る必要もあるまい。

 ――あのガキが常人だったか……。もしあれが、常人たちの国から来た奴だったとすれば、ひっとらえてその出自おいたちを話してもらいたいものだ。

 昌虎たちが人間を蘇生させるための道具を持っていたことは驚くにはあたらない。鉄屑街の闇市に行けばそういう機械は法外な値段で取引されている。少し気になりはするけれど。

 地面に女の屍があったのを、片手で軽くつかみ、堀へと投げ捨てる。以前、通りすがりの少年を殺した時と同じ動きだ。呼吸するのと同じ要領で人を殺しすぎたせいで、人の血なり死体を見ないと気分が落ち着かなくなってしまった。

 常人が逃げ出したとすれば、当然それを追う人間がいてもおかしくない。あの男以外にこの屍人しか生きられない世界へ逸脱した存在がいるということではないのか? だとすれば、今この瞬間にも。

 建物の遥か上に、疾駆する鋼鉄の巨人。

 董吾の興味が、確信に変わる。

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