言動不一致な侯爵閣下
仲の良い子爵令嬢から「ツンデレ」という言葉を聞いたことがある。一見冷たい態度を取るが、要所要所で不器用な優しさを見せる人を指す言葉なのだという。
ならば、冷たさと優しさを同時並行で見せてくる新婚の夫のことは、なんと表現すればいいのだろうか?
「ジョゼット、先に言っておく。所詮は政略結婚だ。私に愛など求めるな」
初夜の日、夫婦の寝室に現れた新婚の夫ことマリユス・ブラン侯爵閣下は私にこんな冷たい言葉を放ったのだった。
……蕩けたような顔で私を見つめながら。
私とマリユス様が見合いをしているとき、彼は終始仏頂面だった。口数も少ない。
嫌われているのかもしれないと思った。
けれどブラン侯爵邸の庭先で私が転びそうになったとき、彼は私をさっと支え、靴が脱げて靴下で尖った石を踏んでしまった私を抱え上げ、室内へ運び、黙って自ら手当をしてくれた。社交場で私が迷子になり酔っ払った男に絡まれてしまったときは、どうやったのか私を探し出してその広い背中で私を庇ってくれた。
嫌われているわけではなかったのだ。
このようにマリユス様は紳士だったし、社交界でも堅物として有名で妙な噂も一切なかった。
――政略結婚でも、きっとこの方とならば良い関係を築いていけるわ。
そう思ったから結婚を承諾した。
正式に私がマリユス様の婚約者になってからもマリユス様は仏頂面で口数は少なかった。しかし徐々に慣れていけば良いのだ、だから気にならなかった。
ところが、結婚したとたんこうなった。
初夜を終えた。
朝、私はぐったりとした体を寝台から起こせぬまま混乱の極みにいた。喉が痛い。
――私に愛など求めるな。
そんな冷酷な言葉を吐いたマリユス様は情熱的に私を求めた。全身に口付けを落とされ、愛おしげに髪を撫でられ、腰に回された手つきは優しく、まるで一世一代の恋が叶ったかのような仕草だった。
「目が覚めたか。起きて倒れられたら迷惑だ、今日は部屋にこもっていろ」
「あ、あの……」
「お前の声など聞きたくない」
凍り付くような口調で言いながら、情熱的に私を抱きしめて顔中にキスをしてくる。
触れ合う素肌の温度に顔が赤くなった。
「身繕いもできぬか。そうやって朝から私を誘惑しようとするとはな」
まるで私が淫婦であるかのように言いながら、彼は自ら私を風呂場へ運び入れて洗い、着心地の良い絹の寝間着を着せ、再び寝台へ運んでくれた。
とても恥ずかしかった。
「淑女のふりなどいらん。お前が猫を被ったところで私は騙されない」
まるで私が性悪であるかのように言いながら、彼は親鳥が雛に餌を運ぶかのように飲み物や食べ物を寝室に運び入れ、食卓につくことのできない私の口へせっせと運んでくれた。
どれもこれも喉に優しくて美味しかった。
「結婚した以上は妻としての役割は果たしてもらう。嫌か、ん? 諦めることだな」
姫を攫った魔王かなにかのような物言いをしながら、夜になると情熱的に私を求めた。
その、望むところではあるのですが……。
「ふん、相変わらず貧弱な体つきだ」
冷たい言葉で私を貶めながら、昼間でも屋敷ですれ違うたびにマリユス様は私を抱き寄せ額にキスを落とした。
……なにこの言動不一致!?
意味がわからない。真意がさっぱりわからない。 だがなんとなく問いただすタイミングを逃し続け、こうして私は、嘲り笑うような言葉を発しながら蕩けたような微笑みを浮かべる侯爵閣下との謎の新婚生活一週間目を終えたのだった。
その日、マリユス様は王城へ召喚されていたため、私は久しぶりにマリユス様のいない一日を過ごすことになった。
こんなときこそマリユス様の真意をなんとか突き止めるべきではないか。
そう思っていた矢先に、私はブラン家の執事に声を掛けられた。
「申し訳ありません、ジョゼット奥様。マリユス様は緊張しておられるのです」
「緊張?」
「ええ。マリユス様は緊張すると態度は露骨になる一方で発言が本心とは裏腹になってしまう癖があるのです。幼少期からああでして、家の中だけなのですが。おそらく心の平静を保とうとして言動でバランスを取っているのではないかと思います」
わけがわからない。
私は額を押さえた。
「ねえ、勘違いじゃなければマリユス様、私に蕩けたような微笑みを見せてくるんだけど」
「勘違いではございませんよ。私からもそう見えます」
「……つまり、マリユス様は私のこと愛しておられるということで合ってる?」
「ええ、そういうことです。今朝もジョゼット奥様のことをくれぐれも頼むと私に念押ししてお出かけになられました」
たぶん、私は微妙な顔になっていただろう。執事が不安げな顔になった。
「ジョゼット奥様、呆れられましたか? マリユス様のことはお好きにはなれませんか?」
「……いいえ。あれだけ態度で愛を語られて気がつかないほど鈍感じゃないもの。でも、困ったわね」
正直なところ、冷たい言葉には驚きはしたものの態度がアレであるから傷つくこともなかった。居心地も良い。だがこのままでは話し合うべきときにもきちんと話し合いもできないのではないか。
そう懸念を口にすると、執事は困ったように頭を振った。
「おそらく一月もすればジョゼット奥様に慣れて元通りになるのではないかと思いますが」
「仏頂面の寡黙に戻ってしまうということ?」
「ええ。その方が話し合いはしやすいでしょう」
「それは、嫌だわ!」
思わず声を上げた。
確かに結婚前のマリユス様は仏頂面に寡黙なれども私の話にはきちんと耳を傾けてくれたし、短い言葉であっても意見を伝えてくれた。だからこそ良い関係を築けると思ったのだ。
……だけど今のあの優しい目尻、情熱的な眼差し、蕩けるような微笑み。それが見られなくなってしまうと思うと惜しくなった。
マリユス様に恋をしていたわけではなかったはずなのに、たった一週間で絆されていたらしい。もっともっと愛して欲しいと思ってしまった。
私が大声をあげたことに執事はびっくりしたようだった。
「奥様?」
「ごめんなさい。でも私、仏頂面の寡黙に戻って欲しくはないわ。欲張りね、でも言葉も態度も優しくして欲しいの。なにか良い案はない?」
「そうですね……少し考えてみましょうか」
私と執事は作戦を練った。
その日、夜遅くになってマリユス様は屋敷へ帰ってきた。てっきり王城へ泊まるのかと油断していたが、彼が帰ってきたとわかったときに私は即座に作戦の実行を決意した。
マリユス様が寝室へ入ってくる。私は毛布を肩まで引き上げた状態で寝台で身を起こしていた。
「ずいぶん夜更かしだな。とてもまともな貴族の娘がすることとは思えん」
……マリユス様、顔が崩れきっています。
私は大きく息を吸うと、毛布をはねのけてマリユス様に飛びかかった。
「なっ、じょ、ジョゼット……っ!?」
扇情的な薄いネグリジェだけを身につけて、私はマリユス様に抱きつき、両腕を首に絡めて耳に吐息を吹きかけた。
「マリユス様……お願い、あまり冷たいことを仰らないで。わたくし、マリユス様のことを心からお慕いしておりますの」
そしてトドメにマリユス様の唇に唇を重ねる。
マリユス様は固まった。
あら、失敗したかしら。
そう思った次の瞬間、マリユス様の目がぎらりと猛獣のように光った。
***
結果的に言えば、私と執事の作戦は成功だった。マリユス様は言葉でも素直になった。といっても愛を言葉で語るのは苦手なようで、情熱的な態度と不器用な愛の言葉がセットになるようになったのだけれども。それに癖が完全に直ったわけではなかったのだけれども。
1年して、息子が生まれた。
マリユス様はおぎゃあ、おぎゃあと鳴く息子に顔を近づけて満面の笑みを見せた。
「ふん、そうやって俺に甘えようとしても無駄だ」
「マリユス様、そちらの玩具であやしてやってくださいまし」
「わかった」
口は半分だけ素直である。
マリユス様は上手に息子をあやしてキスを落とし、見事に寝かしつけた。それから、寝台に横たわっている私にも口付けを落とした。
「……その、愛して、いる、ぞ。ジョゼット」
「私も愛しております、マリユス様」
そう伝えると、マリユス様は例の蕩けるような笑みを見せた。