"出生の秘密"というもの
思えば彼と二人きりで話をするのは初めてかもしれないと、ふと思った。
ツキヨから旅の話をされた翌日、王の私室で俺と国王であるガサル・ルラーシェンは向かい合っていた。
「獣人の子供を養子にしたようだな」
「はい。何か問題が?」
「いや……」
短いやり取りが終わる。
なんとも他人行儀な態度だと、内心で笑ってしまう。
"王子"だとこの国に連れて来られた十二の時からはや数年。俺なりにこの国で味方を作り、色々と調べた結果に得た幾つかの情報。
それの正否を今日は確かめに来た。
「お聞きしたい事があります」
別に世間話をする気はないのでさっそく本題に入る。
「砕けた口調で構わない。あれはインハーク帝国の北の地方の訛りだろう? そこで育ったのか?」
「……色々と世話になった人がそこの出身やったんよ。それがうつったんさね」
「そうか。それで、聞きたい事とはなんだ?」
「俺はあんたの子供やないやろ? 何で俺を第一王子に仕立てあげたん?」
その問いかけに彼は小さく微笑んだ。
懐かしいものを見るような、眩しいものを見るような、嬉しそうな、泣きそうな、そんな微笑み。
そうして語り出した。
「お前が王族の者であるのは事実だ」
「……」
「お前の父親は私の実の弟だ。お前とあいつは良く似ている。あいつは……リーデリヒは、頭も良く、武術も得意で魔法の才もあった。人柄も良くて国民にも、臣下達にも好かれていた。町にお忍びで出掛けては民達に混じって働いていたな……」
懐かしむ様に語る国王を静かに見つめる。
俺の記憶には一切なく、けれど得た情報の幾つかにはあった父親の話だ。
「この国では産まれた順で王位継承権が与えられる。第一王子であった私が次の国王になるのは当然の流れであった。リーデリヒもそれを良しとしていた。けれど、国民はそうではなかった。彼等は何時だってより良い王を望んでいる。あの頃の彼等にとって、より良い王となるのは私ではなくリーデリヒだった。戴冠式の日、反乱が起こったのは当然と言えよう」
「……」
「反乱は然して時間もかけずに鎮圧出来たが、リーデリヒはその責を自分が負うと言い出した。反乱の事などあいつ自身も知らなかったと言うのに……それでもあいつは、反乱の一因が自分にある事が許せなかったのだろう。あいつは反乱の責任は全て自分にあると国中に宣言して、そのまま国外追放という形でこの国から去って行った……」
蘇るのは最後の夜。
月明かりに照らされた白髪はとても美しく、翠の瞳は静かに凪いでいた。
『兄上、私は自分の勝手でこの国を出て行くのです。あなたも、父上も、民達も、臣下達も、誰一人悪くない。誰にも何の責任もないのです』
柔らかく紡がれる言葉。穏やかな声音。
彼は本当に誰も恨んではいなかった。
だからこそ気付いてしまった。
自分は彼を羨んでいたのだ。
誰もが彼を愛し、慕っていた。誰もが彼の為にと行動した。
その結果があの反乱だった。
彼の誰も悪くないという言葉は正しかったのだろう。
けれど、だからこそ、その結果は誰も望んでいなかったモノになってしまったのだ。
最悪の結末になってしまったのだ。
「リーデリヒが他国に渡って数年、私は彼に恥じない様にと私なりに一生懸命に国王を務めてきた。見違えるほど、とまではいかずとも、以前よりも国は豊かになったし、治安も良くなった」
それで『めでたしめでたし』と終わってしまえたら楽だった。けれど現実はそんな簡単にはいかない。
「9年前、一通の手紙が見つかった」
「手紙? 見つかったって……」
「前の文官長が隠していたのだ」
「隠してた? なんでまた」
「お前の母親からの物だったからだ」
「俺の母親……」
「それにはリーデリヒが事故で身罷った事と、自分はリーデリヒの子供を妊娠していて、出来ればその子供が成人するまででいいから援助してくれないかという旨が書いてあった」
「それを信じたんか?」
「リーデリヒが国を出るときに唯一身につけていた私と対の首飾りが同封されていた。それに、もし嘘だとしても大した損害にはならないだろうと判断した」
「……文官長は何でそれを隠してたん?」
「リーデリヒに子供が居るということが知れ渡れば、ならば次はその子を王にと望む者も出てこよう。リーデリヒは聡明で、正しかった。彼の子供であればきっと、と期待するのは必然とも言える。だが、権力を持ち、政に近しい者の多くは王が賢すぎるのも、正し過ぎるのも嫌う。御しやすい王がいい、とな」
「……」
「前任の文官長が急病でこの世を去り、彼の荷物を整理した時に手紙は発見された。それから直ぐにお前を探し始めて、一年後に見つけた。リーデリヒの子供だと公表するか悩んでいる時に今の文官長から私の妾の子供という事にすればいいと提案された。国内に要らぬ混乱や軋轢を生むよりはそうした方が丸く収まると思いそうしたのだ」
「……放っておけばよかったんや」
あの頃が幸せだったかと問われればそうではない。けれど、それでも逃げ出したいと思うほどに不幸ではなかった。毎日を何とか生きていた。
それをいきなり"王子"だからと見ず知らずの所に連れていかれ、帰してくれと反抗すれば、友までをも連れてきて『友も近くに居るのだから』と宣った。
母が書いた手紙は、決して俺を不幸にする為に書かれた物ではなかった筈だ。
俺の為を思ってしたためられた手紙はけれど、書いた本人の意思とは関係なしに国の内情によってねじ曲げられ、結果、俺にとって最悪の形でやって来た。
「手紙なんてなかった事にして、俺の事なんて探さなければよかったんや。俺は、王族になんてなりたくなかったし、スウォンを連れて来て騎士団に入れたのにも腹が立っとる。放っておいてくれれば、あんたも、俺等も、平穏に暮らせた」
「……そうかもな。だが、リーデリヒの子供を放っておくなど出来なかった」
「……」
たった一人の弟の子供。
知らぬ土地で、その最後に立ち会う事も出来ずに失った存在。
その忘れ形見。
せめてその子供だけはと、そう思った。
そしてもう一つ。
"国王"としての打算もあった。
「それに、エリシアに国王は務まらない。エリシアには人の上に立つ素質はない」
自らの子をそう断じた彼は、確かに一国の王の顔をしていた。
けれど、それはそれだ。俺には関係ない。
「俺は王にはならんよ」
「分かっている。……いや、分からされた、というべきか。確かに最初はお前を王にするつもりだった。だが、お前を見ていて分かった。お前は玉座にも、富にも興味がないのだとな」
「俺は自由に生きたいだけなんよ」
「あぁ、知っている」
時間があれば街に行き、民達に紛れて笑う彼の姿にかつての弟を重ねた。
"国王"としての打算は早い段階で打ち砕かれたが、それでも、心のどこかでこうなる予感はしていたのだ。
だから直ぐに次の案へと計画を進められた。