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8 同等の言葉の痛み

 テーブルの食器を片づけ、パソコンを立ち上げて椅子を二つ並べた。

 昨日の文章に多少手を加えただけの私の体験を基にした短編をもう一度読んでもらい、数分で読み終えた榛さんは、難しい顔つきでモニターを睨んでいた。


「会社名や、勤続年数は変えてあるんだね」

「えっ、うん。そのまま会社名書くのは流石に拙いかなって思って。社名は一部だけ変えて村本とか、村谷とか、岡田、上田とか幾つか候補は考えたんだけど、しっくりこなくって。それならXX製作所でもいいかって思って。勤続年数も5年から10年に代えて、社員数も本当は少ないのに400人以上にしちゃった。会社も北陸にあることにしたから、私の事を知っている人が読んでも気が付かないかもしれないけどね」

 一葉が勤めていたのはもっと少ない従業員数で立地場所は都内だった。

「でもまぁ、セラミックコンデンサを扱う会社として有名だから、読めばきっと以前勤務していた人が書いたものってことはばればれになるんだろうけど」

 検索ワードで調べればランキングは上位で表示される会社名だ。


「ああ、まあね。でも一葉、相当酷い目に遭ってたんだね。もっと早く知っていれば俺も何か出来たかもしれないのに。悔しいな。力になってあげれなかった」

 数日前に比べれば気持ちが前向きになっているのを感じている。榛さんの凛々しい顔が罪悪感を感じてか暗くなっている。彼は全然悪くないのに。こうやって親身になって話を聞いてくれるだけでどれだけ私は救われているか。

「ううん、その言葉だけでも嬉しい。ありがとう。榛さんにこうやって知ってもらっただけですっきり出来たもん」

「すっきりって・・・。一葉の気持ちが軽くなることは良いことだと思うけど、相手の事まで許しちゃ駄目だからね」

「どういうこと?」

 私にはよく意味が分からなかった。

「一葉の心に傷を負わせた相手が今でも心から罪の意識で苛まれているとしても、許さなくていいってこと。今更名乗り出ることはするはずないだろうけど、相手が分かったとしても、だよ。金銭的な事だけは弁償出来るかも知れないけど、心に傷を負わせたまま数年生きるってことがどれだけ辛いか一葉は身をもって体験したでしょ?周り中が加害者かもしれないと疑いながら仕事をするってある意味拷問だよ」

 榛さんは私の肩を引き寄せると、抱きしめる様にして私を温めてくれた。

「それに加害者を野放しにして、被害者だけが貧乏クジを引いて泣き寝入りさせるなんて絶対にその会社も間違っていると思う」

 きっぱりと真剣な声が耳元から聞こえる。

「実際に警察に行って、その現場写真を撮るのに警察官が出入り業者を装って会社の作業現場に来るなんて始めて知ったよ」


 私も上司に説明され現場に警察官が来ることは聞かされてはいたが、実際に現場に来た人が警察官には見えない服装をしていたから驚いたのを覚えている。


「ちょっと俺の考えを言っていい?」

 抱き寄せられたまま私は頷いた。

「ロッカーでの盗みと、財布ごと盗んだ犯人は俺も別の人間だと思うんだ。ロッカーは女子じゃないと入れないのだから女の犯行だろうし、なるべく犯罪がバレないように少額のお金しか盗らなかったんだろ?でも財布丸ごとというのは、数枚盗むよりリスク大きさは違うよね。お金以外にカードも入っていたというのなら下手をすれば限度額いっぱいに不正使用されてた可能性だってあるんだから。でも金額の多い少ないはあれど窃盗は犯罪だ。被害者を退職したいとまで追い込ませて、加害者を会社に居残らせるっていうのは長い目で見ればマイナスにしかならない」


「どうして?」

「反論出来ない弱い者をターゲットにして自分の欲とスリルを満足させてるやつは、自分の貰ってる給料に満足してないからやってるんじゃない。そういうやつはターゲットが居なくなればまた新たなターゲットを探して何度だって繰り返す。で、たまに運悪くお金が無くなったと誰かが騒いでも、現行犯で見つからない限り犯人を特定したくない会社側としては、なあなあに済ます。窃盗位軽犯罪だからと言って犯人を探す事もしない上司もある意味犯罪に加担してると言っていいと思うけどね。だって次の犯罪が予測出来るのに何も手を打たないってことだから。まあ、その上司の主任が犯人という可能性もなきにしもあらずといったところかな?だって警察に行っても、一葉には財布を落としたって届け出ろって言ったんだよね?」

 今日書き加えた文章の一部分のことだと直ぐに分かった。


 私は、重く「うん」と答えた。

「何処の会社でもそうなのかは知らないけど、財布にクレジットカードを入れてたから、悪用されないように直ぐにカード会社に連絡取ったの。そしたらどう理由で無くしたかと聞かれたから会社で財布ごと盗まれたって言ったら、警察に盗難届出して下さいって言われたの。取り敢えず次の日に仕事が終わってから警察に行こうと思って念のために上司に報告したら、落としたことにして届け出を出しないって言われて・・・。すっごいショックだったのを覚えてる」

 財布を盗まれたことも勿論ショックだったが、同等に思える程にその一言に私はショックを受けたのだ。

「それはショックを受けて当たり前。その上司の更に上からの指示や会社の考えだとしても、だ。その主任って人としても最悪だね。自分達の社内で起こったことなんだから、犯人は不特定多数の人間じゃなく、絶対に社内の人間なのは間違いないのに。犯罪を揉み消すよう被害者に一葉に命令したんだから」


 ああ、そうか。私は上司に犯罪をもみ消す様に命令されたのか。

 榛さんに言われて今頃理解してるなんて。

「ずっとね、こんなちょっとしたストレスでしょっちゅう目眩や吐き気に襲われるのって、加害者が不幸になればいいのにって心の何処かで思ってるから、跳ね返ってこうなってるのかなって自分でそう思ってたの。人を呪わば穴二つって言葉があるでしょ?だからかなって」

 自分ではすっきりしたと言いつつも、やっぱり心の奥底ではどこかでは納得出来ていなかったのかもしれない。

「それは絶対に違うから。眩暈や吐き気は確かに頸椎症のせいもあるだろうけど、一葉の場合そうじゃなくて、心が言葉を話せないから悲鳴をあげて助けを求めてるからでしょ?心が弱いからじゃなくて、優しいから。そういう一葉の優しさに付け込んだ加害者が犯罪者と呼ばれるべきであって、罰を受けるべき対象なんだから。---悔しいな、同じ会社に居たら絶対にこんな一人で背負いこんで、辛いおもいばかりには羽目にさせなかったのに」


 優しい言葉に私はぽろっと涙を流してしまった。そんな私を痛ましそうに見つめながら榛さんに無言のままベッドへと連れていかれ、壁に寄りかかった彼の足の間に挟まれ座らされた。私は向かい合わせにただ抱きしめられた。

「ごめん、泣かせるつもりは無かったんだけど」

 私は涙を彼の服に吸わせながらゆるゆると首を振った。ゆっくりと後頭部を撫でる大きな手に温もりと優しさを感じながらも溢れ出た涙は止められなかった。


「もう一晩、俺をここに泊めてくれる?ずっとこうしていたいから」

 返事の代わりに私は両腕を榛さんの背中に回して抱き付き、ぎゅっと力を込めた。

 その日はもう一つの小説を読ませることなく、約束通り一晩中ただ抱きしめられた。穏やかで安穏な時間が過ぎていった。


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