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2 受けた痛み

 どうして急に書かなくてはならない、と思ったのか明確な理由はない。


 けれど今書かなくては自分の心に残っている行き場のない恨みつらみが消化出来なくてこのままではその嫌な記憶が一生変わることの無いまま残り続けてしまう。

 どうにかしなければと思ったのだ。

 だから、ここに書き残すことにした。(遺書やエンディングノートといった類を書いている訳ではない)


***


 社内で窃盗被害に遭った。


 この被害に遭ったことを誰かに知って貰いたかったのだ。 

 この事件の被害に遭った時、はっきりとしない特定出来なかった加害者が10年以上たった今でも許せない。

 相手は確実に社内の人間だと断言出来るけれど(社員しか入れない現場だったから)、特定するまでには至らなかった。

 でも、誰だか分からないけど、同じ会社の人間であったことは間違いないのだ。


 はっきりと言おう。


 死んでしまえばいいのに。

 そこまで言うとちょっと言い過ぎだと思うけれど、犯罪を犯したのだ。加害者は罰を受けるべきだと思っている。

 それ相応の痛みと罰は受けて当然だと、むしろ私が被害に遭ったことで長年苦しんだ辛い経験と今後も続くこの苦しみも併せて犯人は不幸になってしまえばいいのに。

 そう思っている。


 加害者に私が今でもそう思っていることを今後知ることが有るとは思えないが、書くことさえも、誰かに言うこともないのなら、私が何を思って、どんな目に陥ったのか誰一人知られることなく事件なんてあったことすら記録に残らないだろうから書き残す。

 10年の時間の経過でようやく書くことが出来るまでに思えるようになったのだ。

 今までふとした時に、昔の辛い記憶を何度も思い出しては心と体に不調をきたしていた。

 辛い事なんて忘れてしまいたいのに。


 だから、私はここに書き残す。

 私はこの恨みを忘れない、と。


***


 自分でもあの頃は警戒が足りなかったと今だからこそ思う。

 まさか勤めている会社の更衣室のロッカーが標的になってるなんて思いもしなかった。


 勤めていた親会社の本社はもう一つの日本の首都とも呼べる場所にあり、国内外に数重もの関連企業がある。私が就職したのはそのうちの中の1つだ。

 その会社は北陸地方にあって、人口減少がどこの地方でも問題と言われている世の中にあって、従業員数400人を超えればそれだけで大企業と言われている。優良企業と世間でも謳われてもいる。

 そんな会社に就職出来たことは入社当時は素直に嬉しかったのだが。まさか数年後にこんなことになるなんて。

 もし未来の結果を知ることが出来たなら、給料や労働環境がいくら良くても、絶対にこの会社を選ばなかったと断言できる。


 頚椎症という病気と人間関係の悩みもある程度の事はどこの会社でも有りえて仕方のないものだと割り切れるものだが、窃盗という犯罪の被害者となるなんて思いもよらなかった。


***


「えっ、ちょっと待って、一葉かずは。これ、どういうこと?会社辞めた理由って頚椎症と人間関係だけじゃないの?」


 一か月ほど前に恋人となった牛島榛(うしじましん)藤田一葉(ふじたかずは)に見せて貰ったノートパソコンの小説の冒頭を読み驚きの声を上げた。


 一か月程前、私だって会社を辞めた時にはこんなものを書くつもりは毛頭無かったのだが、たまたま買い物に出かけた先で出来るなら一生見たくないと思っていた元居た会社の同僚を見かけてしまったのだ。

 相手に見つかる前に物陰に隠れることが出来たから良かったものの、一度見かけてしまった為に思い出してしまった嫌な記憶は直ぐに体に影響を及ぼし、呼吸が浅くなり眩暈が生じた。

 なんとか自宅に戻れたものの這いずりながらベッドになんとか倒れ込むと、再び動けるようになるまで数時間が必要だった。


 自分でもこんな辛い思い出は消してしまいたい。体にだっていいことなんてない。持病と心が弱いせいでいつまでもこの記憶に苛まされる。


 でも、犯人が分かればこんな辛い事から逃れることが出来るのか。

 犯人が分からなければ、ずっと苦しみは無くならないのか。

 こんなことばかりを頭が占める。考えくないのに。


 やっと起き上がれるようになってから、ふと思いついたのは、心の内に込めたままでいるよりは誰かに打ち明ければ少しは楽になるのだろうかということ。

「会話をすると、ストレス解消になる」そうテレビで言っていたことを思い出したのだ。


 でも、順序立てて全部を話すことは自分にはまだ難しくて、それなら一度頭の中を整理するために文章にしてみようと思い立ったのだ。


 しかし書き出しては見たものの、最近まで書いていたハッピーエンドの小説とは随分勝手が違い、手が止まる時間は長く続き、文字が中々増えずに画面が自動スリープによって暗くなることはしょっちゅうで、辛い記憶を思い出しては書くことになるので逆に思い詰めてしまい体調が悪化した。


 そんな時に仕事を終えてから電話をかけてきた榛さんは、明らかに私の様子がおかしなことに気が付いてくれて、こうして私の所へ駆けつけてくれたのだ。

 そうして体調の悪くなった原因を説明するためにパソコンを見せたのだ。


「言えなかったけど、会社で窃盗の被害にあってたの。更衣室と作業現場の二か所で。更衣室の方は財布の中の数枚あるお札から現金が盗まれていることを気づかないほどの金額しか盗まれていなかったの。でも、現場の方では財布ごと。クレジットカードも入ってたから、この時は警察にも行ったの。その文章は一応フィクションとして多少設定は変えてるけど、大まかな内容は私が実際に受けたことなの」


 榛さんに説明をしながら涙が溢れてきた。

 すでに呼吸も浅くなってきてしまった。

 こうなってはもう起きてられない。動くことが出来なくて冷たい床の上だと分かっていても私はそのまま横になるしかなかった。

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