9:アヤカ、異世界で掃除をする
「ここの掃除は簡単よ。まずは、ハタキをかけて、廊下と共用部分を全部掃いて拭く。個人の部屋は掃除しなくてもいいの。そのあとで、シャワー室とトイレを掃除するわ。最後に、蝋燭とランプの油の確認。時間が余れば窓拭きと草抜き」
「グリモの世話はしなくていいの?」
「この時間のグリモの手入れと小屋の掃除は、新人騎士がしてくれているわ。彼らが離れている時は、職員に仕事が回ってくるけれど。私達はグリモの餌をやるだけ……朝と昼の分は、私がやっておいたわ」
朝はアヤカが起きる前に、昼は昼休みに餌やりをしていたということだろう。
「ブリギッタは、本当にグリモが好きなんだ」
「ええ、もちろんよ。いつも餌やりは争奪戦になるのだけれど、あなたはその心配がないから楽だわ」
「だって、朝は眠いし。昼はお腹が空いたから食事していたし」
アヤカは、極限まで水を入れた掃除用のバケツ四つを持って、掃除場所へと向かう。
(私、前より力持ちになっている気がする……)
以前から力はある方だったが、水を満タンにしたバケツを四つも運べたかというと微妙だった。
しかも、今のアヤカは、それを重いと感じていない。
掃除をしていると、窓から騎士達の訓練の様子が見えた。
槍や剣を振り回したり、行進の練習をしているかと思いきや、そうではないようだ。
彼らは、黒い鳥に乗って空を飛んでいる。
「ブリギッタ、何あれ! 騎士が、グリモに乗って空を飛んでいるんだけど!」
「……飛行訓練よ。あんた、本当に何も知らないのね」
ハタキを片手に持ったブリギッタは、そう言うと呆れたように肩をすくめた。
「第二騎士団は、空中戦を得意とする騎士団なの。彼らは、グリモに乗って戦うのよ」
ブリギッタは、「グリモを操る第二騎士団は、アインハルド騎士団の中でもエースのような存在だ」と話す。
「第一騎士団は、人数が多くて地上戦が得意。馬を操るわ。第三騎士団は、馬にも鳥にも乗らないの。市街戦で活躍するわ。第四騎士団は、医療や補給メインの騎士団で、第五騎士団は、密偵や暗殺メインの騎士団なの」
「第二騎士団がエースなら、もっと良い環境で訓練させてあげればいいのにね。ここって、施設も古いし……」
「アインハルド騎士団は資金難なのよ。特に、第二騎士団はグリモを持っているというだけで、金食い虫扱いされているわ……だから、贅沢はできない。神殿騎士団のようにはいかないの」
「神殿騎士団は、金持ちなの?」
「そうね、大して働いていないくせに、設備はやたら豪華だと聞くわ」
ブリギッタも、ユスティンと同様に、神殿騎士団に良い印象を持っていないようだった。
ハタキで埃を落とし、箒で掃き掃除をし、濡らしたモップで床を拭く。たかが寮の掃除だが、結構な重労働だ。
その後、シャワー室の壁と床をブラシでこすって洗い、トイレを掃除すると、夕食の準備の時間になっていた。
「初めてにしては、まあまあね。あんた、結構使えるわ……ところで、夕食の食材は何を仕入れたの?」
「鶏肉とキャベツに、人参と米。それと、ミルク」
「小麦粉とジャガイモ、玉ねぎは、ストックのものが使えるから、発注していないんだ。ブリギッタは、キャベツを千切りにしてもらっていい?」
「ええ、お安い御用だけれど……何を作るつもりなのよ?」
「チキンカツとシチュー、炊きたてご飯」
アヤカは、昼食のついでに作っておいた手作りブイヨンを手にしてニヤリと笑った。大きな鍋にそれを入れてシチューの味付けをし、もう一つの鍋には油を満たして衣を付けたチキンを入れた。
とろとろのホワイトシチューからは、ほぅほぅと暖かい湯気が立ち上り、揚げているチキンからは、じゅうじゅう良い音が聞こえてくる。
アヤカは、早くもお腹がすいてきた。
食事を作り終えると同時に、騎士達が食堂になだれ込んでくる。
チキンカツとシチュー、白ご飯は騎士達に好評だ。おかわりを要求する騎士が現れ、チキンカツと白ご飯は完売してしまった。
「あー、チキンカツ、食べてみたかったのに!」
食器を洗いながら、ブリギッタが残念そうに口を尖らせる。
「ブリギッタの分はとってあるよ。料理の最中、食い入るようにチキンカツの方を見ていたからね」
「え、本当に!? アヤカ、あんた最高!」
「白ご飯は本当に売り切れちゃったから、後でカツサンド作ってあげる」
「それって、持ち運びできる?」
「部屋で食べるのなら、包むけど……」
アヤカがそう言うと、ブリギッタは首を横に振り、真っ赤な顔で答えた。
「あ、違うのよ。実は、兄が第一騎士団にいて……夕食は一緒に食べることにしているの」
「そうなんだ、シチューの残りも持っていく?」
「いいの!? あんたの分は?」
「残った材料とパンで、何か作るよ」
ブリギッタは、可愛らしい青い目をパチパチと瞬かせた後、勢いよくアヤカに抱きついた。
彼女の体は、思ったよりも固く、骨ばっている。
片付けを終えてブリギッタが去った後、アヤカは余っている卵を茹でてマヨネーズと和えた。卵サンドを作るためだ。
鶏肉の残りも茹でて、ハーブで味付けをし、キャベツと合わせてサンドウィッチの具にする。
しばらくするとユスティンが現れたので、アヤカは彼と二人で遅めの夕食を楽しんだ。