はち。
「あ、ねぇ、疲れてるなら後で夕飯持って行ってあげようか」
右手にぶら下がるエコバックの中には、拓から言われていたものよりちょっと多目の挽肉が入っている。
安売りにつられてついつい買ってしまったのだ。
今日の使う分以外は冷凍しておいて後日料理すればいいのだが、目の前のよたよた歩くいかにもハラヘリな隣人を見ると老婆心を抱いてしまう。
勝手に提案しているが、ハンバーグを作るのは拓だ。
「え?まじで?いいの?」
大地は勢い良く振り向き、今まで開いているのか閉じているのか分からなかった目を見開き輝かせた。
やっぱり、空腹状態だったみたい。
「お…おう…嬉しそうね」
「腹減ってんだ。でも作る気力が残ってない。材料もない。…ちなみにメニューは?」
「ふふん。は、ん、ば、あ、ぐ」
「っしゃ!!」
私も大地もハンバーグが大好物。
みんな大好き、ハンバーグ。
「あ、ハンバーグには…」
「とろーりチーズを中に入れて、上には半熟の目玉焼き、でしょ?」
「さっすがこのみ、わかってるね」
何度せびられて彼にハンバーグを作ったことか。
好みなんて寝てても言える自信がある。
目の前でガッツポーズをしている青年は、こうしていると少年のようだ。
男はいつまでも子供ってことね。
…とか言う私もついさっきまでハンバーグにるんるんしてたか…。
万能執事様に2人分の夕食をお願いしなければ。
私もお手伝いすることにしよう。
うん、そうしよう。
「じゃあ出来たら持って行くから」
ドアを開けると中から溢れる光。
もう真っ暗な部屋に帰ることがなくなったんだ。
いつもこの瞬間が嬉しくてたまらない。
するりと体を滑り込ませて玄関に入る。
綺麗に片付けられたそこは、拓の努力の賜物。
本当にありがたいと言うか申し訳ないと言うか。
今度、真面目に雇用契約の話でもしようかしら。
お行儀悪く、片足をあげながらパンプスのストラップを外す。
ドアは、まだ閉まっていない。
「このみさん、おかえりなさ…」
「このみ!」
リビングから拓が顔を出し、お出迎えをしてくれ…るとほぼ同時に、閉まりきっていなかった背後のドアが勢いよく開いて大地が玄関へ入ってきた。
「え?」
「あ?」
はっ!
やばい!拓!!!
「…に、にゃーん」
危機を察知して私が顔をあげるより早く、拓は元のグレーの猫へと変わっていた。
少々動揺した面持ちで私の足へ擦り寄ってくる。
毛が逆立って上を向く尻尾。
ちろりとリビングの奥を見ると黒猫と白猫も冷や冷やした様な顔でこちらを窺っている。
ギギギ…と錆びたブリキのように首を後ろに回すとそこにはもちろん大地がいた。
ドアを片手で押さえ、体半分がすでに玄関に入ってきている。
…見た?見たの?何か見たの?
「…あの…な、何、か?」
「えと、面倒だからお前の家で飯食わせてもらおうかって…思ったんだけど、何をそんなに驚いているんだ?」
見てない!!
こいつ何も見てない!
乙女の部屋のドアをいきなり開けるな馬鹿野郎!!
拓…ナイス変身。
「あ、何でもない!ドアがいきなり開いたからちょっとびっくりしちゃっただけだよ!あはっ…あははは!!」
「…ふーん?」
彼らがどうやって人間になったか分かっていない。
彼ら自身もよく分からないようだ。
お約束のように魔法使いが現れただの、何かの呪いがかけられただの、そういったこともないらしい。
強く念じると人間になる、という何とも曖昧な変身だ。
しかし、彼らが人間になれるのは私の家の中だけ。
これがどういう意味なのか。
謎だらけだからこそ、彼らが人間になったところを他人に見られてはいけないような気がする。
もし、もしも、他人に知られて彼らが二度と人間になれなくなってしまったとしたら…。
考えられない。
考えたくない。
猫の彼らが大好き。
愛らしくて、ふわふわで、見ているだけで癒される。
だけど、もう私には猫であり人間でもある彼らがなくてはならない存在になってしまったのだ。
私を決して一人にしない、温かくて包み込んでくれる優しさを手放すなんて出来ない。
相手が大地であろうと、この秘密は、絶対に隠し通してみせる。
目玉焼きの乗ったハンバーグが好きです。
とろけ出た黄身をすくいながら食べるハンバーグが、大好きです。