じゅう、ろく。
すみません。長くなります。
SIDE 大地
「高橋先生、今後ともよろしくお願いしますね」
「ありがとうございます藤本社長。こちらこそ末永くよろしくお願い致します」
終始和やかな打ち合わせの締めの言葉を交わす。
打ち合わせ…といいながら世間話のほうが尺を取っているのはいつものことだ。
目の前の壮年の男性は、目じりにある笑いシワを一層深くして微笑む。
俺を顧問弁護士に指名してくれた社長さん。
そう、隣のビルの大半のフロアを占める出版社…このみの会社の社長さんだ。
弁護士は法律知識はもちろん、クライアントとのコミュニケーション能力や裏取りに妥協を許さない几帳面さと粘り強さ、何より関わる人全てに対する信頼がものを言う。
信頼というものは、長い時間と密な交流によって強固なものになる。
弁護士としてまだまだ青い俺が完全に個人で…しかもこんなに大きな会社の顧問弁護士を任されるなんて異例だった。
たまたま、このみの会社の重役とは学生時代から面識がある。
副社長をしている筧亮太郎は、中・高と俺の家庭教師をしていた男だ。
頭は良いくせに真面目ではなくて、教えることは上手いのだが余計な知識まで植え付けられて…。
勉強も遊びも、言ってしまえばオンナのことも教えられた。
しかし、俺が志望大学に入学できたのは紛れもなく筧のおかげだと言える。
自分は法学部でもないのに何故か法律関係にも強かった彼は、いつでも俺の相談相手であり先生だった。
だからこそ頭が上がらない。
本人には言わないけど。
筧の橋渡しもあって俺は藤本社長と知り合い、公私共に良くしていただいた。
まるで孫のように接してくれる藤本社長に俺のほうが懐きまくっている始末だ。
このみは良いところで働いているな。
そして、前任の弁護士が定年退職すると共に俺がこの新柳社の顧問弁護士に就任した。
社長室の重たい扉は、見た目とは裏腹にとても静かに閉まる。
扉を出てから室内に向けて腰を折り、小さくパタンと音がしてからようやく頭を上げた。
これから忙しくなるな。
自然と上がる口角を、今だけは隠さずにいさせて欲しい。
ふと時計を見ると、時刻は18時57分。
俺としては物凄く早い時間に仕事が終わった。
今日はこのまま直帰すると所長には伝えてあるのでもう自由だ。
酒とつまみもってこのみの家に行くかなー…
水曜日か。
確か今日はこの会社のノー残業デーだったはず。
そのためフロアの奥にある秘書室はもう誰もいなくて電気も消されていた。
まったく、羨ましい限りの勤務環境だ。
と言うことは、このみも既に帰宅済みか。
…別に…一緒に帰るとか…期待してたわけじゃねぇし!!
社長室と向かい合わせに同じような扉がもう1つ。
ここは副社長室。
俺が密かに兄のように慕う筧の仕事場。
まだ…いるかな。
…コン…
「…だよ、このみ」
ノックをしようとして作った拳が軽く扉に触れるか触れないかの距離。
中を窺いながらのその行動は、自然と頭も扉に近づけていて。
普段なら絶対に聞こえないような中の音がかすかに聞こえた。
それが筧のものだったから聞こえたのか。
それとも、男が呼んだ名前がこのみだったから聞こえたのか。
咄嗟に俺は扉を開けた。
それと同時に愛して止まない女性が後ろ向きに倒れ掛かってきた。
後姿だって分かる。
やっぱりこのみがいた。
軽い音をさせて俺の胸に飛び込んできた彼女は目をまん丸にして驚いていた。
その顔可愛い。
顧問弁護士になったことを伝えると素直に誉めてくれて、緩む口元を引き締めるのに必死だ。
可愛い可愛い抱きしめたい可愛いあああああーーーーー。
…さて。
なぜここにこのみがいる?
部屋の中央に立つ男。
筧の右手は中途半端に上げられていて、まるで目の前にいた誰か…女性的身長の誰かの顔辺りに手を添えようとしていたみたい。
目の前にいた誰かとは誰。
このみ、だな。
一般社員のこのみが?副社長室で?副社長と二人きりで?なにを?どうして?何故顔付近に手を添えようと?
頭の中をぐるぐる回る疑問を直球で筧に投げつける。
「このみに何しやがったクソ親父」
どう見てもおかしい状況。
何かいけないことが起きているような嫌な予感。
俺と筧の間で顔面蒼白になっているこのみはちょっと置いといて、ツカツカと筧に詰め寄る。
「てめぇ、マジでこのみに何しやがった」
「クソ犬乱入のせいでまだ何もできてねぇよ」
「あぁん?あの子が俺にとってどんな子なのか忘れたとは言わせねぇぞ」
一人であわあわしているこのみに聞こえないよう、顔を突き合わせて睨みながら小声で話す。
筧は俺の狂気を知る唯一の人物。
呆れ笑いながら、俺の背中を押さずとも支えてくれていた人。
だからこそ、この男がこのみと密室で二人きりになるなんて考えられない。
何を企んでいるんだ。
「大地、お前さぁ…いつまでこんなおままごとやってんの」
「…は?」
言われたことの意味が分からず、一瞬気を抜いたその瞬間に頭に強い衝撃を受けた。
ギリギリと締め付けられこめかみに奴の指が食い込む。
あ…アイアン…クロー…
家庭教師時代、筧の出す問題に正解しないといつもされていたこのお仕置き。
「ぐぅ…」
いたいいたいいたいいたいいたいいたい!!!!!!
素手で林檎を潰せる奴が俺の頭を掴むなー!!!
「うっせ、クソ犬。図体だけでかくなったガキんちょが。大事なところなんだから部外者は外出てろ。犬は犬小屋にお帰り。しっしっ」
「犬犬呼ぶんじゃ、ねぇ!!」
学生の頃、このみはモテた。
こんなに可愛くてよく笑って優しくて、誰にでも分け隔てなく仲良くしようとするこのみが好かれないわけがない。
現にこのみは女友達がたくさんいて、社会人になってからも頻繁に交流があるみたいだ。
そして、当たり前だが男からの人気も高い。
思春期真っ只中の猿たちには女神のように見えていただろうセーラー服姿のこのみ。
まさに高嶺の花。
男というものは手の届かないものほど触ってみたい衝動に駆られる生き物だ。
廊下でわざと肩をぶつけてみようか。
彼女の前でわざと落し物をして拾ってもらおうか。
事故を装って手でも握ってしまおうか…。
しかし、そんな下心丸見えの淡い恋心を俺は片っ端から粉々に砕いてきた。
弱みを握って脅したこともある。
拳にものを言わせたこともある。
心根の良い奴には他の女を宛がい、どうでもいい奴は大事なところを蹴り上げてでもこのみに近づけさせなかった。
このみには俺がいたらいい。
他の奴なんていらない。
そんな荒れ狂った俺を側で見ていた筧はいつしか俺をこのみの番犬と呼ぶようになっていた。
俺の存在を知らしめることでこのみに悪い虫が付かないのなら、そんな通り名を自ら噂として流すことだって厭わない。
このみと仲良くしたいのなら俺を倒していけってね。
そのおかげでこのみは今日この時まで独り身を貫いてきた。
正直このみには悪いことをしているとは思うが、自分が止められない。
お前が俺に振り向いてくれたら全てが丸く収まってみんな幸せになれるのに…鈍感女め。
子供のような取っ組み合いをしているとだんだん筧の息が上がってきた。
デスクワークばかりの運動不足親父め。
今日のところはこの辺に…
「ああもう!俺の告白を!邪魔するな!!!」
…え?
え…ええ?
今、何て?
ちろりと背後を窺えば、顔を赤くしながら小さく悶えている幼馴染。
「告白…だと?」
筧が、このみに、告白?
俺の気持ちを誰よりも良く知っているこの人が、俺が何よりも大切に想っている女性に、告白だと?
自分でも驚くほど低くうねりを伴った声が出た。
頭ではまだその言葉の意図が理解しきれていないというのに、無条件に体が相手に対する憎悪を示す。
筧がサッと視線を外してきた。
何故逸らす。
真っ直ぐ見ろよ。
あいつに近づいたのか。
上司と部下ではなく、男と女としてあいつに近づいたのか。
知りながら、俺の逆鱗に触れるのか。
「…ちっ」
裏切られたような。
突き放されたような。
それとも、試されているような。
「このみ…帰ろう」
沸々と煮えたぎる腹の中を覆い尽くすほどの脱力感に襲われる。
筧が…?
本当に…?
もし奴が本気でこのみを奪おうというのであれば、俺はそれを全力で阻止するのみ。
たとえ筧だろうとこのみを渡すことは出来ない。
今日は…帰って頭を冷やそう…。
このままここにいては、ダメな気がする。
あの筧のことだ。
きっと何かわけがあるのだろう。
そうであってくれ。
細くしなやかなこのみの手を握る。
彼女に触れたくて仕方がない。
本当は力いっぱい抱きしめて俺のこと以外考えられないようにしたいのに、今の俺には平然を装って手を取るだけで精一杯。
情けねぇな。
君の体温を感じるだけで、俺の心は落ち着きを取り戻せる。
指をなぞるように擦ると彼女からきゅっと握り返してきた。
じわりと広がる幸せ。
どんなにムカついていても、どんなに虚無に襲われていても、俺に安らぎを与えてくれる君を手放すことなんてどうして出来ようか。
好きだ。
好きだ。
愛してる。
早く、帰ろう。
これ以上このみの視界に筧を入れていたくなくて、彼女の足がもつれ転びそうになっているのを気にしつつ家路を急いだ。
大地ターンは書いてて楽しいです。
ダイチ・サン・ヤンデーレはまだまだパワーアップの余力有!!