98願いを込めて
村から徒歩十分の中間地点で、切り落とされた切り株の上に座りながら女性の話を聞く事にした。
「挨拶が遅れました!私はシアと申します」
「それでシア、貴女はどうして私と行きたいのです?」
「実は私、記憶がないんです。でも神子様を見た時から胸の高鳴りが抑えられなくて!」
「そ、そう…」
そんな恋煩いみたいな話をされても…。そもそも私も貴女も同じ女ですよね?
「それで私思ったんです!きっと神子様に着いて行けば自分が何者か分かるんじゃないかって」
『そんな理由であの村を離れるのか?』
「私にとっては充分な理由です。そもそも私はあの村の人間ではありませんから問題ないです!」
貴女に問題なくてもこっちには大有なんだけどね。どうしようと頭を抑える私に紅玉が憐れむように私の肩にポンと手を乗せた。変なもんに好かれたなと言われてる気がする。
「私に着いてきても貴女の記憶が戻る保証はないのよ?」
「それでも構いません。神子様の傍にいられるのならそれも本望です」
『おい、それが本音だろう』
「こんなチャンス滅多にありませんから!それで神子様はどうしてこんな場所に護衛も一人しかつけずにいるのですか?」
相手が誰であろうと怯むことなく土足で入り込んでいけるそのメンタルは羨ましいけれど、それを向けられる方は堪ったもんじゃない。助けを請う目線を紅玉に向けると、頷いてくれた。
『お前には関係のない事だ。話すつもりも連れて行くつもりもない。分かったらさっさと村に帰れ』
「帰りません!例え今この場で貴方に殺されようとも」
その目には強い意志が見えた。だからと言って連れてく気にはならないのだけど。なんか怖いのよねこの子。一歩も引かない感じが。
「気持ちは嬉しいけど、貴女の力にはなれないわ。それに用事があるから貴女を連れて行けないの」
「大丈夫です。私が勝手について行きますから!」
『お前いい加減に…』
ドーーーーン!!!
紅玉がシアに文句を言おうとした時、私達とシアの間に何か巨大な物が落ちて来た。その衝撃は振動が体に伝わる程で、砂埃の量からそれが如何に重いかが伺える。
「な、なんですか!?」
「ゲホッゲホッ」
砂埃の所為でむせる中、時間が経つと舞い上がっていた物が下に落ちて視界がクリアになった。
「…獣?」
「これはシュヴァインです!でも死んでる…」
「これが?初めて見たわ」
目の前に横たわる巨大な獣は、前に絵を描いて散々馬鹿にされた事のある、本物のシュヴァインだった。想像以上に巨躯で思わず見てしまう。毛は硬そうで針金のようだし、牙は顔よりも遥かに長く鋭い。人を丸呑み出来そうな巨大な口からは血を流していた。
「何でシュヴァインが?」
『上を見ろ。ダリアだ』
「え?あ、本当だ」
「え?っきゃあああああ!!何ですか!?あの化け物は!!」
紅玉が上を見ているので私も見上げて見れば、頭上でダリアがご機嫌で飛んでいた。それをシアも同じように見てしまったので、大パニックに陥っている。まぁ初めて見たら驚くよね…。しかもシュヴァインを仕留めれるってよっぽどだし。
「落ちついてシア。あの子は私の使い魔ですから、危害は加えないわ」
「でも…」
「御免なさいもう行かなくちゃ。あ、着いて来ても構いませんけれど、この子私の言う事しか聞かないから、何があっても自己責任でしたらどうぞ」
意地悪く笑ってそう言えば、ダリアには怯えているものの、意思は変わらなかった。意思硬すぎでしょ。まぁいいや、元より逃げる為にダリアを呼んだのだから。
「ダリア!」
「キュイ!」
「え!?まさか…」
「ふふ、そのまさかですわ。では御機嫌ようシア」
「そんな!神子様ーーー!」
地面に降りてきたダリアに掴まって空に飛び上がってもらった。シアが下で悔しそうに叫んでるけど気にしない気にしない。ようやく解放された安堵でダリアの上でクタッとなった。当然落ちないように毛はしっかり握ってるけどね。
『お疲れ紗良。あの子しつこかったね』
「蒼玉。ね、何であんなに執着して来たんだろう」
『紗良が美しいからじゃない?』
「まさか!それよりダリア!あのシュヴァインどうしたの?ってか危ないからね!?」
ダリアにそう聞けば、姿勢を崩さない様(私が落ちない為)に顔だけこちらに向けて短く鳴いた。
「キュイ(紗良にお土産)」
「え!?」
「キュンキュン(紗良は小さいから栄養とれるように、狩って来たんだよ)」
「そうだったの。ありがとうダリア」
お礼を言うと嬉しそうに鳴いてスピードを更に上げた。ダリアのお土産を「置いてきちゃってごめんね」と言えば、「またいつでも狩れるから」と返ってきた。
「その気持ちだけで充分だよ」
『捌き方知らないしね』
「キュー(丸かじりすればいい)」
「それはちょっと無理かなー…」
丸かじりとかどんな罰ゲーム!?とは言えないので、生で食べるとお腹壊すからとやんわりと断った。でもまぁ、あんな見た目でも味は美味しいのよね。
「力使ったら眠たくなってきちゃったなぁ」
『僕が支えるから寝てて良いよ。紅玉も休んでるし』
「じゃあ、お願いしようかな」
蒼玉に体を預けて目を閉じる。スピードがあるので風の抵抗がかなりあるのだけど、蒼玉が風側に背中を向けてくれてるので、私にはあまり当たらずに済んでいる。そのお陰で寝入るのも早かった。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「お兄様。どうかお気を付けて」
「大丈夫だからそんな顔をするな」
お兄様はそう言って私の頭をそっと撫でて下さいました。気付かないうちに不安な表情をしてしまったみたいですわ。でも本当に心配なのです。何故ならお兄様が一番疲れた顔をなさっているから。
「……紗良様が出て行かれたのは本心ではないと、私は思っています。ですからどうか紗良様を、っ…」
お兄様の気持ちを考えると、酷く胸が締め付けられて思わず涙が出てしまいましたわ。私が寂しいという気持ちも追い討ちをかけてしまったみたい。
「いい、泣け。すまないリチェ。お前は紗良が大好きだったからな」
涙の止まらない私にお兄様が胸を貸して下さいました。あぁ、紗良様。どうかお兄様から笑顔を奪わないで下さい。紗良様が来てから本当にお兄様は楽しそうでしたの。そして紗良様もとても幸せそうに笑っていらっしゃったのに、婚約されてやっとこれからという時でしたのに…。
「(紗良様、早く帰って来て下さいませ)」
私の勝手な思いで紗良様には甚だ迷惑かも知れないけれど、私はお兄様の隣には紗良様しか居ないと思ってますの。それに紗良様のいないこの場所は、今までが嘘の様に静まり返ってしまいました。
「(いえ、元に戻ってしまったのですわ)」
紗良様がこのお城にいらっしゃる前のような雰囲気に逆戻りしてしまいましたの。紗良様が来てからは皆が笑顔で楽しそうで。こんなに暖かい場所にしたのは紗良様なのですから、勝手に居なくなるなんて私は許しませんから!
「(私は笑顔でお兄様を見送らなくてはいけませんわね)」
出発前のお兄様の胸と時間を借りてる場合ではありませんわ!ハンカチで涙を拭ってお兄様から離れると、心配そうなお兄様と目が合いました。こんな風に心配してくれるなんて前のお兄様にはなかった。これも紗良様のお陰ですわね。
「すみませんお兄様。もう大丈夫ですわ!」
「本当にか?我慢しなくてもいいのだぞ」
「私が泣いても状況は変わりませんから。ですからお兄様。どうか紗良様を連れて来て下さいね!私、直接文句を言わなければ気がすみませんので!」
笑顔でそう言うと、お兄様は少し驚いた顔をした後に優しく笑って「そうだな。紗良が泣くまで言ってやれ」と表情とは裏腹な事を仰いましたわ。普段でしたら否定する所ですけれど、私も怒ってますからそうさせて頂きますね。
「ふふ、では紗良様にお戻りになられたら説教が待っているとお伝え下さい」
「あぁ、必ず伝える。…そうだ。リチェお前ユフィーネが何か知っているか?」
「ユフィーネですか?白銀月の誕生花ですわ」
「!…花か。花言葉を知っているか?」
ユフィーネの花言葉が如何されたのでしょう?ですが私もそこまで覚えてる訳ではありませんの。確かマリーが花に詳しかった筈ですわ。
「マリーならご存知かと。分かるかしら?マリー」
「勿論です。ユフィーネの花言葉でしたら「色褪せない」ですよ」
「色褪せない?…意味が分からないな」
「それがどうされたのですか?」
「いや、紗良が溢した言葉だそうだ」
色褪せないという言葉に紗良様はどんな意味を込めたのかしら?溢した台詞って事ですから、伝言ではないのですよね?でもきっと意味があるのだとお兄様は思ったから、こうして聞いているんですわ。
「きっと言葉に出来なかった想いがあるのですわ。それはこの状況とはまるで違う、お兄様を想った気持ちがきっと込められていたのだと私は思います」
「そうだといいがな」
「きっとそうですわ。紗良様は確かにお兄様を愛していらっしゃいましたから。それはそんな簡単に変わってしまうとは思えませんの」
「…有難うリチェ。お前がそう言ってくれると救われる」
力なく笑ったお兄様に侍女に持たせていた小箱を手渡しました。
「何だこれは?」
「紗良様が私に頼んでいた品物ですわ」
「それを何故俺に?」
「お兄様に渡す為に紗良様が用意していた物ですの。時間が少しかかってしまいましたから、紗良様はもしかしたらお忘れになっているかも知れませんけど」
結構前にお兄様に内緒でと頼まれた物が、昨日届いたのですわ。お兄様の出発に間に合って良かった。これは紗良様がお兄様を愛していた証ですもの。これを見たお兄様の御心が少しでも癒されればと思い、お渡しする事にしたのですわ。
「紗良は忘れっぽいからな」
「ふふふ、でもそれ勝手に渡したと分かったら怒られてしまうのですけどね」
「そうなのか?開けてもいいだろうか」
「構いませんわ。いらっしゃらない紗良様がいけないのですから」
お兄様に意外にいい性格してるなと言われましたけど、兄妹ですから似る部分もありますわ。お兄様よりはまだ控えめですけれどね。勝手に私が許可を出した紗良様の品物をお兄様は恐る恐る開ければ、小箱の中から更に小箱が出てきましたわ。そしてそれを開けると中には二つの指輪が入っていました。
「指輪?しかも二つか」
「それは紗良様とお兄様の分ですわ」
「そうか。しかし何故指輪なんだ?」
箱の中に入った二つの指輪にお兄様は首を傾げておりますわ。私も紗良様に聞いて成程と思ったものですから、お兄様には分かりませんわよね。説明をしようと思っていると、傍観していた恭平様が口を開きました。
「それってここじゃ女が用意すんのか?」
「何がだ」
「え、それ結婚指輪じゃねぇの?」
「結婚指輪?そんな物あるのか?」
訝しげな表情で発言する恭平様に、お兄様も訳が分からないといった表情をされてますわね。仕方わりませんわ、私が説明してあげなくては!
「恭平様、この世界では結婚の証は指輪ではありませんのよ。ですが恭平様がいた世界では指輪がその証みたいですわね」
「そう、左手の薬指につけるんだ。まぁペアリングとかもあるけどな。ならこっちは何になるんだ?」
「ペアリングですか?」
「あー、付き合っている恋人がお揃いで付ける指輪って言えば分かるか?」
成程、恭平様の世界には二種類の意味があるのですわね。こちらでは代々受け継がれた当主の証ですとか、女性でしたらお洒落や富の象徴として着けるぐらいですから、意味合いが全然違いますわね。
「まぁ素敵ですわね。こちらでは腕輪になりますのよ」
「待て。そしたらこれはその結婚指輪になるのか!?」
「そうですわ。紗良様がいつか来るその日の為に用意されたのです」
「しかし何故リチェル様に?そのようなお話はいつも私に持ってこられる筈ですが」
指輪の理由が分かったお兄様は隠してるようですが、とても嬉しそうですわ。それを見て喜んでいますと、ファルドが当然の疑問を私に投げかけて来ました。
「そうですわね、男性のファルドには頼みずらかったのでは?」
「そうですか」
「それを言わずに自分で用意しちゃうのが姉ちゃんだよな。王子にねだれば何でも用意してくれんのによ」
一人うんうんと納得するように恭平様がそう呟かれたのを聞いて、私も紗良様に同じ事を言いいましたのを思い出しましたわ。お兄様は紗良様の欲しがる物でしたら、最高級の品で用意してくれますわよ?と言ったのですけれど、「そんな高価な物、怖すぎて日常使えないよ!」と言われてしまいましたのよね。
「(紗良様が用意されたのも結局は同じになりましたけどね)」
後でファルドにお金を用意して貰うと仰ってましたけれど、お父様にこっそりと相談した(一流の宝飾を作成してくれるお店についてなど)ところ、任せなさいと言われましたので御言葉に甘えてお任せしたのですわ。そして紗良様のお願いに対して(私にお願いされた事ですけれど)お父様が張り切ってしまいましたので、お兄様が用意される物よりも(予想ですけれど)遥かに金額が張っている指輪が仕上がったのですわ。届いたのが昨日でしたから、その事も紗良様は知らないのですけどね。
「(ふふ、お父様も紗良様には甘いですわね)」
娘よりも甘々なのは何故かしら?って知らない人は疑問に思うかも知れませんわね。ですが一緒にいるとその理由がきっとわかりますわ。紗良様の持つ空気が私達を癒し、幸せな気分にさせてくれますの。それはもしかしたら神子様としてのお力かもしれませんし、紗良様の生まれ持った空気感かもしれませんわ。そして何より純粋に喜んで下さるそのお顔がとても愛らしくて魅了されているのかも知れませんわね。私の持つ全てをかけて喜ばせたいという気になってしまうのよね。こう言ってしまうと何だか魔性の女のようですけれど。
「本当にな。我儘のひとつくらい言って欲しいものだ」
「よく外に出たいと仰ってますよ」
「そう言う事では無い。物の話だ」
「紗良様は物欲が少ないですものね」
お兄様がアレもコレもと先に何でも用意してしまいますから、欲しい物が特にないのよねと言っていたのを思い出しますわね。偶に欲しがる品も変装用など変わった物ばかりでしたし。宝石も重いと言ってあまり着けられませんでしたからね。耳を疑ったのは売りに行こうかなと呟いてた時ですわ。
「それ置いてった方がいいんじゃねぇの?失くしたら困るだろ」
「…いや、持って行こう。見つけてこれを嵌めてやるのだ」
「おー!そのまま強制送還で結婚式か。やるな王子!!」
逃げられないように鎖でも持って行こうぜと言う恭平様に、慌ててお兄様が止めていましたわ。ふふ、渡して良かったですわね。これなら心からの笑顔でお兄様達をお見送り出来ますわ。少しの間寂しいですけれど、紗良様が戻ってこられたらまた賑やかになりますわよね?
「リハルト様。そろそろお時間です」
「あぁ分かった。ではリチェ、留守は頼んだぞ」
「お任せ下さい。お気をつけて」
お兄様達の馬車が見えなくなるまでお見送りをしましたわ。紗良様の祈りのお力はありませんけれど、またこのお城で皆が揃って笑い合える日を願って神様にお祈りしました。
「あ」
「どうかされましたか?」
「いえ、お土産お願いするの忘れましたわ」
「まぁ!ふふ、それは大変ですわね」
私と同じくお城で紗良様の帰りを待つマリーが、楽しそうに笑って下さいました。
「仕方ありませんから、帰ったら紗良様に食べた事のないお菓子を作ってもらわなければいけませんわね」
「それはとても楽しみですね」
ですから紗良様。帰ってきたら覚悟なさってくださいね?
ほぼリチェル視点だー。シアは一体何者なのでしょうね。




