91混沌
ミルが仕方ないなという風にあたしを優しく抱きしめた。いつの間にか父さんと兄貴は居なくて、二人にしてくれたらしい。
「ミルとアルは一緒に産まれたんだから、嬉しい事以外は半分こ出来るんだよ」
「なんだよそれ、都合のいい話だな」
「そうだよ。ミルの頭はいつだって都合がいいの」
「…根にもってんじゃねーか」
だけどミルの温もりとその言葉に少しだけ救われた。ミルと仲直り出来たみたいで良かった。後味悪いままだと、死んでも死にきれねぇもんな。
「根にもつよ。酷い事いわれたんだもん」
「…悪かったよ」
「アルが謝るなんて明日は雨だね」
「うるせぇよ」
ミルを押しのけて背を向ける。謝る事なんて今までなかったから、少し照れくさい。するとミルが渡したいものがあるからそのままでって言ってきたから待っていると、首にペンダントが掛けられた。
「これって…」
「お母さんの大事にしていた物。アルが寂しくないように」
「どういう意味だよ」
ミルの言っている事がよく分からなくて、振り向こうとしたら体に衝撃が走った。今までに感じた事のない衝撃に、思わずよろけて座り込んでしまった。声を出そうにも上手く声がでなくて、あたしまで瘴気に体がやられてしまったと思った。
「アルが一人で寂しくないようにだよ」
「…ミ、ル。何が起こって…」
「ねぇアル。皆の為に今死んで?」
ミルが何を言ってるのか理解出来なかった。だからミルの視線の先を辿ると、あたしの腹部に向けられていた。でも腹部を見てもどうもしてない。そこで気付いた。腰が焼けるように熱い事に。
「ま、さか…ミルが、あたしを…?」
「約束したの。アルを殺せばこの森を浄化してくれるって」
「っ、会ったのか!?」
「うん。無駄じゃなかったんだよ、アル」
そう言ってミルが背中に隠していた手には血濡れの短剣があった。そしてその血はあたしので、あの短剣で腰を刺されたんだ。ミルは笑顔を崩さずにまたあたしに近寄ろうと一歩踏み出した瞬間、強い風が吹いて家の窓が割れて破片が舞った。
「きゃっ!」
『ミルティナ!気が触れたか!!』
「退いてよ翠玉。これは村の為なんだよ」
『本当にそれでいいのか?魂を分けた片割れなのじゃぞ!?』
「決めたの。それに、やらなきゃミルが死ぬから」
ミルは短剣を強く握り締めて翠玉にそう言い放った。あたしを殺さなきゃミルが死ぬ!?くそ、痛みが急に来て頭がガンガンしやがる所為で、どういう事か全然分からねぇ。
「ミル、アル!何の騒ぎだ!?…どういう状況なんだ、これは」
兄貴と父さんが騒ぎを聞きつけて部屋に入ってくると、この状況に困惑していた。あたしだって聞きてぇよ!!なんでこんな事になったのか!!!
「ミル、お前まさかアルを刺したのか?」
「………」
「答えるんだミル」
兄貴が何度もミルに聞くが、ミルは口を開こうとはしなかった。兄貴があたしの元に来て顔を歪めた後、適当な布で応急処置をしようとしたら包丁が飛んできてあたしから離れた。
「な…。どういうつもりだミル」
「邪魔するならエル兄も殺す」
「一体どうしたと言うのだ。ミルらしくないぞ」
「ミルらしいって何?エル兄がミルの何を分かるって言うの!!!」
そう言ってミルが短剣を再びあたしに向けようと走って来た。それを兄貴が手で受け止めてミルを抱きとめた。ミルの短剣を止めた兄貴の手からは血が滴り落ちている。
「エルドラ!」
「ミルは優しい子だ。ここまでするのも何か理由があるんだろう?」
「っもう遅いよ…。何もかも…」
「おい兄貴!!離れろ!!」
「!?」
兄貴に抱きとめられたミルの手が、背中に周り別の短剣で兄貴を刺そうとしていたのに気付き声を出せば、寸での所で兄貴が避けた。くそ、叫んだ所為で傷が痛ぇ!腰を触れば生暖かくぬるりとした血が手に纏わりついた。このまま放置すればヤバそうだ…。
「ミル…」
「ち、兄貴来い!!逃げるぞ!!」
「…ああ」
翠玉の力を使い兄貴とその場から逃げて、一先ず森の中心に来た。村の人間もおいそれと近づかない場所だから、短時間なら大丈夫だろう。
「とりあえず止血をするぞ」
「あぁ…頼む」
かなり深く刺されたようで、簡単な止血では止まりそうにねぇ。かといって外にあたしらを見てくれる病院なんてねぇのに…。痛みで朦朧とする頭を必死で回転させるも、正直いい案は浮かばなかった。
「アル、もう少し辛抱しろ。必ず病院を探してやる」
「…頼むよ、兄貴」
翠玉に兄貴の指示を聞くように命令して意識を手放した。あたしの力が弱ってる今、そんなに遠くにはいけないけれど。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「ミルティナ…大丈夫かい?」
「大丈夫に見える…?」
「とても見えないね。おいで、泣きなさい」
アル達が消えた後、お父さんがミルを抱きしめてくれた。その胸の中で静かに泣いた。覚悟を決めた筈なのに、急に怖くなったの。本当は心臓を狙う筈だったのに出来なかった。怖かったのアルを刺す事が。怖かったのアルを失う事が。
「どうしよう、殺せなかった。やらなきゃルーファスも死んじゃうのに!」
「………」
「深く刺しちゃったの、アル痛いよね…?」
言ってる事が矛盾するミルの言葉にお父さんは何も言わずに、頭を優しく撫でてくれるだけ。ただその手が震えている事に、もっと悲しくなった。何も言える筈ないよね。だってアルが助かってもミルは死ぬんだし、ミルが助かってもアルは死ぬんだから。良かったとも、惜しいかったとも言えないんだ。
「手の震えが止まらないの…。人を刺すだけでこんなに怖いのに、ご先祖様は良く神子様を食べれたのね?」
「…正気を失っていたんだろう」
「でも正気を失わなきゃ人なんて殺せないよね…」
この一件で身に染みて分かったよ。普通の状態じゃ理性が邪魔をして上手く体を動かせないもんね。少し泣いたらパニックになっていた頭が落ち着いて来た。アルはまだ生きてて、きっとエル兄が手当をするからまだ死なないと思う。…ミルは失敗してしまったんだ。
ドンドンドン
「大丈夫か!!?」
「この声はルーファス?」
突然激しく叩かれるドアに身構えていると、ルーファスだった。外まで騒ぎがバレてしまってたようだ。そこでピンときたルーファスが一番に心配して来てくれたみたい。
「どうしようルーファス!アルに逃げられちゃったの!!」
「それ…刺したのか?」
「うん、でも怖くなって腰を刺しちゃって…。ごめんなさい!ルーファスの命かかってるのにっ!!!」
「いいって。俺だけじゃなくてミルの命もだろ?それに言っただろ、ミルに俺の命託すって。どんな結果も受け止めるさ。…頑張ったな」
お父さんが言ってくれなかった言葉をルーファスが言ってくれて、思いっきり声をあげて泣いてしまった。怖くて躊躇もしたし、決して褒められる事でもないけれどミル頑張ったんだよ。やっぱりルーファスだけがミルの気持ちを一番理解してくれるんだね。
「泣きやんだか?」
「うん、ありがとう」
「おう」
「ルーファス、紙持ってるよね?」
「あぁ。使うか?」
前に呪術師の人から貰った紙をルーファスが取り出したのを受け取った。ペンを走らせて簡単に事の顛末を綴ると、蝶の形になって飛んで行ってしまった。
「凄ーい!!見た!?飛んでったよ!!」
「見た見た。凄いな」
「紙が飛んでいくとは、凄い物があるんだね」
「ね、吃驚だよね!ここにいたら知らないままだったんだよ!」
はしゃぐミルにルーファスが合わせるように返事をした。子供に対するあしらい方じゃない!でも仕方ないかな、ルーファスの中ではミルは妹みたいに思われてるもんね。お父さんも初めて見る光景に目を輝かせていたから、気持ちを共有出来たみたいで嬉しくなった。
「そうだね。私は色々な事を諦めていたのかも知れない。大人になると現状維持を望んでしまって駄目だな」
「お父さん…」
「現状維持の状態で幸せだと思えるのならいいですよ。でもそうじゃない人もいる。少なくともミルティナ達は現状維持を望んでいない」
「身に染みて感じているよ。ミルティナ、どちらの味方にもなれない父親ですまない」
ルーファスの言葉にお父さんが頷いた。そしてミルの方を見て頭を下げた。
「やめてよ!そんなの望んでないよ…」
「皆同じだけ大事な子供なんだ。それだけは分かっておくれ」
「分かってるよ。お父さんは私達に同じだけ愛情を注いでくれたもん」
皆に平等に愛を与えてくれたお父さんは凄いよ。アルの方がいいんだって思ってたけど、そうじゃないんだね。ミルの事だってエル兄の事だって同じように思ってくれているんだ。ミルも親になったら分かるのかな?…叶わない夢だけど。
「お父さん、お願いがあるの」
「なんだい?」
「あの手紙を見てどんな決断が下されるか分からないけど、ミルが死んだらこの地じゃなくて外の地に埋めて欲しい」
笑顔でそう言えばお父さんは私の手を額に持っていき、祈るように目を閉じた。
「…頼むから私より先に逝かないでくれ」
今にも泣きそうな掠れた声で絞り出されたその言葉に、涙が出そうになったけど我慢した。別れの時は笑顔でいたいんだ。もし今すぐ死んでしまうとしたら、泣き顔になってしまうから嫌なの。
「それは無理だよ。早ければすぐ死んじゃうし、遅くても数年も持たないと思うよ」
「俺もミルティナの隣に埋めて下さい。万が一の時用に母さんには手紙残してあるから大丈夫なんで」
「え、駄目だよ。死んだら自由なんだから、ミルにこれ以上縛られる事ないんだよ?」
「縛られてるんじゃない。俺がミルティナの傍に居たいんだ」
聞きようによっては愛の告白みたいで思わず顔が赤くなってしまった。ううん、これは妹に対する情みたいなものなんだ。駄目駄目!勘違いしちゃ駄目よミル!フルフルと頭を振って馬鹿な考えを吹き飛ばした。
「ルーファスはミルにとってもう一人のお兄ちゃんだね!」
「兄…」
「すまないね、うちの娘が」
「いえ…。慣れてますから」
ミルの言葉に項垂れたルーファスに、何故かお父さんが謝った。何でだろう…。全然分かんないや。変な状況に首を傾げていると、一匹の真っ白な鳥が入って来た。その鳥はミルの手に止まると、紙に変わった。
「…お返事かな?」
「何て書いてある?」
恐る恐る紙を開いて中を読む。難しい言葉使いで長々と書いてあって良く分からなかったので、ルーファスに渡した。呆れたルーファスがそれを読んで、要約してくれた。
「要するに首の皮一枚で繋がったって事だな」
「良かった。取り敢えず安心したよ」
「まだ殺されないの?」
「あぁ。失敗はしたけど実行はした訳だしな。裏切りにはならないからセーフだ」
「ほわー!良かったぁ。でもアルを殺す事は難しくなったのにいいのかな?」
ミルが刺せたのもアルが油断してたから出来たから、もう同じような手は使えないし、ここには寄り付かないかも知れない。もしかしたらミルを殺しに来ることはあるかも知れないけど。
「予想済みなんだろうな。ミルティナが成功するとは最初から思ってないんだと思う。上に立つ人間は先の先まで見てたりするからな。アルティナを窮地に追い込むことが目的だったのかも」
「そっかぁ。色々と考えてるんだね」
「まだ使い道はあると思って生かされてるのかもな」
お父さんはミル達の会話を複雑そうに聞いていた。そりゃそうだよね。物騒な言葉しか聞こえないし、聞いてて気持ちのいいものでもないもんね。でもこれが現実なんだから仕方ないよ。もう少しだけ生きられる事に感謝しなくちゃね。
「ミル達はどうすればいいのかな?」
「もう一度書いて聞いてみるか?」
「うん!」
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「また来たニャン」
「なんて書いてありますか?」
「どうすればいいか聞いてきてるニャー」
「そうですか。如何されますか?これ以上は何か出来るとは思いませんが」
「下手に動かれても困る。向こうも深手を負っているならすぐには動けぬだろう。取り敢えず静観だな。何か動きが分かれば知らせろと伝えろ」
王子がそう言うとファルドが紙に書き込んでいく。王はこの一件は王子に任せるとの事だから、報告だけで済ませている。といっても乗り込んで来た際には王も動く事になるんだけどな。淡々と命のやり取りが行われてると思うと怖い話だけどな。
「しかしよく出来たよなー。あの子にそんな度胸あるとは思えねぇけど」
「覚悟を決めた人間を侮ってはいけませんよ恭平様」
「俺には出来ねぇけどな。どんな理由があっても姉ちゃんを殺すなんてさ」
「それは恵まれた環境で育っているからだろう」
「はぁ、この世界は恐ろしいね。まったく」
ソファーの背もたれにもたれ掛かって天井を見上げた。俺も仕事で金稼げれば助けてあげられる人も沢山いんのかな。白銀の一族は特殊だからアレだけどさ、貧しい人達に何かしてあげられるのにな。町に居た時は貧困に苦しむ人達も大勢居たしな。生きる為に物を盗む。やりたくないけど、仕方なくだ。そう考えたらあの子も生きるために、願いを叶える為に姉を刺したんだとすんなり納得出来た。
「仕方ない…か」
「何が?」
「っ、姉ちゃん!?」
「皆集まって何してるの?リールさんもいるし」
「おいどうやって入った」
「神子の力で鍵ぐらい簡単に開くよ?」
恭平が部屋に居なかったので、また何か皆で隠してるんだろうとリハルト様の部屋に乗り込んだ。鍵ぐらいチョロイチョロイ。粒子をちらつかせた私に、リハルト様が溜め息を吐いた。
「ねぇ何か隠してるでしょ!私にも話してよ!」
「お前は知らなくていいのだ」
「どうして?良くない事だから?」
「そうだ」
「それでも私は知りたいの。私の周りで何が起きているのかを」
良くない事だから言わないのは優しさじゃない。面倒事を避けてるだけだ。まるで私に言っても無駄だと言われてるようで悲しい。悪い事をしてるなら反対するよ?だってそれ以外の方法だって探せばあるかも知れないんだから。
「神子に関係ある事だニャ。隠しきれることでもないと思うけどニャン」
「そうだよ!!話してくれないならどんな手を使っても調べるからね!」
「どうしてお前はじっとしててくれないのか…」
「姉ちゃんが大人しくしてた事あるかよ」
「…ないな」
観念したようにリハルト様が再び溜め息を吐いた。幸せ逃げちゃうからあんまり溜め息吐いちゃ駄目だからね?
「ファルド説明してやれ」
「分かりました」
ファルドから説明された内容は、想像してたよりもずっと深刻だった。命の取引をしているなんて夢にも思わなかった。だってリハルト様がそんな風に冷酷になれるなんて知らなかったから。
「それはあんまりだよ!何も呪いを掛ける事ないじゃない!」
「仕方ないだろう。こちらの情報を洩らされればその分だけ紗良の身が危うくなるのだ。これは強制ではなく取引で向こうが受けた。それだけの話だ」
「っなんでそんな風に割り切れるの!?命だよ?死んだら終りなんだよ!!」
「だからだろう。紗良が死んだら困るのだ。お前を守る為ならどんな手段だって使うさ」
そんなの嬉しくなんてないのに!他の人を犠牲にしてまで生きたいとは思わないよ。そんな風に生きていくなんて嫌だよ。知らない所でリハルト様に罪を背負ってまで守って欲しくないのに…。
「落ち着けよ姉ちゃん。今じゃ姉ちゃんは神子で一般人じゃないんだ。そんぐらい分かれよ」
「分かってるわよ!分かってても納得出来ないの!人の命の上に立つ事なんて出来ないよ!!」
「なら姉ちゃんが死ぬのかよ。そいつらの為に」
「その方が何倍もマシだわ!」
人が傷付くなら自分が傷付いた方がいい。人が死ぬぐらいなら自分が死んだ方がいい。そう言えば恭平に頬を叩かれた。思ってもみない出来事に唖然としてしまう。
「自分の命を大事に出来ない奴が人を救えるかよ!そんなに死にたきゃさっさと死ね!」
「なっ…」
「恭平、言い過ぎだ」
「王子も言ってやれよ!綺麗事だけで国は動かせねぇって。色んな責任負って生きてんだって!神子として生きてんならいい加減自覚しろってな!!」
そう吐き捨てて恭平はリハルト様の部屋を出て行った。なんで恭平にそんな事言われなきゃいけないの?私がどう動こうと私の勝手じゃない。私がそれで傷付こうと私の責任じゃない。皆の所為にはならないじゃない。
「紗良様。部屋に戻って頬を冷やしましょう。赤くなってます」
「……うん」
静まり返った空気の中、ファルドに促されて自分の部屋に戻った。




