90最後の晩餐
賑やかな大通りから少し離れた路地裏で、外套を身に纏った男女が人目を忍びながら話をしていた。
「兄貴!そっちはどうだった?」
「あちらは無理だ。特に異常は見られない」
「そうか。こっちもだ。くそっ、狙える場所が減ってきたな…」
「そう言えばミルと喧嘩したのか?」
「誰がそんな事…ちっ、翠玉か」
あたしが舌打ちをすれば兄貴にキツイ視線を投げられる。分かってるよ、女が舌打ちすんなって言いたいんだろ。ミルがちゃんとしてるもんだから、あたしにまでそれを求められていい迷惑だ。
「喧嘩って言葉で片付けれたらいいけどな」
「なんだ、そんなに酷いことを言ったのか」
「言った。あたしを嫌いになればいいって思ってさ。そしたらいつか死んだ時にミルが泣かないだろ」
失敗したけどあたしは神子に呪いを掛けたからな。神子の周りの人間が一人でも居なくなればいいと思って。あの時は正気を失ってたと自分でも思う。確かにリーファンが死んだのは神子の所為だ。だからといって呪いを掛ける為に人を殺してしまうとは自分でも驚きだった。
「どうする?また衝動に駆られて今度は兄貴をも殺すかもよ」
「アルに負ける程弱くはない」
「はは、そうだな。兄貴の剣には勝てた事ねぇな」
そうだ、あれは衝動に駆られたんだ。そしてそれはあの森に行った後にいつもくるんだ。殺してやる、誰でもいいから殺すって感情に支配される。あたしの体なのに自由が利かなくなる。そこで気付いたんだ。あたしの体が呪いに、瘴気に蝕まれてる事を。
だからいつか神子に殺されるつもりでいる。何を理由にしてもこの罪からは逃れられないから。そんなあたしを心配した兄貴がこうやって着いてくるんだよな。全く過保護なんだよな、兄貴って。
「ミルは今頃泣いてるだろうな」
「心配なら早く帰れよ。いつもはミルにベッタリな癖に、こういう時だけあたしに着いてくんなよな」
「こういう時だからだ。家には父さんがいるから大丈夫だ」
兄貴はミルに激甘で同じ双子なのにいつもミルにだけエコ贔屓が凄い。その所為でミルに好意を持ってる奴が簡単には近寄れなくて見てて哀れだった。あのほんわかしたミルに悪い虫が付かなくてなによりなんだけどな。いや、一人だけ居たなミルと仲良くなってた奴が。
「この隙にルーファスに取られるかもな」
「……」
「ミルもまんざらじゃなさそうだし」
「少し様子を見に帰るぞ」
「一人で帰れよ。あたしは守護者を探しに来たんだから」
ミルの命はもうそんなに長くねぇんだから、好きにさせてやれよな。好きな奴と一緒になって死ねたら最高だろう。あたしだってミルが死ぬなんて考えたくねぇし、出来る事ならあたしの命をあげたいさ。でもそれは不可能は話で、何よりあたしの命が入ったらミルが穢れちゃうだろ?だからせめて幸せに生きて欲しいんだ。
「それは駄目だ。アルを一人には出来ない」
「なら諦めろ。ルーファスならいいだろ」
「……。手足の一本で許してやろう」
「はは!全然許してねぇじゃん!!」
ケタケタ笑いながら別の場所を目指す為に翠玉の力を使った。神子のいる場所から遠い方がまだ弱っている守護者は多いからな。といってもあらかた力を奪ったんだけどな。
「見つけたぜぇ」
「悪役のような台詞だな」
「うるせぇ!早いとこ済まして帰るぞ」
「そうだな。ミルが心配だ」
そう言って土地に手を翳して守護者を引っ張り出した。守護者は弱弱しく此方を睨むだけで、あたしの手を振り払う力もないようだった。そんな守護者の髪を有り難く頂いて、足早にその場を立ち去る。最後の力振り絞って攻撃されたら堪らないしな。
「あんま大した力は残ってねぇな」
「見るからに土地も痩せ細っているから仕方ないだろう」
「いっその事、神子でも攫ってくるか?そしたらこんな事しなくて済むしな」
「そう容易く攫える場所でもないだろう」
「そうか?守護者の力を持ってすれば簡単だろ。神子しか扱えないしお優しい神子様ならあたしらに簡単に危害を加えるとは思えねぇけどな」
その言葉に兄貴は渋い顔をした。優しさに付け込むような真似をするなとでも言いたいんだろう。だけどそれであの地から解放されるならそれが一番の近道だから、咎める言葉が言えないんだろうな。
「お前が正気の内に聞いておく。神子をどうするつもりだ?」
「どうするも何もリーファンは神子の所為で死んだんだから、殺してやりたいよ。だけどそれじゃあ意味ないから王子を殺す」
「自分と同じ感情を味合わせる為か?」
「そうだ。でもそれだけじゃない。あたしを殺して貰うためだ」
王子を殺すまではいかなくとも、傷付けるだけでもいい。神子の感情を高ぶらせてあたしを殺してくれれば、傷付ける相手が王子じゃなくてもいい。そんなあたしの言葉が信じられないのか、正気を疑う様な目を兄貴がしてきたので言ってやった。
「近い未来に瘴気があたしを飲み込んで完全な化け物に変わる日が来る。そんなあたしを神子が倒せば、語り継がれるだろ?闇の神子は光の神子に倒されましたってな。あたしらが消えても白銀の一族が存在してた事実は消したくないんだ」
例え咎人で呪われた種族であってもあたし達は存在して生きていたんだから、その証を残したいんだ。怖いのは死んでも誰にも知られず忘れ去られていく事だ。だから悪い奴でもいい。昔話としてでもいいから語り継がれて行くことが、死んでいった先人達の供養にもなるだろう。
「命を紡いで存在してる事には、意味があるんだとあたしは思いたい」
「お前は俺達よりもずっと先を見てるんだな」
「そんなんじゃねぇよ。ただ人は二度死ぬって昔聞いたからな」
「ああ、肉体の死と記憶の死だな」
「それそれ。一度でも勘弁なのに二度も死にたくはねぇよ」
無駄話も終わったし、兄貴もミルが心配で堪らないようだったから一度村に戻る事にした。まぁ、あたしはミルに合せる顔なんてねぇけどな。あたしを嫌いにさせる為とは言え、ボロクソ言っちまったし。でもあながち嘘でもないけどな、本音も入り混じってたりする。でなきゃあそこまでは言えねぇよ。でもあたしはいつか消えるからさ、それで許してくれよな。
「ただいま父さん」
「アルティナ!エルドラも!…久し振りだな」
三週間振りに家に帰れば父さんが慌てたように出迎えてくれた。
「森は相変わらずだな」
「急激には変わらないさ」
「父さん、ミルは?」
「あ、ああ。休んでるよ」
「もう?」
まだ夕刻なのに部屋で休んでるっていくらなんでも早すぎじゃねぇか?兄貴が心配して部屋に見に行こうとすると、父さんに止められた。なんでも体調が優れないらしく、あまり刺激をしないでくれとの事だった。
「俺が会うと刺激が強いのか?」
「そうじゃない。帰って来た日から塞ぎこんでいてな。アルティナが何か言ったのだろう?」
「は?あたしの所為かよ」
「アル。今からでも遅くない。謝りに行くぞ」
「やだね!兄貴もいい加減ミル離れしろよ!」
あたしを引っ張ってミルの部屋に行こうとするのを全力で拒否した。さっき言った事もう忘れたのかよ!!仲直りしたら突き放した意味がなくなるだろうが!全く、ミルの事となると周りが見えなくなるんだからよ。
ガタッ
「…お父さん、なんの騒ぎ?」
「ミルティナ」
「ミル!」
「…エル兄とアル…」
兄貴の所為で騒がしくなった居間を不審に思ったミルが部屋から出て来た。あたしと兄貴の存在に気付いたミルは無表情に変わった。それは初めて見るミルの顔で、もう前の様には笑ってはくれないんだと胸が痛んだ。あたしが仕向けた事だけど、正直こんな顔されるとキツイな。
「少しやつれたんじゃないか?きちんと食事とっているか?」
兄貴がミルに近づいて心配して言葉を掛ければ、ミルはフイッと兄貴から顔を逸らして少し離れた。その仕草に兄貴が固まったのが分かった。おいおい、兄貴死んじゃうから止めてくれよな。
「大丈夫だから」
「ミルティナ、体は平気かい?」
「うん。少し寝たら良くなったよ」
「そうか、それは良かった」
固まる兄貴をよそに、父さんとは普通に会話をするミル。そもそもなんで体調が悪化してんだ?森には行くなと言った筈だし、父さんには見張っとけって言った筈だけどな。
「まさか、まだ森に行ってるのか?」
「……。アルには関係ないでしょ」
「は?あたしはミルの為に!!」
「私の為に何?そんなに私が邪魔?そんなに人から必要とされたいの?」
「何言ってんだよ。意味分かんねぇし」
あたしに冷めた目を向けるミルには、以前の面影はなかった。あの言葉で傷ついたからってここまで変わるか?もしかしたらあたしと同じように瘴気に蝕まれだしているんじゃ…。くそ、どうしたらいい?ミルをあたしの二の舞にはさせられないし。
「兄貴!出かけるぞ!!」
「今帰って来た所だ」
「いいんだよ!!時間がねぇんだ!」
「待ちなさい二人とも。ご飯でも食べて行きなさい」
「ほら父さんもこう言ってる。少し休憩するぞ」
焦る私を父さんと兄貴が止める。一秒でも惜しいのに何を暢気な事を言ってんだよ!このままじゃミルがミルじゃなくなっちゃうだろうが!!だから今すぐ飛んで神子を連れてくんだよ!
「はいお茶。勿体無いから飲んでね」
「…は?」
「ほらアル座れ。ミルがお茶淹れてくれたから飲むぞ」
急に机に置かれたミルからのお茶に兄貴が嬉しそうな顔をしたので(他の人間がみたら無表情だけど、少しだけ頬が緩んだ)、仕方なく椅子に座った。どんな気の変わりようだ?ただ普通に怒ってるだけなのか?…くそ、全然分かんねえ。
「そうだ。これミルにお土産」
「…ミルに?」
兄貴が鞄から出した小さな包みにミルが驚いた顔をしてそれを受け取る。その中には小さな白い花のピアスが入っていて、あたしとお揃いだったりする。兄貴があたしとミルにって買ってくれたんだ。でもミルに言うと付けてくれなくなりそうだから黙っておく。
「可愛い…」
「こういうの好きだろう」
「うん、ありがとうエル兄」
そう言って笑顔なのに涙をポロポロと零すミルに、オロオロする兄貴と父さん。全然笑える雰囲気じゃないのは承知してるが、その様子がなんだか可笑しくて我慢出来ずに笑ってしまった。
「ぶっ!ははは!!大の大人がオロオロすんなよな」
「ミルが泣いてるんだ。仕方ないだろう」
「ミルティナ、何処か痛いのかい?」
「ううん、大丈夫。嬉しかっただけ」
「そうか。良かった」
ミルはそのピアスを耳に通して嬉しそうに笑った。さっきまでのミルが別人のようだな。家族皆が集まるのが好きな奴だから、拗ねてただけかもな。あたしの早とちりだったかも。
「久し振りに家族が揃った事だし、今日は豪勢にしようか」
「ミルも手伝うよ」
「ミルは体調が悪いのだから座っていろ。俺が手伝うよ父さん」
兄貴と父さんが晩飯を作ってる間、ミルと二人でテーブルに座ってるから正直言って気まずい。ミルはあたしと目を合わせようとはせずに、本を読みだしていた。あれ?あの本って確か昔ミルが好きだった本だよな。懐かしいな。
「好きだなその本」
「………」
「(無視かよ)あー…ソリテュートとかいう嫌われ者のウサギの話だろ。それのどこが面白いんだよ。馬鹿みたいに食われて死ぬだけだろ」
バン!!!
「ぬおっ!!」
あたしの言葉に怒ったのか、ミルが机を思いっきり叩いて立ち上がった。顔が下を向いているから表情は分かんねぇけど、体が怒りで震えてるのは分かった。やっぱりミルの様子は変だ。いつもなら「そんな事ないよ。アルってば、ソリテュートの事全然分かってないんだからぁ」とか拗ねるだけなのに。
「ミルティナ?もうすぐ夕飯が出来るよ」
「…すぐ戻る」
ミルはそう言って本を持って外に出て行った。何だよ、前みたいに思ってる事全部言えよな。隠し事はナシだって約束したじゃねーか。…でもあたしが先に破ったんだから、人の事言えねぇけどな。
「アル。ミルにまた何か言ったのか」
「別に。ミルの読んでる本に茶々いれただけだ」
「全くお前は…。ミルを連れ戻してくる」
「頼むよエルドラ」
兄貴もミルを追って行ってしまったので、あたしが父さんの手伝いをさせられる羽目になった。と言っても、出来た料理を器に盛り付けた物を机に持っていくだけだけどな。
「どこでお前達は道を違えてしまったんだろうな」
「は?なんの話だよ」
「出来ればこのまま静かに暮らして行きたかったよ」
「はん、それじゃあ何にも変わんねぇだろ。こんな人が生きられない呪われた土地で一生を終るなんてやなこった。あたしは青空の下で死にたいね」
何もしないで、変化を望まず生きて行く事も悪いとは思わねぇ。でもそれじゃあ死んでるのと変わんねぇよ。生きてると実感を得るために人はもがくんだろ。あたしは人形のようには生きたくなんかねぇ。生きた痕跡を残して死んでやるんだ。
「死んでもあたしはこんな場所には眠らねぇからな」
「母さんがいるのにか?」
「ヤダね。呪いの地の養分になんかなりたくねぇよ」
「そうか。母さんが聞いたら悲しむな」
「死者は語らねえよ。死んだら魂が抜けて残るのは母さんの姿をした抜け殻だ。だからあそこには母さんなんかいねぇんだよ。母さんこそ陽の下が一番似合うだろうが」
あたし達一族は皆この地に眠るんだ。外の地で眠る事も許されない。生きてても死んでても変わらねぇんだ。幼いまま外の世界を見ることなく死んでいった子供だって沢山いる。外部の血を取り入れてこれなかったから、体の弱い奴だってよく産まれた。だからこそ、もう終わりにしなきゃいけねぇんだよ。白銀の神子はあたし達で終わりにするんだ。子供にこんな重荷を背負わせらんねぇからな。
「母さんはどんな思いであたし達を産んだんだ?」
「…母さんはお前達の幸せを願っていたよ。お前達を産んだ時、どんな場所でどんな役目を背負っていたとしても、幸せを掴める子達だと言っていた」
「幸せねぇ…。あたしもミルも程遠いけどな」
「今からでも遅くはないさ。人は何度だってやりなおせるんだ」
そうは言っても罪が消える訳でもないし、この森から解放もされない。正直綺麗事過ぎて心に響かないね。やりなおせるのは相手が許した時だけだ。それにやり直すつもりも、許しを請うつもりもない。
ガチャ
「ミルを連れて来た。夕食にしよう」
「ありがとなエルドラ。さぁミルティナ、席に着いて」
兄貴がミルを座らせて久しぶりの家族揃っての夕食を食べた。懐かしくて温かいこの光景を心に焼き付けた。二度々こうして皆でテーブルを囲う事が来ない気がしたから。きっとこれが最後だと頭の片隅で思った。
「あー食った食った」
「さて片付けようかね」
「お父さん、ミルがやるよ」
「いいよ。ミルティナは休んでなさい」
父さんにそう言われたミルは辛そうに椅子に座りなおした。相当悪くなってんな…。瘴気に削られた命は神子の力を持ってしても救えねぇのか?普通に考えたら無理だろうが、神子の力は未知数だ。可能性はある。
「あたし神子をここに連れてくるよ」
「何言っているんだ。無理に決まっているだろう。アルティナ、これ以上罪を重ねないでくれ」
「そうだよ。馬鹿な事言わないで」
あたしの言葉に父さんとミルが怪訝そうな顔をした。兄貴は一度その話を聞いているからか、何も言わずに難しい顔で何かを考えていた。
「上手く行けばこの地の浄化とミルの命も戻るかも知れねぇだろ」
「無理矢理いう事聞かせようって言うの?」
「そうだ」
「馬鹿言わないで!そんな身勝手な事許される訳ないでしょ!!」
「罰は受けるつもりだ。逃げる気もねぇ」
「何言って…」
怒るミルにあたしは思っていた事を伝えた。大好きな神子様に大嫌いなあたしが殺されてやるよと言えば、複雑そうな顔で父さんと顔を見合わせていた。
「アルは何か勘違いをしてる」
「は?何がだよ」
「ミルは別にアルの事嫌いになってないよ」
「こないだの事忘れたのかよ?それに今日だってずっと不機嫌じゃねぇか」
「…思う様に動かない体にイライラしてただけ。こないだの事は忘れてないよ?でもね、アルもエル兄も大事な家族だから嫌いになんてなれないんだよ」
そう言って少し痩せて細くなった手をあたしの顔に当ててぎこちなくミルが笑った。言われた言葉とミルの細くなった手に、枯れたと思っていた涙が出た。苦しくて、切なくて、どうしようもなくて。あたしはただミルを守りたかっただけなのに、どこで道を間違えてしまったんだろうか。
「アルはいつも一人で全部抱え込もうとするよね。頼ってよ家族なんだもん。アルの罪を一緒に背負う事だって出来るんだから」
「っ、これはあたしの罪だ。ミルを巻き込むつもりはねぇよ!」
涙をグイッと拭ってミルにそう言えば、悲しそうに微笑んだ。死ぬのはあたし一人でいいんだ。優しいあんたが巻き込まれる必要はないんだ。悪い奴はあたしだけでいいんだよ、ミル。
長くなるので分けます。




