71溶ける氷
「こちらです」
「…うぅ、寒…」
パサ
「え、あ、ありがとう…」
着いた場所は町が丸々氷に覆われていた。地面も家も植物も凍っていて、もうすぐ夏だというのに真冬並みの寒さだった。寒さに震える体を抱き締めていると羽織が掛けられた。それはリハルトさんが着ていた上着で、顏を向けると逸らされてしまった。私が怖がるからだろう。優しい人なのかな?
「紗良様、リハルト様。防寒着をどうぞ」
「用意がいいな」
「あ、あの、これ返します…」
「ありがとう」
暖かいコートをファルドさんが持って来てくれたので、リハルトさんの上着を返したらお礼を言われしまった。震える手を後ろに隠して、下を見ながらコクリと頷いた。お礼を言われる事なんて一切してないんだけどね。
「紗良様、あの開けた場所でやりましょう」
「うん」
恭平さんの提案で広場に移動した。寒さの所為か人は居らず力を使うのに丁度いいらしい。皆から少し離れた場所で地面にしゃがみ、凍った地面に手を置いたら冷た過ぎて痛くなったので、人差し指でチョンと触れるだけにした。
「口に出して言えばいいの?」
「あぁ。昨日もそうやってた」
「そっか。氷よ溶けろ」
言葉に出せばキラキラと金色の粒子が辺りに漂い出した。なんか額の方から出てる気がする。…それにしてもいつ迄やればいいのかな。力が抜けてく感じがあるんだけど大丈夫なの?
「……あ…」
「ん?」
グラッ
「姉ちゃん!!」
倒れる体を恭平さんが支えてくれた。何だろう?頭がボーっとする。それに、体に力が入らない。寒い…もの凄く寒い。氷に覆われてるから当然なんだけど、それだけじゃない。何これ?風邪かな?
「恭平!これを紗良に!!」
「あぁ、姉ちゃん!!これから力を吸え!」
「…うん…」
走ってきたリハルトさんから恭平さんが箱を受け取り、その中から金色の薔薇が出てきた。吸うが良く分からなくて花びらを咥えてもしゃもしゃした。
「何食ってんだよ!ボケはいらねぇから吸えよ!」
ボケてないんだけど。空気を吸うように吸えばいいのかな?香りを嗅ぐ様にして吸えば、薔薇から力が入ってきた。血の気の引いた手に赤味が戻る。力が戻ったお陰で寒さも和らいだ。
「楽になった…」
「良かった。やはり力があまり戻っていなかったのだな。気付かなくてすまない」
「ひぃ!」
「………」
油断してる時にリハルトさんに話し掛けられたので、悲鳴が出てしまう。ガタガタと体が震えるのを抑えようとするも、自分の意思じゃどうにもならなかった。心配してくれてる人に失礼な態度だよね…。
「姉ちゃん立てるか?」
「うん。でもまって、まだ途中だから」
「今日はもういい。体調を整えてから出直そう」
戻るように言ってくれるリハルトさんの言葉に、首を横に振って再び祈りを捧げた。中途半端はなんか気持ち悪いもん。すると今度は倒れる事もなく、粒子が消える頃にはバシャンと氷が水に変わり寒さが消えた。
「出来た。これでいいんだよね?」
「あぁ。やっぱ姉ちゃんの力は凄いな」
「…姉ちゃんって呼ばれるの違和感がある」
「姉ちゃんは姉ちゃんなんだよ」
今は従者の振りをしなくていいのか聞けば、離れてるからいいのだとか。このメンツならこれでいいらしい。見知らぬ人から姉ちゃんって呼ばれるのはムズムズするな。
「守護者を探しに行かねぇと」
「何処にいるの?」
「いつも紗良様が見つけてますので、我々には分かり兼ねます。声などは聞こえませんか?小さな声だそうです」
「声?………声…」
町中で氷が溶けた事による歓声なら聞こえるけれど。小さな声か…。目を閉じて集中してみると、微かに声のようなものが聞こえた。
「声の場所を教えて」
私の声に反応して粒子が南の方へと飛んでいく。それを追って走ると、恭平さんが慌てて追いかけてくる。リハルトさんとファルドさんには待っててと声を掛けた。
「ハァハァ、ここだわ」
「洞窟か…?」
「行こう」
「何かいたらどうすんだよ!」
「何かって守護者じゃないの?」
暗い洞窟に足を踏み入れる。奥に進めば進む程暗くなって行く。ここら辺でいいだろうかと、後ろを振り返ると恭平さんの姿が見えなかった。途中手探りで来た所為だろうか?無意識の内に進んでしまったのは失敗だったかな。
「恭平さーん?」
自分の声が響くだけで返事はない。どうしよう帰り道も分からないや。守護者は何処にいるのだろうか?声は聞こえなくなってしまったから、分からない。
「汚したら怒られちゃうかな?」
疲れたので洞窟の中で腰を下ろした。どこかで水が落ちる音がする。暗闇の中に響く水音が心地よい。私が誰だろうが、記憶がなくなろうが、関係ないと思えるこの空間が落ち着く。
ピチョン
「ーーーっ」
不意に何かの映像が頭に浮かんだ。この水音で忘れていた記憶が甦る。誰かが歩いていて、その度にこの水音の様な音がするんだ。だけどそれは水ではなくて真っ赤に染まった血だった。
「なに?今の……」
浮かんだのはその一瞬だけで何の映像なのかも、誰がいるのかも分からなかった。だけど体は恐怖に震えている。リハルトさんに感じる恐怖に近いものが込み上げてくる。先程まで感じていた心地よさが嘘のように無くなり、この暗闇が今は恐ろしい。
「はっ、はっ、誰か…助けてっ」
『紗良!大丈夫かい!?落ち着いて、ゆっくり息をするんだ』
『急にどうしたんだ?』
『過呼吸だよ。伝わってくるだろ?紗良の恐怖が。きっと何かを思い出したんだ』
急に息が苦しくなり、悶えていると蒼玉が呼吸の指示をしてくれた。それに合わせて呼吸をすれば段々と落ち着いてきて、楽になってきた。死ぬかと思った。
「はぁ、ありがとう…」
『取り敢えずここを出よう。気配はあっちの方からしてる』
「うん。でも暗くて見えないの」
ボッ
『コレでいいだろ』
紅玉の手の平に火が出ると一気に明るくなった。凄い!便利な力ね!と騒いでいると、もう片方の手で紅玉に頭を撫でられた。
「子供じゃないんだけど。と言っても幾つか覚えてないけど…」
『子供じゃないのは知っている』
「でも頭を撫でられるの、懐かしい気がする」
『紗良はよく色んな人に頭を撫でられてたからね』
「子供扱いされてたの?」
『んー?どうだろうね。撫でたくなるんだよ』
それはやはり子供扱いじゃないのだろうか。その中にリハルトさんも入っていたのかな?…なんて、如何でもいいよね。あの人を怖いのは紛れも無い事実なのだから。
『ここだ。紗良、ここで守護者を呼び出すんだ』
「うん」
祈りの力を使えば、目の前には綺麗な人が現れた。守護者は皆美形なんだろうか?そしてその守護者に力を与えると暫くはこの地は安泰なんだって。
「よし、これで大丈夫?真珠」
『助かりました。あ、神子。その呪いはどちらで?』
「呪い?」
『はい、強力な呪詛ですよ。解かないのですか?』
白く長い髪が真珠の首の動きに合わせて揺れる。まるで私があえて呪いを放置してるかの言い分だわ。記憶が無くなったのは呪いの所為って事?
『これ呪いなのか?記憶を無くしているだけだが』
『神子の守護者なのに分からないのですか?やがて誰かを死に至らせる呪詛ですよ』
『分からないから聞いているのだが?』
『ふぅ、やはり玉付きは無能ですね』
『なんだと!?』
「ね、ねぇ!それってどうやって解くの?」
何だか雲行きが怪しくなってきたので、無理矢理間に割って入った。蒼玉は見ているだけで止めてくれなかったので。
『呪術師なら呪詛をかける事も、解く事も出来ますよ』
「呪術師?この世界にそんな職業の人がいるのね。ありがとう真珠。ローズレイアに戻ったら探してもらうね」
『今すぐのがいいですよ。時間か経てば経つ程に呪いが進行していきますから』
真珠が凄いのか、紅玉達が駄目なのかは分からないけど、真珠には全て分かっているみたい。守護者により能力の違いがあるのかもね。
「分かった。伝えてみるね」
『神子様。もう少し御自愛なさって下さいね』
「え?どういう…」
『これは記憶をなくす前の神子様に贈る言葉です』
『君は過去が分かるの?』
『さぁどうでしょうか。またお会い出来る日を楽しみにしております。では』
そう言い残して真珠消えてしまった。御自愛なさってか…。記憶をなくす前の私は無茶ばかりしていたのかな?
『自由な奴だな』
『でも問題はその呪いを誰にいつかけられたかだね』
「記憶を無くす前に私は誰と何をしてたかで分かるかも。あ、ねぇ!恭平さん探さなきゃ」
『面倒だな』
『戻る途中にいるといいね』
蒼玉の案内を頼りに進んで無事に洞窟の出口まで来た。恭平さんは見つけられなかったので、先に出たと信じたい。他の人に見られるとマズイらしく、守護者は消えたので一人でそのまま洞窟から出る。
「眩しー」
「紗良!!」
ビクッ
「!?」
「無事で良かった」
太陽の眩しさに目を細めてると、リハルトさんが私に気付いて走ってきて、強く抱き締められた。突然の事に体が恐怖で固まりジワリと目に涙が溜まる。硬直したままでいると、リハルトさんが気付いて解放してくれた。ジェンシャン国の人がいるので叫ぶのを我慢した私を褒めて欲しい。
「すまない。怪我はないか?」
「…っ、だ、大丈夫」
「そうか、良かった。恭平だけ先に戻って来たから心配してたのだ」
安心した。私の所為で今もまだ洞窟内だったら困るもんね。恭平さんも近寄って来て怒られた。私が無言で暗闇の中ドンドン先に進んで行ってしまったらしい。あんま記憶にないんだよねー。適当に謝って宮殿に戻った。
「お疲れ様でした。無事に出来たみたいですね」
「うん!楽勝」
「一度倒れたがな」
「えぇ!?大丈夫でしたか?」
「……それ言う必要ない」
マリーの背中に隠れながらボソッと小さく反論すると、噴き出した笑いが聴こえた。マリーの肩からチラリと覗き見るとリハルトさんから笑っていた。あ、あの笑顔なら怖くないかも。
「まぁ!紗良様がリハルト様を見て笑ってますわ」
「紗良」
「ひっ!」
「「「「………」」」」
笑顔はいいけど、近寄るのは勘弁して欲しい。ほら、手が震えてる。自分を落ち着かせる様に両腕を抱いた。呪いが解ければこの恐怖からも解放されるのだろうか?
「そう言えば守護者が呪いがかけられてるって言ってたんだけど」
「呪いですか?紗良様に?」
「うん。記憶が無いのもその所為みたい。呪術師なら解けるって言ってたよ」
「呪い…。ファルド、少しいいか?」
難しい顔をしたリハルトさんがファルドさんを呼んで、二人で話をし始めた。その間恭平さんが大丈夫なのか!?とか、誰が姉ちゃんに!?とか騒いでいた。
「煩いよ恭平さん」
「恭平さんとかキモッ!!恭平でいいって。姉ちゃんにさん付けされるとか鳥肌立つ!」
「そんな事言われても困るし」
「とにかく恭平でいいから!」
なんて我儘な男なんだろうか。仕方ないので呼び捨てにしてあげた。呼び方なんて呼ぶ人の自由だろうに…。
「恭平。少しいいか?」
「あぁ、何だよ」
「紗良様、お茶をどうぞ」
「ありがとうマリーさん」
皆そうなんだけどさ、名前にさん付けで呼ぶと少し悲しそうな顔するんだよね。だから少しだけ罪悪感があるんだ。私はこの人達をなんと呼んでいたのかな?
「マリー」
「えっ!?紗良様、もしかして記憶が…?」
「ううん、きっとそう呼んでたのかなって」
そう言えば凄く嬉しそうにマリーさんが笑った。あぁこの人、記憶を無くす前の私の事を好きでいてくれたんだなって、胸がじんわりと暖かくなった。
「他の人もそうなのかな?」
「え?」
「ファルドとリハルトって呼んでた?」
「ふふ、ファルド様は呼び捨てにされてましたけれど、リハルト様はリハルト様とお呼びしてましたよ」
リハルト様か…。やっぱり王子様だから様付けなのかな?でも恭平はリハルトさんの事を呼び捨てで呼んでたけどな。うーん、分からないな。
「予定を変更して急遽戻る事になった」
「ど、どうして?」
「私が説明を。紗良様の状態が本当に呪いによるものでしたら、一刻も早く解かなくてはなりません。そしてその呪いをかけた人間がこの国の者ならば、ここにいるのは危険です」
「そっか、分かった」
頷いてお茶を飲むんでホッコリした。まぁ誰かを死に至らせる事になるのは避けたいもんね、と言ったら詳しく話せと食い付いてきた。
「詳しくもなにも…。今言った通りだよ?」
「記憶を無くすのが目的ではなく、誰かを死に追いやるのが目的なのか」
「紗良様が見ていた夢が手掛かりかも知れませんね。何か覚えていませんか?」
「夢?んー、そう言えば今日何かの映像が一瞬脳裏に浮かんだけど…」
洞窟で思い出した一瞬の映像を説明した。そして物凄い恐怖を感じた事も伝えた。リハルトさんが怖いと思う気持ちと関係あるかも知れないから。
「それだけじゃ分かりませんね。また何か思い出したら教えて下さい」
「うん」
ファルドさんとリハルトさんはザルド王に帰る事を伝えに出て行った。どう説明するんだろうかと思って恭平を見ると、目を逸らされた。
「…なんで逸らすの?」
「いや、聞かれそうだったから」
「だって話に混ざってたから」
「姉ちゃんは何も知らなくていいんだよ」
ガシガシと頭を掻いてソファーに座った恭平。私が知ったら面倒な事を仕出かすとでも思っているのだろうか?記憶がないのにそんな事をしないよ。だって面倒なんだもん。
ガチャ
「話は済んだ。帰るぞ」
「こちらも準備出来ております」
「今すぐ?」
「あぁそうだ」
リハルトさん達が居ない間に、マリーは私の衣装などを全て片付けていた。使用人達も片付けを済ませているらしい。随分慌ただしい帰宅だな。
「挨拶をしなくていいの?」
「……遠いな…」
「仕方ありませんよリハルト様。挨拶は済ませましたので、そのまま帰ります」
「そっか、分かった」
馬車に乗る為に宮殿の中を歩いていると、小さな女の子が飛び出して来た。沢山いる中の姫の一人だそう。その女の子にファルドさんが鋭い目で見ていた。剣には手がかけられている。
「何用だ」
「神子様、帰られるのですか?」
「えぇ」
「そんな!チサドラの地を癒してくれるって約束したではありませんか!」
チサドラ?聞いたこと無いけどな。この子も初めて見たしと首を傾げていると、ファルドさんが一歩前に出た。
「すみませんがチサドラは依頼に入っておりませんので」
「でも、神子様が!」
チャキ
「…ひっ!!」
「一国の姫が気安く神子様に口を聞けると思いません様に」
剣を女の子の首元に当てるファルドさん。速すぎていつ剣を抜いたのか分からなかった。中々のやり手らしい。それにしても厳しい気がするけどな…。
「行くぞ紗良」
「っ、はい。リハルト様…」
肩を抱かれて先を促すリハルトさん。悲鳴を心の中であげて顔は頑張って澄ましていた。フードがあるからある程度は大丈夫なんだけどね。横目で女の子を見ると悲痛な顔をしていた。御免ね、役に立てなくて。
「チサドラってどこなの?」
「…行かないぞ」
「ひっ、き、聞いただけじゃない」
「泣くな」
馬車に乗り込みリハルトさんに尋ねれば、不機嫌そうに言われた。その顔が怖すぎて、出てくる涙を指で拭われたのを思わず叩いてしまった。
「触らないでっ!!」
「…すまない。軽率だったな。お前に泣かれると弱いのだ…」
「っ、謝らないで!私が、私が悪いの!!忘れてしまったから…」
あぁ、そんな悲しい顔をしないで。そんな顔をさせたいワケじゃないのに。でも体は反射的に反応してリハルトさんを拒絶するんだ。そのまま言葉を交わすことなく、ローズレイアに戻った。
少し忙しくて、更新頻度遅くなって御免なさい。




