70消失
怠い体を無理やり起こすとそこは自分の部屋だった。それも前の世界の。え、戻って来たの!?と飛び起きて辺りを見回す。紛れもなく私の部屋だ。でも何かが可笑しい。何がって音が一切聞こえないのだ。
「あー」
自分の声は聞こえるから耳が聞こえなくなった訳ではなさそう。寝巻から着替えて外に出ると、その謎が分かった。私以外全ての時間が止まっているんだ。鳥も車も人も全て動きを止めて静まり返っている。懐かしい景色なのになんだか怖かった。
「誰かいないのかな…」
歩き回って私と同じように動ける人を探すと、かなり先にキャップを被った人が周りの様子を気にする事なくスタスタと歩いている。走って声を掛ければその人の足が止まり、此方を振り返った。深くキャップを被っている為、顔は見えない。
「何?」
「あの、なんで皆動かないのか分かりますか!?」
「さぁ?」
「さぁって…。何故貴方は動けるの?」
「動けるから動く。それだけだ」
男か女かも分からない中性的な声と話し方。動けるから動く…そうだけど不安にならないのだろうか。こんな世界にいたら気がくるってしまいそうだ。この人の他にもまだいるのだろうか?動ける人が。
「無駄だよ。他にはいない」
「え!?」
「ここはあんたの墓場になるから」
「どういう意味よ…」
じりじりと少しづつ下がりながらその人と間合いを取る。何を言ってんのか意味分からない。墓場ってなによ。私がここで死ぬって事!?冗談じゃない。容易く死んでたまるか!!
パサッ
「!!…なっ…」
目の前の人物がキャップを取ると、長い白銀の髪がサラリと落ちた。白銀の髪と瞳の少女がニヤリと笑う。なんで?どうしてこの世界に白銀の者がいるの?私が世界を超えたように、白銀の者も移動出来るというの!!?
「神子。あんたの大事な物を全て奪ってあげる」
そう言って少女が手を横に翳せば、視界が変わった。人や車が停止している外の世界から、真っ暗な世界へと。見えるのは自分の体と相手の姿だけ。この子が白銀の神子だろうか?
パチン
「ほら、そこにはあんたの弟だ」
「え?ーーーーっ!!!?」
少女が指を鳴らすと、目を開けて口から血を流して倒れている恭平が私の足元に現れた。咄嗟に呼吸と脈を確認するも、動いてなかった…。そう、死んでいた。
「そっちには家族。後ろは友達」
「いや、うそよ…」
「こっちにはあんたと親しい人達」
「やだっ!やめてよ!!」
「あんたの知り合いは一人残らず殺した」
…これは何?お願い誰か嘘だと言って!!!その子が指を鳴らすたびに、血まみれの皆が現れる。既に息絶えた屍の姿で。私の世界の親や友人、そしてあちらの世界のリチェやファルド、ロレアスにルーナスさん達。知っている全員の死体が私を囲んでいた。あまりの惨状に脳が上手く機能しない。誰が誰だか分かるのに、認めたくないと脳が拒絶する。
「あ、あぁ…なんて事をっ!」
「そしてこれがあんたの一番愛しい人」
「っ、リハルト様!!!」
「…………」
「意識はない。私のいう事だけを聞く只の人形だ」
少女の隣に現れたのはぼんやりとした表情のリハルト様だった。呼びかけるも返答はなくただそこに立ち尽くしているだけ。何度も何度も名前を呼んでもピクリとも反応しない。何で?ねぇ、なんでこうなったの!?
「なんで、なんでこんな事するの…?私は貴女に会った事すらないのに!!」
「なんで?そんなの決まってるあんたが憎いからだ!!だからあたしは決めたんだ。あんたの大事なもんを全てぶっ壊してやるってね」
「意味分かんないよ。私は、恨まれる事なんて何もしてない!」
「うるさいうるさい!!喋るな、耳が腐る!!あいつを殺せ!!!ズタズタにしろ!!!!二度と口がきけないようにしろ!!!」
頭を押さえて取り乱す少女の命令でリハルト様が動いた。手にはいつの間にか剣が握られていた。視察に行くときにはいつも腰に付けているあの剣だ。周りの死体を踏みつけながら一歩ずつこちらに近づいて来る。あぁ、皆を殺したのはリハルト様なのね。だって剣に血がこびりついているもの。
ぐしゃ、ぐちょ
「リハルト様!お願い、正気に戻って!!!」
「…………」
「ねぇ、リハルト様!!踏みつけてるのが誰か分かんないの!?」
「…………」
リハルト様が歩く度に血の音が、肉が踏みつぶされる音がする。耳を塞いでも鮮明に聞こえてくるんだ。いや、もうやめて、こんなの誰も幸せにならないのに!!!何度呼んでも私の声は届かない。無表情なリハルト様は私の目の前で立ち止まり、剣を構えた。
「はは、あはははは!!どうだ!?愛する人に剣を向けられる気分は!!!」
「…リハルト様…」
「ふふ、あはは!!それだよ、あたしはあんたのその顔が見たかった!!」
「なんで、なんでこんな事に…」
「あんたの所為で全員死んだんだ。あの世で後悔するといい。やれ」
合図を聞いたリハルト様の腕が上に上がり、そのまま振り落とされた。
「っ、あああ!!!!」
「なんだ外したのか。ふん、いたぶるのもいいだろ。死なない程度にやれ」
「…………」
剣は私の腕に当たり肩から血が出る。今まで感じた事のない激痛に苦しんでいると、今度は足を斬りつけられた。激しく吹き出る血と声にならない痛み。いっそのことさっさと殺してくれたら楽なのに、じわじわと痛め付けられる。生きているのがこんなに辛いなんて思った事なかった。
「…んで、っ、…もう……こ、ろして…」
掠れた声でリハルト様に懇願する。こんな形になってしまったけれどリハルト様を恨んではない。恨むべきは白銀の少女。出来れば私が死ぬ前にリハルト様を死なせてあげたかったな。正気に戻った時にきっと悲しむから。
「もう見飽きたな。とどめをさせ」
その言葉にリハルト様が剣で私の体を貫いた。そして心臓を抉り出される。もう痛みは感じない。薄れゆく視界のなかで、心臓を食らう少女と私の血に塗れたリハルト様を最後に見た。最後まで虚ろな青い瞳は生まれ変わっても忘れられそうにない。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「……ま、…様!!」
「……ん」
「紗良様!!」
「んん、うるさい…」
「もう、魘されてましたよ?大丈夫ですか?」
揺すられて重い瞼を開くと、メイド服を着た女性が私の目の前にいた。起きた私に安心したのか笑顔で話掛けてくる。
「………」
「どうされたのですか?何をそんなに驚いた顔をされてるのです?」
「…あの、誰ですか?」
「はい?紗良様、今度は何の遊びですか?」
「なんで私の名前を知っているの?」
「「………」」
遊びって何?本当に私は目の前の女性を知らない。親しそうに名前を呼ばれても、私はこの人の名前すら知らない。慌てた女性は部屋を飛び出して行った。なんだろう。それにここ何処だろうか。随分と立派な部屋だけど見覚えがない。ぼんやりとしながら考えていると、先程の女性と三人の男性が入って来た。
「紗良。俺が誰だか分かるか?」
「…っ!!いや、こないで!!」
「なっ!俺だ、リハルトだ!!」
「やだっ!!来ないでっ!!!」
金髪の男性が私に話しかけると体が震えだした。怖い、この人がとてつもなく怖い。なんでか分からないけど、本当に恐ろしいのだ。リハルトなんて人知らない!とにかく私に近寄らないで欲しかった。声を聴くだけで震えが止まらなくて、布団に潜り込んで丸まった。
「な、なんなんだよ。姉ちゃんどうしたんだよ…」
「リハルト様も分からないどころか、とても怯えてましたね」
「一体どうなっているのだ」
「分かりません。とても魘されていたので起こしたのですが、その時にはもう記憶がなかったみたいです」
紗良は俺を見て酷く取り乱していた。その目に映るのは「恐怖」の二文字。俺が何をしたと言うのだ。それほどまでに恐ろしい夢を見たというのか?にしても他国でこの様な状態になるとは参ったな。
「紗良様、大丈夫ですよ。何も怖い事はありません。お話を聞かせて下さい」
「いや、怖いっ、あの人が怖い!!」
「怖くありませんよ。何故ならお二人は恋人同士だったんですから」
「っ嘘だ、私知らないもん、貴女も、誰も!!」
「おい、姉ちゃん俺まで忘れたのか!?恭平だ!弟の!」
「知らない、何にも分かんないよ…。ほっといて」
マリーが優しく話しかけるも怯えたままの紗良は布団から出てこない。にしてもこれ精神的なダメージがもの凄くデカイな。弟の恭平の存在まで忘れてるとなると、紗良は何をどこまで覚えているのだ?
「紗良、お前はなんなら分かるんだ?」
「ひっ、こ、こわいぃぃ…」
駄目だ俺では全く持って話にならん。声だけでも駄目な様だ。仕方ないのでマリーにそのまま話を聞き出してもらう事にした。取り敢えず現状の把握をせねばならんからな。
「紗良様。私は貴女にお仕えしてるマリーと申します。一年ほどご一緒させて頂いてますので、紗良様の事を知っているのですよ。紗良様は何処まで覚えてますか?」
「マリー…?…覚えてるも何も、私は紗良って名前しか分かんない…」
「お名前だけですか?どこから来たとか、家族構成とかは分かりませんか?」
「…分かんない」
「そうですか。では紗良様のこちらでのお話をさせて頂きたいので、顔を見せては頂けませんか?」
マリーのいう事にすんなりと応じて布団から顔を出す紗良。しかし、目があった瞬間に泣かれてしまった。だから俺が何をしたというのだ。泣きたいのはこっちなのだが?このままでは話が進まないので、布を被ることにした。俺の顔が見えなければいいのだろう。マリーが一通り話を終えると、思い出せないものの状況は理解したようだった。
「私が神子様…。貴方が弟で今は従者。あの人が王子で、あの人がその従者?」
「そうです。流石紗良様ですわ!」
大袈裟な褒め方だと思うが、嬉しそうに紗良が顔を緩めた。感情は普通にある様だ。無いのは記憶だけか。それが一番厄介なんだがな。力の使い方も忘れてしまっているから、それも教えなければならない。かといっていま守護者に会わせていいものか。余計に混乱させるだけなのではないだろうか。
「では紗良様。この紅茶にお酒に変われとお願いして頂けますか?」
「お願いすれば、変わるの?」
「はい。いつもそうやって力を使われていました」
「分かった。やってみる」
紅茶を持って「お酒に変われ、変われ」と呟いている紗良が可愛くてクスリと笑えば、怯えられた。笑っても話しても顔を見せても駄目とはどんな拷問だろうか。記憶を思い出すまで俺は紗良に触れるどころか、話しも出来ないではないか。
「わ、キラキラした」
「では飲んでみますね。…えぇ、お酒に変わっています」
「ホント?」
「飲んでみますか?ですが紗良様はお酒が得意ではありませんので、少しだけですよ」
「うん」
少し飲んだ紗良は顔を歪めた。どうやら美味しくなかったようだ。なんだか最初の頃を思い出すな。懐かしい。せめて普通に会話が出来ればやり直すことだって出来るのだがな。全て記憶を取り戻せばその必要もないのだが。
「大体分かった。仕事出来るよ」
「えらく呑み込みが早いな」
「ひっ…」
「………」
「紗良様。リハルト様とは常に行動しておりますので、せめてお顔だけでも見慣れて頂きたいのですが」
ファルドのその言葉に全力で横に首を振る紗良。だけど何度も説得を重ねた結果、渋々ながら了承を得た。記憶をなくした事を他国に知られてはマズイからな。いつも通りに振舞って貰わねばならん。
「…っ、うぅ」
「怖くありませんわ。大丈夫です。優しい方ですよ」
「あの顔の何処が怖いんだよ」
「リハルト様。笑っていただけますか?」
「あぁ。紗良」
にこやかな笑顔を作れば、少したじろぐものの、泣き出す事は無くなった。無表情が駄目なのか?
「わ、笑ってたら何とか大丈夫かも…」
「ならこれでいよう。疲れるがな」
「っ、」
声は駄目か…。仕方あるまい、これも紗良の為だ。それに記憶が戻るまでの辛抱だ。溜め息を吐いた俺を恭平が哀れそうな目で見ている。やめろ、そんな目で見るな。
「王子、ドンマイ」
「五月蝿い」
「それにしてもどうやったら記憶戻るんだよ…。あ、俺の力で治るかも!」
「…やってみよう」
恭平が紗良の頭に手を載せて祈る。粒子が紗良の中に吸い込まれていったが、効果はない様だった。病の類ではないらしい。では何なのだろうか。あの薬師に一度使者を向かわせるか。後でファルドに指示を出しておこう。
「駄目か…」
「貴方も力を使えるの?」
「貴方じゃなくて恭平だよ、姉ちゃん。聖杯って言うらしい。傷や病を治せるんだけど、記憶までは無理みてぇだな」
「別に戻らなくて構わないよ。私は困らないし」
「周りが困るんだよ!そういうとこは記憶失くしても変わんねぇんだな」
呆れる恭平に首を傾げる紗良。確かに恭平の言う通り、根本は変わらないのだな。こうして見ていると記憶がないなど未だに信じられないぐらいだ。
「紗良様、お休みになって力は戻りましたか?」
「…ん?言ってる意味が分かんない」
「そうですか。では紅玉様と蒼玉様を呼んで頂けますか?」
「誰それ」
そんな人達知りませんといったキョトン顏をしている紗良。まぁそうだろうなと思っていると、話を聞いていたのか、紅玉と蒼玉が自ら姿を現した。それに驚いた紗良はマリーに抱き着いている。
『僕達は自分の意思で出てこれるからいいけど、忘れられるのは悲しいね』
『そうだな』
「わ、なんか出て来た!」
「紗良様を守る守護者ですよ。各地が荒れているのはその地に住まう守護者の力が減ったからです。先程説明したように、そこに力を与えるのが紗良様のお仕事ですよ」
二人を興味深そうに色んな角度から見ている紗良。蒼玉の顏を思案顔で見ていたが、何かに思い当たったのか此方を見た。目が合ったらすぐに逸らされたがな。
「顔が似てるのね」
『色々あってね。僕は蒼玉であっちが紅玉だよ。僕も怖いかい?』
「ううん。色が違うから大丈夫」
『色?あぁ髪の色のことね』
つまり俺が駄目って事だろう。ルドルフの姿なら怯えていただろうに。青銀の髪と瞳になったお陰で免れたな。この時ばかりは羨ましく思う。
「そろそろお時間です。準備をお願いします」
「紗良様、お着替えをしましょう」
「うん」
着替えの為に皆には外に出てもらった。リハルトさんも出ていったのを見てホッとした。悪い人じゃないとは思う。でも、頭の中で警報が鳴るの。まるで命の危険に晒されているような、そんな気分になる。
「では最後にこちらを」
「顏を隠すの?」
「はい。神子様のお顔を容易く見せる事は出来ませんので」
「どうして?」
「紗良様のお顔が美しいのと、神子様はそれ程に尊い存在ですから」
顔が美しい?そういえばまだ鏡を見ていないから、自分がどんな顏をしてるか分からない。まぁ、どんな顔でもいいのだけど。ドレスは黒で上品なデザインだった。準備を済ませて皆と合流して馬車に乗り込む。まさかリハルトさんと二人で乗る羽目になるとは思わなかったけど。フードがあって良かった。顔が見えないから。
「「…………」」
声でも怯える私に気を使ってか、リハルトさんは話し掛けてはこない。なので沈黙がずっと続いて気不味い。だけど怖いので私から話し掛ける事は出来ない。チラリとフードの中からリハルトさんを見ると、目が合ってしまった。
「っ!!」
慌てて顔を背ける。吃驚した…、まさかこちらを見てるなんて思わなかったから。そう言えばマリーさんが恋人同士だったと言ってた気がする。こんなに恐怖を感じる人と恋人?本当に?信じられないけどな。
「すまない、驚かせたか?」
ビクッ
「…あ…、だ、大丈夫…です」
心臓が破裂しそうな勢いで、バクバクと激しく音を立てる。精一杯の返事を返すも、全然大丈夫そうに聞こえないよね。何かをされたワケじゃないので何とか普通に接したいんだけどな。無理そうだ。
「何もしないから安心してくれ」
「…う、うん」
再び沈黙が流れる。恐る恐るもう一度隣を見れば今度は目は合わなかった。窓から流れる景色を眺めているリハルトさんの表情は晴れない。恋人に怯えられたら当然なのかな。
「(綺麗な髪なんだけどな…)」
横顔を眺めながら思うのは、綺麗な金色の髪だなって。陽に当たるとキラキラと輝いて見える。怖いのに見ていたいと思うのは矛盾しているだろうか。目的地に着くまで眺めていた。
活発と噂の第一王女は席を外してます。暫くは出てきません。




