63ドラゴニス王子
トントン
「どうぞ開いてますよ」
ガチャリ
「……私じゃないとは思わないのです?」
「今晩は。貴女なら必ず来て頂けると思っていましたよ」
私が来たのはカードの差出人のドラゴニス王子にあてがわれている一室。羽織って来た布を取り、部屋の中へと足を踏み入れた。案内されるままソファーに腰を掛ける。ドラゴニス王子の傍に立っている女性が従者の様だ。腰までの長い髪がきっちりと揃えられているあたり、この人も相当細かそうな人だわ。従者って皆そんな感じなのだろうか。
「よければお茶をどうぞ。我が国の物をお持ちしたのですが、神子様のお口に合えばいいのですが」
「有難う御座います。ですが深夜ですので控えさせて頂きますわ」
「そうですか?残念です」
目が覚めたら夜眠れなくなってしまうじゃないか。この世界朝は早いのでそれは遠慮したい。前は夜型人間だったのに随分と健全な生活に馴染んでしまったものね。これも全てマリーのお蔭だわ。…といけないいけない。いまはドラゴニス王子と話に来てるのだったわ。
「それよりも、ご用件をお話して頂けませんか?」
「そうでしたね、すみません。昨日の事を直接お詫びしたくてお呼びしました」
「そんなの気にしておりませんわ」
「そうですか?良かった」
ホッとした様に笑うドラゴニス王子にドキっとしてしまう。この人の笑顔って最強よね。近づいてはいけないと私の中で警報がなっているのに、そんなに悪い人ではないと思わせてしまうパワーがあるんだもの。
「ですが昨日言った事は本気です。私は第三王子で王には遠いでしょう。ですが貴女がいれば王になる事も不可能ではありません。貴方が望むのなら権力だって手に入れてみせますよ」
「お断りした筈です。それに私はお金も権力も興味ありませんわ」
「なら貴女は何を望むのですか?」
「平凡で平和な世界を望みますわ」
「成る程、模範解答ですね。私は貴女の本音が聞きたいのです。本当の貴女はどんな人で、何を考え、何を感じるのかを知りたいのです」
真っ直ぐに私に向けられる瞳に、逸らしそうになる。見続けてはいけない。でも逸らしてもいけない。この人に隙を見せたら、そこから入り込まれてしまうのだから。
「それが侍女を脅してまで私に聞きたいことですか?」
「脅してなんてとんでもない。協力して頂いたのですよ。神子様に会う為に。そうだろう?リーファ」
「えぇ。その通りで御座います」
「ならこのメッセージは何?来なければマリーに何をするつもりでしたの?」
「ほんの冗談ですよ。そうでも書かなければ貴女は来て頂けなかったでしょう?」
手を組んでにこりと微笑む目の前の人に怒りが湧いた。何が冗談よ!その従者、絶対やりそうな顔してるじゃない!ピクリとも動かない表情で冷徹という言葉がとても似合う人だわ。素人にだって分かる。あの人ヤバイ人だって。紅玉を手元に残して正解だったかも知れない。
「…模範解答でもなんでもないわ。私の本心よ。平凡で平和な日々の何が悪いの?それが一番の幸せだってドラゴニス王子は知らないのね」
「それが神子様の素ですか?」
「そうよ。私は至って普通の女だもの。聖女のような振る舞いも、微笑みも幻想だわ。そんな私を好きだと言うのなら諦めて下さい」
「言ったでしょう?私は貴女の全てが知りたいと。そんな事で幻滅なんてしませんよ。もっと教えて下さい貴女の事を」
「嫌よ。私だけなんてフェアじゃない」
その言葉に突然笑い出したドラゴニス王子。そもそもフェアという言葉は通じたのだろうか?笑っているあたり通じているようだけど。私の事を知りたいのなら自分の事だって当然話して貰わないと割に合わないのよね。私は何の得にもならないのだから。
「すみません、少し可笑しくて」
「…貴方も私を馬鹿にするのね」
「いえ、可愛い方だなと思いました」
「いいよ慣れてるから。これが私だもの。隠しはしないわ」
手を胸に当ててそう言い切る。自信満々に言えた事ではないけれど、本当の私を知って諦めてくれればいい。自分の手に負えない奴だと認識してもらえばいいのだ。私って天才かも。するとドラゴニス王子は自分の話をしてくれた。想像以上にシリアスな話が多かったので聞かなきゃ良かったと後悔した。そして今は兄弟である他の王子の話をしていた。
「ーーーならガツンと言っちゃえばいいじゃない!私が羨ましいのですねって。ドラゴニス王子のその顔は立派な武器なんだもの。使える物は使わないと!」
「顔が武器?面白い事言いますね」
「歩く顔面凶器だよ?私大変だったんだから、平常心保つの」
「顔面凶器…そんな事初めて言われましたよ。そうですか?だって貴女を落としにかかってましたから当然です」
「落としにって怖い人ね。まぁいいや。これで分かったでしょう?私じっとしてる様な大人しい女じゃないの。皆が憧れるような人間じゃないのよね」
本当はガサツだし、口も悪いし、言う事聞かないし。私がドラゴニス王子ならこんな女ごめんだわ。もっと清楚で可憐な女性の方が良いもの。リハルト様もよくこんな私を好きになってくれたもんだわ。って自分で言ってて少し悲しくなってきた。ドラゴニス王子は話してみてやっぱり悪い人じゃなかったし、出来ればロレアスの様な友達になりたいんだけどな。目の保養になるし!
「えぇ、充分わかりました」
「そう、良かった。じゃあ失礼するわ………え?」
席を立ちこの部屋から出ようとすると、ドラゴニス王子に腕を引っ張られて抱きしめられてしまった。え、諦めてくれたんじゃないの?なんで今抱き締められてるんだろう?そしてこんな状況なのに、意外と引き締まってるんだなと思ってしまう自分が嫌だ。ごめんなさいリハルト様。
「な、何!?」
「貴女がとても魅力的な女性という事が良く分かりました」
「えっ?」
「最初はただ神子様と話してみたかった。でも言葉を交わしてみれば、今度は触れてみたくなった。そして踊ってみて気付いたのです。その瞳に私は映っていないと」
「い、言ってる事がよく分かんないわ」
抱き締められたままの体勢なので、ドラゴニス王子の表情は見えない。踊るときはちゃんと顔を見ていたし、話すときだって人の目をみるようにしているもの。だからドラゴニス王子が何を言わんとしているのか、私には分からなかった。
「神子の顔ではなく、貴女の顔が見たかった。私が何をしても表情を変えない貴女の表情を変えてみたかった。そしてリハルト王子ではなく私を見て欲しい。貴女と話せば話す程にそう思ってしまう」
「…も、もう離して!それにそれは私であって、私じゃないもの」
手で胸板をぐいぐいと押すもびくともしない。決して筋肉の付き加減を確認しているわけではないので、あしからず。こんな時でも緊張感がない自分が嫌になるよ。
「そうです。だから今日本当の貴女を知れて良かった。更に貴女魅了されてしまいました。人を引き付ける力でも使っているのですか?」
「っないわ、そんな力使う訳ないじゃない」
「ならこの気持ちは本物です。貴女が欲しい、貴女以外いらない。どうすればこの気持ちが伝わる?どうすれば貴女は私の想いに応えてくれますか?」
ここにきて顔に手を当てられて、目を合わせられる。滅紫の瞳には戸惑う私の顔が映りこんでいた。その瞳と同じ色のカミーレ花言葉をふと思い出した。「私の事を思い出して」この言葉にどれ程の思いが込められているのだろうか。行き場のない手が震える。私にはどうする事も出来ない。だってこの思いに応えられないのだから。どう返せばドラゴニス王子は納得してくれるだろうか?
「……っ」
「そうやって私の事で困って下さい。その間の時間は私だけの物だから」
悲しそうに笑うドラゴニス王子。この顔を私は知っている。諦めにも似たその表情を。手に入らないと知っていても、それでも望んでしまう自分を心の何処かでさけずんでいるんだ。
「神子様?どうして泣いているのですか?」
「…っ、やめて…いや、見ないで」
「すみません。ですがその涙が美しいのがいけないんですよ。私は目を離せない」
「違う、そうじゃ、ない…」
そうじゃないの。そんな表情で私を見ないで欲しいの。だって思い出してしまうから。かつて私がその顔をしていたのだから。そんな惨めな私を思い出したくないの。向けられる事のない親の愛情を何処かで期待してる子供時代の私なんか消してしまいたいぐらいだ。そんな思いで泣いてるなんて知らないドラゴニス王子が、私の涙をまるで宝石でも扱うかの様に優しく指ですくっている。
「っ、貴方は可哀想な人だわ」
「私が?何故です?」
「…愛を、ずっと探しているのね。だって同じ顔を、っ、知っているもの」
お願い、涙よ溢れないで。あれは過去の話なのだから。リハルト様が愛を与えてくれるから私は幸せだわ。でも貴方は今も誰かからの愛を待っているのね。あぁ、変だわ。こんな感情的になってしまうなんて。しかもドラゴニス王子の前で。
「貴女もこの気持ちを知っているのですね。だから私の為に泣いて下さるのですか?それとも今もまだ怯えているのですか?過去の自分に。愛されない自分に」
「っ!…違う、違うわ!もう昔の話だもの。貴方とは違う…。私は今は愛を手に入れたものっ」
自分の感情をコントロール出来ない。ありのままの弱い自分が出てくる。両手で耳を塞いでも彼の低音の声がすり抜けてくる。
「過去の傷は自分が思ってる以上に深い物ですよ。私には貴女の気持ちが痛い程に分かる。その愛は貴女が望んだ愛ではない。それを手に入れない限り貴女は満たされる事はない」
ドラゴニス王子の言葉が呪文の様に私の中に刷り込まれていく。深く深く眠っていた傷が開いていく。ゆっくりと、しかし確実に。
「違う、違うよ…」
そんな事はない!私はとても幸せだと感じていると言い聞かせても、「その愛は永遠じゃないと思っているくせに」ともう一人の私が言う。リハルト様の愛で私は満たされていると言っても、「なら何故ドラゴニス王子を突き放さない?」と返ってくる。
「…っ!」
そうだ、初めからあのカードをリハルト様に見せて無視すれば良かったんだ。何故来てしまったのだろう。私の問題だから自分で片付けようと思ったから?そうよ、だから一人で来たのよ。
「本当はドラゴニス王子からの気持ちを嬉しく思っていたのでしょう?むしろその愛も欲しかったのではないの?」ともう一人の私が耳元でそう囁いた。そうなの?私は心の中でそんな事を思っていたの?この声は誰のだろうか。私の本心なのかな?
「神子様、貴女が望むなら私をあげますよ。愛は一つではないのですから」
甘く優しくドラゴニス王子の声が頭に響く。そうだよね。愛は一つだけだと誰が決めたのだろう。二つ、三つあってもいいんじゃないのかな?あぁ、なんだかさっきからずっと頭がボーっとするの。駄目な考えを否定する私が消えて行く。もう一人の私が私になり変わろうとしている。
「ドラゴニス王子…」
「言わなくても分かってますよ。愛しています神子様」
「私も貴方を…」
『紗良!目を覚ませ!!』
突然現れた紅玉が私とドラゴニス王子を引き離した。そして間髪入れずに部屋のドアが開いて、入って来たのは蒼玉とリハルト様。それにファルド様までいた。どうしたのかな?とボーとする頭でその様子を他人事の様に見ていると、リハルト様に抱き寄せられた。
「大丈夫か!?紗良!!」
「?」
『リハルト!紗良をこの部屋から出して新鮮な空気を吸わせてあげて』
「あぁ!」
蒼玉に言われるままその部屋から立ち去る。出る瞬間にドラゴニス王子と目が合った。
「(子犬みたい…)」
捨てられた子犬の様に縋る目をしていた様に私には見えた。思わずドラゴニス王子の元に戻ろうとすると、リハルト様に強く抱き締められた。
「っ痛いよ、リハルト様」
「俺を見ろ。あいつじゃなくて俺だけを見ろ」
「…リハルト様も子犬みたい」
「…は?」
それ以上はボーっとしてる所為で上手く話せず、リハルト様に部屋に戻されてベッドに寝かされた。頭の中には靄がかかった様に白んでいるけれど、そっと撫でられるその感覚が気持ち良くて目を閉じた。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「おはようございます。紗良様」
「ん、おはようマリー」
「目覚めの紅茶です。どうぞ」
少し冷ます為にふーっと吹いてから、紅茶を飲んだ。じんわりと胃に紅茶が染み渡っていく。少し時間が経つと目が覚めて来たので、普通のドレスに着替えた。城でのパーティは二日間だけなので、来賓は今日帰るのだ。町ではまだ暫くはお祭りが続いていく。
「紗良様。準備が出来たらリハルト様の部屋に行くように言われておりますので」
「リハルト様の?何だろう」
「昨晩の事、覚えていないのですか?」
「昨晩?普通に寝たよね?」
「…えぇ、そうでしたね」
変なマリー。朝食を食べた後に隣の部屋に向かうと、難しい顔をしたリハルト様と目が合った。ファルド様は相変わらず無表情だ。
「朝からどうしたの?」
「覚えてないのか?」
「え?何を?」
「昨夜ドラゴニス王子の部屋に訪れたのを、覚えていませんか?」
「ドラゴニス王子の部屋?…んん?んー…」
頭を捻り昨日の夜の事を振り返る。ゴロゴロしてて寝ようとしてた時にマリーが来たんだっけ?
「あ、カード貰ったわ!マリーからドラゴニス王子からのカードを」
「これだな」
サッと目の前に出されたカードは、確かに昨日の夜に受け取った物だった。中身も相違なかった。あぁ確かにこれを見て一人でドラゴニス王子の部屋に行ったわ。
「うん。本当の私を知れば諦めてくれるかな?って思って部屋に行ったわ。…御免なさい」
思い出した事をそのまま言えばリハルト様の顔が険しくなったのですぐさま謝った。そうだよね、私軽率だったよね。逆の立場なら嫌だもの。事の重大さに気付いた私は床に座って土下座した。
「本当に御免なさい」
「おい、止めろ!」
「だって浅はかだったから…」
「お前の警戒心が薄いのは今に始まった事ではない。顔を上げろ。呼んだのは責める為ではない」
「え?そうなの?」
私の乱れた髪を直しながら床から起こされ、リハルト様の隣に座らされた。てっきり怒られるかと思ってたんだけどな。そう言えばドラゴニス王子の部屋から帰った記憶がない。
「…何だその顔は。安心しろ。お前の想像する事は起きていない」
「そっか、良かった!」
「よくないだろう!下手したらそうなっていたのだぞ!?」
「…御免なさい…」
あぁ馬鹿だ私。また怒らせてしまった。にしても何で記憶がないのだろうか。 普通に話していた事までは覚えている。というか思い出した。
「リハルト様。話が進まないので私が話をさせて頂きますね」
「あぁ、すまない」
「実は紗良様の記憶が無いのはコレの所為だと思います」
「…植物の実?」
目の前の皿の中には黄色い小さな実が入っていた。指で摘んで色んな角度から見ても、特に変な場所はなかった。コレと何の関係があるのかを聞けば、この植物から抽出したオイルをあの部屋に焚いてあったそうだ。うん?匂いしなかったけどな。そして植物から抽出出来る技術がこの世界にもあるんだ。いい事聞いちゃった。
「これは無臭なので気付く事は不可能です。そしてこの香りを嗅いだ者は理性を失い相手の言う事を受け入れてしまうのです」
「怖いね」
「何故他人事なのだ。お前が嗅いだのだぞ」
「えっ?じゃあ私言いなりになっていたの!?」
「もう少しでな」
話の流れは私が覚えていないので分からないかと思えば、紅玉がバッチリ聞いていたそうだ。どうやらそれは初めから焚いてあったらしい。だけどそれだと効果が出るのに時間が掛かるそうだ。飲み物に入れて摂取するのが一番効果的らしいが、私が深夜にカフェインを取りたくないと拒んだ為に時間を掛けて体に染み渡るのを待っていたのだとか。怖い話だ。
『神子の弱さを引き出してそこにつけ込んでいたな。危うくアイツに愛の言葉を捧げる所だった』
「え、嘘!?」
『本当だ。俺が止めなければ言っていたぞ』
「持つべきものは守護者ね!ありがとう紅玉」
『深夜に異性の部屋に訪れる時点であり得ないのだ』
紅玉はそのまま説教を始めた。私の周りがどんどん口煩くなっていく。私の所為なの!?だってそんな物があるなんて知らなかったんだもん。それに他の人に迷惑かけるぐらいなら、自分でって思っただけだし。結果的に迷惑かけちゃったけど…。
「うぅ…」
「紅玉様、もうその辺で。紗良様もいい大人なのですから、しっかりして下さい」
「すみません…。ねぇ、ドラゴニス王子はどうなるの!?」
「地下牢に入っております」
「はい!?だって仮にも王子でしょ?しかも他国の」
「仕方あるまい。神子に手を出したのだから」
そんな大事になってるの!?そんな、これからドラゴニス王子はどうなっちゃうんだろう。ぶつぶつと考えていると、突然目の前が真っ暗になった。どうやらリハルト様の手で目を覆われたみたい。
「あいつの事など考えるな」
「…リハルト様?」
「陛下もお怒りの様ですからね。只では済まないかと」
「…そんなの駄目だよ。私がなんとかする!」
「何故だ?あいつはお前を…」
「でも今は何ともないわ!傷つけられてもない!それにドラゴニス王子がそんな事をしてしまったのも、きっと私の所為だから」
そう言って私を呼ぶリハルト様の声を振り切って、ダーヴィット様の元へ向かった。




