44死者は土に還りなさい
草木が風が吹いた事によりさわさわと声を出す。突き抜けた突風はここシュラーフ墓地に輝きを与えた。動く屍は砂の様に消え、新しく生まれ変わった土地の養分になった。人は地に還り地は人を生かす。幾度となく繰り返されて来た自然のサイクルだ。
「消えた!?」
「地に還ったのだな」
「空気まで変えてしまうとは…」
「お疲れ様でした。動けますか?」
「大丈夫よファルド様」
瘴気が立ち込めていた墓場は、一瞬で違う場所に移動してしまった錯覚に陥る程の清々しい空気に変わった。何処か悲しげだった女神像も今は晴れやかな表情をしている。そして目の前にいる守護者に声を掛けた。
「この地は病んでしまっていたから浄化させてもらったわ。貴女に力を少し送ったのだけど、話せる?」
『…えぇ、有難う神子』
蘇比色の髪と瞳の守護者は黄水晶と名乗った。やはり白銀の一族により力を奪われたのだとか。時期は一ヶ月程前だそうで、紫水晶と同じように髪が短く切られていた。その視線に気づいたのか、蘇比色の短い髪を風にたなびかせて私に微笑んだ。
『長い時が過ぎた今、もう一度神子に会えるなんて…。相変わらず無茶をしてるのね。レジーナ』
「え!?私は紗良です、レジーナではありません」
『その濡羽色の髪に呂色の瞳、この世のどの種族をも凌ぐその麗容見目良い顔を見間違える筈もないわ』
顔を両手でがっしりと掴まれて、まじまじと見ながらそんな言葉が並べられていく。こんなに間近でも分からない程に似ているのだろうか?生きていたら見て見たかったかも。私にそっくりなレジーナさんに。
「えっと…物凄く褒められてる気はするけど、別人です。私は新しい神子です」
『別人…?ふむ、言われてみればもう少しレジーナは賢そうだったかも…』
「私も賢いです!」
『発言も何だか馬鹿っぽいわね、本当に別人だわ。まぁそうよね。人がそんなに長い刻を生きれる筈が無いもの』
少しだけ寂しそうに呟いた黄水晶は遠い目をしていた。…そんな事よりも、とうとう守護者にすら馬鹿にされる日がくるとは…。分けた力を全て吸い取ってもいいのよ?浄化した地を聖地にしてしまえば守護者はいらないもの。代わりに人は住めないけどね。人が住んだらすぐ穢れてしまうから。
「そんなに似ているのか?」
『男!?私に近寄らないで頂戴!』
「気づかなかったの?私以外男性だよ」
『なんてふしだらな神子なのかしら…』
「もの凄い語弊だわ!!」
リハルト様達を見て一瞬でその場を離れ、私に怪訝な顔を向けた。それに憤慨して言えば擦り寄るように戻ってきた。
『此処にいる誰にも穢されてないの?』
「「「!!?」」」
「ねぇ、怒っていい?」
『それは困るわ』
「何故男性が嫌いなの?守護者でも気にするのね」
『かつて昔に男の神子が居たのよ。その神子が冷淡で冷徹な男でね。一言しか言葉を発しないのよ?それに比べたら女の神子は良いわね。皆優しいもの』
神子って男性でもなれるのね。でもそうよね、神子であって巫女では無いのだから当たり前なのかも知れない。
「ふふ、黄水晶はその神子と仲良くなりたかったのね」
『違うわ、失礼な奴だもの』
「ならどうして一言しか話さないのに冷淡冷徹になるの?口数が少ない人なだけかも知れないでしょ?それとも暴言を吐かれたとか?」
『やっぱりレジーナに似てるわね。無垢な顔して真理に近づこうとする。悪名高い酷い神子よ』
「何でそうなるの!?」
ただ単純に男性の神子と仲良くしたくて、その気持ちの裏返しによる言葉だと思ったんだけどな。守護者は割と寂しがりやが多いから。
『…その神子がたった一度だけ、微笑んだ事があるのよ』
「どんな時に?」
『最期の時に』
「どうして微笑んだのか分かるの?」
『えぇ。「やっと見えたよ、黄水晶」って言っていたわ。見えなかったみたいよ?私達の姿が』
「え?」
神子だからと皆同じ力の量じゃないのは知ってるけど、力が弱いと姿を見れないのは初めて知った。年々神子の力が弱くなっていったそう。特に男性の神子は女性よりも力が少ないらしい。
「どうして力が弱くなっていったの?」
『別の種と交わったからよ。だから長い年月をかけて力が弱まった』
「そうなんだ。でも髪色や肌色が違うだけの同じ人間でしょう?」
『…あら、知らないの?神子達は神人族で人間とは毛色が違うのよ。その髪の色は神人族特有の色で神に愛されし種族の印よ』
えっ神子とか黒髪の人って人間じゃないの!?神人族は高貴な種族らしく、不思議な力を扱える者が多いそう。神子はその中でも別格でその一族の王の様な扱いらしい。
『人と交わった所為で神人族は滅びたと言っても過言ではないわね。その名残で時折黒髪で生まれてくる者もいるわね。でも存在する多くは力は微かにある程度でほぼ人間よ』
「なら私は人間じゃないの?」
『神子の印は神人族の王の証。人間では無いわね』
「えっ、じゃあファルド様は!?」
『あの男?…あら、意外に力が強いのね。ふふ、面白いわ。神人族と言ってもいいわね』
なんだ、ファルド様も人間じゃないのか。良かった、私一人違うんじゃなくて。でも力がある以外は人間とほぼ同じらしい。だから人と交わってこれたのだろう。
『原因は神人族が減っていった事だけどね』
「少数の一族だから?」
『それもあるけれど、変わり者が多くてね。一族同士での婚姻が難しかったのもあるわ』
「何故そんなに詳しく知っているのだ?他の守護者はそんな話を一切しなかったが」
「あ、もしかしてかつてはこの近くに住んでいたの?」
『そうよ。人の時間では遥か昔の話だけれどね。私にはつい数年前な気がするわ』
守護者はその地の情報しか入ってこないので、知らない者は知らないし、知ってる者は知っているのだ。後は付近の情報を少し知っているぐらい。黄水晶は懐かしい思い出を振り返っているのか、穏やかな表情を浮かべていた。
「なら白銀の神子はどういった存在なのだ?」
『忌々しい穢れた一族よ。気を付けなさい、貴女が思っている以上に厄介な事よ』
「それってどういう…?」
『その話は俺が預かる』
『紅玉!今更出てきて何だい?』
『あら、紅玉じゃない。久しぶりね』
どうやら黄水晶と紅玉は会った事があるみたいだった。二人で話を始めてしまい私達は取り残されてしまった。というかロレアス達はもうずっと話に入れないでいる。
『神子は先に戻ってくれ。話が済んだら戻る』
「まだ聞きたいこと沢山あるのに」
『時が来たら話す』
「…分かったわ。皆戻りましょう?リハルト様の傷も治さなくちゃ」
「そうだね、疲れた事だし城に帰ろうか」
紅玉と念の為に蒼玉を残して馬車に乗り込んだ。本当は聞きたいけど、紅玉はきっと私の為にそうしてくれているのだから、今は言う事を聞く事にした。恐らくかなり衝撃の強い話だと思う。
「疲れたか?」
「え、ううん大丈夫よ」
「本当に?顔色が少し悪いが」
「…なんで分かるの?少し疲れただけだよ。でも大丈夫」
「いつも見ているからな」
「あー、見張られてるもんね!」
私が脱走やら何やらしない様に常に監視されてるから、少しの体調の悪さも気付けるんだろうな。ファルド様が怖いからそんなに心配しなくてもやらないわよ。
「傷治さなきゃ」
「力が回復してからで良い」
「大丈夫だって!その傷なら力はほぼ使わないよ」
手をリハルト様の傷に当てて祈れば、傷はすぐに消えた。良かった、綺麗な顔に傷が残らなくて。世の中の女性が皆倒れてしまう所だったわ。力を使ったら急に眠気が来てしまい、リハルト様の膝に倒れ込んでしまう。
「おい、紗良!?」
「ね、眠い…」
「お前やはり無理して…」
「聞こえなーい…」
閉じた瞼を開ける余裕はなく、そのままの姿勢でリハルト様の声を聞く。馬車の振動が心地良くて意識が沈んでいきそうだ。
「全く。大体逆だろう」
「ふふ…私の特権、ね…」
暫くすると紗良から規則正しい寝息が聞こえて来た。膝の上に頭を預けてスヤスヤと眠っている。髪に手を滑らせると柔らかい指通りだ。くすぐったいのか「ふへっ」と可笑しな笑い声が聞こえた。
「色気のない笑い方だな」
それでこそ紗良らしいのだが。眠っているとその美しさがより分かる。大きく潤んだ黒い瞳に長い睫毛、スッと通った鼻、小ぶりのふっくらとした桃色の唇からは鈴の様な音色が奏でられる。その声が俺の名前を呼ぶ度に心地良く感じるのだ。
「お前は俺の事をどう思っているのだ?」
柔らかな髪を弄りながら、返ってくる事のない質問を尋ねる。個人的には悪い反応では無いと思っている。だが、相手は超ド級の鈍感女だから期待していると、いつも蹴落とされるのだ。欲しい言葉をいつも引き出せないで、代わりに残酷な言葉を残す小悪魔な女だ。
「俺の事を好きだと言え…紗良」
家族や兄弟に対する好きでは無く、異性として、恋愛対象としての「好き」を聞きたいのだ。と言っても情けない事に、俺自身紗良に好きだと言った事はないのだが。断られたら立ち直れない自信があるから、時を待っているのだ。ファルドにはヘタレ認定されているがな。だが、それ程迄に愛しいのだ。人を愛するという気持ちはこんなにも俺を満たしてくれるとは知らなかったのだ。ルドルフを亡くしてから、この国にいる意味を見出せずに灰色の世界で生きていた俺の前に、紗良が現れてから毎日が新鮮で輝いて見えたんだ。不思議な話、今俺は生きてるんだと実感した。
「お前に会って、世界が色付いた」
世界はこんなにも素晴らしかっただろうか?明日がこんなにも楽しみだった事はあるだろうか?人の為に時間と金を使う事はあっただろうか?いや無かった。ただ完璧であろうとした。ルドルフに落胆させてしまわない様に王子であり続けたんだ。そんな事、もう意味は無いと分かっていながら。
「紗良」
「…ん…いかない、で…」
「…寝言か?」
「…ひとり、は、嫌なの…」
「ここにいる。お前を一人にはしない」
名前を呼ぶと、身じろいだ紗良は悲しそうな表情で寝言を呟いていた。手を握り安心させるように言葉を掛けると、その言葉が届いたのか苦悶の表情は薄れて穏やかな寝顔になる。一体どんな夢を見ているのだろうな。お前が苦しんでいたら駆けつけるつもりだが、夢の中までは俺は行けないからな。願わくば幸せな夢を見て欲しいものだ。
「…わたし、も、すき…」
「ーーーなっ!」
「すー、すー」
突然に発せられたその言葉に、自分に向けられたものではないと知りながら思わず反応してしまう。幸せそうな顔をした紗良を叩き起こして、誰に向けての言葉なのか聞き出したい衝動を抑えた。そして俺以外に向けた言葉ならその男を殺してしまいかねない程に、嫉妬深い自分自身に驚いた。紗良と出会ってからというもの、今まで知らなかった感情が出てくるのだ。良いものも悪いものもあるが、どの感情も嫌いではない。俺が生きているという実感を与えてくれるのだから。
「おい、起きろ!着いたぞ」
「後5分…」
時間が経ち、リリーファレス城に到着したので紗良を起こす。「ごふん」とはどの位の時間なのかは分からないが、ここは他国であるからあまり隙を見せたくは無いし神子が馬車で膝枕で寝ている事を知られてはならない。仕方ない、ファルドを使うか。
「紗良、ファルドが睨んでいるぞ」
「っっ!おはようございます!!」
「着いたぞ」
「はれ?リハルト様…?」
「ほら降りるぞ」
「う、うん」
寝ぼけているのもあり、状況が掴めていない紗良の手を取り髪を整えてから馬車を降りた。すると何事もなかったかの様に優雅に神子の顔をして、出迎えてくれているリリーファレスの使用人達に笑顔を振りまいていた。とても口を開けて寝ていた奴とは思えんな。フードを被っているとは言え、あまり愛想を振りまいては欲しくないのだが何度言っても聞いてはくれぬから困ったものだ。
「見事なもんだな」
「だって神子のイメージ壊しちゃ駄目でしょ?」
フードから見える口元は悪戯そうに笑っていた。神子を演じる事が楽しいのかいつも嬉々としている。稀に見る堂々っぷりは他の王族をも黙らせる力があり、神人族の王というのも頷ける。まだ本人も知ったばかりの情報だがな。だからといって我々人間とほぼ変わりはないのでなんの問題は無い。それに世間は知らないのだから。
「外ではな。神子という響きだけで神格化されているからな」
「リハルト様と一緒だね」
「格が違うが…まぁ、似たようなものだな」
「リハルト様の王子様っぷりも凄いよ!あれじゃ皆騙されちゃうよねー」
「お前もな」
王子の時は紗良からの視線が凄いが、神子の時の紗良を見ている俺の様な感情と同じなのかも知れないな。誰があの神子を見て今の紗良を想像出来るだろうか?少なくとも知らなければ俺も騙されていただろう。この容姿に気品溢れる振る舞い、慈愛の目をした人物であれば皆が心を奪われるのだ。誰もが手に入れたいと願う極上の女性だ。
「普段のお前を見たら幻滅するだろうな」
「え、酷い!リハルト様だって本性知ったら世の中の女性が幻滅しちゃうんだから!あ、でも需要がありそうで怖いわね…」
「何を訳の分からない事を。俺は別にどう思われようと構わん」
お前が本当の俺を知っていてくれれば、それで良い。例え悪評がたとうとも、紗良が傍にいてくれればそれで充分なのだ。そう言えばフニャリと顔を崩して嬉しそうに紗良が笑った。…その笑顔は反則だろう。思わず顔を抑えて紗良から視線を外したら、ロレアスと目があった。珍しいものを見た様な顔をしてニヤニヤして従者のアルトーラスに何か囁いた後に去っていったので、後で殴ろうと決めた。
「ふふ、私も!神子を演じるのはリハルト様が望むから」
「は?」
「だってこんな無表情な王子様があんなキラキラした超笑顔の王子様に変わるんだもの。それを壊したくないんだ。リハルト様が築きあげてきた物を私が壊してしまいたくないの」
「…っそんな事を考えていたのか?」
神子のイメージを壊すなと言っていたのは紗良の為を思って言っていたのだが、自身の為だと思われていたのだろうか?思わず苦虫を潰した様な表情になっていたらしく、紗良が慌てて言葉を付け加えてきた。
「勿論、私の為って分かってるよ?でもリハルト様は素の私を受け入れてくれるから期待に応えたいって思うし、普段の私があるから、神子になりきれるんだもの」
「…ずるい奴だな」
「えっ?なんで!?」
「そんな事を言われたら抱きしめたくなるだろう」
「な、ならないよ!」
隣からは焦った声が聞こえてくる。ここが部屋なら問答無用で抱きしめていたがな。というか自国であったら気にしなかったのだが、生憎他国なのでそんな事をすればファルドにどやされるので止めておこう。早く部屋に着きたいところだが距離があるので中々着かず、これでも小声で話しながら歩いている。
「立派なセクハラ発言だからね!」
「あれぐらいの言葉で犯罪になるのか?くだらないな」
「とにかく、女性に軽々しく言っちゃ駄目なの!」
「軽々しい?本心だ」
「なななっ!」
「紗良様、もう少しお静かにお願いします」
「う、すみません」
大きな声が出てしまった紗良をファルドが咎める。何をそんなに大げさに反応する必要があるのだ。冗談でそのような事を口走るなどありもしないのに。紗良はいつも俺に対しての印象を何か誤解しているのだが、訂正しようにも信じてくれのは頭が痛い。
「リハルト様が変な事言うから」
「事実を言ったまでだが?」
「二人共、部屋に着きましたよ」
部屋に入り着ていた上着をファルドに手渡しソファーに腰掛けた。紗良は着替えにマリーと別室に移動した。それにしても今日は疲れたな。死者との戦闘は始めてだっだが、中々に厄介だった。倒しても倒しても動くそれは死の軍隊の様だった。
「武器を持って居なかっただけマシだな」
「そうですね。最小限の怪我で済んで良かったですね」
「傷一つないお前の力は流石だな」
「体力を削られるだけで恐るるに足りませんからね。今回は人数も居ましたし、前回に比べれば何でも御座いませんよ」
「俺もまだまだ鍛錬が足りない様だ」
この国で一番強いのはファルドだ。印による能力もあるが努力故の部分の方が大きいだろう。昔から手合いをして勝った事が無い。年が近いから俺の従者になったが、もう少し上ならば王の従者になれただろう。
「そうですね、帰ったら鍛錬に付き合いますよ」
「お前は加減を知らぬから嫌だ」
「限界の向こう側まで行って始めて意味があります」
「俺に死ねと言っているのか?」
「滅相も御座いません。紗良様に癒して貰いながらすれば宜しいかと」
「鬼だな」
侍女に出されたお茶を口に含み、苦笑した。剣に関しては妥協を許さないファルドの元で鍛錬した者は暫く使えなくなるのだ。中には泣いて許しを請う者までいる程にな。
「えー?リハルト様戻ったら鍛錬するの?」
「時間があればな」
「私も見たい!」
「…却下だ」
「なんでよ!」
「集中出来ぬからな」
どうせ紗良の事だ。体目当てだろうと言えば、目を逸らされた。騎士達の鍛錬にもちょくちょく顔を出しているのを知らないとでも思ったか?紗良は騎士団長であるオルフェスに口止めをしている様だが、あいつは昔からお喋りなのだ。そんな者が黙っている筈がなかろう。ただ騎士達の士気が上がるらしく、オルフェスは歓迎していたがな。
「オルフェスと随分仲良くなった様だな」
「な、なんの事かな?」
「知らないとでも?」
「くそぅ、諜報員でも雇ってるの!?」
「雇うもなにも、オルフェスが言っていたぞ」
「なんてことなの!」
帰ったら抗議してやると息巻いている紗良。任務の事は口を割らない男だが、それ以外は歩くスピーカーと言われている男だ。口止めする方法と相手を間違えたな。そう言えば項垂れるようにベッドに潜り込んだ紗良。心身共に疲れたから寝るそうだ。自業自得だな。




