38隣国のお話
麗らかな春の日差しの中、リチェの部屋に備え付けのバルコニーで外でのお茶会を開催していた。といってもメンバーはいつもの三人だ。ここのお茶会では、マリーも特別に席に着いている。お茶係はマリーだけどね。
「もうすっかり春ですわね」
「そうだね、たまには外もいいよね」
「いつも屋内か温室ですものね」
暖かく爽やかな風を浴びながら紅茶を頂く。あぁ、幸せだな。料理長に焼いてもらったお菓子を頬張り頬が緩む。これはシップスと言う焼き菓子で丸くてコロンとしており、見た目も可愛い。サクッとした食感でふんわりと口の中で溶けていった。
「んー、美味しい」
「なんでも隣国のお菓子だそうですよ」
「紗良様は料理長と仲いいですわよね」
「うん、よく厨房使わせてもらうし」
「こないだのカップケーキというお菓子はとても美味しかったですわ」
料理長は知識欲が旺盛なので、すぐ取り入れてアレンジまでしてしまう腕利きのパティシエ…じゃなかった、料理人なのだ。パティシエでも謙遜ないけどね。時折こうして珍しいお菓子や果物などを分けてもらうのだ。
「でも程々にしないとね、太っちゃう」
「そうですわね。気を付けなければいけませんわ」
「なら私が残りを頂きますね」
「それとこれは別だよ!」
「そうですわ!」
マリーは目を離すとすぐ食べ物を持っていくからな…。そうさせたのは私なんだけどさ。そう言えば隣国ってどんな所なんだろうか。気になったので聞いてみた。
「隣国ですか?小国ですが自然豊かな場所らしいですよ。先日行かれたウェルディの地からそう遠くありませんよ」
「そうなんだ!」
「カルーシア国ですわね。あの国ではシープニーの毛からとれる生地が有名なのよ。滑らかな肌触りでよく紗良様のドレスにも使われておりますわ」
話を聞いているとどうやらシルクの様な生地だそう。でもシルクより丈夫で扱いやすいんだって。どんな生き物なのか聞いたらちょっとよく分からなかったんだけど、フサフサのユニコーンの姿で想像された。ちょっと見てみたいかも。
「他にも大国で言えば、ジェンシャン国にハイドランジア国も隣国にありますのよ。ローズレイアは更に上の超大国になりますわ。そう言えば、紗良様もお勉強されたのよね?」
「うーん、覚えてないわ」
「紗良様は基本聞き流していますからね」
「もう、紗良様ってば。せめて大国ぐらいは覚えておいた方がいいですわよ」
リチェは本を取り出し広げて見せてくれた。ジェンシャン国の紋章は竜胆で、ハイドランジア国は紫陽花だった。花で覚えると早いわね。でも横文字の名前って憶えづらいのよね。
「そういえばリリーファレス国は遠いの?」
「そうですわねぇ、距離はかなりありますわ」
「そうなんだ。ロドリゲス王子は遠い所から来てたんだね」
「誰ですかそれ。ロレアス王子ですよ」
「あら、いつの間にお会いに?」
「結構前にね」
「そうですの。知らなかったですわ」
「リチェいなかったもんね」
名前覚えるの苦手なのよね。ロレアス王子とはリチェとも何度か面識はあるらしい。リハルト様の学友だしマリーも見た事あるぐらいだものね。第二王子なだけあって自由に動けるんだろうな。
「少しお調子者よね、あの人」
「そうでしたかしら?優しい方だったと思いますけど」
「…大人になると変わってしまうのかもね」
「紗良様の格好もふざけていましたけどね」
「その話詳しく聞いても?」
「変装して見に行っただけだよ」
リチェにその時の詳しい話をマリーがして、それを聞いたリチェが見た事ないぐらい笑っていた。腹が捩れるってきっとこのぐらい笑ってる時に使うんだな…。
「ふふ、相変わらずですわね。とても笑わせて頂きましたわ」
「今度リチェもやる?」
「いいですわね!」
「いけませんよ。怒られるのは私なんですからね」
プリプリしながらお菓子を口に入れるマリー。せっかくリチェがノリノリだったのにさ、てかマリーもノリノリだったの忘れてない?カップに残っていた紅茶を飲みほして、新しく入れて貰った。
「それで進展はありました?」
「なんの?」
「そうですねぇ、距離は以前より近くなったと思うのですけどね」
「当の本人が鈍いですものね。でもこないだ一緒に居た所を見ましたけど、いい雰囲気でしたわ」
「ねぇ、なんの話なの?」
「そうなんですよ!あのお方も以前よりも更に表情がお優しくなりましたよね」
「好きすぎて仕方ないのですわ、何故あれで気づかないのかしら」
くそぅ、また始まったよ。私そっちのけで何かの話が始まるんだけど、いつもいれてくれないのよね。誰かを見守ってるみたいなんだけどさ、誰の事かさっぱりだもん。仕方ないのでバルコニーから見える景色を眺めていると、下の方にリハルト様が見えた。ここからは別の庭園が見渡せるんだよね。薔薇以外の花が咲いている所で季節によって変わるのだ。
「リハ…あら、誰かと一緒だ」
遠いけど声を掛けようとしたら、リハルト様の隣には女性がいた。また違う女性だ…でもこの人も綺麗な人だった。リハルト様って気付くと女性と一緒にいるのよね。婚約者探しなのかな?
『気になる?』
「え、蒼玉?もう女子会だから出てきたら駄目って言ったでしょ?」
『今はいいでしょ、紗良放置だし』
「そうだけど、紅玉は?」
『紗良の部屋にいるよ』
呼べばすぐ来るし、気配は分かるけど細かい場所までは把握出来ないんだよね。もっと集中すれば出来るみたいだけど面倒なのでやらない。リチェとマリーは盛り上がっており、こちらには気づいていない様だった。
「なんで私がリハルト様を気にしないといけないのよ」
『あの姫の事、気にならない?』
「姫って、どこかの国のお姫様?」
『そうだよ。ジェンシャン国の第三王女リーシア姫だ』
「ジェンシャン国ってさっき聞いたわ。隣国の大国なんでしょう?」
『そう。いってもローズレイラ程ではないからリハルトと結婚させて、縁が欲しいのだろうね』
「ふうん。大変ね」
リハルト様とリーシア姫を眺めながら聞いていた。リーシア姫は濃紺の長い髪をサイドに束ねていて、顔つきも服装もどこかアジアンテイストだった。肌の色は少し黒いけど、それがまた妖艶さを引き出している。あれできっと私より年下なんだから神様って不公平よね。
「私って顔つきが子供っぽいのかな?」
『どうして?』
「皆には下に見られるし、化粧しないとリチェと同じぐらいに見られるのよ?」
『そうだね、年齢よりは幼く見えるけど子供っぽくはないかな。紗良は凄く綺麗だよ』
「はぁ、そうかなぁ。蒼玉が言うとなんか胡散臭いな」
『酷い言われ様だね』
私にもリーシア姫みたいな色気があったら、年上の叔父様も狙えたかも知れないのにな。そう、ダーヴィット様みたいな!接近禁止令下ってるんだけど、たまにお会いするのよね。勿論マーガレット様も一緒だよ?娘みたいに可愛がってくれるんだ。私に呆れた様で蒼玉がどっか行ったのでリチェ達の元に戻った。
「ねぇ、リーシア姫っていくつなの?」
「え、どうしてですの?」
「ほら、あそこにリハルト様といるでしょう?大人っぽいけどいくつなのかなって」
「リーシア姫は18くらいだと記憶してますけど…」
「それであの色気って凄いわね」
「でもお兄様の好みではありませんわ」
「そうなの?」
今まで色んな女性を傍目から見て来たけど、皆綺麗で様々な美人ばっかりだったけどな。いや、私が見に行った訳じゃなくて何故か出かけた先にいるのよね。本当に不思議なんだけど。でも見たって事をリハルト様に言うと不機嫌になるので言わないのだけど。
「どんな人が好みなの?」
「気になりますの?」
「そりゃあ、あんなにも沢山の女性と会っているのに誰にも惹かれないんでしょ?理想高そうだなって思って」
「高いでしょうね。女神級の美女ですよね」
「そうね、そこらへんの女性では目じゃありませんわ」
「そんな人いるの?それはもう人間の域を超えてるわね」
可笑しそうに笑っている紗良様。勿論貴女の事ですよと声を大にして言いたいところですけど、私達が出しゃばるとこではありませんから我慢ですわ。何度言われても今一実感が湧かないのか、よくお忘れになるようですが、紗良様程の美しい方はこの世界にいらっしゃらないというのに。薄紅色のふわりとしたドレスを身に纏っている姿は春の妖精の様ですわ!いえ、天使様かも知れません。
「贅沢な悩みよね、選び放題なのに」
「リチェル様もそうですよ」
「罪な女ねリチェは」
「でもこの国をより良くする為にも考える事は沢山ありますのよ?」
「好みの人でいいじゃない。一生共にする訳なんだし」
そう言って同意を求めるように、紗良様は可愛らしく首をかしげて私を見つめてきた。本当にどんな仕草も嫌味がなく絵になりますわ。同性の私でも抱きしめて仕舞いそうになりますもの。お兄様も良く我慢出来るわね。尊敬しますけど、コチラとしては早く押し倒してしまえばいいのにと思っていますわ。
「リチェル様はこの国の王女様なのですから、そういう訳にはいかないのですよ」
「煩わしいわね」
「そういうものですもの。仕方ありませんわ」
「ならリチェがこの人だって思った人がいて、その人が小国の人とかで反対されたら手伝ってあげるね!」
「随分とピンポイントな例え話ですわね」
有り得ないお話ですけど、気持ちは有り難く受け取っておきますわ。紗良様はいつも突拍子もない事を仰るので一緒にいて楽しいですわ。それに私に近付いていらっしゃる方の中には紗良様の力を狙っている方もいますもの。しっかりと見極めなくてはいけませんわ。
「知ってまして?紗良様にも縁談話が来てるのを」
「ん?何か大分前に聞いた事ある様な…」
記憶を捻り出す様に険しいお顔で考えている紗良様。でも紗良様まで話が行かないのは、お兄様とお父様が握り潰しているからですわ。国としても他に渡すつもりも有りませんし、何よりもお兄様の心を射止めていますものね。結婚相手としても申し分ありませんし。
「って事はリハルト様で止まってるのよね?」
「そうなりますわね」
「私に結婚を先を越されるのが嫌なのかな」
「何故そうなるのですか?」
紗良様の侍女であるマリーが呆れた顔で聞いていた。私も同じ気持ちですわ。紗良様の思考って少しずれてるのよね。マリーから仕入れた情報だと馬車の中では隣に座ってお兄様にもたれ掛かっているそうですし、好意はあると思うのですけど。
「もう焦れったいですわ」
「何が?」
「いえ、コチラの話です。早くお姉様と呼びたいわ」
「呼んでいいよ!」
嬉しそうに満面の笑顔で言われてしまいました。そういう意味じゃありませんのに。そういう所も可愛いのですけど。はぁ、早く紗良様とお兄様の子供を見たいわ、きっと物凄く可愛いもの。そうなったら、叔母様じゃなくてリチェと呼んでもらうのですわ。あぁ、名づけ親になるのも素敵ですわ!
「リチェ、幸せそうだね…」
「えぇ何を想像されてるのでしょうね」
「ごほん、少し自分の世界に入り込んでしまいましたわ」
「お、お帰り」
いけませんわ、私とした事が人前でニヤけてしまうなんて。もう少しお話をしたかったのですが時間が来てしまいましたのでまた今度ですわね。マリーにしっかりと二人の様子を報告するようにとお願いをしておきましたわ。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「あ、ファルド様」
「これは紗良様、リチェル様の所からお戻りですか?」
「うん、良く分かったね」
「お話を伺っておりましたので」
「え、誰に?」
「…いえ、気を付けてお戻り下さい」
ファルド様が気まずい顔をしてそそくさと去って行った。え?なんではぐらかされたんだろう。マリーを見るとニッコリと微笑むだけで、先を促されてしまった。
「ねぇ、なんでリハルト様が女性といるとこに出くわすんだろう」
「偶然ではないですか?」
「…マリー情報を把握してるよね?」
「なんの事でしょうか」
「まぁいいわ。ただふと思っただけだから。厨房に寄ってもいい?お礼言わなくちゃ」
部屋に戻る道とは違うけれど、厨房に寄って今日のお菓子の感想を伝えた。
「口の中でふわって溶けて美味しかった!」
「ははは!気に入って頂けて光栄ですね」
「まだ残ってる?」
「ありますよ!おい、シップスを取ってくれ」
「はい」
「ほい、神子様」
料理長には取りに来る事がお見通しなのか、お菓子は綺麗に包んであった。お礼を述べて帰ろうとすると、料理長はニヤニヤしながら私を見ていたので足を止めた。
「どうかしたの?」
「いや、リハルト様に持っていくのかい?」
「うん、何でか知らないんだけど、女性といた日はあまり機嫌が良くないのよ。だから差し入れで持って行こうと思って」
「はは、そうかい!仲が良いことで」
「お隣さんだもの」
満足気に笑った料理長に手を振って部屋に戻る道を歩いた。料理長ってばリハルト様の事好きなんだから。料理長だけじゃなくて他の使用人や騎士達もこの城で働けている事に誇りを持っていて、ダーヴィット様達を心から慕っているのが伝わってくる。良い事だよね、こんなお城だから居心地がいいんだと思う。
「今暇?」
「暇に見えるか?」
「ううん、見えない」
リハルト様の部屋にお邪魔すると机には大量の書類があった。近づいて書類を覗き込むも難しい事ばかり書いてあり、眩暈がしたのでやめた。
「なんだ、手伝ってくれるのではないのか?」
「えー、女性と会う時間ある人を手伝う気にはならないな」
「…何故知っているのだ」
あ、しまった。思わず口に出してしまったその言葉にリハルト様の機嫌が見る見るうちに悪くなる。ファルド様が頭を抱えているのが見えた。
「えっと、リチェの部屋のバルコニーから見えたの」
「はぁ、部屋の中で茶を飲め」
「外で飲むお茶は格別だよ?」
「で?何の用だ」
「差し入れ持って来たの!」
「お菓子か?」
持って来たシップスをリハルト様に渡すと珍しそうに眺めていた。なので隣国のお菓子だと教えてあげた。機嫌は少し良くなってきたので、お茶会で隣国の話を教えてもらった事を話した。
「今日の人も隣国のお姫様なんでしょう?ジェントスだっけ?」
「ジェンシャン国ですよ」
「それそれ!」
「待て、何故覚えておらんのだ」
「え?」
「講師を付けていただろう」
「ううーん、興味ないから忘れちゃった。でも今日覚えたよ。竜胆に紫陽花でしょ」
「国の紋章の花だけ覚えてどうするのだ」
紫陽花の国の名前は完全に忘れてしまったけれど。長いのよねぇ、でも紋章さえ分かれば、大国の人って分かるから私としては充分だと思うのよね。
「もう一つはハイドランジア国ですよ」
「そんな名前だったね」
「もう一度講師を付けるから勉強し直せ」
「え、必要ないよ。他国と関わる事なんてそうそうないし」
「これから増える」
「そうなの?嫌だな」
でもここで私は良い事を思い出した。守護者に覚えて貰えばいいんだ!困ったときは聞けば教えてくれるしね。ルドルフは記憶力も良くて優秀だし、と言えば溜め息吐かれた。私そんなに記憶力ないから期待しないで欲しいんだけどな。
「その方が早いかもと思ってしまうのが嫌だな」
「同感です」
「だってそうなんだもん」
「少しは恥じろ」
『自分の出来ない事を素直に認めるのは悪い事じゃないと思うけどね』
「だよねー」
蒼玉が現れてフォローしてくれたので便乗した。紅玉は相変わらず部屋にいて本を読み漁っている。この1000年の間に何があったか知りたいそうだ。
「甘やかすな」
『リハルトに言われたくないね』
「俺はそういう甘やかし方はしない」
「喧嘩は外でなさって下さいね」
「捗るように祈ってあげようか?」
「それは有難いですね、お願いします」
ファルド様にお願いされたので張り切って祈った。こんなにお仕事溜まってたら今日は残業になりそうだしね。
「勝手に力を使うな。ファルドも止めないか」
「心配症ですね。これぐらい紗良様の力では大したこと有りませんよ」
「そうよ。息を吐くのと同じぐらいチョロイよ?」
「…そうか」
『紗良、そろそろ戻ろう。邪魔しちゃうしね』
「そうね、お仕事頑張ってねー!」
ヒラヒラと手を振って、部屋に戻ったところを紅玉に質問攻めされた。私にはサッパリなので、マリーと蒼玉に押し付けたのだった。




