37真紅の守護者
ふわりと地上に着いた瞬間に水の膜は消えて新鮮な空気が入って来た。それと同時にリハルト様が駆け寄って来る。
「あれ?どうしてリハルト様が?」
「お前がこの森の呪いを解いたのだろう?だから数人引き連れてやって来たのだ」
「そう言えばそうだったね」
「大体はファルドから聞いたぞ。無茶ばかりする」
心配そうに私を見たまま、濡れた髪をそっと撫でられた。そう言えば私が蒼玉を急かしたから濡れたままだったっけ?泥だらけだし汚いな私。
「リハルト様、今汚いので触らない方がいいよ」
「構わん。それで?その者が紅玉なのか?」
「うん、彼を覆っていた力は解除したんだけど、目覚めなくて。後は地上でどうにかしようと思って」
「どうにかってどうするのだ?」
「うーん、力を送り続けるしかないかな。蒼玉に見て貰ったらあんまり力が残ってなかったのよね」
「そうか。とりあえずウェルディ侯爵の屋敷に戻ろう。目的は果たしたのだから」
リハルト様の指示により騎士達が紅玉を運ぼうとするも、弾かれてしまった。ふむ、蒼玉が力を流してくれたお蔭で私は触れるようになっただけなのかな?おかしいな、紅玉を覆っていた力はもう見えないのだけど。
「どうやら他の人は触れないみたい」
「そうか。なら蒼玉に頼むしかなさそうだな」
『残念、僕そんなに力残ってないんだよ』
「出来ればここで目を覚ましてあげたいんだけど」
「……。何度力を使った?」
「へ?えっと…さ、三回ぐらいかな」
『(え、嘘つくの!?)』
「リハルト様、少なくとも5回は使用しているかと」
誤魔化すように答えたら即座にファルド様に訂正されてしまった。ファルド様ってリハルト様に忠実すぎるのよね。それを聞いたリハルト様は他の騎士達の手前か、顔は穏やかな顔をしているが目は笑ってなかった。
「蒼玉に力が残ってない時点でおかしいと思ったがな。何故嘘をつくのだ」
「だって…リハルト様怒るじゃんか」
「当たり前だろう。お前の身を案じているのだ!」
「でも今回は私に任せるって…」
「使い過ぎるなとも言ったぞ」
「そ、それは…」
「正直に答えろ。こいつに力を与えれる程、残っているのか?」
鋭い眼光で見つめられる。人を威嚇出来る目であり、この目の前では平常心で嘘をつける者はいないだろう。リハルト様にはしっかりと王族の威厳が備わっていた。でも正直に言える筈がないので黙っていると、蒼玉も睨まれたのか代わりに答えてしまった。
『…今の力じゃ、自分の足で歩けたらいい方だよ』
ひぃ、蒼玉の馬鹿ー!怖くて顔を上げられないよ…。騎士達が居なかったら確実に怒鳴られてるレベルだ。そして静まり返っているこの空間から早く逃げ出したい…。皆も居心地悪いだろうな。
「っつ!?」
突然感じる浮遊感に焦って顔を上げると、リハルト様が軽々と私を抱き上げていた。意外と力あるんだ…ってそうじゃなくて!お姫様抱っこなんですけどっ!?すっごい恥ずかしい。
「あ、あの、リハルト様?」
「……」
「服が汚れちゃうよ?」
「……」
…もう駄目だ。何も喋ってくれないなんて私の人生終わったわ。後で死ぬ程怒られるんですよね?えぇ、分かっておりますとも。ってか紅玉をどうするんだろうと思いさりげなく見ると、蒼玉が怠そうに運んでいた。連帯責任というやつだろうか?ごめんよ、私のせいで。
「……」
「……」
馬車の中は勿論無言で、生きた心地がしなかったのは言うまでもない。ウェルディ侯爵が出迎えてくれ、すぐに湯浴みに連れてかれた。やり取りはファルド様がこなし、その間リハルト様は一度も口を開いていない。湯浴みの場所に着くなり、無言で去って行った。
「マリーだ…」
「まぁ随分汚れてしまったのですね。すぐに汚れを流しましょう」
「大丈夫、自分で出来るから」
「いけません、他の者にご遠慮頂いたのですから私がやります。それに立つのもやっとなのでしょう?」
「な、なんで分かるの?」
「顔色が優れませんわ。さ、早く脱ぎますよ」
随分久しぶりにマリーと会った感覚になった。リハルト様といた緊張状態のせいで、もの凄く安堵した。流石にいつも付きっきりのマリーには誤魔化せないみたいね。もしかしたら、リハルト様も最初から分かっていたのかも。湯浴みを済ませて新しいドレスに着替えるとタイミングを見計らった様にノックが聞こえた。当然リハルト様で、服が汚れてしまったのか服装が変わっていた。来たときと同じくお姫様抱っこで部屋に運ばれベッドに座らされた。
「…その、ごめんなさい」
「……」
「私のせいだから、二人を怒らないで?」
「……」
「私が無理を押し通したの…」
何を話しても無言のまま此方をずっと見ているリハルト様。凄く冷たい目をしていた。当然だよね、いう事聞かずに無理ばっかしてさ。こんな私に愛想つかしても仕方ないんだ。神子だからって自由にやり過ぎたのかも知れない。…他の国に売り飛ばされちゃうのかな?いう事聞かない神子などいらんって。そう思ったら居た堪れなくなってリハルト様から目を逸らした。
「……っ」
「何を考えている?」
「…え?」
「今、何を考えていた」
「っな、何も…」
「なら、何故泣いているのだ」
「え、」
言われて気付いた瞬間目頭が熱くなった。せき止めていた物が壊れたダムの様に、とめどなく涙が溢れてくる。あぁ私最近泣いてばっかだな。情緒不安定なのかな?こないだの涙の理由が今、分かった気がする。そしてこの感情は子供の時に味わった絶望感と一緒だ。たった一人ぼっちになってしまったと泣いた日のあの感情に。一人になってしまう事にいつだって私は怯えているんだ。お前はもう要らないと言われた訳じゃ無いのに、涙は止まらなかった。
「ご、ごめん、なさい、見ないでっ」
手で押さえて顔を隠す。子供の様に泣きじゃくる私をリハルト様はこないだと同じ様に抱き締めてくれた。違うのはリハルト様の腕の力が強かった事だ。
「泣くな、紗良」
優しく宥めるように声をかけてくれる。見ないで、こんな馬鹿な私を見ないで!優しく名前を呼ばないで!怒ってもいいから!!何時間でも聴くから、だからどうか…、こんな私を見捨てないで。
「もう怒ってないから泣きやめ」
「っごめ、なさい…っ」
こうやってリハルト様の優しさに付け込んで、私はいつも甘えていたんだ。逆の立場なら心配しない筈が無いのに、大丈夫大丈夫と無茶をしでかす私の事をリハルト様はどんな思いで見ていたんだろうか。だけどいつも仕方無いなって呆れながらも許してくれるんだ。
「紗良」
「いや、離して…っ見ない、で」
「紗良、何に怯えているのだ?俺か?」
「ち、ちがっ…私、私…」
「そうか。怖かったのだな」
違う方向に勘違いしたリハルト様。確かに死にそうな目には遭ったけど、自分の所為だし不思議と恐怖はなかった。怖いのは今、リハルト様に見放される事だ。言葉にしたいのに上手く喋れなかった。
「落ち着いたか?」
「…うん」
「そうか、良かった」
「…服、ごめんなさい。濡らしちゃった」
「構わん、そのうち乾くだろう」
「最初の服も汚しちゃったし…」
「気にするな」
離れてしまった体が少し肌寒かった。あの温もりが欲しいと思ってしまう私は、どうかしてしまったのかも知れない。泣き腫らしてしまった私に濡れたハンカチを差し出してくれたので、目に当てた。
「色々とごめんなさい」
「もう良い、大分慣れてきた」
「リハルト様はどうしてそんなに優しいの?」
「優しい?言われた事ないな」
「え?そうなの?」
「あぁ。社交辞令でしかないな」
こんなに優しいのに、と呟けば照れたのか顔を背けられた。リハルト様でも照れる事あるんだな。周りの皆に教えてあげたいぐらいだよ。でも、駄目だな。リハルト様の胸は貸せない。ううん、貸したくない…。はぁ、もしかして私病んでるのかな?そんな事を思うなんて…。弱っている証拠だよね。
「リハルト様は猫被るのが上手いもんね」
「その方が話が早いし、印象が良いからな」
「そっか。でも私は本当のリハルト様の方が好きだな」
「…は?」
「ん?勿論猫被ってる王子様も好きだよ?でも、素の
リハルト様のが一緒にいて楽しいかな」
「…そうか」
何だか不満気な顔をしてるリハルト様に首を傾げる。そんな私にリハルト様は「お前には甘いのかもな」と言われたので、ルドルフと同じ事を言ってると教えてあげたら苦い顔をされた。
「そういえばルドルフが消えたそうだが」
「あ、うん。力使って疲れたからって中で眠ってるよ。紅玉を運んだのがトドメだったみたい」
「そうか」
「ルドルフが居てくれたから紅玉を救い出せたんだよ。勿論、ファルド様もね」
「まぁ、何にせよ無事で良かった」
穏やかな笑顔を向けてくれるリハルト様にドキッとしながら、無意識に手を胸元に持っていくと、いつも有るはずの物が無かった。
「あれ?ネックレスがない…泉で落としたのかも」
「いつも着けているやつか?大事な物なのか?」
「よく見てるね、大事って言うかいつも着けてたから愛着があったんだけど」
「なんだ、他の男から貰った物だと思っていた」
「へ?何で分かるの?」
「なっ!」
リハルト様って千里眼でも持ってるんじゃないかってぐらい、私の事当てるんだよね。だから嘘がつき通せない訳なんだけどさ。
「あ、でももう別れちゃった人なんだけどね。物には罪は無いし、シンプルで好きだったから使ってただけなの」
「そいつの事まだ好きなのか?」
「ううん、全然!今は何とも思ってないの」
「ふうん」
「まぁ唯一前の世界から残ってた物だったから少し寂しいなって思っただけ」
何だか不機嫌な顔になって来たリハルト様に明るくそう言うと、今度新しい物をプレゼントしてくれると約束してくれた。やったー!無いと首元寂しいんだよね、楽しみだな。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆
翌朝になり、しっかりと睡眠を取り力もある程度戻ったのでウェルディ侯爵にお礼と挨拶をした。奥さんとお子さんも紹介して貰って談笑しながら食事を取った。奥さんの名前はカリレアさんで朗らかな可愛らし人だ。お子さんは全部で四人いるそうだが、二人は嫁に行ってしまい残っているのは長男のドナフさんに、三女のジャスミンちゃんの二人だった。
「神子様って凄く綺麗なのね!」
「ふふ、ありがと。でもジャスミンちゃんのがもっと綺麗で可愛いよ」
「私なんて神子様の足元にも及ばないわ!」
「そんな事ないよ!それに小さいのに良くそんな言葉知ってるのね」
ジャスミンちゃんは8才の女の子で凄く可愛くて賢い子だった。キラキラした目で色々な事を聞いてくる。それをカリレアさんが嗜めるのだった。ドナフさんは今年23になるらしく、私と年が近かった。次期ウェルディ侯爵と言うのもあり、婚約者もいるらしい。
「親が決めた相手ですけどね」
「そういう出会いも一つよね」
「神子様さえ良ければ、私と…」
「紗良、そろそろ行くぞ」
「あ、はい。ごめんなさい、またお話ししましょう」
話の途中でリハルト様に呼ばれて中断する。ウェルディ侯爵家族に軽い挨拶をして部屋を出て行った。紅玉を起こさなくては。
「お前はもう少し用心しろ」
「え?ドナフさん良い人なのに?」
「兎に角、愛想を振りまくな」
「それじゃあ、感じ悪くなっちゃうよ」
紅玉が眠る部屋に着き、外にいた騎士の人達に挨拶をして中に入るとファルド様がいた。どうやらファルド様が紅玉を見張ってくれていたらしい。白銀の一族が来るかも知れないから念の為にね。
「さて、やりますか」
「おい、蒼玉は?」
「まだ眠ってるよ。なんか精神やられたって文句言ってたけど」
「文句言うのに眠ってるのか?」
「会話ぐらいなら出来るよ?」
「精神って何かあったのですか?」
「うーん、ちょっとね」
苦笑して誤魔化した。男同士でキスさせましたとか、可哀想で言えないよね。まぁ守護者なんだから気にすんなと言いたいところだけど。精神的ダメージは大きかった様なのでそっとしといた。
「じゃあ二人共出てってくれる?」
「何故だ」
「え、だってやりずらいんだけど…」
「そう言えば、力の受け渡し方法は口付けでしたね」
ファルド様が思い出した様に呟いた。悲しい事に其れしか無いんですよねぇ。私も嫌なんだけどさ、そうも言ってられないのが現実なんだよね。祈りでも力を渡せるけど、量が違うから時間が掛かるんだ。
「俺はここにいる。お前が無茶しない様に見てないといけないからな」
「では私は失礼します。部屋の外に居ますので何かあればお呼びください」
「分かった」
「え、リハルト様も出てってよ!」
「断る」
「もー…」
ファルド様が出て行き、リハルト様は梃子でも動かなさそうなので、部屋にあるソファに座って貰った。紅玉も又、他の守護者の様に整った顔をしていた。そのうち私がキス魔だと言われそうで怖い。
「こっち見ないでね?」
「分かっている」
軽く溜め息を吐いてから、紅玉に力を流し始めた。蒼玉が言っていた様に力は余り無かった。他の守護者と違って力の残量が確認出来るのは便利だな。どのぐらいの力を送れば目を覚ますのだろうか?
「おい、長くないか?」
「…え?そんな事ないけど…」
「もう充分だろう」
「まだ半分くらいなんだけど…」
「なら充分だ」
「そうかな…?」
話しかけられた事により中断する。まぁでもリハルト様の言う通り、半分あれば良さそうかな?後は祈りで力を送っていると、紅玉が目を覚ました。髪と同じ真紅の瞳で綺麗だった。
「あ、起きた?初めまして、私は神子よ」
『神子…?』
「うん神子だよ」
『違う…俺の神子ではない』
「憶えてないの?貴方の神子に神聖森に眠らされたのを」
永らく眠っていた所為か、記憶が混濁している様なので分かる様に一つ一つ投げかけていく。すると思い出したのか突然怒りだした。
『そうだ、あいつは俺を!俺を封印したのだ!!何故だっ何故、俺を連れて行ってくれなかったのだ!?』
「きゃっ」
「紗良は前の神子ではない。間違えるな」
『神子は、前の神子は何処だ!?』
「分からない。でもね、あれからもう1000年も経ってるのよ?」
その言葉に絶望にも似た顔をした紅玉は顔を覆って呻いた。紅玉は神子の近しい人だったのかも知れない。残す方は良くても、残された方はこんなにも辛いのね。
「ねぇ神子はどうして貴方を眠らせたのか、本当に憶えてないの?」
『……俺の所為だ。俺があいつを襲った人間を殺めたからだ』
「え…」
『あいつはどんな目に遭わされても、笑って許してしまうお人好しだった。だけどあの日、あいつが襲われそうになったのを俺が助け際に殺めてしまったんだ。だけどそれを俺は何とも思わなかった。だってあいつを襲おうとしたのだから自業自得だろう?』
「…それでも駄目だよ。人を殺めちゃ」
『あいつと同じ事を言うんだな。でも俺にはそれが理解出来なかった。だからあいつは俺がこれ以上人を殺めない様に封印したんだ』
悔しげに語る紅玉の手は握り締められていた。人殺しのレッテルを貼られた神子は、これ以上人を傷付けない為にも、自分の身が危ういのも無視して紅玉を眠らせたらしい。
「そうだったんだ…。でもね、封印を解いていて一つ分かった事があるの」
『それはなんだ?』
「神子は貴方の事を大切に思ってたんだなって」
『どういう事だ?』
「幾重にも結界が張られてたよ呪いという名のね。誰の手にも貴方が渡らない様に、細かな部分までしっかりと封印されてたの。お陰で封印を解くの命懸けだったんだからね」
腰に手を当てて偉そうに言えば、少し力が抜けたのか、悲しそうに優しく微笑んでいた。少なくとも神子は紅玉の為を思って眠らせたんだと思うんだ。
『そうか、礼を言う。なぁ…あいつの最後を知らないか?』
「ごめんなさい、私は1000年振りの神子なの。知らないわ。貴方なら知ってると思ったんだけど」
『いや、俺も知らないのだ。神子、頼みがある』
「なぁに?」
『あいつを見つけるまで俺を神子の守護者にしてくれ』
「いいよ、その為に貴方を封印から解いたんだから」
理由を聞いてくる紅玉に白銀の一族の話をすると顔色が変わった。どうしたのか尋ねるも、気にするなと答えてはくれなかった。
『(今はまだ知らない方が良い)』
「再契約って必要だったりするの?」
『あぁ、そうなるな』
「そっか、分かったよ」
蒼玉と同じ様に契約の言葉を唱えて口付けを交わした。あ、紅玉の存在も感じられる様になった。二回目だけど相変わらず、不思議な感覚だな。紅玉も力が安定する迄、暫く眠ると言って消えた。翌日にはここを出るのでウェルディ侯爵や家族達と楽しい時間を過ごした。




