36暗黒森の浄化
目の前には暗くどんよりとした森が広がっていた。外は清々しい程の晴天なのに、木々が生い茂るこの森はねっとりとした嫌な空気が漂っていた。そうここは暗黒森と呼ばれている民が近寄らない場所だ。本来は神聖森と呼ばれる聖域だったのだが、神子の呪いにより魔の森と化していた。
「いいですか、私から離れないで下さいね」
「言われなくても離れないよ、こんな場所で」
「気を付けるんだぞ」
「うん。行って来るね、リハルト様」
震える手を押さえ、リハルト様に手を振って森へと足を進めて行った。中に入ると空間が歪んだ気がして後ろを振り返ると、すぐ居た筈のリハルト様達や馬車が消えていた。
「ふ、ファルド様!」
「どうやら取り込まれた様ですね」
「うぅ怖いよ…」
「仕方ありません。進みましょう」
ザクザクと臆する事もなく進むファルド様の後を離れないように着いていく。こんな所ではぐれたら一環の終わりだ。何処を見回しても薄暗くて気味が悪い。
「ねぇ景色変わらなくない?」
「そうですね」
「…お化けでも出て来そう…」
「そんなものは存在しませんよ」
「うぅ、頼もしいです」
ガサッ
「ひ!」
突然後ろから物音が聞こえて来たので驚いてファルド様にしがみ付く。もう嫌だ、帰りたいよう!こんな森に何がいるって言うのよ!!力がある者しか入れないんでしょう?なら生き物はここには居ないんだよね!?
「紗良様、そんなにしがみつかれると身動き取れません」
「だだだだって、な、なにかいるっ!!」
「下がってください」
「う、うん」
ガサガサと木々が音を立てて何かが此方に近づいて来る。ファルド様が剣を抜き音がする方に構えた。息を呑んで出てくる者を待っていると、頬に何かが触れた。
「き、きゃあああああああ!!!」
「っ紗良様!?」
ザンッ
ドサ
「いたた…」
「大丈夫ですか」
「う、うん」
その何かは私に巻きつき、持ち上げられそうになるのをファルド様が斬りつけ助けてくれた。その衝撃で地面に尻餅をつく。お尻を擦りながら上を見上げると私を掴んだ正体が明らかになった。
「え、木?」
「紗良様!走りますよ!!」
「うん!」
うねうねと動く無数の木は鞭の様にしなり、此方に攻撃を仕掛けて来る。それをファルド様が切り捨てながら走って逃げていく。くそぅ、何で木が動くんだよ!?神子なら大丈夫って言ったじゃない!!
「はぁはぁ…」
「大丈夫ですか?此処までは追ってこない様ですね」
「もう駄目…」
走った疲れから地べたに座り込む。逃げてきた場所は泉があった。この森の雰囲気とは正反対に、泉の水は透明で澄んでいた。心なしか此処の空気も澄んでいる気がする。太陽の光など一切入らないのに、水はキラキラと輝いていた。
「蒼玉!」
『呼んだ?』
「呼んだ?じゃないわよ!何で出てこないのよ」
『本当に危なくなったら出るつもりだったよ。それにファルドがいるから問題ないでしょ』
「はぁ、もういい。水飲みたいから出して」
『飲料水じゃないんだけど。はい』
蒼玉が指を鳴らすと水泡が宙に舞い、それを口に含むと乾いた喉に染み渡った。うん、なかなかいけるわね。泉を覗き込んで奥を見つめるも魚はいなかった。残念だ。
「危ないですよ紗良様」
「大丈夫よ何もいないもん」
「お召し物が汚れていまいますよ」
「黒だから分からないって。力を使うなら此処でいいかな」
『ファルド、紗良には何言っても無駄だよ』
「そのようで」
透明の泉に手を付けて祈る。紅玉の居場所をどうか教えて。今もこの地に眠る紅玉を見つけて起こしてあげなくちゃ、神子として。祈りの粒子がキラキラと泉を飲み込もうとしたその時、手が滑り泉の中に落ちてしまった。
バシャーーン
「っ!ごぶぁっ」
思わぬ事態に慌てた為、口から空気が出て行く。泉は思ったより深くて体はドンドン沈んでいく。息苦しくなっていくのに何だか頭の中は冷静だった。
「(綺麗…)」
ゴポポ
水の泡が上にがっていく様が綺麗でぼんやりと見つめていると、ドボンと誰かが泉に飛び込む音が水を通して伝わってきた。あぁ、きっとファルド様だろう。でも…もう息が続かない。近づくファルド様に腕を掴まれた時には意識を手放していた。
ザバァ
『ファルド大丈夫か!?紗良は?』
「ガハッ!蒼玉様、そういう事が出来るなら早く力を使って頂きたかった」
『ゴメンゴメン、どのぐらいの水を動かせるのか分からなかったからね。二人共無事で良かった』
僕は力を使い泉の水ごと一気に二人を引き上げたのだった。紗良は水を飲んでいたが、微量だった様ですぐ目を覚ましてホッとする。紗良とファルドの衣服についた水を弾き泉に戻した。水関係なら何でも出来るみたいだ。便利な力だな。
「はぁ、ごめんなさい。助かった…」
「貴女に何かがあれば怒られるのは私なんですからね」
「気をつけます。それよりも何かいる…?」
「えぇ、ですが此処には近寄れない様です。先程の木ではないみたいですが」
泉の周りを囲うように何かが蠢いていた。もしかして中途半端に力を使ったせいなの?でも困ったな、これでこの泉から動けなくなった。
「もう一度やるね」
「お願いします」
目を閉じて集中して祈る。今度こそ紅玉の場所を見つけなくちゃ!
「泥人形!?紗良様!」
「……」
『聞こえないみたいだね。ここは僕等で食い止めよう』
「分かりました」
紗良が祈りを再開すると木々の間から無数の泥人形が此方に近付いて来た。泉に近付けないと思ったが、見当違いだったな。紗良目掛けてくる泥人形をファルドと共に倒していく。
「粒子が泉の中に?…っきゃああ!?な、なんなの?」
「紗良様!」
ザシュッ
『祈り始めたら、こいつらが襲って来たんだよ』
「え!?全然気付かなかった」
「倒しても倒してもキリがありません」
「っそんな」
ファルド様は泥だらけになりながらも剣で斬り倒し、蒼玉も水を使い泥人形を壊していく。でもまた地面から生まれてくる為、此方の体力が削られていくだけだった。
「蒼玉!力を貸して!」
『今手が離せないんだけど、如何すれば良い?』
「粒子が泉の中に入っていったの!だから泉に入れる様に水を操って欲しい!ほら、前に話したシャボン玉の要領で!」
『いきなりそんな事言われても。人を中にしてだとより調節が難しいんだ!安全の保証は出来ない!!』
「それでもやるしかない。其れしか方法は無いの!ファルド様、此方へ!!」
ファルド様と蒼玉が此方に駆け寄って来る。泥人形は動きはあまり早く無いので、この隙にやるしかない。蒼玉は何やら呟いた瞬間に水の膜が私達を包み込んだ。
「蒼玉!泥人形がすぐそこに!!」
『準備出来た。行くよ!』
「わぁ!」
「素晴らしいですね」
水の膜の中に入ったまま、泉の中にゆっくりと入っていった。蒼玉の集中力が切れたらいけないので話かけない様に気を付けなくちゃ。
「やっぱり綺麗だわ」
「不思議な感覚ですね」
「粒子はどこにいっちゃったんだろう。多分この中に紅玉が居る筈なんだけど」
「もう一度祈ってみては?」
「うん」
本日三回目となる祈りを捧げる。こんなに力を使ったらリハルト様に怒られそうだけど、この森では状況に応じて使用しついいと許可を貰ってるから大丈夫だよね。印から金の粒子が飛び出して水の膜の中に漂う。その膜をすり抜けて更に下へと消えていった。
「下だわ!きっと其処に紅玉はいる」
『これ以上はどうなるか分からない』
「しかし上には泥人形がいて上がれません」
「私は覚悟を決めた!ファルド様も決めて頂戴」
「分かりました。最後までお護りします」
「ふふ、決まりね。蒼玉お願い」
『はぁ、全く。分かったよ』
水の膜は更に下降を続けて泉の一番下に着いた。やれば出来るじゃない。そのまま横に移動して行くと大きな木が生えていた。
「泉の中に木!?」
「しかし地上には木は出ていませんでしたよね」
「もしかして、ここなのかも」
「どうしますか?」
「…あの木に直接祈らなきゃ」
でもその為にはこの膜の中から出なきゃいけない。勿論二人に止められた。だけどずっとこのままじゃ現界は来る。酸素だって限られているのだから。
「蒼玉。私だけここから出せる?」
「紗良様!いけませんよ!!」
「でもこのままじゃ共倒れしちゃうよ」
「しかし…」
『一人出すのは無理だ。壊れてしまう』
「ファルド様、私を信じて下さい」
「はぁ、全く言い出したら止まらないんですから」
苦笑しながら、でも優しげな表情でそう言われた。それを肯定と捉えて、息を大きく吸い込んだ。蒼玉を見て頷くと水の膜は破れて水の中に放り出される。
「(祈りを…)」
木に手を重ねて口付けをして祈ると、粒子が木を取り囲み中に入っていった。吸い込んだ空気が無くなるけど仕方ない。後は蒼玉が如何にかしてくれるだろう。
「紅玉目を覚まして。私は神子。貴方を迎えに来たの…っ!」
「(紗良様!?)」
『紗良!』
お願い。答えて!酸素は無くなりそろそろ現界が来た。それでもまだ紅玉は現れない。ごめんなさいファルド様。危険な目に遭わせちゃった…。
「(蒼玉様、もう現界です!上に!)」
『あぁ、行くよ』
紗良とファルドを掴み、一気に上へと上がった。外には泥人形達が犇めき合って居たので泉の水を使いザッと押し流した。泥人形が居なくなったのを確認して地面に降立ち紗良を寝かした。
「紗良様!紗良様聞こえますか?」
「……」
『水をかなり飲んだみたいだ』
「蒼玉様、飲み込んだ水を取り出す事は可能ですか?」
『出来ると思うけれど、体の水分まで奪ってしまうかも知れないよ』
「なら応急処置をします。蒼玉様は敵をお願いします」
『分かったよ』
ん?待てよ、応急処置って…あー人工呼吸だね。仕方がないよね緊急事態だし、リハルトには黙っておこう。水の力を使い、泥人形がこちらに近づいてこない様に水のバリケードで泉の周りを囲った。すぐ傍の地面からも這い出てこない様に地面にも薄い膜を張ってある。うん、この力は防御する方が合っているのかも知れないな。
「げほっがはっ!」
「紗良様、私の声が聞こえますか?」
「ごほっ、はぁ、ファルド様?」
「良かった、お目覚めですね」
「紅玉は…?」
「残念ながらまだ」
「そんな…」
私は意識を取り戻し、飲み込んでいた水を吐き出して体を起こした。泥人形は蒼玉が抑えててくれてるみたい。なんで紅玉は起きないの?力が足りないの?それとも、起きたくないのかな…?
「まさか、この森の呪いを解かなきゃいけないの…?」
「その様な事、出来るのですか?」
「分かんない、けどもしそうならやらなくちゃ」
『駄目だ!力を使い過ぎだよ。この森ごととなると一体どれ程の力を…』
「それでもやる。私は神子だもん。大丈夫だよ!」
蒼玉の言葉を遮り、ニッコリと安心させる様に微笑んで立ち上がった。どうせこの森を暗黒森ではなく、神聖森の名に相応しい聖地に戻そうとしてたしさ。前の神子がした事なら私が浄化できないわけがない。今までにないぐらい力を使いそうなので、気合を入れて両手を胸の前で組んで祈りを始めた。
「やはり祈りの力に反応している様ですね」
『急に活発になったね。僕はこちらを守るからファルドは前を。いけるかい?』
「当然です。私の力をお忘れですか?ルドルフ様」
『覚えているよ。じゃあ任せたから』
「えぇ」
☆ー☆ー☆ー☆ー☆
どの位の時間がたったのだろうか?森中に力が行き渡ったのを確認して目を開ける。粒子が漂い暗く陰気な空気が薄れた。森中に粒子が溶け込むとザァッと強い突風が吹く。
「っきゃあ!」
「紗良様!」
「あ、ありがとファルド様」
倒れそうになる突風にファルド様が支えてくれた。暫くして突風が止むと、其処には色鮮やかな花が咲き、日の光がふんだんに入る素晴らしい森に変わっていた。
「泥人形達も消えてしまいましたね」
「うん。上手くいったみたい…ね」
『紗良!だから言ったじゃないか、無理をして』
「ちょっと疲れただけだってば。大袈裟なんだから!」
疲労からか膝から崩れ落ちそうになるのを、支えててくれたファルド様のお陰で何とか踏み止まった。その様子に慌てた蒼玉が来たのでやんわり窘めた。
「まだもう一仕事残ってるよ」
『今日はもう無理だ。明日出直そう』
「それは駄目だよ。この森の呪いを解いてしまったから、紅玉は無防備な状態なんだよ?白銀の神子が来たら如何するの?」
『だからってそれ以上は紗良が危ないよ』
「紗良様。一先ず戻りましょう。呪いが解けたのであれば他の者が見張りをする事が出来ますし」
「でも…」
万が一白銀の神子が来て、見張りの人を殺してしまったら?そんな事が無いなんて言い切れないのに!
「…私は神子よ。誰が私を止められるの?」
「紗良様?何を…」
「蒼玉、私を泉の中に」
『だから駄目だって言ってるだろう!?』
「これは命令よ。貴方は私の守護者でしょう?」
『…っ、分かった』
「蒼玉様!?止めて下さい!」
『悪いね、神子の命令には逆らえないんだ』
ガラリと雰囲気を変えてそう言えば、蒼玉は命令を聞いてくれた。神子には誰も止める事は出来ないし、逆らえない存在なのだ。大切にしてくれるのは分かる。でもね、誰かを犠牲にはしたくないの。
「私と蒼玉だけで行くわ。ファルド様はここで待ってて。反論は聞かないから」
「…分かりました。無事にお戻りを」
「行ってきます」
ファルド様に背を向け、先程と同じ様に蒼玉の力で水の膜に包まれて泉の中に入っていった。先程と違うのは下の方で何かが輝いていた。ゆっくりと近付いてみると透明な力に包まれた赤色の長い髪を持つ男性が漂っていた。
「もしかして、紅玉?」
『恐らくは。あの力は粒子を通さないみたいだね』
「ギリギリまで近付いて?」
『良いけど、今度は何するんだい?』
「こっちに引っ張りこんでみる」
『は!?また壊れるよ』
「いいからいいから!」
ニッと口の端を上げて笑えば、渋々移動してくれる蒼玉。私に一つ考えがあるのよね。勿論失敗するかも知れないんだけどさ、いざとなったら蒼玉の力で水ごと上げればいい。
「元は私の力でしょ?同調すればすり抜けられると思わない?粒子はすり抜けれたんだし」
『成る程ね。まぁ僕は水の中でも平気だから好きにしなよ』
「ありがと、ルドルフ」
『…紗良って狡いよね』
「ふふ、私の為に働いてくれるんでしょ?」
水の膜に手を当てて集中する。力の流れを感じる事が出来たので、私の力を流しながら膜を壊さない様にして手を外にすり抜けさせる事に成功した。
「ふぅ、かなり集中力いるのね」
『成功させてしまうあたりが凄いよね』
「痛っ、これ私の手を弾くわ」
『僕がやろう』
スッと出した蒼玉の手は弾かれなかった。人の手には触れれない様になってるみたいね。細かい所まで神子の力が施されてるのは、紅玉を大切に思っていた証拠なんだろうな。
『よし、中に入れたら壊れるかな?』
「…うーん、やってみる?」
『紗良は何回死にそうになれば気が済むんだい?』
「あ!そのまま膜を紅玉にもお願い!多少の水は構わなから。そのまま此方とくっつけよう」
『素晴らしい考えだけど、人の話を聞いてね』
「はぁい」
『はぁ、紗良に甘い僕もいけないんだろうな』
溜め息を吐きながらも蒼玉はやってくれ、見事紅玉をこの中に入れる事に成功した。問題はこの彼の周りを覆っている力なんだけど…。
『…嫌な予感がするんだけど、何故僕を見ているか聞いてもいいかな?』
「思ってる通りだと思うよ」
『嫌なんだけど』
「だって私じゃ弾かれちゃうし」
『後で口直しさせてよね』
「それはちょっと…」
半泣きになりながらも蒼玉は紅玉に口付けをして力を流した。粒子は通さないのなら直接流し込むに限るもんね。暫くしてある程度力が流れたお陰か、紅玉を覆っていた力が消えた。
「やっぱり、私の読みは間違いじゃなかったわね」
『男と口付けするなんて最悪だ…。力も減ったし』
「時間が経てば戻るでしょ。私なんかもうヘロヘロだよ?」
『知ってるよ。結構危ない事もね』
「ふふ、内緒だよ?」
『バレると思うけどね』
これ以上の維持は蒼玉がキツイので、地上へと戻った。地上には無事に戻った私に安堵したファルド様と、何故かリハルト様と数人の騎士達がいた。




