30薔薇の守護者
辺り一面、見渡す限りの薔薇が広がっていた。私が座っている椅子の下も薔薇が咲き誇っていた。薔薇の蔓が伸び精巧に組み込まれているそれは、まるで薔薇の玉座の様だった。棘は抜いてあるのか座っていても刺さることは無い。その椅子は下に咲く薔薇に、足が触れるか触れないかの少し高い位置にあった。
「薔薇ばっかり、ううん薔薇しかないのね」
誰も居ないその場所で一人そう零す。上を見上げれば澄み渡る晴天で此処が外なのが分かる。風が吹き、薔薇の香りを持ち上げて此方に流れ込んできたのを深く吸い込んで、吐き出した。
「ここ、何処だろう?私はなんで此処にいるんだろう」
年を越して新しい年に皆で食事をして、めったに飲まないお酒を飲んでベッドに倒れ込んだ事は覚えてるんだけど…。一体何がどうなったのか全く思い出せなかった。覚えていない事は仕方が無いので、ボーっと空を見上げていると何処からか足音が聞こえた。
「誰かいるの?」
辺りを見回しても薔薇しかないそこへ声を投げかけるも、返事は無かった。溜め息を吐いて、足に触れる薔薇がくすぐったかったので足を玉座の上に乗せて目を閉じた。冬だったからこんなに数が多くて、満開の薔薇は久しぶりだったので香りを楽しんでいると、下から声がした。
「女性がそんなはしたない恰好をしたら駄目だよ」
「…え?」
驚いて目を開いて下を見れば、金髪青眼の10歳ぐらいの子供がそこにいた。
「…リ、リハルト様?」
「ううん、違うよ」
「顔こそ幼いけど、似てるわ」
「そうかな?」
リハルト様を幼くした様なその子供は、ふわりと優しく微笑んだ。子供なのに子供らしくないその笑顔はとても大人びていた。
「でも違うわね」
「そう違うんだよ」
「リハルト様は意地悪に笑うか、無邪気に笑うかだもの」
「よく知ってるんだね」
嬉しそうに目を細めて私の話を聞く少年は、リハルト様の事を良く知っているようだった。此方においでと言って少年を引っ張りあげて膝の上に向かい合うように乗せて上げたらお礼を言われた。しっかりしている子だな。
「貴方のお名前は?」
「内緒」
「え?どうして?」
「僕は存在してなかった人間だから」
「存在していなかった?どういう意味なの?」
「誰かの代わりの存在だったんだよ」
にっこりとそう言い放った少年に、憂いの表情は見受けられなかった。ただ、ニコニコと笑っている。何だかその表情に胸が痛くなった私は目の前にいる少年をきつく抱きしめた。
「わっ!どうしたの?」
「自分の気持ちを隠すのが上手いのね」
「え?どうしてそう思ったの?」
「ふふ、そんなの簡単だよ。私もそうだったから」
「え…?」
新しい継母が来て、気に入って貰おうとニコニコしてた子供時代。心の中では実母が絶対的な母であったけど、継母は新しい母になるのでなるべくいう事を聞いていた。最初は良かったんだけど、段々継母の本性が出始めた。前妻に似ている私を疎ましく思ったのか、前妻に子供を押し付けて父と二人で生活できる筈だったのにと予定が狂った事か、はたまた両方か。分からないけれど、私のする事が全て気に入らなくなり、暴力を振るわれる事もあった。
「いつも大人の顔色を窺って生きてた。怒られない様に、褒めて貰えるように。貴方みたいにいつも笑ってたの」
「…苦しかった?」
「うん、凄く苦しかった。逃げ場がなかった。この場所を追われたら私は生きていけないと思っていたから…狭い世界しか知らなかったのよ」
「頑張ったね、紗良」
「ありがとう。私の名前は知ってるのね。ずるいわ」
「ずるい?はは、紗良は子供みたいだね」
体を離して少年の目を見れば優しく細められていた。小さな手で頭を撫でてくれた。貴方はまるで大人みたいだね、と言えば首を横に振った。
「僕も紗良と一緒。大人でいようとしたんだ。褒めてもらえる様に、恐怖を打ち消すように。ただね、一つだけ僕の光があったんだよ」
「光?」
「うん、僕の弟。弟の為に生きて、弟の為に死んだの」
「えっ、死んだ!?」
「はは、紗良は鈍いよね。ここは夢の様で、夢じゃない場所。紗良は僕が連れて来たんだよ」
「どうして私を?」
首を傾げる私に、「ただ話して見たかったんだ」と。死んでいると言った少年は目の前で見ても、触れても私となんら変わりはなかった。この世界では生きているのだろうか?人は死んだら天に召されるんじゃないのかとグルグル考えていると、少年は更に続けて言った。
「小さい頃は色々と嫌だったんだ。だけどね、いつしか弟がいれば僕はそれで充分だと思っていたんだ」
「随分達観した子供ね」
「そうかな?僕は魂を分けた片割れが今日も笑って生きててくれれば、それで幸せだったんだ」
「双子だったの?」
「うん。双子はね禍が起こるとされているんだ。だから遅く産まれて来た方が、殺されるか、片方の影武者として生きるかのどちらかなんだよ」
「そんな酷い事!迷信じゃない、そんなの!」
「そうだね、父上と母上がそう言える強さがあったら僕の人生も変わったかも知れない」
淡々とそう教えてくれる。全てを受け入れて全てを許してる、神様のような心を持っていた。私が思わず自分の苦しみを話してしまった様に、縋りたくなる程の愛を持っていた。
「そう…。でも貴方が兄なら、それは弟の役目だったんじゃないの?」
「そうだよ。でもね、からくりがあるんだ」
「どんな?」
「双子ってね、後から生まれた方が本当は兄なんだよ!」
「…あ、聞いたことあるかも」
日本でも昔は後に産まれて来た方が兄だと言われてたみたいだけど、現代では先に産まれた方が兄と定められてるんだよね。この話聞くまで忘れてたけど、この世界も同じ様に変わっていったのだろうか?最初からなのだろうか?まぁ知ってどうなるって話なんだけどね。この子の人生は終えてしまったのだから。
「死んでから思い出したんだ。産まれる前にね、僕は弟を守る為に死ぬって知ってて選んだんだよ。この人生を」
「え、選ぶの?自分で?」
「そうだよ。皆忘れてるだけなんだ。だから僕は自分で決めた人生をやりきったって訳!」
エヘン!と手を腰に当てて、誇らし気に笑う少年は可愛かった。やっと年相応な笑顔が見れた。偉いねって頭を撫でると照れ臭そうにしていた。
「貴方の話を聞いてたら、私の子供時代なんてどうってことないね」
「大事なのはその先をどうやって生きるかだよ。紗良は選んだでしょ。全てを理解して、許して、今を生きてる」
「…そんな貴方の様な尊い考え方じゃないよ?お互いに子供だったんだって思ったの。勿論私は子供だったんだけどね。周りも子供だったと思えば、少しは楽になるし、傷は治らないけど忘れる事は出来るでしょ?だから蓋をしたの。もう終わった事なんだって」
「ううん、そうやって思える事が凄いんだよ。自分も子供だったから相手の苦しみに気付いてあげられなくてごめんね、って思っていたんでしょう?紗良は本当に素直で優しくて相手を思いやる事が出来る素晴らしい人だよ」
何で話してないのに、私の思っていた事が分かるのだろう。今でも思い出せば、少ならからず憎しみや恨みは出てくる。全く無い訳じゃない。だけどその度にもう終わった事だと言い聞かせた。私に悪い部分があったのだろう、向こうも辛かったのだろう、お互いに歩み寄れなかったんだろうか?そう考えてしまうの。
「そんなに綺麗な人間じゃないよ。今でも蓋を開けたらドロドロした物が入ってるもの」
「誰だってそうだよ。僕もあったから」
「…皆、綺麗なだけじゃ生きていけないよね」
「うん。皆何かしらを隠して生きてる。沢山笑う人程、悲しい思いをしてる事が多いんだよ。だからいつも笑ってる紗良は辛いことを乗り越えた強い人だ」
「ふふ、私よりも何倍も生きてる人みたいな事言うのね。貴方は子供なのに、私の方が年下みたいだわ」
「これは受け売りなんだけどね」
ペロッとお茶目に舌を出してそう言った。大人びているけど、背伸びしてるだけの子供なんだな。この子の弟は羨ましいな。こんな素敵なお兄さんがいるのだから。
「ねぇ、どうしてこんな所にいるの?亡くなったら行くべき場所があるんじゃないの?」
「僕は神子を待っていたんだ」
「神子を?」
「うん、ずっと神子が来るのを待っていたんだ」
「どうして?」
「僕を紗良の守護者にしてほしい」
「え?守護者に!?出来ないよ!やり方なんて知らないし…」
首を横にぶんぶん振って断る。そもそも子供を守護者なんかにしたいとも思わないし。元人間がなれる様な存在なのだろうか?私的には精霊の様な存在だと認識してるのだけど。
「出来るんだよ」
「何で貴方がそんな事知ってるの?」
「ここの守護者が教えてくれたんだ」
「え…?…ここってローズレイア?」
「そうだよ」
「そういえば、会ったこと無いわ」
ローズレイアの守護者は一度も会った事は無い。考えてみれば、この場所に居てもおかしくないのに。
「紅水晶」
「え?」
「ここの守護者の名前」
「紅水晶…いつか会ってみたいわ」
「いるよ、ここに」
「え、でも見えないわ」
「あ、ちょっと待ってて」
少年は私の膝からスルリと降りて、下の薔薇が咲き誇る場所にしゃがんだ。何をしてるのかと椅子に座ったまま覗き込んでみると、人が倒れてた。全身淡い桃色の少女だった。
「起きて紅水晶!」
「え、その倒れてる人!?」
「そう。倒れてるっていうか寝てるんだ」
「寝てるの!?」
少年に何回か頬を叩かれて目を覚ました紅水晶は美人だけれどとても愛らしい少女で、大きな桃色の瞳に桃色のウェーブがかかった髪を二つに結んでいた。お人形の様に愛らしかった。
「こんにちは、紅水晶。私は神子で紗良って言うの」
『知ってる。ずっと見てた』
「そうなの?」
『うん。神子の祈りは心地よい』
「届いてて良かったわ」
今は紅水晶が作ってくれた3人掛けの椅子に座って話をしている。私を真ん中にして両サイドに二人の子供が座っており、最高に可愛くて幸せだ。一生このままでも文句は無いかも知れない。
『話、終わった?』
「本題に入ったとこだよ」
『そう。神子、この子を神子の守護者に』
「そんな事急に言われても…」
『その為に呼んだ。ずっと待ってた』
「そもそも、どうして守護者になりたいの?」
「紗良を護る為だよ。それにこの国を僕も護りたいんだ」
少年の目は真剣で、強い意志を持っていた。この目、リハルト様もたまにしてたな。揺るがない芯を持っている人の目。この子が生きてたら素晴らしい大人になっただろうに。どうしてこの子は死んでもなお、人を、この国を護りたいと思うのか。
「私を護る?今日会ったばかりなのに?」
「僕は君の事をずっと見ていたからね。どんな人なのか良く知っているよ。その上で君の守護者になりたいんだ」
「…私は貴方の事知らないし…」
「これから知っていけばいいんだよ。それに、この国を護るのは僕の務めでもあるから」
「どうして?」
『神子は相変わらず鈍い』
「これじゃあ苦労するよね」
二人の子供が頷きあっているが、私に分かるように話してくれないだろうか。皆して私の事を馬鹿にして…。今で鈍いとか言われた事無かったのに、この世界に来たら合言葉の様に、鈍い鈍い鈍い…って酷いと思う。一人半泣きになっていると、衝撃な事を思い出した。
「ね、ねぇ…」
「なに?やっと気付いたの?」
「ううん、そんな事より!向こうじゃどれぐらいの時間経ってるの!?」
「……そっち?僕は分からないなぁ」
『まだ一日。心配ない』
どうやら守護者によって時間の流れは違うらしい。琥珀の時間が早い方だったのか。まだ一日なら安心だわ、これが一ヶ月とかだったら栄養が取れず死んじゃう!
『王子は心配してるけど』
「も、戻らなきゃ…」
「紗良、僕を守護者にして」
「出来ないよ、知らないもん。方法なんて」
『やり方は簡単。契約の言葉を紡いで口づけするだけ』
「口づけ!?む、無理無理!子供としたら捕まっちゃう!」
未成年に淫らな行為は犯罪です!と力説していると、二人に鼻で笑われた。少年は子供の姿だけど、生きていたら成人している年らしい。それでも出来ないと言えば青年の姿に変わった。そもそも口づけが問題であってそういう事じゃないのだけど。
「これなら問題ないでしょ」
「っ、もっと無理!!」
「どうして?子供じゃないだろう?」
「だって、リハルト様の姿じゃないっ」
「これは僕の姿だよ。リハルトは僕の片割れ。弟、いやあちらでは兄さんだね」
「…嘘……。だって双子なんて、聞いたことないもの…」
「言えないよ。この国の黒い歴史だからね」
少しだけ悲しそうにそう言った少年、もとい青年。名前をやっと教えてくれて、ルドルフと名乗った。時折、リハルト様が見せる弱さはルドルフが亡くなった事に関係している様な気がした。本当にそっくりなその姿に尚更、出来る筈が無いじゃないか!
「る、ルドルフ。また次回にしよう?少し考える時間が欲しいの」
「駄目だよ紗良。してくれるまで紗良は帰さないから」
「そんな…」
『この子は転生の道を選ばず、ここに留まって神子を待っていた。覚悟ならある』
「ねぇ一つ教えて。守護者は皆、元人間なの…?」
『違う。守護者は高貴な存在。神子と契約を交わしただけ』
「契約?力を引き換えに?」
『そう』
紅水晶は言葉が単発であまり多くは語ってくれないけど、隠さずに話してくれる。高貴な存在という事はやっぱり精霊の様な存在という事だろうか?なら人間が守護者になったことがあるのかと聞いたら、あると答えてくれた。
『名前に「玉」が付く者が元人間』
「え、じゃあ、紅玉は元人間なの!?」
『そう』
「そんな…どうして?」
『彼もまた神子に望んだ。傍にって』
「望んだ…でも今はきっと苦しんでる。ルドルフもそうなるかも知れないんだよ…?私のせいで」
「僕は紗良と共に生きるから、紗良が死んだら僕も終わり。彼や他の「玉」の名を持つものが今も生きているのは、神子が望んだから。共に消えるのではなく、次の未来に託して」
「なら、私もそうするかもしれない」
「そんなの、僕は許さないよ」
笑顔だけど有無を言わせない顔でそう言い放ったルドルフ。そんなの、私が生きてと思ったら逆らえないじゃんと言えば、「優しい紗良は絶対に僕の願いを叶えてくれる」と言われてしまった。どこからその自身が湧いてくるんだろう。この笑顔凄く苦手だ。全部見透かされてる気がする。
「私、そんな聖人じゃない…」
「知ってるよ。さぁもう充分でしょ?」
「…言葉なんか分からないもの」
『問題ない。神子の頭に送る』
「うわ、なんか来た!」
頭の中によく分からない言葉が流れ込んで来た。だけど意味は全部分かる。これを口に出して唱えてから、対象者に口づけをすると粒子が対象者を包み込んで守護者になるらしい。最後に名前をつけるのだそう。
「前の名前じゃ駄目なの?」
『新しい存在には、新しい名を』
「「玉」付きで?」
『そう』
「それは目印なの?」
返事の代わりに紅水晶は頷く。守護者は土地を護る者。だけど「玉」付きだけは神子を護る。その為に通常の守護者には無いそれぞれ特化した能力があるそうだ。続きを聞こうとしたら、膝に重みがかかったので顔を下に向けると紅水晶だった。
「…寝てる?」
「紅水晶は定期的に寝るんだ。だから話の続きは起きてからだね」
青年姿のルドルフが笑顔でそう言った。現実に戻りたいんですけどー!え、まさか紅水晶が起きるまでこのままなの!?
「リハルトとの事、聞かせて?」
「見てて知ってるんじゃないの?」
「紗良の口から聞きたいんだ」
そう言われたので、リハルト様が如何に私に意地悪かを力説してあげた。それを嬉しそうにルドルフは聞いていた。
次回に持ち越します。




