25ジョセフィーヌ嬢
たまには甘い物が食べたくなって厨房に顔を出した帰りに、凄く綺麗な人を見た。金の長い髪が歩くたびにサラサラと動き、白い肌が太陽の光を浴びて更に輝いている。その人が微笑むたびに世界が震える。新緑の様な薄い黄緑色のドレスは白い肌によく映えた。溜め息が出るぐらい綺麗な人って存在するんだな。
「ほわー…。あれだけ綺麗だと羨ましいを通り越して見とれてしまうわね」
一人そう呟く。そもそも何故あの人が庭園にいるんだろう。薔薇は今の時期じゃ季節外れで見れないし…。あれ?隣にいるのはリハルト様?
「あ、もしかして婚約者!?やっぱり王子の婚約者って桁外れね」
あの方向だと温室ね。あそこなら薔薇が咲き誇っているからお勧めよね。リハルト様も笑顔で接してるし、お似合いの二人だわ!
「絵になるってこういう事いうのよね」
暫く眺めていると、婚約者の女性と目が合った。少し迷った挙句、軽く会釈してニコリと微笑んだ。そうすれば、あちらも軽く会釈してくれた。リハルト様とも目が合ったけれどすぐ逸らされてしまった。
「…まだ、怒ってるのかな」
一瞬、婚約者の人に睨まれた気がしたんだけど…気のせいよね?うん、気のせいだよ。厨房で作ったお菓子を握りなおして歩を進めた。こんなに良い天気なのに、なんだか少しだけ気分が暗くなった。
「わぁ、美味しそう」
「これマリーの分ね」
「いいんですか?有難う御座います!!」
「…やっぱり全部食べていいよ」
「え!?」
いくつかのお菓子と私の顔を交互に数回見た後、手に持っていたお菓子を机に置いた。どうやらお茶を用意してくれるみたい。暫くして紅茶が出てきたので、それを口にする。…うん、美味しい。
「どうかされたんですか?」
「どうして?」
「なんだか元気ないみたいですし」
「何にもないよ?」
「せっかく作った物でしたら、何時もなら凄く嬉しそうにお話されるじゃないですか」
「そうだっけ?」
そうだよ、厨房を出てきた時まではそうだったんだけどさ。なんだか気分があがらないのよねー。紅茶を飲み干しておかわりを貰って、また飲み干したらお腹がタプタプになった。
「紗良様、飲みすぎですよ」
「戻ってくる途中でね、凄く綺麗な人を見たの」
「綺麗な人ですか?今日の予定にそんな話は聞いていませんけど…」
「そうなの?リハルト様の婚約者だと思ったけど」
「リハルト様に婚約者はおりませんよ」
「え?王子なのに?」
「えぇリハルト様が……あれ?それでお元気ないのですか?」
何やら急にニヤニヤしだしたマリー。なんなんだよ、その笑みは。違うよ!その女性に睨まれた気がするって事と、リハルト様がまだ怒っている事をマリーに話した。
「私なにもしてないのに…、でも気のせいよね?ねっ?」
「見てないので分かりませんが、もしかしたら本当に睨まれたかもしれませんね。リハルト様といつも一緒にいる神子様ですからね」
「いつも一緒にいないよ」
「夜会で見られてないんですか?」
「夜会なんて一回しか出てないもん、覚えてないよ。第一誰とも話してないもの」
仕方なく出た夜会だし、食べ物しか見ていなかったから人なんて勿論見てない。明るい色のドレスを纏った貴族の女性達が少し羨ましかった事は覚えてるんだけどな。
「あんなに綺麗な人、見たら絶対に忘れないよ」
「そんなにですか?紗良様がそう仰るなら相当だと思いますが…」
「うん、神様に愛された様な容姿だった。あんなに綺麗な人を私は見た事ないわ」
「…ふふ、リハルト様と同じ言葉ですわね」
「…あれはからかってるだけよ」
「もう紗良様ってば…。そんなに気になるのでしたら情報の収集に行って参りますね」
「え、いいってば…って行っちゃった」
気になってる訳じゃないのに…。もう行ってしまったものは止められないので、諦めて作ってきたお菓子を手に取り口に放り込んだ。今日作ったのはカップケーキだ。マフィンでも良かったけど、カップケーキの方がサイズも小さくて食べやすいと思ったからだ。
「只今戻りました。分かりましたよ美女の正体」
「お帰りー」
「今日突然来られたみたいですよ。ラッケルタ侯爵の令嬢、ジョセフィーヌ様でした」
「そうなんだ」
「…せっかく聞いて来たのに反応薄いです…。あー!お菓子全部くれるんじゃ無かったんですか!?」
「一つぐらい良いじゃない。全部食べたら太るよ?」
もの凄く悲しそうに言われたから、残りを全て渡した。それをマリーがホクホクした顔で腕に抱えていた。その幸せそうな顔に私まで笑顔になった。
「え?そうなんですか?」
「うん、甘い物だからね」
「では少しずつ食べます!」
「日持ちしないから、侍女の皆で食べたら?」
「そうします!」
そんなに喜んでくれるなら作った甲斐があるな。薔薇ジャムも「凄く優雅な気分になりました!私、一生紗良様について行きます!」と言ってくれたしね。…食べ物で釣られるなんて、安くない?と思ったけどそれは内緒だ。一応、食べ過ぎて太っても私のせいにしないでねと念を押しといた。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆
「まぁ、神子様が此方を見ていらっしゃるわ」
「え?あぁ、本当ですね。さぁあちらへ」
「えぇ」
本日突然来訪した招かれざる客、それはラッケルタ侯爵の娘であるジョセフィーヌ嬢だった。先日の話が現実として起こってしまったという最悪な状況だった。まさか、紗良に一緒にいる所を見られるとは思わなかった。何となくこの状況が気まずくて、目を逸らしてしまったが気にしていない様だった。…悲しいくらいにな。
「何度来てもここの薔薇はとても綺麗ですわ」
「ありがとう。庭師が聞いたら喜びますよ」
「神子様の御眼鏡に適うだけの事はありますのね」
「えぇ、神子はどんな花より薔薇が好きな様でしてね」
「夜会の薔薇を使用したドレスも見事でしたものね。私、思わず見とれてしまいましたもの」
ニッコリと微笑みながらそう答えるジョセフィーヌ嬢。顔は笑っているが、目が笑ってないな…。紗良と張り合えるとでも思っているのだろうか。あれは次元が違うのだ、張り合える訳も無いのだ。こんな茶番に付き合いたくもないのだが、侯爵令嬢を無碍に扱うことも出来ず、渋々付き合う羽目になっている。
「私もあの様に美しい方がいるのだなと、思ったものです」
「…まぁ、リハルト様もそう思われたのですね。直接お会いしたいものですわ」
「いつか機会があれば」
「神子様はどんなお方ですの?」
「神子はとても笑顔が素敵で、身分関係無く平等に接して下さる素晴らしい方ですよ」
「そうですの。神子になるべくしてなられたお方ですのね」
紗良を褒めた時に、一瞬表情が強張ったがすぐに笑みを浮かべて紅茶に口をつけるジョセフィーヌ嬢。テーブルには紗良が考案して料理人が量産した薔薇ジャムが置かれている。
「紅茶に甘さと薔薇の香りが加わって、とても美味しいですわ」
「それは神子が教えて下さったのです。私共も驚かされました」
「まぁ神子様が?柔軟な発想をお持ちなのですね。私も見習わなければ」
「神子といると気付かされる事も多いので、勉強になりますね」
興味深そうに神子の話を聞きながら薔薇ジャムを見つめていた。ジョセフィーヌ嬢のこういう所は好感が持てる。新しい事に対する知識への貪欲さを持っており、物事を追求する研究者の様な性格なのだ。まぁもっぱら美容に関する事だが、貴族の女性達を虜にしている。
「そういえば、薔薇には美容効果も高いそうですよ。口から摂取するのも良いそうで」
「そうなんですの?それは良い事を聞きましたわ!そうですわよね、あんなに美しいのですから何かされてると思って居たのですが、こんな所に秘密があったなんて」
紗良は特に何もしていない様だが、わざわざ話して争いの種を蒔く必要は無い。うっとりとした様子でジャムが入った小瓶を見つめるジョセフィーヌ嬢は、もう最初の様な神子に対しての思いは消えた様だ。彼女は俺と結婚なんかしなくても充分自立していける女性だと思う。まぁ、だからこそ婚約者の候補に名が昇ったのだろう。
「私には美容の事は分かりませんが、女性は大変ですね」
「リハルト様は何もしなくても、美しいですものね。数多の女性が見惚れておりますわ」
「いえ、ジョセフィーヌ嬢には及びませんよ。第一、私は男ですから」
「ふふ、そうでしたわね。失礼しました。でも本当に、いつか神子様とお話したいですわ。色々興味深いお話が聞けそうですもの」
「そうですね、ジョセフィーヌ嬢と神子は気が合いそうですしね」
ジョセフィーヌ嬢の神子への印象が好感に変わったのは良い収穫だったな。ラッケルタ侯爵はまた別だが、少なくともジョセフィーヌ嬢は婚約者の話より、神子の美の秘訣に興味が惹かれたみたいだから、一安心だろう。お土産にジャムを差し上げると喜んで受け取ってくれた。
「今回は突然の来訪をお許し下さい。リハルト様にお会いしたくなったのですわ」
「それは光栄ですね」
「ですが今日お話させて頂いて、神子様に大変興味が湧きましたわ。次回は是非神子様とお話出来たらと思っております」
「そうですか。時間があれば機会を設けさせて頂きます」
「ありがとうございます。では、失礼致します。神子様にも宜しくお伝え下さいませ」
「分かりました。伝えておきます」
名残惜しそうに馬車に乗り込み帰って行った。フーっと長い溜め息を吐き、その場を離れた。人と話すのは王子の仮面を被らなきゃならぬから疲れるな。そういえば紗良が厨房から出てきてたな…また何か作っていたのだろうか。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆
コンコン
「はぁい」
ドアがノックされ、カップケーキを食べに休憩に行かしたマリーが帰って来たのだと思い、軽い返事をする。すると入ってきたのはリハルト様だった。
「え…どうしたの?」
「会いに来たらいけないのか?」
「あ、会いに?駄目じゃないけど…。一緒にいた女性はどうしたの?」
「先程帰ったよ。流石に疲れた」
「凄く綺麗な女性だったのに?私思わず魅入っちゃった!」
「紗良のが綺麗だろ」
「ばっ馬鹿じゃないの!?どうみてもあの人のが綺麗だったじゃない、何言ってんのよ」
最近リハルト様はなにか変だ。こうやって意地悪じゃなくて、恥ずかしい台詞をサラリと言う事なんて無かった。いや、気付いてないだけで今もからかわれてるんだわ。
「向こうもお前と同じ事言ってたぞ」
「そんなの社交辞令だよ、ありえないもん」
「そうか」
「そうだよ」
「甘い匂いがする…お前何か作ってただろ」
「え、う、うん。でももう無いの」
突然の指摘に狼狽えながら、そう告げると明らかに落胆していた。甘い物好きだったのかな?マリーに全部あげちゃったからなー…明日作って持って行ってあげようかな。
「甘い物好きだったの?」
「たまに食べたくなるのだ。疲れた時とかな」
「マリーに全部あげちゃったから、明日でよければ作るけど」
「あぁ、頼む」
「…こないだの事、怒ってると思ってた」
「はぁ?」
「だってマリーがそう言ってたの」
「なんで怒ったか分かっているのか?」
「……ううん、分からなかった」
あ、溜め息吐かれた。今に始まった事じゃないから、もういいのだそう。全然意味分かんないけど、もう怒ってはいなさそうだ。
「期待するだけ無駄だからな」
なにやら悟ったような表情でそう言われた。一体何があっての台詞なんだろうか。私の事では無い筈と思い込む事にした。席を立って、用意してあるセットで紅茶を入れて薔薇ジャムと一緒にリハルト様に出した。
「マリーに淹れ方を教えて貰ったの。結構上手に淹れれる様になったのよ?」
「お前はなんでも自分でやってしまうのだな」
「こっちの人がやらなさ過ぎなだけだよ」
「それが当たり前だったからな」
「王子だもんね。仕方ないよ」
「神子になったのだから、やらなくてもいいのだぞ?」
「好きでやってるだけだもん。間に合ってるよ」
そうやってお茶を楽しんでいるとマリーが帰ってきた。カップケーキは凄く美味しかったらしい。その様子を恨めしそうにリハルト様が見ていた事には、幸い気付いてないみたい。ふふ、今日のリハルト様は子供みたいで可愛いな。
「あぁ、そうだ。来月にまた視察行くから覚えといてくれ」
「うん分かった。新しい場所?」
「あぁそうだ」
「楽しみにしてるね」
「楽しみ?またどんな目に遭うか分からないんだぞ?」
「うん?新しい守護者に会うの楽しみなんだ」
「あいつらにねぇ」
「ふふ、リハルト様は何故か相性悪いもんね」
翡翠も琥珀もリハルト様と言い合いになってたからなぁ。私には癖はあるけどいい子なんだよね。紅玉はまだ会った事無いけど、神子を想って周囲に影響を及ぼすぐらいだから、同じ様な感じだと思うんだけどな。
「私はね、守護者の事を皆に知って貰いたいの」
「守っている事を知らせる為にか?」
「それも有るけど違うよ。ただ、知って貰いたいだけ」
「…どういう事だ?」
「ん?そのままの意味だよ?この世界に共に生きる種族の一つとして、存在を知って貰いたいの」
「…は、はは!お前は凄いな」
急に顔を抑えて俯きながら笑ったリハルト様に、マリーと顔を見合わせて戸惑う。え?何か変な事言ったつもりは無いんだけど…。
「えっと…、リハルト様?」
「いや、すまない。紗良は大物だな」
「え?なんで?」
「色々考えさせられる話だ」
「ねぇ、ちょっと話が見えないんだけど!」
「誰もがお前の様に純粋な気持ちを持ったまま、大人になれば平和なのにな」
リハルト様は一人頷きながら呟いているけど、全然意味分かんない。マリーなら分かるかと視線を向けると、マリーも首を横に振った。あー、リハルト様の頭の中で話が完結してるんだな。
「リハルト様、一人納得するの止めて下さい」
「分からないお前が悪いのだ」
「…リハルト様の頭が馬鹿になりますよう…」
「やめろ、俺が悪かった」
「分かって頂ければ良いです」
脅しで祈ろうとしたら慌ててリハルト様が謝ったので、止めたらホッとしていた。そうだ、皆私の事を馬鹿扱いするけど、私には祈りの力があるんだ!悪い方への願いに力を使えるか分からないけど、きっと出来るだろう。物事には、表があれば裏もあるのが常だ。
「そろそろ戻らないとファルド様に怒られるよ?」
「そうだな、邪魔したな」
「うん、頑張ってね」
「……そうだ、前に手伝える事が無いか聞いたよな?」
「え?…なんか嫌な予感する」
「喜べ、俺の仕事を手伝わせてやる」
「えー!私にはリハルト様の仕事なんて分かんないよ」
「大丈夫だ。お前がいれば捗るからな」
ひぃぃぃヤダよー!!お仕事中に無駄話するとファルド様に怒られるんだもん!大体私を連れてくのってここで暫くサボったからでしょ?私を連れてけばファルド様に怒られないからって…。
「サボったリハルト様が悪いんじゃない!」
「なんの話だ。お前は仕事を手伝ってくれるのだろう?」
「ファルド様対策に連れてくの止めて下さい」
「話を聞かない奴だな。違うと言ってるだろ」
「……分かった。死ぬ迄働かせてやる…」
「…怖いことを言うな」
こうして引きずられる様にして、リハルト様の部屋に連れて行かれたのだった。如何にかして部屋に戻ろうと画策するも、リハルト様の仕事が進むならとファルド様に歓迎されて逃げれなくなった。
「リハルト様が疲れたらすぐに祈ってあげるので、サクサク仕事して下さいね」
「それは助かります。宜しくお願いしますね、紗良様」
顔は笑っているけど、怒ったオーラを出しながらそう言えば、リハルト様は目を逸らした。代わりにファルド様が和かにそう言ってくれたので、力一杯頷いた。でもよく考えたら私が一番損をしている事に気が付いたのは、寝る前だった。
「くそぅ!リハルト様め〜!!」
ギリギリと歯軋りして叫んだその声は、隣の部屋まで響いたとか、響かなかったとか。




