120.日記は心
「彼の魂を呼び出す事は出来る?」
『え?何言ってるの?何の為にだい?』
想像もしてなかっただろう質問に蒼玉が狼狽える。うんうん、分かるよその気持ち。でもね、これしかないと思うんだ。この問題を解決するには。
「彼の口からあの言葉の意味を聞けたら、天藍石も納得すると思うの。「ずっとこのまま」の後に続く言葉があったと思うから」
力強くそう言うものの、蒼玉は静かに首を横に振る。
『呼び出す事は出来ないよ。あちらに行ってしまっていたらね』
「あちらって?」
『人が死んだら帰るべき場所だよ。僕はまだ通ってないからあの扉の先を知らないけどね』
蒼玉曰く、死ぬと体から魂が抜け引き寄せられるように行く場所があるんだって。
そこは見たこともないような無数の花に囲まれた場所で、その中にポツンと一つだけ扉が建っているらしい。角度によって色を変える扉からは綺麗な音色が聞こえてくるそう。
『楽器なのか歌声なのかは分からないけどね。それを聞いていると「あぁ、帰らなきゃ」って思うのが、今考えると不思議だったかな』
「それがあの世の扉?」
『多分そうだと思うよ。僕は踏みとどまったけどね』
情景を浮かべるように遠くを見ながら話す蒼玉は、少し微笑んでいた。そんなに素敵な場所だったのかな?それなら死んでも怖くなさそうだなって思った。
「どうやって踏みとどまったの?帰らなきゃって思ったのでしょう?」
『…扉に手をかけようとした時に、誰かが助けを求める声が聞こえたんだ』
その声はリハルト様?と尋ねると、違うと返ってきた。
『あれは女の子の声だったよ』
「あ!もしかして紅水晶《ローズクウォーツ』?」
『いや、それも違うね』
頭に?を浮かべる紗良の頭をそっと撫でると、不可解そうな顔をされた。撫でたかったからって言ったら怒るかな?怒っても紗良は可愛いのだけどね。
「僕もあの声の主は知らないんだ」と返せば、紗良は残念そうに「そうなの」と呟いた。
本当は知っている。でもそれは僕の勝手な思い込みだから、違うかも知れない。でもそうであって欲しいと思うから、そう信じることにしているんだ。
何故なら、紅水晶が現れたのはその声の後だったからね。その声が聞こえたから扉を開けるのを止めたんだ。
『久しぶりに見た。その先を躊躇する人間』
「そうなの?」
『うん。どうして行かない?』
紅水晶が扉を指差して僕に尋ねたから、声が聞こえたと説明したんだよね。
その声を聞いたから、僕はこの扉をまだ通れないと思えたんだ。この命を終らすにはまだ早い…と。
『そう。なら役目がまだ残ってるってこと』
「役目?」
『誰かが必要としてる』
「僕を?」
「そう」と頷く紅水晶に、穏やかだった心が揺さぶられた。
死んでから思い出したんだ。この早すぎる死の計画を。自分で決めた事とはいえ、もう少し生きたかった。僕の人生はリハルトの為の物で、リハルトは僕を必要としてくれたけど、他の人には僕はリハルトの身代わりでしかなかった。
だから誰かが僕を必要としてくれてると聞いて心から嬉しかった。生前どんなに辛くても絶対泣かないと決めていたのにも関わらず、思わず泣いてしまう程に。その時初めて子供らしく泣いたかも知れない。
「僕はっ、今からでも…誰かを助けて、あげられるかなぁ…?」
しゃくり泣きしながらそう言ったのを今でも覚えてる。というより、一生忘れることはないかな。第二の人生を歩むきっかけになった出来事だから。
『出来る。それを望むなら』
「望むよ!僕はそれを望む!!」
そうして僕は紗良と出会うまでずっと精神世界にいた訳なんだよね。
だからあの扉を彼が既にくぐっていたら、連れ戻す事は出来ないんだ。それは前に紅水晶に確認したから間違いないと思うけど。
『死んだ人と会えること自体が無理難題なんだよ。他の方法を考えよう』
紗良にそう言えば何か言いたそうにしてたけど、言葉を飲み込んで「そうだね」と笑った。
多分僕の事を言おうとしたのかもね。でも僕は特殊な存在だから、他の人には当て嵌められない。そこに気付いたからこそ、紗良は言葉を飲み込んだのかも。
「ねぇ蒼玉。一つ聞いてもいいかな?」
『何?』
「この国の人って日記をつける習慣ってあるの?」
『あるよ。逆に、日記をつけてない人の方が珍しいんじゃないかな?』
それを聞いた紗良は嬉しそうに微笑んだ。どうやら彼の日記を探して、解決の糸口を見つけるらしい。良い思い付きだとは思うけど、日記ってその人の心の中だから自分だったら恥ずかしいよね。
あ…僕のつけていた日記は見つかってないよね?隠してあるから誰にも読まれてないと信じたい。城に帰れたらこっそり処分しておかないと。
「ねぇ天藍石。この家に入ってもいいかな?」
『…何をするつもりよ』
「うん、ちょっとね。大丈夫!荒したりしないから」
天藍石の元へ戻り、家に入る許可を得る紗良。渋る天藍石に大丈夫と言い聞かせて彼の家へと足を踏み入れた。
彼が死んだ時から止まった事を物語るように、テーブルには飲みかけのお茶が置いてある。他の部屋を見ても今のこの瞬間まで誰かが居たような生活感がそこにはあった。
「家族と一緒に住んでいたみたいね。彼の部屋は何処かな」
『きっとあの像が見える部屋だと僕は思うな』
「あ、そっか!蒼玉冴えてる!!」
嬉しそうに笑って庭が見えるであろう部屋の扉を紗良が開けると、そこにはもぬけの殻になったベッドと横に備え付けられたテーブルには薬と水が置いてあった。
ベッドは顔を横に向ければ窓から庭が見えるように置かれており、そこにはあの妖精の像が見えた。その傍にいる天藍石と共に。
「ここだわ。うーん、でも物が少ないなぁ。どこにあるんだろう」
紗良が難しそうに呟く。僕も部屋を見回してみるけれど、極端に物が少ない。他の部屋に比べて生活感が感じられなかった。
ありそうな場所と言ったら小さな本棚の中ぐらいかもね。
紗良はベッドの下を見たり収納場所を開けて日記を探しているけれど、見当たらないらしく唸っている。
顎に手を当ててなにやらブツブツと呟いてる姿は、至って普通の女の子だ。ドレスを着て城で生活してた感じは見受けられないな、と小さく笑った。
「ねぇ蒼玉ならどこに隠す?大事な物」
思い当たる場所にはどうも無かったようで、困ったように僕にそう尋ねてくる。
「僕なら…」と言いかけて止めた。自分の隠し場所をバラすような物だ。危ない危ない。
『木の葉を隠すなら森の中ってね。ここ怪しくないかい?』
「本棚…?」
小さな本棚を指せば、紗良はないと思うけどなと呟きながら一つ一つ本を手にとる。パラパラといくつかの本を捲りながら、最後の一つを手にとると声を上げた。
「あ、これかも!」
それは他の本と同じような見た目をしているけれど、よく見ると表面には小さく鍵穴がついている。恐らくこれが日記かな。だけど鍵は当然ながらついていない。本来なら鍵探しが始まるけど、紗良の力で開けれるから問題ないね。
粒子が消えれば鍵が開き、中のページが見れるようになる。紗良がそれを読むのを上から覗き込んで僕も盗み見た。
読んで分かった事は生まれながらに体が弱かったこと。そして追い打ちをかけるように、病にかかったことだ。日記の内容としては些細な日常や、やってみたかったこと、そして自分の人生への諦めがこの中には綴られていた。
『あの像の話は出てこないね…』
「…うん。でもまだ途中だからきっとどこかにはあるはず」
そう言いながら読み進めるものの、ページが白紙になっても一度も像の話が出ることはなかった。
「ない…。どうして…?」
『悲しいけれど、日記に書くことの程でもなかったんだよ。彼にとってはね』
僕がそう言うと紗良はその日記をまじまじと見つめる。書いてないものは仕方ない。現実はそう思い通りには進まないものだよね。小さく溜め息を吐いて窓から見える天藍石に目を向けた。
彼に寄り添い話しかけているようだ。だけどもどれだけ話しかけても彼は目を覚ます事も返事を返す事もない。それがどれだけ悲しい光景なのか、きっと天藍石は知る由もないんだろうね。
――――――だって、今の彼女は微笑んでいるから。大好きな彼と共にいるという事実だけでも、十分なのかも知れない。どんな形であれ傍に居たいと思う気持ちは僕にも分かるから。
「秘密を教えて」
その言葉にドキッとして紗良の方を振り返れば、僕にではなく日記に向かって力を使ったみたいだ。粒子が日記を包み込み最後ページが開かれると白紙だった紙は実は貼りあわされており、中にはびっしりと文字が書きこまれていた。
『それ…もしかしたら書いてあるかもね』
「うん、読んでみるね」
紗良はその日記の文章を読んだあと、それを持って部屋を出て天藍石の元に走った。
そんなに急ぐような内容でも書いてあったのかな?僕には中身が見えなかったから、内容を知らないんだよね。
殺風景な部屋を見回した後、ゆっくりと紗良の後を追って庭に向かえば天藍石に向けて日記を読んでいる最中だった。
「―――こんなことを言うと俺は頭がおかしい奴だと思われるかも知れないからここに残す。あの像にはきっと何か宿っているような気がしてならない。
だから誰もいない時につい話しかけてしまうんだ。誰にも曝け出せない自分の思いもつい口に出してしまうぐらいに。
思い通りに動かなくなる体を引きずってまであの像に会いたくなる。窓から見えるだけでは駄目だ。気の所為かも知れないが、触れるとその何かの存在を感じ取れるような気がして…。
あれはきっと神様だと思う。大きな神様ではなくて、あの像に宿る小さな神様。あれに触れると少しだけ楽になるんだ。それはきっと本音をそこで吐き出せるからだと思っている。
どれだけ病に蝕まれても、どれだけ体が重くても、俺は毎日会いに行くよ。
まるで恋文のようになってしまったな…。いいか、誰にも読まれる事はないからな。ここは日記にそのまま書けない俺の心だから。読まれたくはないけど、残しておきたいんだ。
もう俺には残された時間はない。だけどあの像はずっと残るから。だからもしこのページを見つける奴がいたら、お願いがある。
大切にしてやってくれな。俺の大好きな神様が宿っているんだ。
風化して朽ちてしまわないように、ずっとあのままの姿でいられるように、大切にして欲しい。
生まれた時にジーさんが買ってきてくれた像で、俺が生きた証でもあるから。」
紗良が読み終わって日記を閉じる。そしてそれを天藍石にそっと手渡した。壊れ物を扱うように天藍石は優しい手つきで受け取り、抱きしめた。
『やっぱり彼は気付いていたんだわ!!こんな嬉しい事ってあるかしら!』
満面の笑みで空でも飛んでしまいそうな弾ける声でそう言った天藍石に、紗良も優しく微笑んでいる。
そして紗良は天藍石の横にしゃがみ、手をそっと握った。
「彼の最期の言葉はそこに残されていたね。気付いた?」
『え…?どこかしら』
「「ずっとこのままで」が彼の言葉だったよね?それって今の姿のままで、この像が残っていきますようにって事だったんじゃないかな。ほら、ここに書かれていたでしょ?」
日記を開かせて「風化して朽ちてしまわないように、ずっとあのままの姿でいられるように、大切にして欲しい。」と書かれた部分を指さして嬉しそうに紗良は言った。
あぁ、そういうこと。ずっと像を眺めていたかったという言葉ではなく、自分が生きた証として像が残っていきますようにと願いを込めた言葉だったんだ。
彼の日記にはどこにも、「もう少し生きたかった」という言葉はなかった。人生に対する諦めはあっても、それを受け入れていたんだ。彼は自分を弱い人間だと書いていたけど強い人だと思った。
『私は間違ってたのね…。彼は時間を止めたかったわけじゃなかった…』
「うん、この街の時間を止めることが彼の願いじゃない。むしろこのままだと貴女の存在を誰も知ることなく異質な空間として残っていくだけ。それを彼は望むと思う?」
『……思わないわ』
「なら、これを…『無理よ!もう遅いんだから!!』…え?」
紗良がこの力を解いてと言おうとしたところで、天藍石が声を荒げた。
『遅いって何がだい?』
『もう私にはこれを抑えられる力はないってことよ!止まらないの!!さっきからずっと解除しようとやってるわ!でも無理なの!』
泣きそうな顔で天藍石が叫ぶ。怒っていると言うよりは、自分を責めているようだ。
その背中を紗良が優しく撫でて「大丈夫だよ」と声を掛ける。大丈夫って言える状況でもなさそうだけどね。
王都程ではないけれど、そこそこ大きな街だ。木材が積み上げられている場所が多いのを見るに、林業で盛んなのだろう。周辺も山に囲まれているしね。こんな広範囲、力の消費が激しいのは間違いない。海よりはマシだけど、果たしてこれを解くのと大地に力を与えるのと同じ力かと聞かれたら疑問は残る。
「こういう時の為に私がいるのよ?だから任せて」
自分の胸を叩いてにっこりと笑う紗良に、天藍石は顔を強張らせた。
その理由は誰にも邪魔されないように、この空間に害を与える者を排除するようにしてしまったのだとか。
「あ、だから最初力を使おうとした時に弾かれたのね?」
紗良はハンカチを巻かれた手を出して納得がいったように呟く。いつの間に怪我なんて!!他の事に気を取られて気付かなかった!
『大丈夫?痛くないかい?』
「かすり傷だから気にしないで」
ふふっと笑う紗良だけど巻かれたハンカチが赤く染まっているのに気付く。
君はいつだってそうだ。僕や周りが心配するのを避けるように、大したことないからと笑う。痛くないわけがないのに平気な振りして笑うんだ。それが周りを傷つけているとは知らずに。
『お願いだからもう少し自分を大事にしてよ』
「蒼玉…?」
驚いたように僕を見つめる紗良から顔を反らした。僕にも恭平の様に傷を治せる力があったなら、今すぐ治してあげるのに。仕方のないことだけど、何も出来ない自分に腹が立つね。
『次怪我したら許さないからね』
「え、許さないって…ちょっと、どこ行くの?」
『誰か来ないか周辺見てくる』
狼狽える紗良から少し離れてこの空間の外に出る。そしてしゃがみ込んで頭を抱えた。
怪我したら許さないってなんだよ自分…。紗良のことになるとダメだなー。これじゃあリハルトと同じになってしまうじゃないか。
少し周辺見てから帰ろうと立ち上がり足を進めた。




