119.悲しい空間
途中でアップされちゃいました。すみません。
「おはようレム。よく眠れた?」
「ん…お姉ちゃん、おはよ」
カーテンをザッと開けて朝日が差し込むと、レムが眩しそうに起きたので挨拶をする。
眠そうに眼を擦りながらも、嬉しそうに「おはよう」と返すレムはとっても可愛い。
「朝食だけど、パン買って来たからそれ食べてね」
「…お姉ちゃんは?」
「私は先に食べちゃったの。ちょっと出かけてくるからゆっくりしててね」
紅玉を置いていくからと言えば、バタバタとベットから飛び降りて準備しだすレム。昨日プレゼントしてあげたワンピースをバッと着て、いつでも行けますというような表情で私を見つめた。
そんなレムの前にしゃがんで目線を合わせる。不安げに揺れるその瞳から反らすことなく、にっこりと笑った。
「少し神子の仕事してくるだけだから、大丈夫だよ」
「わたしも行く!」
「でも外は寒いし、昨日のでレムは疲れてるでしょ?だからゆっくり休んでほしいの」
「疲れてないよ!神子様のお仕事見たいの!」
その後も説得を続けるも、レムが折れる事はなかったので仕方なく連れていく事にした。
だからゆっくりパンを食べてもらい、その間に髪を編んであげる。こうやって誰かの髪を編んであげるなんて何年ぶりだろうと思いながら。
「その服ならこのコートがいいね。後は帽子と、マフラーと…」
「帽子はいらない。お姉ちゃんが髪を編んでくれたから、このままがいいの」
恥ずかしそうにそう言うレムが可愛すぎて、抱きしめてから宿を出た。
「昨日とはまた違う意味で賑やかだね」
「うん!」
外に出ると、昨日の祭りは終わってはいたものの、流石王都というべきか、道は人でごった返していた。
「レム、逸れないでね」
「うん」
賑やかな王都から少し離れて人がいない静かな方へと足を進めていく。勿論怪しげな裏路地は通らないようにしてるけどね。
レムの様子を見ながら一時間ほど歩き続けると、昨日町で耳にした異変のある場所へとたどり着いた。
「え…?」
その場所を見たレムが驚きの声を漏らす。
目の前に広がるのは、水に覆われた町。まるで水槽の中に町があるかの様に、3ログ程の高さまでブロックのように水で囲まれていた。
「ど、どうなってるの?これ」
「これはね、この地を守る守護者の仕業なの」
「え?守る存在なのに、どうしてこんな事に?」
中に人が入り込まないように、ロープで囲まれたその街に人気はなく、寂しげにユラユラと水が揺蕩っている。こうなってしまったら住めないもんね。
「それを今から聞くんだよ」
久しぶりに精神世界での夢を見たの。真っ暗で何も見えないその空間は、寒くもなく温かくもなく不思議な場所だった。
ボっと紅玉の火の力を借りて照らしてみようと灯すも、すぐに鎮火されてしまった。だけど一瞬の明かりで気付いたのは、水の中だったって事。
つまりこの街と同じ状態だったんだよね。
「守護者の場所を教えて」
言葉に乗り粒子が水の中へと入っていく。うん、やっぱり守護者はあの中ですよね…。どうやら先にこの大量の水をどうにかしないといけないみたいだ。
「ねぇ今のキラキラは何?」
「これは神子の力だよ」
「そうなんだ、凄く綺麗だね」
初めて見る物に感動したように、静かに喜ぶレム。
「これを先にどうにかしなきゃだから、少し待っててね」
「うん」
レムに離れてるように言い、壁のようになっている水に手を伸ばす。物凄く冷たいかと思えばそうでもなく、精神世界で体感したような温度だった。
するりと手は境界線を越えて中に入る。目を閉じてこの水が消えるように力を注ぐも、拒絶したように弾かれてしまった。
「え…」
ピリリと痛む手を引っ込めて目の前の水の壁を見入る。こんなこと初めてで、正直動揺してるんだけど、レムもいるからあまり大袈裟に驚かなかった。
「蒼玉、中に入れる?」
仕方ないので蒼玉を呼び出して中に入ってもらうと、拒絶されることなくすんなりと入れたので、そのまま守護者を探しに行ってもらい、力を与えられそうならとお願いをした。
「お姉ちゃん、血が出てるよ…?」
そっと手に布が充てられたから、なんだろと思って見るとレムがハンカチを私の手に縛ってくれていた。
「あ、本当だ」
「本当だって…痛くないの?」
レムが怪訝そうに私を上目遣いで見つめる。
「大丈夫だよ。ありがとう」
怪我をしていることに気付いた瞬間、ズキズキと痛み出したけどレムを心配させないように笑っておいた。首切られた時のが痛かったとも言えないしね。
少しして蒼玉から守護者を呼び出す力を使ってと言われたので、口に出して力を使えば再び金の粒子が水の中に入っていった。
「お姉ちゃん!!」
ぼんやりと蒼玉を待っていると、レムの焦ったような声が聞こえた。
不思議に思い振り向くと、レムの目線は私ではなく、その後ろを見ていた。驚いたような、怯えたような表情で。
「どうしたの?」
「う、後ろ!!」
水に覆われた街しかないけどと思いながらレムが指さす背後を向き直る。――――いや、向き直ろうとした時だった。
急にグニャンとした何かに体を引っ張られた。視線を街に向ければ、水が触手のように伸びて私の体を飲み込み、中へと引きずり込もうとしているではないか。
「っ、なんで急に…」
手でそれを振り払おうとしても、所詮は水。空を切るように手をすり抜けていく。だけど私の体はそれに引きずられていくのだ。
駆け寄ろうとしてくるレムに「来ちゃ駄目!」と叫ぶと、不安そうに足を止めて私を見る。
「お姉ちゃん!!」
「大丈夫だから、いい子に待ってて」
トプンと体が全て飲み込まれる音がした。包み込まれて分かるのは、これは水のようで水ではないという事。
どういうことかと言えば、これはきっと守護者の力が生み出した幻のような物だ。この中は蒼玉の作り出す空間にとてもよく似ているから。
水のような物に体を包まれてる感覚はあるけれど、呼吸は出来るから死ぬことはなさそうで一安心。そして私の体はゆっくりと奥へと引きずり込まれていく。多分呼ばれたんだなって思いながら、その流れに身を任せた。
何軒かの家を通り過ぎた後に、一軒の家の裏にある石で出来た像の前で止まった。それはよく見ると人の背中に羽が生えており、まるで妖精のような可愛らしい像だった。
『紗良!』
「呼ばれたみたい。呼んだのは貴女?」
私に気付いた蒼玉が駆け寄ってくる。そしてその後ろに目を向けると、藍色の髪の女性が腕を組みながら不満げに私を見ていた。
『ええ、私が呼んだわ!余計な事しないでって言う為にね!』
「余計な事?」
『そうよ!』
天藍石と名乗る守護者にこうなってしまった経緯を問うも、そこはだんまりで教えてくれなかった。
『何も話してくれないんだ。力も足りてない訳じゃなさそうだけど…』
「うん、この中に入って分かったよ。この空間は天藍石が作り出した物だから」
『え、なら今までとは全く違う状況かい?』
「そうなるね」
ツンと顔を反らしたままの天藍石に苦笑しながら、蒼玉とそう話した。あんまり時間がかかってもレムが心配しちゃうしな。何か会話の糸口はないかと周辺に目を向けていると、さっきの妖精の像が目に入った。
「ねぇねぇ!それとっても可愛いね」
像に近付いて触ろうとすると、ドンと横から突き飛ばされ地面に倒れ込む羽目になった。と言っても衝撃はこの水のような物が受け止めてくれたので、なかったけどね。
『触らないで!!!』
天藍石はその像を抱きしめながら、私に嫌悪感を露わにする。
しまった、地雷を踏んでしまったみたい。理由は分からないけど、こういう時は謝らないとね!
「ごめんなさい。貴女にとって大切な像だって知らなくて…」
『もういい!私に、この街に関わらないで!!それを言いたくて呼んだのよ』
私を睨みつけてそう叫ぶ。でもそういう訳にはいかないから、私は立ち上がり一歩前に踏み出した。
「それは聞けないよ。だって貴女はこの場所を守る筈の存在、守護者でしょう?それなのに、人を追い出してしまうような力の使い方をする天藍石を放置してはいけない」
そう言いながら更に一歩踏み出す。
「自分の家に帰ることが出来ない人達の事を考えたことある?例えそこにどんな理由があったとしても、これは見過ごすことは出来ないよ」
一歩ずつ退かない理由を述べながら天藍石に近付いていく。
その度に天藍石の表情は陰っていくばかり。これじゃあ、私が虐めてるみたいだね…。でも傷つけたくて言ってるわけじゃないんだけどね。
「それにこんなに力を使ってしまったら、自分が苦しくなるだけ」
力が枯渇して苦しんでいる守護者を沢山見て来たからこそ、その思いはして欲しくない。自分が消えてしまいそうになる程の苦痛を味わった子だっているのだから。
手が届きそうな距離になった時に、天藍石は再び顔を上げて私を睨んだ。
『うるさい!突然現れてお説教なんか聞きたくないわ!!』
「ならこの地を元に戻して。出来るでしょ?」
『嫌よ!!』
「絶対に嫌!」と像に抱き着いて意地でもやらないといった姿勢の天藍石。困ったなぁ、レムを待たせてるから時間をかけて居座ることも出来ないんだけど…。
しょうがない、レムには紅玉についててもらって話してくれるまで待とうかな。
「なら話してくれるまで帰らないから」
『えぇ!?』
「当然でしょ?私神子だもの。このままでは帰れないから」
ニッと笑ってその場に座り込む。蒼玉が咎めるように名前を呼ぶけど、私が動く気がないと判断すると諦めたように隣に座った。女性が地面に座るなと言いたいんだろうな。
でもここは天藍石の力の中だから、寒さもないし直接地面に触れることもないのよね。ちょっと浮いてる感じだからこのまま寝ても大丈夫そうだ。
『どれだけいても話す気はないから無駄よ』
「ならずっとここにいるね」
『諦めさせようとしても無駄だよ。紗良は言い出したら聞かないんだから』
やれやれと蒼玉が肩を竦めながらそう言い放った。
その後、天藍石も喋る気配は見せずひたすら沈黙の時間が流れた。だけど退屈とかはなく、青に染まったこの景色をボーっと眺めてるだけで時間は過ぎていく。
すると痺れを切らしたのか、ようやく天藍石は重い口を開いた。
『…ここは外とは時間の流れが違うわよ』
「え?」
『ここの時間は止めてあるのよ。いればいる程、外の時間が流れていくわ』
像から体を離して私と向かい合うように座った。
『外の子供は貴女が来るのをずっと待ってるのね?』
今度はニンマリと天藍石が笑う。だけどここで飛び出したら相手の思うツボ。私は焦ることなく何故かと尋ねると、つまらなさそうな顔をされてしまった。
『ふん、愚問ね。止めたかったから止めたのよ』
「なら外では今どれぐらいの時間が経ってるの?」
『そんなのもう一人の守護者に聞けば?私が答える義理ないもの』
フイっと顔を背け再び像の傍に寄り、思い出に重ねるようにゆっくりとそれを撫でる天藍石。私には背を向けてる為、表情は見えないけど、優しい手つきからして微笑んでいるのかも知れない。
言われた通りに紅玉に時間を聞けば、既に外では12時間も経過していたようで、レムを宿に帰す様にお願いした。この件が解決するまではここから出ない事も付け加えて。
不満げに文句を言われたけど、私の性格は紅玉も十分分かっているので最終的には引き受けてくれたから良かったな。
「わざわざ教えてくれてありがとう」
言ってくれなければ何日もレムを寒い中待たせてしまうところだったから、素直にお礼を言った。
「私いつも自分の事で精一杯なの。ダメだよね」
苦笑して一人呟く。もっと人の立場になって考えてあげられたら、上手く立ち回れるのにね。
「ガサツだし、思いやりも足らないし、大切な人をいつも困らせちゃう駄目な女なの。自分のやりたい事を後先考えず優先して失敗しちゃうんだ」
指折りしながら自分の駄目なところをあげていく。こんなんで神子やってて申し訳ないぐらいだよ。初代の神子はもっとスマートに出来てたんだろうなとか考えると、自己嫌悪に陥る。
「こんな私だから神子だと名乗るのもおこがましいんだけど、それでも守護者の為に出来ることはしてあげたいなって思ってるの」
私の役目は人を守ることじゃない。守護者を守る事だと思ってる。勿論、病や怪我を治す事は出来るから、人を助ける事も出来るけどね。でも人は人を治す医者がいるけれど、守護者には神子しかいない。だから私は守護者を優先してるの。
『なら…なら、あの人を生き返らせてよ。そしたらこれを解いてあげるわ』
「あの人って…?」
「誰」と言おうとする前に、家の中から一人の男性が横たわった状態でこちらに運ばれて来た。そしてそれは私の目の前で止まった。
「…まさか、死んでるの?」
恐る恐る口に出す。目の前に横たわる男性はまだ頬にほんのりと赤みが残っていて、とても死んでいるようには見えない。でもさっき生き返らせてと言ったのはこの人の事だよね?
『そうよ。まだ若いのに病という恐ろしい物に侵されて命の灯を消してしまったの』
悲しそうな顔でその男性の頬を撫でる天藍石。
その瞬間にやっと分かった。どうしてこの街の時間を止めたのか。どうして誰も入れないようにしてしまったのか。
「…そうっ、そうだったのね。貴女人に恋したのね?」
『え、まさか…』
私の問いかけに蒼玉が驚いたように声を上げる。
『えぇ、そうよ。そのまさか。人間なんてちっぽけで取るに足らない存在だわ。なのに、なのに私は彼を愛してしまった。その笑顔が私に向けられてないことぐらい分かっていたのに』
天藍石が頷きながら藍色の瞳を伏せると同時に涙が零れる。その涙は下に落ちる事無く、気泡のように宙に漂い空間の一部となって消えていく。
あぁ、そうか。これは全て涙なんだ。大切な人を亡くした悲しみを抑えられなかったんだ。
『人間を好きになってはいけない。そう言われていたし、なるはずがないとも思っていたわ。馬鹿にしてたけど、その理由が今になって分かるのよ』
そしてまた一粒涙が零れ溶けていく。
「時間を止めたのは、離れたくないから?」
私の言葉に天藍石が首を縦に振る。そして妖精の像を愛おしそうに見つめた。
『直接顔を合わせたことも、言葉を交わした事もないのよ。彼はねいつもこの像をニコニコしながら眺めるのが好きだったの』
「そう、だよね…。人には姿も存在も分からないからね」
『えぇ、でもそれでもきっと彼は何かを感じていたわ。他愛もない話をこの像に話してしまうぐらいには』
そう語る天藍石は恋をする少女のように幸せそうに微笑む。
だけどもその恋は叶うことはない。だって彼は人間で亡くなってしまったから。だからその表情を複雑な気持ちで見る事しか出来なかった。
そしてそれはいつかの自分に重なって見えた。
リハルト様と一緒にいても私の方が何倍も寿命が長いから、きっとこうなるんだろうなって。
愛しい人が先に亡くなる辛さを私はまだ知らないけど、考えただけでとても苦しいよ。涙が出そうになってしまう程に。
『弱音を吐かない彼が最期に言ったの。「ずっとこのまま…」ってね』
「ずっとこのまま?それって…」
『だから私は時間を止めたのよ。彼はこの場所が、像が大好きだったから。色褪せないように彼ごとこの街を飲み込んだ。だから彼が生き返らない限り、私はこれを解くことはないわ』
私の言葉を遮り天藍石はそう言い切った。強い思い、揺らがない決意。それは愛しい彼の為のもの。
でもきっと彼は時間を止めたかった訳じゃないと思う。後に続く言葉があったはず。でもきっと全て言い切る前に息を引き取ってしまったんだ。
「…蒼玉、ちょっといい?」
『何?』
蒼玉を連れ天藍石から距離を取る。
無理矢理これを解く事は出来なくもなさそうだけど、なるべく穏便な形で解決したかったから、突拍子もないけれど不可能でもなさそうな事を蒼玉に聞くために。




