110.想いと呪いと現実と
真っ暗な俺の部屋で誰かがしゃがみこみ泣いている。そっと手を伸ばすとその人物の肩がピクリと動いた。恐る恐るゆっくりと上げられた顔は見覚えのある美しい女性だった。そう紗良だ。
紗良は俺の姿を見て抱き着いてくる。怖かった、寂しかったと小さな体を震わせながら。
「リハルト様、リハルト様っ」
「大丈夫だ。俺がお前を全ての物から守る」
そう言って優しく抱きしめると、紗良の動きが止まり俺を見上げた。そこには瞳に涙を浮かべたまま、怒りを露わにして俺を睨み付けている。
そんな顔ですら可愛いと思ってしまう俺は、病気かも知れないな。
「嘘よ、嘘つき!!」
「何がだ?」
「リハルト様は守ってなんかくれない!私を傷つけるのはいつだってリハルト様だよ!!」
その言葉に心臓を剣で貫かれたような衝撃が体に走る。
俺の存在が紗良を傷つけていた?俺がお前を苦しめていたのか?いつだってお前のことだけを思って行動してきた。でもそれは紗良には伝わらないようだ。
「俺はお前を愛してる。だからその為には例え他が犠牲になろうと、お前を守ることが出来るのなら構わない」
「そんなの私は望んでない!!」
あぁ、これは夢だ。あの時と同じ言葉を夢の中のお前も俺に投げるのだな。怒りに体を震わせて俺から体を離して睨み付ける。だけどこの目には怒りと悲しさと僅かな情が見えた。
こんな事言いたくない。でも言わなきゃいけない。私はここから出て行かなきゃいけないのだからと、自分に言い聞かしているようなそんな感情が伝わってくる。
それはあの時には気付けなかった紗良の気持ちなのだろうか。それともそうであって欲しいと望む俺の気持ちが夢として反映されてるのだろうか。
「誰かの犠牲の上で生きるのは辛い…」
絞り出した声で、顔を覆って泣く紗良に俺は手を差し伸べようとして止めた。
「すまない。それでも俺は…」
行き場をなくした手を宙から戻して強く握りしめる。謝罪することしか出来ない俺をどうか許して欲しい。それでも守りたい、それでも手放せない。誰よりもお前を失うのを恐れているから。
「頼む、泣かないでくれ」
そっと近づいて紗良の目の前に立つ。夢でもいい、目の前に紗良がいるのだ。そして泣いているのだから放っては置けない。その涙が俺の所為だとしても…な。
パシン
再び差し出した手は紗良によって叩き落とされてしまった。
「触らないで!」
「断る」
「なっ!」
それでも俺は紗良に手を伸ばして無理矢理抱きしめた。あの時お前をもっと強く抱きしめていたら、もっと穏やかに話をしていたら、今も隣に居てくれただろうか?
「離してっ!」
嫌がる紗良はまるで本物のようだ。声も仕草も表情でさえも本人さながらだが、腕の中の体温は感じられなかった。
そう、これは夢なのだ。どれだけ似ていても、本物にはなりえない。俺の脳が作り出した虚像に過ぎないのだから。だが現実で会えない時にはそれでも十分だ。傍に紗良がいる。ただそれだけで満たされる。
「消えて居なくなるまで離しはしない」
夢から覚めるその瞬間までは、どうかこのままで。
「…馬鹿な人」
ぽつりとそう言い残して腕の中にいた紗良は消えてしまっていた。どうやら紗良の夢は終わったらしい。場面は砂嵐のように変わり、今いるのは暗い森の中だ。
ザッ
「よぉ、初めましてだな?王子様」
「お前は…」
「あたしの顔を知ってるようだな。でもそれはあたしじゃない」
「白銀の神子だな。姉のアルティナか」
薄暗い森の中で、薄気味悪く笑うのは白銀の長い髪の女だ。ミルティナと名乗った少女と同じ顔をしているが、アルティナの方がきつそうな顔をしている。
うっすらと笑いを浮かべてるその顔は、狂気に満ちていた。
「ご名答」
パチパチと手を叩くアルティナは、そのまま俺の近くに歩み寄ってくる。
腰に差した剣に手を置いた状態でそれを静かに待つ。逃げはしない。どうせ夢なのだから。それにこいつは紗良に呪いを掛けた張本人だ。ならば叩き切るのみ。
「ふぅん、あんた中々端正な顔してんな。そのお顔で神子を落としたのか?」
ニヤニヤと笑いながらそう聞かれたが、答える義務はないと睨み付ける。するとアルティナはつまらなさそうに舌打ちをして、パチンと指を鳴らしたが特に周辺の変化は見られなかった。
「王族や貴族は態度がデカくて気に入らねぇな。アンタにも神子と同じように、とびっきりの呪いを掛けてやるよ」
「何?」
聞き返す俺に満足げな表情を浮かべて、再び指を鳴らすと、目の前に紗良と俺の姿が映し出される。どういうつもりだと訝しげにアルティナを見れば、まぁ見てなとでも言うように顎で俺と紗良を差した。
「見てろ。これは呪いだ。逃れることの出来ないお前たちの未来だ」
アルティナの言葉を引き金に、目の前に俺は剣を抜いて紗良に近づいていく。それに紗良が気付き驚いた表情でその俺を見つめていた。
「何を見せるつもりだ!やめろ!!」
「黙ってみてろよ。もう止められない」
段々と距離を縮める俺に、紗良は一歩ずつ後ずさりをしていく。しかし紗良は途中で足を止めた。
「紗良!紗良逃げろ!!頼む!」
「無駄だ、聞こえないねぇよ。安心しろよ別に本人じゃあるまいし」
夢だとしても紗良が傷つくのは見たくはない。俺がそう言えば、アルティナは可笑しそうに腹を抱えて笑い出した。
「今は夢でも、これはいつか現実になる」
「なんだと?」
「言っただろ?呪いだって。ほらいいのか?ちゃんと見ておけよ。残酷な未来を」
そう言ってアルティナがニンマリと笑いながら二人の方へと視線を向ける。それにつられて視線を向けると、俺の剣に貫かれる紗良の姿があった。
「紗良!!紗良!!!!!」
傍に行きたいのに見えない壁があり近づけない。刺された紗良は地面に崩れ落ちる。深紅の血がじんわりと、まるで薔薇の花が咲いたかのようにドレスを染めていく。
もう一人の俺は剣を捨て紗良に駆け寄り、その体を抱きしめている。
「く、あはははははっ!!どうだ?自分の手で愛する人を貫く気分は?」
「ふざけるな。俺は絶対に紗良に剣を向けることはない!!」
「ふうん?ならあんたが抱いてる人間は誰か見てみろよ」
いつの間にか腕に誰かを抱いていたらしく言われた通りに顔を下に向けると、そこには血まみれの紗良がいた。
「っいつの間に…」
「何言ってんの?刺したのあんたじゃねぇか」
「は?俺は刺してなどいない!!!」
「じゃあ、誰が刺したんだ?そこにいるのは誰だ?近くに落ちている血濡れの剣は誰のだ?」
木霊のようにアルティナの声が頭に響く。気付くと奴は居なくなっていて、ここにいるのは俺と紗良のみ。紗良は苦しそうに刺された場所を抑えている。
「っ!!紗良、死ぬな!死ぬなよ!!!」
「リ、ハルト、様…」
痛みを堪えながら俺を見て微笑む紗良に、俺の瞳からは涙が零れていく。嘘だ、俺が刺す筈などない。これはただの夢だ。そう、悪い悪夢だ。だから頼む、早く覚めてくれ…。
「なか、な、い、で」
そう言って俺の顔に紗良の手が伸びた。それは恐ろしく真っ赤で、だが不思議と気持ち悪さはない。ゆっくりと俺の涙を拭うその手に自分の手をそっと重ねた。
「すまない…俺はお前を守ると誓ったのに…」
紗良の手を握りしめるように謝罪すれば、そっと唇にもう片方の指が触れた。
「わたしの、せい。あ、やまら、ない、で」
言葉を吐き出すのも辛そうにしながら紗良はそのまま続けた。たどたどしく言われた言葉は俺を深く傷つけた。「貴方を苦しめるのはいつだって私だった。でも、これで最後にするね」そう言ってにこりと微笑んだ。
その言葉に涙が止まらない。そんな風に思っていたのか。俺はお前がくれる物ならばなんだって愛おしいのに。死の間際でも人のことばかりで嫌になる。やめてくれ、そんな言葉が聴きたい訳じゃない!!
「頼む、頼むから死なないでくれ!今助ける!恭平が来るまで待て!!!」
夢の中だと分かっていながらそんな言葉が俺の口から出てくる。まるでこれが現実のような錯覚に陥り吐きそうだ。誰でもいいからこの悪夢を終らせてくれ。
「もう、まに、あわな、い…」
紗良は首を微かに横に振って生きる事を否定した。苦しそうにしながらも、その表情はどこか穏やかで。最期だと自分の中で悟っているのだろう。
「あなた、と、いた、じかんは、幸せ、だっ、た」
自分自身として自由に生きれた。それはあまりにも幸せで、あまりにも眩しくて。出来ればずっとそうでありたかったけど、もう無理そう。有難う、私を愛してくれて。有難う、愛させてくれて。
紗良はそう言い残すと、満足そうに瞳を閉じた。
「頼む、嘘だと言ってくれ…」
込み上げてくる悲しみはどうすればいい?張り裂けそうなこの胸の痛みはどうすれば消える?もう動かない紗良を、死んだと認識するにはどうすればいいのだろうか。
これはあまりにもひどい悪夢だと、誰か笑ってくれ。目が覚めたら紗良が居て、どうしたの?と笑ってくれないだろうか。
「これは呪いだと言っただろ。いつか来るお前達の未来。逃げられはしねぇ。せいぜい足掻いてみるんだな」
気付くと俺のすぐ背後にアルティナが立っている。そして俺に顔を近づけ、耳元でそっと囁いた。
「神子を殺すのはお前だ」
「っ!!!」
「あたしの愛した男のように神子は死ぬ」
そう言って消えるアルティナを捕まえようとして、そこで俺は目が覚めた。
「………」
空に伸ばしていた手を引っ込めて自身の腕を眺め見る。そこには蔓が腕に絡みつくように手の甲から肘に向かって伸びている。所々に蕾があり、何かの植物のようだ。これが心臓まで伸びて花が咲く頃に呪いが効力を発揮するのだそう。
何故こんな物が俺の腕にあるかと言うと、数日前にアルティナから呪いを受けたのだ。風のように現れて風のように消えていった。不用心だった俺の責任だが、急に黒髪を渡されて動揺して受け取ったのが間違いだったな。
つい、紗良の髪だと思ってしまったのだ。黒く艶のある長い髪だったから。
それを手に取った人間に呪いが掛かる仕組みになっているようで、その髪を手にした瞬間、腕にこれが記されたという訳だ。
「……はぁ」
先程見た夢はその呪いの所為だ。アルティナが言っていた言葉がそのまま夢となって現れたのだから。
「お目覚めですか?随分と魘されていたと伺いましたよ」
「あぁ、ファルドか…」
サッと入り口が開く音がして入って来たのはファルドだ。それに伴いから体を起こすと、ファルドの視線が俺の右腕に注がれていた。
「それ、日に日に成長されていますね」
「あぁ。心臓まで達するのは時間の問題だな」
自嘲気味に笑いながら捲れていた袖を直し、見えないように隠す。これは俺とファルド、呪術師のリールの三人だけしか知らぬ話だから、他の者に見られる訳にはいかないのだ。普段は手袋をつけて隠している。
「敵からの貢ぎ物に手を出されるからですよ」
「仕方ないだろう。急な事だったのだから」
「その突然の出来事でも対応して見せるのが王族と言うものです」
「俺はお前のような超人ではない」
ファルドの小言に反論しながらも着替えを澄まし野営用のテントから出る。勿論普通のテントではなく、王族仕様だ。昔は戦地などで使われていたようだが、今は兵士用でしか使用しない。ただ万が一の為に、用意はされてはいる。
移動に当たって他国の城に止まると足止めをくらい面倒だからな。寝心地も王族仕様の為か悪くはないから不満はない。
「起きたか王子。アレを見せるニャン」
既に起床し猿と戯れていたリールが俺に気付き近づいてくる。呪いの進行を見る為だ。俺のテントに戻り腕を出せば、厳しい表情で昨日よりも伸びた蔓に視線を這わせた。
「相変わらず成長が早いニャン」
「リール様に術を施して頂いたきましたが、効果はないようですね」
呪を受けた時にリールが呪いの進行を遅らせる術をかけてくれたのだが、全くもって効果はないようだ。変わらずに少しづつ成長している。
「あれは気休めだと言ったニャン。元よりこれは禁術だから対策は皆無ニャ」
「厄介な呪いばかり持ち込んでくれるな」
「古の呪いを知ってる者なら、禁術も知ってても可笑しくないニャー」
アルティナに呪いの方法を教えてる者がいる。それを突き止めるか、アルティナの息の根を止めぬ限り、ちょっかいは続くだろうな。
まぁ今回俺に呪いを掛けたのは、ミルティナに指示した内容の腹いせだろうな。俺の指示でミルティナに刺されたのだから。
思ったよりも回復が早い事に驚いたが、ファルド曰くまだ傷は塞がってないらしい。血の匂いが微かにしたと言っていたからな。…お前は犬かと言いたいところを堪えたが。
「それよりも、ドロシー様からのお返事はありましたか?」
「きたにはきたけど、解決にはならないニャン」
「と言われますと?」
聞き返すファルドに、リールは珍しく言いにくそうに俺を見た。
「………呪いの進行を止めるには腕を切り落とすしかないニャ」
その言葉に成程と納得した。何故なら発動するには心臓部まで達さないとならないからだ。だから切り落としてしまえば、この呪いからは解放される。紗良をこの手にかけなくて済むのだ。
じっと自分の腕を眺めていると、きつい視線を感じた。ファルドが俺の考えに気付いたのか、首を横に振った。
「いけませんよ」
「だがそれで紗良は助かるのだぞ?」
「紗良様がそれでお喜びになるとでも?」
なる筈がないに決まっている。泣いて罪の意識に苛まされるだけだろう。「私の所為だ」と言って一生自分を責めるだけだ。そういう女なのだ。
「だが他に方法はない」
「ですが…」
「最悪の場合は切り落とす。これは決定だ。いいな?」
「申し訳ありませんが従う事は出来かねます」
まったく、俺の従者の癖にいう事を聞かなくて困る。大方父上に俺の身を守れとでも念を押されているのだろう。しかし考えてみろ、俺の片腕と紗良の命。どちらが重いか比べるまでもない。片腕で紗良の命が守れるのならば、喜んで捨てよう。
「落ち着くニャン。取りあえずまだ時間はあるから、別の方法で探してみるニャ」
「宜しくお願い致します。リール様」
「ジェンシャンで無理やりにでも連れ戻してたら、こんな事にはならなかったニャン」
そうあの日紗良がジェンシャン国で熱を出していた日に、俺はいた。紗良が着いたであろう日から、早馬で知らせが来たのだ。
それを聞いて到着すれば、紗良は熱を出して寝込んでいた。カシュアに促されて部屋に入れば、熱に浮かされた紗良が居た。
「いや、そうでもないだろう。紗良はいつでも逃げれる足を持っているからな」
俺のことを夢だと思い込み、熱に浮かされながら自身の気持ちを教えてくれた。今も変わらず俺を想ってくれてるのだと分かったからこそ、無理強いするのを諦めたのだ。ここで連れ戻しても何も解決しないと思ったから。
「もとより俺の指示した結果がこれだ。俺が受ける罰なのだ。遅かれ早かれこうなっていただろう」
言い出したら聞かない性格なのは嫌と言う程知っている。ならば、行きつく先が分かっている限りは見守ろうと決めた。俺が紗良に追い付こうと決めた。
ジェンシャン国で蒼玉に話を聞いた限りでは、すぐに目的の場所にはいかずに、守護者を救出しながら向かうとの話だったから、急げばタイミングよく追いつけるだろう。
だがその時には呪いは俺を蝕んでいる。アルティナの言葉通りに俺は紗良を殺してしまうだろう。
「これが肩にくるまでが残された時間だ。それまでに方法がなくば切り落とす」
「分かったニャン。色々と当たってみるから早まるんじゃないニャー」
溜息を吐きながらリールはテントから出て行った。
今回は王子サイドで。




